ストレイシープ
「俺も舐められたものですね」
罪人達にわざわざ刀1本残して牢に放り込んだのだ。
舐められている。
「こら、アレン。喋るな。傷口は塞がってないんだから」
冷たいコンクリートの壁に凭れたアレンは薄汚れたベッドシーツを裂いて作った包帯を脇腹の傷口を押さえるようにライルに巻かれていた。
「ですが、喋っていないと……どうにかなりそうなんです。あの……まだですか?」
「アレン、その傷口から菌を入れて膿みでもさせたいのか?」
「いえ……それは遠慮したいです」
最悪、死ぬ可能性もあるのだから、アレンはリヴァの言葉で喋るのを止めた。
「しかし、お前は丈夫だな。もう座っていられるし。だがな……無茶はするな。手加減されていなければ死んでいたぞ」
リヴァにはバレていた。
アレンが傷を負ったのは、不意を突かれたわけでも、必死の闘いの末というわけでもなく、単にルイに手加減されていただけ。
彼の真意は不明だが、アレンからすれば、あれは遊ばれていたとしか思えない。
刀を置いて行ったのもルイらしいのだから。
アレンは唇を噛んで俯いた。
「アレン、私ははっきりさせておきたいことがある」
「………………」
リヴァの言いたいことがいくつも頭に浮かび、アレンは固まった。
アレンにはリヴァに問われたら答えずに流すことは出来ない自信がある。
「お前は私に復讐の為に教会の一員にさせて欲しいと言ったな」
北の大地リーベラ所属の傭兵団――客を選ばない『リリス』を見付ける為に情報が必要だった。リヴァに拾われた時に孤児として教会に保護されるはずが、アレンはシュヴァルツ商団の護衛として仕事をくれないかと頼んでいた。
教皇には助けてくれた教会へのお礼と言い、リヴァにだけは正直に復讐の為と話している。
理由は簡単だ。
リヴァの監視下で働くことになった時、彼女にだけは嘘は吐けないと思ったからだ。
リヴァは喋らずとも他人の深いところまで見透かす。特に憎しみに対して。
「今、ここにはお前が復讐したい相手がいる。私はお前の頭数を計算に入れて構わないのか?」
リヴァは復讐を止めろとは言わない。薦めてくることもしないが。
初耳のはずのライルは復讐について驚かずに黙ってアレンの手当てをしている。
「お前が探し続けていた相手だ」
「俺はアクアさんと契約しました。騎士の契約は絶対。反故は俺の死に繋がる。俺が死ぬのは……あの男を殺してからです」
「アレン、お前の命は――」
「安い命です」
早口のアレンはリヴァを遮った。
そして、立ち上がったアレンは刀を頼り無さそうに腰に下げると、壁伝いに歩いて牢の柵を握る。
「しかし、安いですが丈夫ですので。団長、行きましょう」
「私は安いとは思わない!私はお前を絶対に死なせないからな!」
「!?」
息を荒げたリヴァ。彼女はアレンの腕を掴むとそのまま床に押し倒した。
「っ!」
脇腹の痛みよりもアレンはその取り乱しように驚く。今まで商団を纏めてきた団長はこんなではない。
どんな時でも冷静で残酷さを忘れない。
「団長、落ち着いて!」
ライルがリヴァの上がる肩を押さえ、振り上げられた拳を片手で受けた。
「お前は何度言わせるんだ!!私はお前を死なせない!死なせてやらない!」
「…………団長……」
リヴァの髪がアレンの手に触れ、ゆっくりと離れる。そして、アレンを解放したリヴァは彼に背を向けて冷たい岩の壁に体を預けて目を閉じた。
「お前は護衛だ。そのお前が死ねば仲間が危機に晒されるんだ。次に自らの命を安いと言ったら、私は仲間の為にお前を護衛から下ろす」
「それは…………嫌です」
「嫌ならもう二度と言うな」
「…………………………はい、団長」
ライルの手に促されて態勢を楽にしたアレンは宙を見、拳を握った。
寒い……。
はぁ。
皮肉なのだろうか。
名も知らない人の血が、国のために働いてきた人の血が、彼女を守って命を落とした人の血が、彼女の体力を奪っていた。
衣服を真っ赤に染め上げた血液は夜の冷気に彼女の体温を徐々に削る。
小さく蹲り、少しでも熱を作ろうとしたアクアは肩に羽織ったコートの裾を掴んで胸に抱いた。
