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URL  作者: 和まと
第二章
9/10

2-1

 深い漆黒が空を覆い、闇の息遣いがすぐ耳元で聞こえてきそうな時刻だった。しん、と空気まで眠りにつくような深夜一時。

 しかし、ここ森都では、時間に限らず街中は昼夜明るく、時の流れを身近に感じることは少なかった。頭上から注がれる自然の光ではない、建造物から漏れる人工的な明かりにチクチクと眼球を刺激される。

 その街中を、久長十六夜(ひさなが いざよい)は一人歩いていた。

 昼のような明るさを持つ街とは言え、人影は疎らだ。

 造り物のような繊細な顔立ちに、艶やかな黒髪。一瞬、人形が動いているのではと見紛うほどに、その綺麗な顔には一片の感情も浮かんではいなかった。

 深夜という時間帯、ちらほらと見える人の合間を、十六夜はゆったりとした動作で足を進めていた。

 恋人らしき男女、派手な容姿の若い男達、店の呼び込みをする者──皆が皆、別々の意志を持って動いていた足。が、彼とすれ違う度にそれが一瞬、止まる。

 正しく、彼は異色であった。

 造形だけでない、纏う空気すらもどこか潔癖としたものを孕ませ、この森都の街に溶け込めていないような……“異物”のような印象だった。

 住む“世界”すら、違う──ふとそんな考えを巡らせる強さを持った、存在だった。

 一瞬間、彼の存在に意識の端を持っていかれ、しかし次の瞬間にはそれも泡沫の如く霧散していく。各々が各々の目的を持って歩を進め、数分も経てば異色の青年の存在も記憶の片隅へと追いやられるだろう。

 所詮は、他人。

 その存在を、ずっと意識の中に留めておくなど不可能だろう。

 人々の視線を一身に集めた青年、久長十六夜もまた同じであった。

 視界に誰を、何を入れようと、決して彼の深い意識にまで足を踏み入れることなど出来ない。

 それが例え、友人であろうと、血の繋がった両親であろうと。目の前で友が、肉親が死のうと、十六夜はその能面のような表情を少しも崩さないだろう。ただありのままの事象を受け入れ、次の瞬間には何事もなかったかのように日常を過ごしていくに違いない。

 久長十六夜とは、そんな男だった。

 冷酷ではなく、無関心。人間、果ては自分自身までも興味がない。

 歩みを進めつつ、十六夜は考える。

『人形のくせに、人間みたいなことを言うな、どうせ、人の気持ちなんか分からないくせに──!』

 一ヶ月ほど前に、弟──夕也から、ぶつけられた言葉。幼なじみであった瀬野光一を亡くし、哀しみに沈んでいた夕也が、吐き出したものだ。

 人形のくせに──正しくその通りだと、十六夜は感じていた。

 喜怒哀楽が恐ろしいほど欠落している十六夜にとって、幼い頃から知っている光一の死にすら、何の感慨も湧かなかったのだ。

 悲しみも、哀れみも、喪失感も、憎しみも──

 何一つ、胸に込み上げてくるものはなかった。

 だが、夕也へ告げた気持ちは、偽りではない。


 夕也が悲しければ悲しく、夕也が苦しいなら、自分も苦しい。


 己の心を突き動かせることが出来るのは、たった一人──弟の夕也だけだった。

 十六夜の世界は、唯一の存在である、夕也を中心にして回っている。

 夕也が喜べば、自分も喜び、夕也が怒るなら、自分も怒る。

 感情の、欠落──それは“自分”という存在がないに等しい十六夜にとって、血の繋がった弟、夕也の存在は、かけがえのないものだった。

 いつからだったかは分からない。しかし、気がついた時にはもう、十六夜の世界の中心は、夕也だったのだ。

 夕也が泣けと言うなら泣く。夕也が死ねと言うのなら、死ぬだろう。

 それは正しく、人形だった。



 どこへ向かうでもなく、十六夜は足を進めていく。目的などない。ただ、森都の街中を十六夜は歩いていた。遊びに向かうでもなく、何か買い物をするでもない。

 ただ、十六夜は散策する。それは彼にしては珍しい無意味な行動であった。

 否、十六夜は往来を移動しながら、無意識のうちに実感していたのかもしれない。

 多くの人間が蔓延る中、自分を動かせ、人だと感じさせてくれることが出来るもの──それは、弟である夕也の他に居ないということを。

 と、

「──っ!」

 ふいに、耳が何かの音を拾った。

 男の叫び声……怒りを含み吐き出されたようなその音に、思考の波に泳がせていた意識を浮上させる。

 ふ、と視線を上げれば、暗色に染められた中心広場──煉瓦の敷き詰められた小さな円形の憩い場──に、複数の人影が見えた。

 一つの影は地面と平行するように倒れており、二つの影がそれを睨みつけるようにして立っている。どうも喧嘩らしい。

「っの、クソガキが!」

「とっとと失せろ!」

 一方的な言葉を投げつけ、倒れている人影を今一度蹴りつけてから──声から察するに──二人の男は去っていった。 何かに惹き付けられるように、十六夜はその影をまじまじと見つめた。

 それは、どうやら若い青年らしかった。癖のない黒髪に、暗色のトレンチコート、品のある服装。

 全身相当痛め付けられたのか、僅かに覗く素肌からは痛々しいほどの傷跡が窺えた。

「……っ、げほ」

 苦しそうに咳き込み、体をくの字に曲げる青年。

 その姿を目にし、刹那、気がつけば十六夜は彼に声をかけていた。

「大丈夫か?」

 傍に歩み寄り、膝をついて青年を見つめる。

 自分自身でも意外だと思うほど、“人”に近いその行動に、十六夜は内心驚愕していた。

「……っ、は、い」

 息をすることすら辛そうな、掠れた声で返答をしながら青年は痛むだろう体を抑え、上半身を起こす。それを支えながら、つい十六夜は傷だらけの彼をまじまじと見つめた。

 くせ一つない黒髪に、整った顔立ち。殴られ蹴られたため、髪や服は少々汚れていた。

 年齢は……まだ成人していない、高校生くらいのように見えた。

 それが更に強く、十六夜の中の弟──夕也を、彷彿とさせる。

 だから、だろう。

「とりあえず念のため、救急車を呼ぶか……君、名前は?」

 口をついて出た、十六夜にしては珍しく他人を気遣う言葉。それに、青年は微かに戸惑ったような表情を浮かべると、やがてゆっくりと息を吐き出した。


「あん、じ……守本闇二(もりもと あんじ)



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