表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神、矛盾と奴隷

作者: 白瀬僑

息抜きにSFチックなものを書いてみました

「エマは失敗した」

薄暗い部屋で白髪の老人が呟く。

「あの日、私たちはついに”到達”した——手を伸ばせば届くその距離に、この世の誰もが焦がれる永久不変の真理が、確かにあった。」

老人は遠い過去を懐かしむように、長く伸びた口髭を揺らす。その毛先から6、28、496……数字を模した青白く光るホログラムが零れ落ちてゆく。




王都附属図書館。まるで、幾千年も前からこの地に根を張る難攻不落の城のような風格を漂わせるこの建物は、王都の人々に”要塞”と呼ばれ親しまれている。

そこの一室、半地下の第二教室において、血気盛んな若者二人がひたすらに数式を弄り、議論を交わしていた。


「神。ある人は、それをこの大地そのものだと言い張り、またある人は、それを普遍の真理たる物理法則だと信じてやまなかった。しかし、その誰もが”神の影”すら見ることを許されず、朽ち、灰となった。」

中性的な顔立ちの少女が興奮気味に言う。

「ああ」

大して関心を示さずに答えるのは長髪の青年。無表情を張り付けて、ひたすら机に向かい、必死に何かを計算している。


「しかし、どうだろう」

少女は、そんな青年を気にすることなく言葉を続ける。

「その多くが神の絶対性を疑うことなく、命の限り祈りを捧げたというのは。いささか都合が良すぎないだろうか?」

その言葉に、青年は少しばかり興味を惹かれる。相変わらず無表情なままの顔をあげ、少女に向き直り、答えた。


「無神論者は生まれつきの無神論者。非無神論者が神理論——聖書に不信を抱き、無神論者に転身することは多くない。あるとしても、神理論の修正を要請し別の体系を築き上げるだけ。確かにその通りだ。……この世界には神理論に矛盾する事実が多すぎる。その矛盾を突くものは異端とされ、迫害されてきた。しかし、その異端も、迫害に抗う自分たちこそが”正統”なのだと考え、神への信仰を一層深めていった。」

「そうだ。僕達は、その信仰の自動増幅機構こそが、神の”絶対性”の根拠なのだと、そう信じてここまでやってきた。しかし……」

そう言うと、少女は言葉を止める。窓を通して地上から漏れこんだ朝日が、口元に手を添えて思索する彼女の横顔を艶やかに染め上げる。




老人は席を立ち、埃だらけの食器棚から染みのついたティーカップを手に取った。

「この世界が生まれて以来、人間は”神”なる存在を想定してきた。それは庶民にとって、現実という苦難に満ちた実状からの逃避であったかもしれない。また、貴族にとって、満ち足りた生活の正統性を保証するみのだったかもしれない。いずれにせよ、人間は”神”なる存在を仮定することで、その絶対性の下に自らの”生”を見出した。」

老人は瞑想するかのように目を閉じる。軋む机、床に擦れる椅子の足。部屋の中に生じるそうした微かな音が、この部屋に流れる時間を暗示する唯一の痕跡だった。


「アウラ。君も神の絶対性を疑わないか?」

長く続いた沈黙を破った老人は、顔をもたげ問いかける。視線の先には未だ14にも満たない少女。古びた椅子に腰を掛け、足をブラブラと揺らし、どこか楽しげな表情を浮かべている。

彼女は少し悩むように、人差し指をそのほっそりとした口元へと当てたのち、弾けるような声で答えた。


「うーん。私はバカだから、神とか、絶対性とか、難しいことは何も分からない。……それでも——」

そう言って、彼女——アウラは老人に笑顔を向ける。

「もし、この世界に神様がいるのなら、それはきっと、まだ世界のことを何も知らずに、ただ雲の上でプカプカと浮かんでこの世界の明るい部分だけを眺めてる、無邪気な子供なんじゃないかな?」




一拍置いて、何かを考えるように部屋を一周した後、彼女は続ける。

「……しかし、”異端”も同様に神の信奉者であることは紛れもない事実だ。人間の共同体——宗教性コミュニティからは排除されるが、”神の手の平”から零れることはない。だがこれは、考えてみればおかしくないかい? なぜ神は彼らを、無神論者同様にこの世界の内側から排除しようとしない? 神は完全無欠の世界を構築する力を持つというのに、何故、目下の矛盾因子である異端達を排斥しようとしない?」

