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シュヴァルツ商団総団長

血だ。


赤い……血。



命が壊れる瞬間を僕は初めて見た。そして、その重さを知った。






彼女の長い黒髪が彼女の腰を撫でた時、意志のはっきりとした声が森に響き渡った。

「シュヴァルツ商団第一商団団員に告ぐ、これより前方は全て我が商団護衛、アレン・レヴァラントに任せる。乱戦に捲き込まれたくなければ、速やかに後方へ移動しろ。なお、一人でも薬を使う傷を負ったら全員三日間食事抜きだ」

びりびりと生き物達の肌を震わせる圧倒的な存在感のあるそれ。

シュヴァルツの証をもつある者はクルリと背を向けて敵を前に逃げ出し、ある者は傷口に唾を付け、ある者は持った斧に重なる敵の刃を凪ぎ払った。

すると、ジリジリと仲間の肩が近付く団員達の塊から一つ、小さな影が現れる。

存在感のあるそれ。

そして、その影は深々と頭を下げた。


柔らかな茶髪に青い瞳。幼さの残る柔和な顔には微かに何人も立ち入らせなさがあった。

脇や腹周りに生地が余った黒のシャツに紺の長ズボン。そのどちらにも青で逆さのクロスにSが刺繍されていた。そして、腰にはそれなりの長さを持つ刀。不似合いなそれが青年の唯一の武器だった。



「俺はシュヴァルツ商団第一商団護衛、アレン・レヴァラント。商団を代表して参りました。早速ですが、俺達はあなた達の代表と交渉を……―」

「物資を寄越せ」

紳士らしく完璧なお辞儀をして顔を上げたアレンは首筋に触れた切っ先に言葉を途絶えさせる。彼は擦り傷の付いたごつごつした手を見、北特有の民族衣装の若い男の目を見詰めた。じっと何も言わずにアレンは男を見上げる。

「お前……」

そして、月明かりが闇を照らした時、男が思ったより若かったアレンに翳した鉈をぶらす。それを見逃さなかったアレンの手が彼の腕を掴み、捻った。

「っ!?てめっ!!何が交渉だ!!!!」

「交渉?あなたは交渉する時、相手に刃物を向けて交渉するんですか?失礼ですが、交渉する意志がまるで感じられません」

商団と賊らきし集団が硬直する。

どちらも一歩も動かない。

そして、鉈が落ちた時、驚愕に顔を歪めた若い男に面影の似た髭を蓄えた50代くらいの男が、筋肉の盛った腕で斧を振り上げた。

「交渉の余地なしですか」

溜め息を吐いたアレンは、大きく振られたそれに体重を取られている男の足をいとも簡単に払うと、倒れかけた男の手から斧を滑り取る。男は地に尻を突き、既に抜刀の正式な許しを得ていたアレンは斧を仲間の方に捨てて真っ直ぐ男の喉に刀を触れさせた。アレンの切っ先は、息を呑んだ男の喉仏の薄皮を切っても決してぶれない。

皺の間に溜まった砂が赤くなり、それを青の瞳は瞬きもせずに見る。

再び場に静寂が満ちる。

「こ…殺すなら殺せ!」

絶体絶命の状況で男はアレンを睨んだ。その威嚇するような視線に彼は全く動じない。そして、無言で刀を引いた。上体は倒れた男に覆い被さるように。

その瞬間、男はアレンに不気味な何かを見た。


「じゃあ、殺します」


素直に狙いを定めるアレン。何の躊躇もせず、彼は銀に光る刃物を下ろす。



誰もが息を呑んだその時、高い叫び声があがった。




「僕が!僕が代表です!!」


薄汚れた衣装を纏う男達の中から小柄な少年が飛び出し、アレンの刀が男の喉を突き刺すすれすれで止まる。丸腰の少年は同じ北の民族衣装を着ており、砂埃を付けた黒髪の中から真っ黒の大きな瞳でアレンを見上げた。

10歳くらいだろうか。

「君が代表?」

「僕らはソラの民。そして僕はソラの長。シュヴァルツ商団の皆さん、勝手ながら、彼にどうか御慈悲を」

泥の中に膝を突き、彼は深々とアレンに土下座をする。額を土に付けて、少年は誰よりも頭を低くしていた。

「お願いします。どうか御慈悲を」

彼は声を震わせても懇願する。すると、武器と化した農具を掴んでいた男達が次々とそれらを手放して額を地に付けた。ドミノのように少年を中心に膝を折る男達。そして、向こうには女子供までもが土下座をしていた。

「まさか……君が本当に…………」

この小さな少年に何十人もの大人が従う。

彼は間違いなく長だった。


「顔を上げてくれ。私達は交渉は相手と対等な立場でやるんだから」

リヴァが刀が倒れた男を捉えたままのアレンの肩に手を置く。リヴァの制止の合図にアレンは刀を鞘に納め、彼女の背後についた。

「手荒なことをして悪かった。けれど、私はこいつに怒りはしない。仲間の命がかかっているからな」

こいつと呼ばれたのは柄に手を掛けてまだ緊張を解していないアレン。

「首の傷は手当てしよう」

リヴァは傷口を押さえる年上の男に手を差し伸べ、払われても表情は変えず、団員に消毒液を持ってくるよう言う。

「あなたがソラの長と言ったな。私はシュヴァルツ商団第一商団団長、シュヴァルツ・リヴァ・コーティだ」

「僕はエル・ガーランドです」

仲間が解放され、対等に話したいというリヴァに立ち上がったエルはリヴァの肩にも満たない身長で精一杯背筋を伸ばしていた。

幼い顔は年相応のものなのだろう。彼は長として村の民の中で一番胸を張り、しかし、アレンから見れば一番虚勢を張っている子供だった。年上の大人達に紛れる為に必死に手に入れた仮面を被った少年。

「率直に聞くが、どうして我々の居場所が分かった?そちらは我々のもとへ迷わずやってきた」

「情報ですか?」

「そうだ」

裏切り者は一体誰か?

