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『魔術師団の貴公子』は今日も想い人に全力で逃げられる

作者: ぽち二郎

「アンナマリー!」


 呼ばれて、呼んだ相手がラズエルであることを確かめて。アンナマリーは、凛々しくも麗しい顔を引き攣らせて「うげっ」と声を漏らした。

 およそ、淑女がしてはいけない類の表情と出してはいけない類の声だが、それらに、ラズエルを止めるだけの力は微塵もない。


「アンナマリー。そんなふうに変顔をキメながら魔物の断末魔みたいな声を出さなくてもいいじゃないか。まあ僕は君のどんな声も表情も、どころか君の全てを愛しているからバンザイ! 役得祭り! という心のときめきを禁じ得な」

「用事があるので失礼させてもらう!」


 逃げるように、というか本気で逃走を図るアンナマリーの後ろ姿を、ラズエルは朗らかな気持ちで見守った。


「見たかい、ロナン。全力疾走するアンナマリーの後ろ姿を。可愛いね。なびく黒髪ポニテの先まで愛おしい。ああだがやっぱり、減ると非常に困るから君は見ないでく」

「ラズエルお前だいぶ気持ち悪いな」


 温厚っぷりに定評がある親友からの辛辣な言葉も右から左。ラズエルの笑みと満足感は、その程度では揺るがない。


「今日はいい日だなあ。騎士団の訓練場まで足を運んだ甲斐があったよ」



 ラズエル・クリュプトンには、『魔術師団の貴公子』という通り名がある。

 魔術の名門たるクリュプトン侯爵家の血を濃く継ぐ、稀代の天才。コラン王国が誇る魔術師団で若くして小隊長を務める将来有望株。その上甘やかな顔立ちの美丈夫となれば、ご令嬢方が放っておかない。


 ……というのが、つい二ヶ月前までのラズエルの評価だった。


「それが今や、想い人に『うげっ』とか言われて喜んでるんだからなあ」

「アンナマリーが発するならどんな声も尊い。それが世の理だからね」

「お前がその調子だから、ご令嬢方から恋文を預かることもとんと無くなったよ」

「そんなものなくたって、アンナマリーが健やかでいてくれたらそれが僕の最上の幸せだ。というか、そういう手紙には元々興味がなかったし」


 スッパリと言い切れば、ロナンがやれやれと苦笑を漏らす。


 二ヶ月前までのラズエルにも負けない人気を今なお誇っているのが、『騎士団の剣姫』ことアンナマリー・クローディスだ。

 クローディス騎士団長の愛娘であるアンナマリーは、貴族には珍しく魔力を持たずに生を受けたが、家族の愛情と、武の英才教育をその身いっぱいに受けて育った。

 つい数ヶ月前に騎士団の小隊長に任じられたばかりだというのに、彼女が率いるアンナマリー隊は、既に、若手最強の隊として名を馳せている。


「全く、女だから、魔力がないからと彼女にケチをつけるお偉方がいるのが信じられないね。僕なんか、アンナマリーのために生きているこの二ヶ月が、人生で一番充実しているのに」

「そういうの、当のお偉方に聞かれないようにしろよー」

「そう! 何せ、彼女は僕の命の恩人にして、僕の運命を変えた地上の天使だからね。あれは二ヶ月前、魔物の討伐に参加した時……」

「話を聞け」



 二ヶ月前、国の外れに強力な魔物の存在が確認され、騎士団と魔術師団による討伐隊が組まれることになった。

 ラズエル隊・アンナマリー隊も、共に、その作戦に参加している。


 厄介にも知性の高い魔物は、騎士団の面々を後方から支援する魔術師団を先に潰さんとし、隊の指揮を取っていたラズエルに魔の手が迫ったのだが、


「颯爽と! アンナマリーは巨躯を誇る魔物の前に立ち塞がり! 華麗に! 奴の腕を切り落とし! 僕の方を振り返ってただ一言『怪我はないか』と尋ねたその姿は凛々しく美しく神々しく! 戦場の女神アウテラの加護やここにあらん! ここに、かの女神を讃える神殿を立てたい!」

「お前がどうかしてるのはさておき、あの時のアンナマリー嬢は確かにカッコよかったよなあ。大勢が入り乱れる戦場で即座にお前の危機を見抜いた辺り、『鷹の目』の常時発動パッシブスキル持ちだって噂も本当っぽいよな」

