先駆者
『ああ……お前か』
“ゼロ”
「…………ぅ……」
「大丈夫か?アレン」
「………………だ……団長……っ」
「無理するな。熱がある」
身体中が熱く、薄暗い視界が更にボヤけていた。
「俺は……」
「脇腹を切られたんだ。傷が深いし、出血も酷い」
アレンの腹の辺りでライルの声がした。
どうやら、髪を撫でてくれていたのはリヴァで、手当てをライルがしているようだ。
腹部が全身の中でも一際熱い。そこから焼け熔けてしまいそうだった。
「俺……死ねますか……?」
死んで、愛する彼女のもとへ行けますか?
「馬鹿が!私がお前を死なせるか!」
ああ……団長が泣いている。
「泣かない……で……団長……」
「私が泣くわけないだろ!もう喋るな!」
目元を袖で擦り、眉を曲げて声を荒げるリヴァ。
「しか……し…………あの……アクア……さん……」
その時、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をした。曖昧な表情をし、そっぽを向いて舌打ちをする。
リヴァの悪い癖だ。
「団ちょ……彼女は……」
出来る範囲でアレンが見渡せば、ここは檻の中。窓もないのに冷たく湿った風がどこからともなく流れてきている。
多分、王城の地下にある牢獄だ。しかし、普通はいるはずの見張りが誰一人としていないのは先の悲劇で牢に回せる人間がいないからだろう。
それより、アクアはどこに?
他の牢は全て空だ。
「このままだと、私達は明朝に公開処刑され、彼女が……売られるかもしれない」
「うら……れ……?」
「港は商団が抑えているが、もし陸路だったら……」
売られる?
つまり、ルーカスはパティア国の姫を……たった一人の家族である妹を奴隷商に売ろうとしている?
「行か……ないと!」
護ると契約したんだ。
父親との思い出の中と同じ、幸せなパティアの国を彼女に見せてあげるのだ。
誰もが心の底から笑える自由の国パティアを。
アレンは傍らに置かれていた刀を掴んだ。
ライルの手を退かせ、ゆっくりと上体を起こす。
「っ!!!?」
しかし、熱は一気に痛みに代わり、脳に響いた。額を強く押さえてもどうにもならないほどの痛み。
痛い。痛すぎる。
「アレン、まだ駄目だ」
ライルに肩を掴まれ、そっと倒された。それは弱い力のはずなのに抗えない。
指は勝手に震え、刀を取り落とした。
「くそっ……」
必要なんだ。
俺には刀が必要なんだ。
なのに掴めない。力が入らない。
もう諦めて休んでしまえとどこからともなく聞こえてくる。
どうしようもないのだから。お前は彼らには絶対に敵わないのだから。
お前の力では誰も…………。
――アレン、生きて――
「くそっ!!」
その言葉を吐き捨てるだけでも痛みは倍増した。
なんて様なんだ。
かつての仲間に腹を切られ、それも、手加減された。じゃなきゃ、対峙した時に心臓を抉り取られて一瞬で絶命していただろう。
そして、護ると誓ったアクアを護れずに、自分は公開処刑されようとしている。
「なんて俺は不様なんだよ!」
ズキリと腹が痛む。
あまりの痛さに意識がどこかに飛んだような気がした。
これ以上叫んだら神経がぷっつり切れるかもしれない。でも、滑舌は良くなっていく。
ならば、叫べ。
叫んで抗え。
「お前は繰り返すのか!?あいつらにまた、全てを奪われるのか!?」
答えろ、アレン。
お前は繰り返すのか?
またあの絶望を味わいたいのか?