少女は力強く言い放つ。その姿は、青年の目には、自分の正義を信じて疑わず学生運動に身を投じる若者のように映った。


——なんだ、そんなことか。

青年は途端に興味を失った。そんなつまらない話、彼が15回目の誕生日を迎えるより以前に既に結論を出していたからだ。


「神。君はそう簡単に言うが、そもそも神の実体とは何だ?それは生命体か?それならば、神は意志を持つのか? 私の答えはこうだ。”神の実体など、どうでもいい”。私たちは、この世を統制する”何か”をこそ神と認識する。それならば、どうだ。神の選択が——世界の命運が、たかが人間ごときのつまらぬ思想などに左右されるものか。人間が神の存在を誤想しようと、それは神の関知することではない。それならば、わざわざ干渉するというのも、無意味で馬鹿らしい話だろう?」

そう言って青年はブラック・コーヒーを一気に飲み干す。


その姿を横目に、少女は釈然としない思いを抱えながらも、

「……確かにその通りなのかもしれない。……いや、大したことじゃないんだ。ただ……」

そう言って彼女は口ごもる。

「ただ、この世の真理を目の前に、怖気づいたのかもしれないな」

少しの沈黙が落ちる。

「……そんなものか。いかにもエマらしい。」

青年はわずかに息を吐き、顔を上げる。

「だが——ほら、もうすぐ完成する。」




アウラの発言に、老人は言葉を失っていた。

『神というのは、あるいは、無知蒙昧な一人の少年もしくは少女が、その小さな掌の上で世界を身勝手に転がした事により生まれた、ある種の幻覚なのかもしれないな。』

どこかで聞いたような言葉がふと老人の脳裏に蘇る。


——あまりにも突飛で、あまりにも甘く、それでいてどこか逆説的で、いつの間にか引き込まれてしまう。……不思議だな。顔だって性格だって全く違うのに、やはりどうしても君にエマの面影を重ねてしまうよ、アウラ。


『神は全知全能などではない。まるで片手間に遊戯をやるように、この世界を統治している。そして、逆説的かもしれないが、そのいい加減さこそが人間に絶対性を想起させる。世界というのは、もしかすると、そんなつまらない真実によって廻っているのかも知れないな。』

そう言ったのは、神転覆の計画を構想する以前のエマだった。


「……アウラ。少し、昔話を聞いてくれるか?」

老人が静かに呟いた。アウラも無言でうなずく。

「ただの独り言だ。すぐに忘れてしまったっていい。」

老人は小さく息を吐き、遠い記憶をゆっくりと手繰るように言葉を紡ぎ始めた。


「あの日、私は、誰もいない”要塞”の一室で糸の切れた操り人形のように床に崩れ落ちていた。

何もかもが退屈だった。

私は生きることの意味を、完全に見失っていた。

そうしているうちに、次第に、私の内側から発せられる虹色のホログラム——命の数式が薄れてゆくのが目に見えて分かった。けれど、それでも構わなかった。

いくら頭が切れたって、この世の構造が理解できたって、そこに“思想”がなければ、すべては空虚だった。

しかし、この世の数式を読み取っていたのは私だけではなかった。思い扉の背後から、突然、彼女の声が聞こえたんだ。『人生がつまらないのは、君自身がつまらない奴だからさ。』

……それが、私たちの出会いだった。」


老人は、こけた頬を綻ばせた。その横で、アウラが眠たげに目をこすっている。

微笑みを浮かべたまま、老人は彼女にあたたかな視線を向け、そして、再び語り始めた。


「それから私たちは意気投合した。思えばおかしな話だった。まるで真反対の性質を持つ私たち。本来は非交和で、関わることさえ許されないはずの存在だった。しかし——いや、だからこそだったのかもしれない。私たちは、相反するがゆえに、共鳴した。

彼女の“思想”が、私の空虚に彩りを与えた。

私の“論理”が、彼女の混沌に輪郭を与えた。

二人なら、何でもできる気さえしていた。」

老人は、そこで言葉を止めた。まるで、過去の過ちを悔いるようにして皺だらけの顔をゆがめた。


「私たちは聡明だった。だからこそ、途轍もなく愚かな勘違いをした。私たちは、自分たちこそが、全知全能で絶対的な”真の神”に成り代われると信じて疑わなかった。この世界が不完全であるのは、ひとえに神の能力の不足だと確信していた。突飛で斬新な発想をするエマと、それを厳密な論理の下に正当化する私。私たちならば……」