「待て。まるでその場で見てきたように言うじゃないか。まさか君、アンナマリーをストーキングして」

「お前の隊の副隊長なんだから俺もその場にいたんだよ隊長殿」


 ロナンが、笑顔のままでラズエルの耳を引っ張る。


「痛っ! 千切れる! ロナン、千切れる!」

麻痺魔術パラライズの方が良かったか?」

「君の麻痺魔術パラライズなんて食らったら三日は動けなくなるよ!? ちょっとした冗談でそこまで怒るなんて余裕のない証拠……いだだだだだ」

「あー、はいはい。それじゃあ、戻るとするか。今日はもう、用事は済んだだろ?」



 翌日、ラズエルとロナンは、魔術師団長のヘリオスから直々に、昼食を共にする誘いを受けた。

 連れて行かれたのは、ヘリオス団長の行きつけだという小さな食堂だ。素朴な佇まいながら、王都では中々お目にかかれない食材を用いた、珍かで味わい深い食事を堪能できる穴場だった。


 そこで、ここ暫くのラズエル隊の活動について報告し、ヘリオス団長からは近隣での魔物の出現情報に関して尋ねられた。更には、政治情勢に纏わる話なども幾らか交わした後に、ヘリオス団長は改めて、ラズエルへ眼差しを向けた。


「それで、ラズエル。アンナマリー嬢の件は、どうなっているんですか?」


 サラリと尋ねられて、ラズエルはずずいと身を乗り出した。


「それはもう、アンナマリーは、毎日すごぶる可憐ですよ! 今日は非番で、来たる妹君の誕生日のために、街へ買い物へ出かけていました。家族思いなところも素敵ですね。ちなみに購入した贈り物は……」

「ああ、もう結構です」

「そんな! アンナマリーについてなら、何時間でも語れるのに! むしろ語らせてください!」


 ヘリオス団長は、ラズエルの訴えを完全に無視して、


「ロナン。ラズエルはずっとこの調子なんですか?」


 と、ロナンの方に水を向けた。

 ロナンが、重々しく頷く。


「ずっとこうです。アンナマリー嬢にも、見事に避けられている始末で」

「あらら。それはよろしくないですねえ」

「そそくさと逃げ出す姿も可愛いですよ?」

「よろしくないですねえ」


 ヘリオス団長は口元を品良く拭うと、もう一度ロナンの方を見た。


「ロナン、もう少し付き合ってもらえますか? 一つ頼みたいことがありまして」

「はい。勿論構いません」

「では、よろしくお願いしますね。ラズエルは持ち場に戻ってください」

「アンナマリーの話は……?」

「持ち場に戻ってくださいね」


 笑顔で念押しを食らって、ラズエルは渋々食堂を後に、


「今日の夜、僕のアンナマリーへの想いを花火にして打ち上げてもいいですか?」


 しなかった。


「良くないです。やめてください。国に仕える魔術師がそんなわけのわからないくせに規模のデカイ魔術を公の場で私的に使うって、めちゃくちゃ問題になるやつですからね」

「ヘリオス団長ほどの魔術師なら、魔術の気配を察知して嫌でも気づいちゃうでしょうしね。ラズエルの愛の証を百パーセント目撃できますよ」

「ラズエルが全力でブチ上げたら、あなたも絶対気付きますよ。ロナン。一心同体、死なば諸共です」

「ちなみにハート型のやつです」

「あなた本当にやめてくださいね!」



 残念ながら、花火は本当に打ち上げてはいけないようだった。

 落胆を覚えながら詰所へと戻る途中、ラズエルは雑踏の中に、見間違えようもない後ろ姿を見た。


 キリリと伸びた背、淀みなく美しい足運び、そしていつものポニーテール。アンナマリーだ!


 背筋が自然と伸びる。何故、と、ラズエルは口の中に呟いた。心臓がドキドキと跳ねているのがわかる。

 彼女の今日の外出予定は、妹君のプレゼント選びだけだったはずだ。ラズエルの知っている情報と、話が違っている。


 動揺に立ち止まっている間にも、アンナマリーの姿が遠ざかっていく。


 早く、追いかけなくては!