「嫌だ!!!!」
もう大切な人を失いたくない。
「俺はアクアさんを失いたくない!」
ならば、立て。
ならば、刀を握れ。
ならば、戦え。
『這い蹲れ。縋り付け。それはお前の力になる』
「団長達遅いなぁ……」
「なぁ、レイン!リンゴ24個入りの箱が6つあるんだが、リンゴは結局、いくつあるんだ?」
「144個」
「100個もあるとは思えないぞ?」
………………。
「24×6は144です!ならば、1個1個数えればいいじゃないですか!」
「なんだよ、レイン。いつもより短気だな」
ぶちっ。
レインの中で張りつめていたとある糸が切れた。
「もう22時ですよ!?なのに団長達が帰ってきません!」
「だから?」
小指で耳の中を掻いた彼はリンゴの入った箱をレンガ張りの地面に置く。
「っ!ジルさんは心配じゃないんですか!?」
白髪を頭部から短く針のように生やし、団員の中でも古株のジルは自分の茶と白の硬い髭を撫でる。水平線に沈み行く夕陽を目を細めて眺め、興奮したレインのエメラルドグリーンの瞳を見下ろした。
「お前の弟もいないんだ。多分、団長達といる。信用してやれ」
「アレン……」
レインは唇を噛んで城を見上げた。
「ジル!アレンの馬だ!」
一人の団員が息を切らして積み荷の確認をしていたレインとその手伝いのジルの間に現れた。
「ユリンが!?その、アレンは!?」
レインが真っ先に反応し、記録用紙を箱の上に置く。
「それが、馬だけなんだ。ユリンだけここに来た」
「何で……」
「ユリンは荷馬車の方か?」
「そうだ」
それだけ聞くと、ジルはその団員に荷物を預けて荷馬車のある方へ足早に歩きだした。それにレインも続く。
「ユリンは?」
「どーどー。いい子にしろ。落ち着け」
息の荒い牝馬。
アレンの愛馬であるユリンが逞しい胴を振り回して暴れていた。
大柄な男が足を踏ん張って手綱を引いている。
レインは腕捲りをすると、視界の死角にならないように正面に立つのを避けて手綱を握る男に近寄った。
「ちょ、レイン!危ないだろ!」
小柄なレインが脇を通った事に気付かなかったジルは止めるに止められずにそのままで立ち尽くす。
これ以上、人が増えればアレン自慢の賢い馬でも辺り構わず蹴り出すかもしれないからだ。
「貸してください」
「レイン、お前だと振り飛ばされるぞ!」
「馬の扱いには慣れています。それに、ユリンはもともと僕が育てていました。ユリンはアレンが安全と教えた人間にしか従いません。あと従う人間は、アレンが手懐けるまで世話をしていた僕です」
男から手綱を奪ったレインはユリンの名前を呼び、なだめる。
「ユリン、どーどー。僕です、レインですよ」
ユリンが首を振るのに合わせて手綱を軽く引いたレインはユリンの背中を優しく叩いた。すると、高く嘶いていたユリンは徐々に興奮を治める。そして、レインの手に頭を下げて鼻を擦り付ける。すっかり安心したようだ。
ジルも男もレインに感心する。
「いい子ですね、ユリン。貴女のように賢くて聡明な方は僕の理想の女性です」
ユリンの背中を愛しげに撫でるレインは理想の女性を目の前に瞳を輝かせた。
「レイン……ユリンは馬だぞ」
「ジルさん、ユリンは賢いんです。馬だ馬だと言うと、蹴りますよ?」
心外ですと言いたそうにレインはジルを据わった目で見た。そして、ジルはユリンに対する譲れない気持ちをレインの中に見ると、咳払いして場を濁した。
「それより、アレンはどうしたんだ。ユリンだけ帰ってきて」
「そうですね。ユリン、アレンに何かあったのですか?」
レインの問い掛けにユリンは世話しなく鼻をレインの背中に擦り付ける。まるで、前に進んで欲しそうに。
「分かりました。道案内は貴女に任せます」
ユリンに股がろうとするレイン。
ジルは彼の腕を掴んで止めた。
「おい、お前、どこに行くんだ!?」
「勿論、アレンのいる場所です。護衛というのに動けずに団長の役に立てていないとしたら、僕はアレンの兄として情けないですから」
「だが――」
「それを許すことはできないわ」
「……ナギサさん」
ジルの他、自分達の役割を終えた団員が集まってくる。
その中に団長のリヴァに全体の指揮を任されたナギサという名の女性がいた。交渉補佐の彼女は商売においてはリヴァに次ぐ位置にいる。
西の大陸で流行っているらしいドレスを身に纏い、片手にこれまた西方の流行りらしいフリルたっぷりの閉じた傘を持ち、彼女はにこりと微笑した。
「何故ですか?ユリンがこんなに取り乱すってことはアレンに何かあったんですよ?」
「そうね。乙女が取り乱すのは吉報と訃報……あとはベッドの上ね」
ウインクした彼女は宝石のような緋色の瞳が長い睫毛に隠れる。
が、
「ウマイこと言った気でいるようですが、そういうのは僕ら商団の紳士達にはウケませんから」
心底厭そうな顔をしたレインは紳士だった。しかし、他の“商団の紳士達”はレインの背後でにやりとしたのを彼は知らないのだ。
