表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
URL  作者: 和まと
第二章
10/10

2−2

 木々の色が移り変わり、夏の暑さが鳴りを潜めれば、そこから冬まではもはや駆け足だ。他の場所よりも人口密度の高い森都も、ビルや人の合間に浸透するように身を切り裂くような寒さが、そこらかしこから溢れてきている。

 頬を撫でる風の冷たさに瞳を細めながら、俺──久長夕也(ひさなが ゆうや)は森都駅ホームへと足を踏み入れた。

 平日ならばスーツや制服を身に纏った人で溢れ返るそこは、本日は休日であるためか私服の若者たちの影に包まれていた。──俺もその中の一人だ。厚手のパーカーに、着古したジーンズ姿で──この格好からして、デートではないことは察してもらえると思う──ホームに佇んでいると、機械音とともにアナウンスが流れ、電車が滑り込んでくる。と、俺は扉の前へ群がる人々の波に混ざり、半ば押し込まれるようにして車内へ乗り込んだ。

 空気が抜けるような音と同時に扉が閉まり、微かな振動が全身に走る。そして一度ガタンッと大きく揺れると、鉄の箱はゆっくりと動き出した。

 空調のきいた車内は暖かく、冷えた爪先からじんわりとぬくもりが広がっていく。

 周囲を見れば席はどこも埋まっており、仕方なく俺はドア付近のつり革に掴まると、視界の先を流れていく森都の景色を眺めながら一息吐いた。

 ここ──森都を訪れるのも、随分と久々なような気がした。

 幼なじみであった瀬野光一が起こした事件から一週間。目まぐるしく日々は過ぎていったが、俺自身は何も変わっていなかった。……否、実際は変わらないようにしているだけなのかもしれない。

 自分自身が選んだ末の結果。覚悟をして、相対したのだ。嘆き悲しむことは、自分の決意を裏切るようで──また、光一の死を認めてしまうようで、嫌だった。だから、なのだろう。

 もう事件のことを考えるのはよそう、と。俺は記憶や気持ちにきつく蓋をしたのだ。

 そして、嫌でも過去を思い出させる森都へ足を運ぶことを、無意識のうちに避けていたように思える。

 今日も、用事がなければ此処を訪れることはまずなかっただろう。

 故に、この街の空気に長く身を置くことが辛く、俺は逃げるように手早く用事を済ませたのだった。

 ふう、と一つ息を吐く。考えないように意識をしていることが既に考えている、とは、なんとも矛盾していると思う。

 だが──。

 俺を取り巻く見覚えのある風景、匂い、気配。その全てが、自身の奥に封じた物の蓋を、開けようと指をかける。

 そうしてきつく閉じたはずの蓋は容易く緩み、その中から俺の記憶の欠片が、少しずつ零れ落ちてくるのだ。

『バイバイ、ユウ』

 あの時、告げられた別れの言葉。それに含まれていた確かなSOSに俺は気づいたはずなのに。

 救うことが出来なかった。

 死の口に飲み込まれていく光一を、ただ見ていることしか出来なかった。

 親友だと、幼なじみだという関係は断ち切り、対峙したというのに。

 救えなかった罪悪感が、未だ俺を苦しめる。

 あれは、俺の罪である、と。意識の奥深くに残された傷痕が疼くのだ。

 目を背けようとしても、決して消えることのない事実。

 それらを振り切るように、俺はきつく瞳を閉じた。途端、眼下を横切っていた森都は見えなくなる。傷痕を隠すように、罪悪感を消すように、今一度思考に蓋をした。

 何一つ間違えたことはしていないと、自分自身に言い聞かせる。

 全ての原因は……悪いのは、光一なのだ。俺の選択は間違えてはいない。

 俺は、間違えてはいない。

 つり革を掴む指先に力が入る。そして一定の間隔で全身に走る振動に、鼓膜を打ち付ける走行音が意識を一気に現実へ引き戻した。

 窓の外を流れる景色から視線を逸らし──

「……っ!」

 そして次の瞬間、視界の端に入った色に、刹那、俺はぎくりと身を強張らせた。

 自分が立つ場所から、ちょうど真正面の席。ガラス越しに注がれる陽光を受け、艶やかに輝く明るい髪の色が、俺の胸元より下──低い位置に在った。

 その髪が目に入った瞬時、俺は短く息を飲む。

 それは、今先程思い出していた記憶に残る幼なじみの髪色と、酷似しており──途端、ざわりと、胸の奥がざわついた。

 一瞬、白昼夢を見ているのかと思った。自分を恨んでいる友人が、化けて出てきたのかと。

 驚愕から瞳を見開き……しかし瞬間、俺はそれが杞憂であったことに気づく。

「……あ」

 それは、少女だった。

 厚着をした上からでも分かる、柔らかさを帯びた体に、女性と強調するような胸の大きさ。微かに覗く、白くきめ細やかな肌。

 細く小さな手を膝の上でぎゅうと握り締めた少女は、長い前髪で表情を隠すかのように俯いていた。

 知らず、ほう、と安堵の息を吐き出す。

 よくよく見れば、全く似ていない赤の他人だ。

(まさか、女の子を見間違えるなんてな)

 堪らず、一人苦笑してしまう。気にしないよう自分に言い聞かせた途端にこれではどうしようもない。

 やれやれ、と短く吐息した瞬間。ふいに視界の端にあった少女の肩が大きく揺れた。

 次いで、何かを堪えるように少女は口元へ手を当て──おもむろに席から立ち上がる。

「……?」

 まだ次の駅には到着していないというのに、どうして立ち上がったりしたのだろうか。

 疑問から首を傾げるより早く、突如、少女が胸元にしなだれ掛かってきた。

「え?」

 ふわり。鼻先を掠めた甘い薫りに、思わず胸が高鳴る。ちょっと待てなんなんだこのおいしい状況は……! って、いやいや違う。一体なんだ、と少女を引き離そうと肩に手を置いた瞬間。

「……っ」

 少女が短く息を飲む気配が、触れた指先から伝わった。

 そこではっ、とする。口元を覆った手。強張った少女の体。まさか、と内心冷や汗が伝い……それに応えるかの如く、胸元へ寄せられた少女の手がきつく握られる。

 一瞬、少女がうっ、と小さくえずき──


 それ以降は……もう思い出すのもつらい。



 □ □ □



「寒っ」

 自販機のボタンを押し、取り出し口へ落下してきた缶を拾い上げながら、そう呟く。唇の合間から零れ落ちる吐息はどこまでも白い。

 薄い布を容易く浸透し、容赦なく肌を突き刺してくる冷たい空気に抗うよう、俺は薄手の長袖の上から腕を擦った。それまで仲良くしていた厚手のパーカーは、数十分前に遭遇した事故により先刻ゴミ箱の中へさよならしたばかりだ。

 結構あの服気に入っていたんだけどな……残念だ。不幸中の幸いは、ジーンズにまで被害が出なかったことだろうか。

 パーカー一枚だけで済み、本当に良かったと息を吐く。

 そうして缶ジュースを片手に、ホームに設置されている椅子──その上にぐったりと横たわる彼女へ、視線を向けた。

 きめ細やかな肌は現在青白く。外気の温度だけが原因ではないことは明らかだった。

「あのー……大丈夫、ですか?」

 一言、控えめに声を掛ける。

 母親以外で異性と会話をする経験などほとんどない俺にとって、これでも精一杯頑張ったほうだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