「うわっ」

「おい、危ないだろうが!」


 昼下がりの街に満ちる、声、声、声をかき分けて、ラズエルは急ぐ。

 追いついたのは、人気のない裏通りに、アンナマリーが入り込んだ後だった。


「アンナマリー!」


 呼ぶ。叫ぶ。

 アンナマリーが振り返り、ラズエルの姿を見留め、「うおっ!?」と婦女子らしからぬ声を上げる間に彼女の元へと駆け、そしてラズエルは、






 不意をつかれたアンナマリーの身体を、()()()()()()()()()()



 勢い込んで石畳に突っ伏したままの体勢で顔だけをがばと上げ、ラズエルは、アンナマリーの身体が石畳に綺麗に落ちるのを見た。完璧な受け身を取れるのは流石だなと、頭の端で考える。

 そして、すぐさま油断なく体勢を立て直しながらも驚きは隠し切れていない様子の彼女へと、声を投げようと口を開き、


「あ、ぐ」


 激しくむせ返って、鮮血を吐いた。

 石畳に、血溜まりができる。ラズエルの口の端からはまだ血が零れ、血溜まりにポツポツと新たな赤を滴らせ続けていた。


「ラズエル殿!? 大丈夫か!?」


 異変を察して、すぐにアンナマリーが駆け寄ってくる。

 ああ、また人の心配だ。

 ラズエルは今、アンナマリーのことを目一杯突き飛ばしたばかりだというのに、彼女は躊躇なく、血塗れの男が何とか身を起こそうとするのに手まで貸してくれる。


「クソッ! 何が起こっている……?」


 ラズエルを庇うようにしながら、アンナマリーが周囲に警戒の目を走らせる。その表情は固く、眼差しには焦りが覗いているように見えた。

 訳のわからない状況だろう。加えて、非番の日だ。アンナマリーの腰にいつもの剣はない。

 逃げればいいのに、逃げてほしいのに、けれどそれをよしとしないアンナマリーだからこそ、ラズエルは好きなのだ。


「……アンナマリー」

「何だ!?」

「僕を、信じて欲しい」


 願いを、静かに言葉に込める。

 アンナマリーは僅か目を瞠ったが、すぐにキリリと勇ましい面差しになると、


「わかった」


 と、短く答えた。

 自分の口元に、こんな時だというのに勝手に笑みが乗るのがわかる。


「じゃあ、アンナマリー」

「ああ!」

「離れないで、側に居てくれ」


 言って、ラズエルは、残る力の全てを使って半球状の防御魔術を編んだ。濃密な魔力のうねりが絡まり合って、二人を守る堅牢なドームを作り上げていく。

 アンナマリーは、ラズエルを抱えるように支えたまま、寸の間は、展開される防御魔術に目を奪われたようだった。

 しかし不意に、弾かれたようにして前方へと顔を向け、そちらを厳しく睨み据える。


 そこには、男が一人いた。



「ラズエル・クリュプトンでも、こうなってはこの程度の魔術しか編めないか」


 男は、土気色をした顔に、僅か誇るような色を乗せて言った。

 アンナマリーが、険しい声を張る。


「貴様! ラズエル殿に一体何を……」

「吠えるな。魔術の気配も読めぬ小娘が偉そうに」


 貴族が魔術の才を欠片も持たないのは、非常に珍しい。

 そんな中で、アンナマリーが、己へ向けられる厳しい目にも折れず、女性の身で騎士団の小隊長を任じられるまでに至ったことは、彼女を嫌う連中を随分と苛立たせた。


 そしてアンナマリーは、命を狙われることになったのだ。


 病に見せかけた呪いを刻むことで、下手に波風は立てず、しかし彼女を苦しめに苦しめてから殺すという陰湿な計画に、最初に気づいたのがラズエルだった。

 先の魔物討伐の折、至近距離で彼女に庇われたまさにその時。魔術師としての力が強いラズエルには、彼女の内側に、巧妙に隠された呪詛魔術が見えた。

 以来、報告を受けたヘリオス団長からの指示で、ラズエルとロナンは、協力して呪いの力を弱め、アンナマリーを守っていた。