「レインはアレンに益々似てきたわね」
「アレンが僕に似てきたんです」
腰に手を当てたレインは自称『アレンの兄』だ。
「ホント、あなた達はそっくりね」
「………………でも僕は、ナギサさんが許可しなくてもユリンと行きますから」
「ふーん」
勇気を振り絞ってナギサに言ったレインだが、ナギサの反応は薄い。反対もせず、不愉快そうでもない……寧ろ、彼女の感情が見えず、不気味だ。
「僕は一人でもアレンを助けに……」
「それで?」
カツンとナギサが着ている白いドレスから覗いたブーツの踵が鳴った。そして、荷馬車に掛かったランプの灯りが作ったレインとナギサの影が重なる。
レインの前にはランプの逆光の中で瞳だけを輝かせたナギサがいた。
普段は大きく開く目は細く、微笑みを絶やしたことのない唇は閉じられ、じっと見下ろされる。
「“それで”って……僕は助けに……」
ナギサの存在感にレインは圧倒されていた。彼はユリンの手綱を握る手に力を込めて後退る。
彼らの周りを取り囲んでいた団員達も無意識の内に息を殺していた。
「紙を盾、ペンを剣にして闘うのかしら?」
「っ……僕だって短刀の使い方ぐらいはアレンに……」
腰に下げた小さな短刀。柄にはシュヴァルツ商団の印であるクロスが刻まれている。
「あなたが助けようとしているのはそのアレン。あなたがアレンに教わった護身用程度の短刀で、アレンをピンチにしている奴からアレンを助けられるのかしら?あなたを囮にでもされちゃあ、アレンの足手まといではないの?」
「っ!」
言い返す言葉などない。
レインには実戦経験などなく、いつもアレンやリヴァの後ろに隠れていたのだから。
それで掴まって囮にでもされたら、とんだいい迷惑である。
「……でも…………」
「先ほど得た情報だけど、城から複数の遺体らしきものが運び出され、焼かれたわ。それも、秘密裏に」
「え!?」
「ちょ、ナギサちゃん、それは本当なのか!?」
「ええ。偵察に行った仲間がばっちり。けれど、どこの門もかなり厳しく見張られていたから遺体の身元は確認できなかったの」
レインもジルも誰もが顔を青ざめた。
リヴァとライルが王城の下見に行ってまだ帰ってきていない。
「……そんな…………」
手綱を離したレインはその場に崩れる。
焼かれたものがもし二人の遺体だとしたら、アレンも……。
レインにとって最初で最後の家族はリヴァとアレン。世界中の誰よりも愛して止まない大切な家族だ。
「僕はもう…………」
涙すら出ない。
彼の頭の中は絶望でどす黒く染まる。
しかし、ナギサだけは動揺一つ見せずに立っていた。そして、彼女は一瞬だけ唇の端に笑みを浮かべたが、それを見ていたものはいない。
「けれど、焼かれた跡を調べたら、燃え残りに『漆黒の羽』が出てきた」
ナギサはスカートを摘まんでしゃがむと、俯いたレインと目線の高さを同じにして言った。
誰かの鼻を啜る音やしゃっくりの音が混じる空間で、彼女の声は妙に響く。
特に、レインには。
「……………………え?」
彼女の言葉にレインだけが反応した。
顔を上げた彼とナギサが見つめ合う。
そして、他の団員が団長と副団長の安否に肩を落とす中、レインは脳を回転させて考えに耽り出した。
その表情は真剣。
「ナギサさん…………他に情報はないのですか」
「あるわよ。でも、あなたはアレンを助けに行きたいんじゃなかったかしら?」
微笑む彼女は日没後独特の空気を吸い込み、すくっと立ち上がったレインに問いかける。
「僕には僕なりの助け方があります」
ユリンの背中を優しく叩いたレインは手綱を放した。
「殴り込みは僕には合いません」
「あらそうなの」
ふふふ。
ナギサはスカートふわりと揺らして立ち上がる。
「じゃあ、皆、私達なりに助けに行きましょうか」
その一言で、団員全員の目付きが変わった。
悲しみに淀んでいたはずが、今はその名残はどこにもない。希望がなくとも絶望もない。
彼女の言葉に進むだけだ。
そして、
パンパン。
ナギサが手をたたくと、一人ひとりが各所に素早く散った。
指示が飛び交い、せっせと全員が動き出す。
これがリヴァの創り上げたシュヴァルツ商団だ。
「量才録用、適材適所。大切なのは有効利用。私の好きな言葉よ、レイン」
レースがあしらわれた白い手袋をはめた彼女の手が、腕に掛けた傘の柄を掴むと、彼女はそれを頭上に差した。
雨も降っていないというのに。
「さぁ、行きましょ」
「あの……それは傘の有効利用ではないと思いますけど」
「傘と言えば相合傘。もし男女が揃えば、そこは愛の巣となるのよ。ね、レイン?」
……………………………………。
「そういうのってセクハラって言うんですよ」
レインは差し出されたナギサの手は握らず、彼女の傘に入った。
1話ごとに「約~月振りに……」ってのはそろそろ飽きてきましたねwww
のろのろ更新ですいません!!!!( ;-`д´-)