「ならば、情報源を教える変わりに僕達に食料を提供してください。あと、住める場所と保護を」

エルは交渉をする。が、リヴァは悩むことなく頷く。

「分かった」

「ちょっ…住める場所と保護は教会がどうにかしてくれると思いますが、食料って……俺達の食料はどうするんですか!?」

「ユウヤの出血が酷い。だから全員、三日間食事抜きが決定した」

「へ?嘘ですよね!?」

「私の決定に逆らうのか?それに、私達の信念はどうした?」

希望を繋げること。

「ですけど…………」

「絶対紳士なんだろう?」

アレンは牢獄生活で鳴った腹を押さえて力強く頷いていた。




過酷な旅だったのだろう。

商団が食事を用意すると、ソラの民達は恐る恐ると食べ物に近寄った。男達は女子供を守るように囲いながら、けれども、数少ない女性の団員が飲み物を注げば、彼らは直ぐに打ち解けた。そこには笑顔で手伝うアクアもいた。



北の大地リーベラの端で他の小さな村と物々交換をしたりして自然と共に静かに暮らしていたソラの民は、商団の予想外の早さで拡大していた二つの小国の争いから逃れる為に村を捨てて降りてきたらしい。

「一つ聞いていいか?……なぜ、そのような条件で交渉してきた?失礼だが、私達商団はあなた達は取るに足らない。こちらは訓練しているからな。そちらの方が不利な立場にありながら、なぜ相手が頷き難い条件を付ける?」

宴会騒ぎになっている場所から離れたところで、リヴァはパンを千切るエルに訊ねる。

「決まっているではないですか」

少年は自分もちゃっかりパンを口にしながら周囲を見張るアレンの目の前でふっと顔をほころばせた。それは年相応の笑顔。

「生きる命があるからです。僕らの中にお腹に赤子を抱えてる人がいます。まだ歩けない子供もいます。戦争のない美しかった世界を知るお爺様がいます。僕らは死にたくないから逃げてきた。生きたいから村を捨て、帰る家を捨てて、二人山賊に襲われて死んでしまっても進んできた」

上に立つからこそ背負わされる他人の命。その重みに堪えて歩くエルは強い。

「もし、あなた達が断り、武力を行使していたなら、僕達は女の人や子供達を逃がして戦います」

自らも子供であるというのに、エルの表情は戦う顔だった。

「この日、食べ物を得られなかったら、数日以内に皆死んでいました。僕もお腹ペコペコなのかなんなのか分からなくなってました。だから、僕らには生きるにはこれしかなかった。本当にすみません。……とも、言える立場ではありませんが」

矛盾だと分かっていてもどうしようもできないことがある。それがどこかで表に出た時、戦争は生まれ、無関係だったはずの彼らを捲き込んで争いは連鎖していく。

「僕らが死んだら、残り少ない食料を逃げた女の人や子供達に全てあげられる。だけど、勘違いしないでください。僕らは生きる為に戦うんです」


“生きる為に戦う”

嗚呼、なんて心に痛い言葉だろうか。


「なら、殺すために生きる俺は情けない奴ですね」

「え?」


エルが聞き取れずに首を傾げる。リヴァが一瞬だけ宙を虚ろに眺めるアレンを見やり、顔を背けてアレンのパンを奪った。そして、一口でそれを胃に納める。

「俺の食料!!」

生命の糧を取られたアレンはリヴァとエルの間に身を乗り出した。

「私は団員全員が三日間食事抜きだと言ったが?」

冷たい商団団長。

「腹が空いてたら護衛もままなりません……」

「ところでだ。アレン、お前、私に言うことあるんじゃないか?」

「あ……まぁ、ちょっとした間違いで牢に…………捕まっちゃいまして」

勿論、“アレンの間違い”で。

「そうじゃない。お前が連れてきたあの子……」

「彼女はアクア・マーティリエさんです。ここまで近道を案内してくれました。紹介しますか?」

「いや。ここではあまりよい眠りはできない。希望ならお前が送ってやれ」

「え!?もう真夜中……」

「お前も夜中に道案内してもらったんだ。紳士だろ?ほら、知り合いがいないと不安になるかもしれない。お前の客だ。十分気遣え」

「俺は紳士……紳士紳士紳士紳士紳士…………じゃあ、団長の言葉に従います」

頭を下げたアレンは周囲への警戒は怠らずに、見廻りも兼ねて少し遠回りをしながら何やらどんちゃん騒ぎになってきた輪に入っていった。



「今夜は本当にありがとうございます。僕らは一生、シュヴァルツの名を戴いているシュヴァルツ商団総団長の姿を忘れません。このご恩、絶対に御返しします」

「総団長か。私も若き立派な長のことは忘れない。あなた達の土地は絶対に取り戻す」

「シュヴァルツに平和を」

「アークに平和を」

ただの水。

されど、喉の渇きを潤す命の水をリヴァとエルは飲み交わした。







俺が命を懸けるのは復讐だけ……―

少年の手にしたそれから鮮血が滴った。




「ちぃーす!お呼びされた『リリス』でーす!」

「煩い」

「最近、俺らの出番が多いんだから儲け時に儲けないと。その為には愛想も必要ですよ」

「…………グリム、来い」

「……………」

「それじゃあ、王様には俺がご挨拶でもしときますねー」

「勝手にしろ」

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