 度重なる彼女への接触は、そのためだ。


 しかし、遂に襲撃者は痺れを切らした。

 即効性の、より強力な呪いをアンナマリーに直接撃ち込もうとし、けれども今その呪いは、彼女を庇ったラズエルの内にある。


「その防御魔術もいつまで保つか見ものだな。クリュプトンよ、その呪いはよく効くだろう?」

「……悪くはない出来、だね」


 ラズエルは、何とかそれだけ絞り出した。

 人を苦しめることにこれほど長けながら、熟練の魔術師でなければ感知できないほどに魔術の気配を薄めた呪いが編めるとは。自信に見合った腕前だと、認めざるを得ない。


 酷い痛みが、身体中を這い回っている。凍るように寒いのに、汗が噴き出て止まらない。自分の身体なのに力が入らず、気を抜けば、すぐにでも意識を持って行かれそうだ。


 魔術の気配に気づき、アンナマリーを突き飛ばして呪いを代わりに受けたまでは上出来だった。ラズエルならば、魔術による攻撃なら、多少は威力を軽減もできる。

 けれどそれでも、このままではラズエルはじきに気を失い、それと同時に魔術の護りも消え、今度こそ、アンナマリーは呪いの餌食になってしまう。


 ラズエルは、襲撃者の男を精一杯に睨み据えた。

 男が、ふん、と鼻を鳴らす。


「精々、無駄に足掻くといい。どうせ、お前にはこれ以上何もできないだろうがな。お前の力が尽きれば、そこの魔力なしにできることは何もない」


 ラズエルを支えるアンナマリーの手に、不自然に力が籠るのがわかった。相手を無駄に刺激しないよう、口を開くのを堪えているのだろう。

 魔力がなくとも、アンナマリーは魔術師の戦い方をよく知っている。襲撃者がのこのこと姿を現したのは、既に魔術を編み上げ、防御魔術が切れると同時に本来の標的を捉えられるからに他ならないと、アンナマリーも気づいているのだ。

 目の前に敵がいるのに、戦うことが叶わない。手負いのラズエルのことを考えれば、彼女にとっては尚更だ。さぞ歯痒いに違いない。


 それでも、耐えてくれている。ラズエルを、信じてくれている。


「……大丈夫」


 ラズエルは、小さく呟いた。

 耳聡くそれを捉えて、襲撃者が喉を鳴らして笑う。


「っはは! 何が大丈夫なものか! 近辺には目眩しの魔術も施してある! お前達はここで、無様に、し……?」


 最後まで口上を紡ぐこと叶わず、襲撃者の身体がぐらりと傾ぎ、倒れ伏す。

 その様を目に、ラズエルは深く息を吐いた。



 絶対の優位にあった襲撃者は、最早、ピクリとも動かない。


「……死んでいる、のか?」


 ラズエルを支える手は離さないままに、アンナマリーが呆けたような声を出す。

 ラズエルは、小さく笑った。


「アイツは、そんなヘマはしないよ」


 ラズエルには確信があった。安堵が、胸に満ちる。

 じきに姿を現したのは、


「アンナマリー嬢、怪我はありませんか?」


 先程、食堂で別れたロナンだった。


「貴殿は確か、ラズエル隊の……。全然気がつかなかったぞ」

「ロナンは、『気配遮断』の常時発動パッシブスキル持ちなんだ。魔術師団一の麻痺魔術パラライズの使い手でもある」

「成る程……」


 痺れて動けなくなっている襲撃者へと視線を遣って頷いた後、アンナマリーは改めてロナンへと向き直った。


「力添えに心から感謝する。ラズエル殿が守りに徹していたのは、ロナン殿の到着を信じていたからなのだな」


 アンナマリーの言葉通りだ。

 ラズエルは、未だ行動を共にしているだろうヘリオス団長とロナンを頼みの綱とした。

 ヘリオス団長ならば、ラズエルが街中に似つかわしくない魔術を編めば、気配を感知し、状況を察するだろうと見込んだ。そうなれば、ロナンが襲撃者に悟られることなく迫って、その動きを封じてくれる。