窓もなければ、他には何もない。
あるのは外からしか開かない木製の重厚な扉。
ネズミの駆ける音もしないそこにアクアは一人で入れられていた。
「一人は……慣れてる……ね、お父様……」
どんなに国政に忙しくてもアクアの父は家族を大事にした。アクアの父――サラ・クライストは妻を愛し、息子を愛し、娘を愛し、民を愛した。しかし、それでも時には父親としてではなく国王としての自らを優先した。
『ごめんな』で約束を破り、『また今度な』と子供達の頭を撫でて痛む足を引きずって城を出た。
分かっていても癇癪を起したアクアの手を兄が引き、ぬいぐるみを揺らして『アクア、一緒に遊ぼう』と笑った。
「お兄様……ああ……お兄様……」
一人じゃなかった。父がいない時も、母が亡くなった時も、彼女の傍には父が――兄がいた。
一度も父に怒ることなく、兄は父の背中だけを見ていた。
そして、幼いアクアにはその時の兄の表情から感情を読み取ることはできなかった。
『なぁ、姫様よぉ』
扉の向こう。
アレンを刺した張本人がアクアが入れられた部屋の直ぐ外にいた。
「………………」
アクアは隙間風の流れる隅に静かに移動する。少しでも扉から離れるように。
『なにもないその部屋にいたら気狂わねぇか?俺とお話しようぜ、姫様』
「……………………」
『信じていた人に裏切られた気分はどうだ?』
……ドン。
アクアの拳が扉を叩いた。
『気持ち悪いか?』
ドン。
『それとも最悪の気分か?』
ドンドンドンドン――――何度も何度も。
月日にささくれた板を叩き、その手に傷を作っても繰り返すアクア。
「悲しいのよ!あなたには分からないでしょ。アレンを裏切ったあなたには!」
『俺がアレンを裏切った?』
「そうよ!」
『あいつも俺達のルールに従って依頼をこなしていた。あいつだって知らない他人の大切な奴を殺してるんだ。正当な報いだろ?』
「違う!あなた達がアレンに人殺しをさせた!」
激情してもどうにもならないと分かっていても、アクアは体力を削ってまで叫ぶ。
「あなた達が彼に道を踏み外させた!彼は……誰にも恥じない騎士よ!」
扉越しでしか言いたかったことを言えない。
絶望の中でしか素直になれない。
自分の嫌な性格は知っている。
“人殺し”に過剰に反応したアレンにたったの一言も声を掛けてやれなかった自分。
そんな自分のままではいたくない。
『へぇ。ならあんたはあのクズな王様に人殺しをさせたんだな』
「なん…………」
アクアの扉を叩く手が止まった。
『ちゃんと聞いてたぜ。あんたが結婚しなかったからだろ?』
“お前が帝国軍将軍の誘いを断るから!”
「…………っ……」
アクアには反論できない。
『アレンはああ言ったけどな、あんたも分かってんだろ?アレンとあの王様、どっちが正しいか』
アレンの所属するシュヴァルツ商団の本部があるグレスリアは規模としてはかなり大きい商業都市。かつ、シュヴァルツ商団と教皇に守られている。
対して、パティアには自立と平和しかないのだ。
まんまと賊が抜けていくのを許し、民は怯え、実戦とは程遠い兵達は動かなかった。
実際に、たったの数人の鎧の生き物に衛兵は抵抗もなく殺された。
いつの時代も戦争の前では誰もが納得する正論などない。何が正義かなんてのは曖昧になるのだ。
『ま、この国はもう長くは持ちそうにねぇし、あんたは明日の朝一番に奴隷商に売られる。どーでもいいか』
「……………………あなた達は何がしたいのよ。こんな小国にどうしてやってきたのよ」
『金のため。金をくれるならなんだってする』
深く闇に浸透する声音。アクアは拳を落とした。
「あなた達はお金のためなら人だって殺せてしまうのね」
『そうさ。他人の家族も仲間の家族も自分の家族もな』
冗談で言っているのではない。売り言葉に買い言葉でもない。
本気だ。
『俺も言わせてもらうけどな、あんたも自分の兄貴を殺そうとしたんだ。自分の家族をな』
階段を下りていくブーツの音。
アクアは額を扉に付け、声を押し殺して泣いていた。