 魔術の発生位置を正確に捉えれば、周辺の目眩しは大した障害にもならない。それに、敵が慎重に身を隠していたとしても、相手に存在を掴ませないロナンの優位は変わらない。

 人頼みとは何とも格好がつかないが、アンナマリーの無事には代えられなかった。


「……ロナン」

「ん。頑張ったな、ラズエル。後は任せろ」

「ああ……。アンナマリーを、よろしく頼むよ……」


 細く息を吐いて、目を閉じる。

 闇の底に落ちていく意識の端っこで、アンナマリーが、自分の名前を呼んでくれるのを聞いた気がした。



 ラズエルが職務に復帰できるまでに回復したのは、およそ二ヶ月後のことだった。


「奇跡の復活おめでとう、隊長殿」


 復帰の日には、ロナンが午前中から、クリュプトン邸に顔を出した。

 気やすい相手なのでそのまま自室に招き入れると、ロナンは、扉近くの壁に背を預けた。


「奇跡って。大袈裟だよ、ロナン」

「大袈裟なもんか。威力を軽減したとは言え、人一人を葬るつもりだった呪いを直に食らったんだぞ?」


 二ヶ月間、隊長代理として奔走しながらもしょっちゅうラズエルの見舞いに来ていたこの男は、マメな上に心配性だ。

 呆れるが、その面倒見のよさがラズエルには有り難くもあった。


「で、どうするんだ?」

「どうって……今日は、午後から顔を出すので構わないって、ヘリオス団長が取り計らってくれているからね。もう少しゆっくりするつもりだよ」

「騎士団の訓練場には行かないのか?」


 尋ねられて、一瞬、言葉に詰まる。

 何とか、ラズエルはいつも通りの声を紡いだ。


「行かないよ。任務はもう終わったんだから」


 ロナンが捕らえた襲撃者から辿って、アンナマリーの暗殺を目論んだ高位貴族はすぐに洗い出され、その罪に見合った処遇を受けるに至ったと聞いている。

 ヘリオス団長は、あの襲撃に先んじて犯人を掴んでいたらしく、後は、相手がボロを出すのを待つだけだったのだとか。あの日、ロナンに頼もうとしていたのも、犯人の身辺調査であったらしい。

 つくづく、敵には回したくない人だ。


 そしてラズエルは、アンナマリーにはあの事件以来、一度も会っていなかった。彼女が見舞いに来たらどうしよう、なんてことを考えないではなかったのだが、丁寧な感謝の手紙(アンナマリーは、何と紡ぐ字まで美しかった)と見舞いの品(家宝にする予定だ)を受け取った以外は音沙汰がなく……正直なところ、ホッとしていた。




「会いに行ったらいいのに。お前は、彼女を救ったヒーローなんだから」


 ラズエルの気も知らずに、ロナンが呑気に言う。

 ラズエルの口から、ため息が溢れた。


「良いように捉えるにも限度があるだろう? 襲撃者を倒して、彼女を救ったのは君じゃないか。その間、僕は無様に血を吐いていただけだからね」

「おいおい。そっちこそ、悪いように捉えすぎじゃないか?」

「そうでもないよ」


 本心から、ラズエルはそう断じた。

 自分がアンナマリーだったら、あのシチュエーションでは、ロナンの方をヒーローだと思う自信がある。

 加えて襲撃事件以前も、アンナマリーにかけられていた呪いに直接の対処をしていたのは、ラズエルではなくロナンである。ラズエルがアンナマリーの注意を引いている隙に、ロナンが密かに、呪いを弱める魔術を彼女に付与していたのだから。

 その上、スキルに似合って目立つタイプではないものの、ロナンは本当にいい奴だ。頼りになるし、優しいけれどしっかりしているし……。駄目だ。復帰初日だというのに早くも心が折れそう。


「とにかく、君と彼女が交際を始めたって聞いても驚かないよ」

「そうか。じゃあラズエル、折り入って報告があるんだが……」

「絶対に聞きたくない! 死んでも聞くものか!」


 断固拒否の姿勢を示せば、ロナンは楽しそうにはははと笑った。


「つまり、アンナマリー嬢にいいところを見せられなかった。どころか、血反吐を吐いた挙句にぶっ倒れるという醜態を晒したから、彼女に合わせる顔がない、と」

「そうなんだけど、もう少しお手柔らかにお願いできないものかなあ!?」


 ロナンが、また笑う。

 そして、次なる抗議の言葉をラズエルが発するより早くに、


「……とのことですよ、アンナマリー嬢」


 と、扉の向こう側へと声を投げた。



「え? ……え?」


 ラズエルの動揺を他所に、ひょこりと、アンナマリーが扉から顔を出す。


「折り入って報告があるって、俺は先に言ったからな」


 などとふざけたことを言い置いて、ロナンが部屋を出る。うっかり、アンナマリーと二人きりになってしまった。


「突然すまない。ロナン殿に無理を言って、連れてきてもらったんだ」

「い、いや、謝ることは何もないのだけれど……でも、何で……?」


 思いがけない事態に、へどもどしてしまう。

 アンナマリーの気を引くことが彼女の安全に繋がる状況だったからこそ、彼女への愛を派手に、全力で、悪目立ちも上等と開けっ広げにしてきた。

 しかし今はもうそういう状況ではないわけで、そうなるとラズエルには、愛しいアンナマリーと二人きりというのは心臓に悪すぎる。


「見舞いにも顔を出さなかった身だからな。ラズエル殿が疑問に思うのも当然だ。だがやはり、逃げ続けるのは私の性には合わなくてな」


 アンナマリーが、真っ直ぐにラズエルの目を見つめる。

 一体何を言われるのか。直接振られるのか、はたまたこれまでの振る舞いについて責められるのか……とは考えながらも、愛する人の眼差しに射抜かれて、素直に目を見つめ返してしまう。


「先日は世話になった。いや、先日だけでなく、二ヶ月もの間ずっと、私を守ってくれていたと聞いている。本当にありがとう」

「へっ? いやその、あれは仕事だったから……ああいや仕事でなくても君を守りたいという気持ちは勿論無限大なのだけど、君が頭を下げる必要はないということが言いたくて……!」


 扉の向こうから、「んっふ」と噴き出す声が聞こえた。堪え切れなかったのだろう。色々と後で覚えていろよ、ロナン。


「そ、そうだ! 君も、四ヶ月前、噂の『鷹の目』で僕を助けてくれたじゃないか! だからそう、持ちつ持たれつというか、貸し借りなしというか、改めてあの時はありがとうというか!」


 今度は、アンナマリーがくすりと笑みを漏らした。ロナンの笑いと違って愛らしいが、ラズエルに与えるダメージはこちらの方が当然大きい。

 そんなラズエルのショックなど露知らず、アンナマリーは少し照れたような微笑を湛えたまま、


「『鷹の目』なんてスキル、私は持っていないんだ」


 と、静かに打ち明けた。



「あの時、貴殿の危機に気づいたのは、その……私がいつも、貴殿のことを目で追っていたからなんだ」

「へ……?」


 間の抜けた声が、勝手に口をついた。

 随分と都合のいい幻聴だと思ってはみたものの、目の前のアンナマリーは、頬を柔らかく染めて、落ち着かない様子でポニーテールの先を触っている。

 成る程、ただの幻聴ではなくて、高精度の幻覚魔術をかけられているか、あるいはシンプルに夢を見ている可能性もあるな。


 ラズエルの無言をどう捉えてか、「ああいや!」とアンナマリーが声を張る。


「無論、騎士団と魔術師団の面々、それに何よりも民の安全がかかっているのだから、魔物との戦いには集中していたぞ! ただ、平時は常から貴殿のことばかり見ていたものだから、戦闘中も意識の端に貴殿のことがあったというだけで……」

「そこは疑っていないよ!?」


 本当にそこではない。アンナマリーの戦いぶりを見れば、彼女が懸命かつ真摯に職務に当たっていたのは誰にだってわかるだろう。

 問題は、


「でも、アンナマリー。君はずっと、僕のことを避け続けていたよね……?」


 そう、その一点なのだった。

 アンナマリーの安全のためとは言え、かなり無茶苦茶な迫り方をしていた自覚があるので、避けられていたことそのものについては悲しいかな納得ができる。

 しかしその状況は、ラズエルのことをずっと見ていたという告白とは矛盾するように思えて仕方がない。


「そ、それは……」

「それは?」

「ずっと好いていた相手がある日突然めちゃくちゃ構ってくるようになった私の身にもなってくれ! こちらにも、心の準備というものがあるだろう!」

「ごめんなさい!」


 怒られたし、シンプルに自分の猛アタックのせいだった。反射的に謝罪を口にしたラズエルを前に、アンナマリーは気を取り直すようにコホンと一つ咳払いをして、言葉を続ける。


「だからその……今日は、心の準備ができたから、貴殿に会いにきたわけだ。ラズエル殿。私は、貴殿のことが……」

「アンナマリー!」


 アンナマリーが言葉を切った、その一瞬の隙をついて、ラズエルは彼女の名を呼んだ。

 ギュッと握った手が、ぴくりと跳ねる。しかし、彼女は逃げなかったし、手を振り解くこともしなかった。


「僕に言わせてくれ! 僕は……君のことが好きすぎる!」


 アンナマリーは目を瞬き、それから、花が綻ぶような笑みを零した。

 ああ、なんて可愛いんだろう!


 今度こそ、王都の空に花火を打ち上げよう。

 きちんと許可をもぎ取って、合法的かつ平和的に、アンナマリーへの尽きぬ愛で夜空を眩く彩るのだ。

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