老人は言葉を切ると、息を大きく吸う。そして、宛先のない怒りをぶつけるようにして言葉を吐いた。


「私たちならば、きっと、無矛盾の神理論を組み上げ、この世を無誤謬性の下に統治することができると過信していた。」

そう言って、老人は俯く。重力に身を委ねるように、全身から力が抜けてゆく。時間という海の波が、古い記憶を押し寄せる。老人は抗うことさえ許されず、静かにその心を呑み込まれていった。


「そうして、私たちは文字通り”禁忌”を犯した。」




彼らは神転覆の前段階として、ソフィアを創り上げた。ソフィアは、この世界に数式を作用させる装置だった。その外見は所謂コンピュータに酷似していたが、その本質は全く異なる。それは計算機ではなく、計算の結果をこの世に伝える機械だ。

彼らは、この世が数式の羅列により成立していると”知って”いた。彼らの目には、この世の全ての事象の発生に際して、空に舞う数式が鮮明にと映っていた。

ソフィアは、その”世界の数式”を操る機構を備えていた。数式は、言うなればこの世界における”神の顕現”である。もしソフィアを通じてその数式に”穴”を開けるのなら……それは、明確に、この世界の統治者たる”神”を殺すことを意味する。そうして、空いた台座を求めるかのように、新たな神への扉が開かれる——


「Veritas revelata est.(真理は明かされた)」

青年が呟く。その言葉に少女も息を呑む。

「準備はいいか?」

「……うん。でも、まだ信じられない。まさか本当に……」

興奮に震える青年とは裏腹に、少女はどこか浮かない表情を浮かべていた。上着の袖を固く握ったまま、ただ茫然と虚空を眺めている。

その様子を見て、青年は堪えきれずに声を上げた。


「一体どうしたというんだ。さっきから様子がおかしいぞ。遂に私たちの悲願が達成されつつあるんだ。新世界の扉を叩き、未だ誰も見ぬこの世の真理を掴み取る。そして、全知無能の神に代わり、全能の私たちが新たにその地位に就く。この世界を塗り替える。私たちの夢が、遂に実現されるんだ……!」

そう言っても、少女は表情を崩さなかった。ただ、一言

「どうしても、行くのかい?」

そう言って揺れる瞳で青年の顔を見つめた。そんな少女に対して、青年は一切の躊躇を感じさせない様子で言い放った。

「あぁ。それが、この”世界”を正しく導く唯一の術だから。」

そんな彼に、彼女は悲しく笑いかける。

「……そうか。わかったよ。それなら……僕も覚悟を決める。」

そう言うと、二人は目を合わせ、頷きあう。


青年はソフィアを起動する。

薄暗かった部屋中が青白い色で満たされる。それはまるで深海の底で静かに輝くクラゲの群れのようだった。


「さあ、一緒に……」

青年が言いかけたところで、静寂に満たされていた部屋中に、鈍い音が響き渡る。

——……?

青年は戸惑いの色を浮かべる。

彼が長年守り続けた無表情の仮面は、静かに剝がれ落ちていた。

この世界のどんなことでも容易に理解できるほど賢い青年でさえ、

今の現状だけは理解できなかった。


少女が青年を思い切り殴り飛ばしていた。

宙を舞い、美しい放物線を描きながら、彼は地面へと叩きつけられる。

その様子を見守っていた彼女は、たった一言だけ、冷たく言い放ち、いつの間にか現れていた”扉”へと足を踏み出した。


「君は、この世界の神には成り得ない。」




「残されたのは私と、エマの抜け殻だった。」

とっくに老人の話から置き去りにされていたアウラのことなど気にも留めることなく、老人は淡々と語り続けた。

「裏切られた。エマは私を置き去りにして、この世の真理をつかみ取ったんだ。その瞬間に私の中に沸き上がったのは、憤りでも、失望でもなかった。」

そう言って、老人は骨に皮の張り付いた腕を振り下す。その軌跡から空間が裂け、数多の数式が漏れ出す。それは、かつてある数学者が命を賭して突き止めたプロポジション。しかし、今の老人にとってそれは、路地裏に舞う砂塵のように、取るに足らなかった。


「彼女は真理という名の甘い蜜に誘われて、神に、いや、”世界”に取り込まれた。エマは私ではなく、そんな在り来たりな”理想”を選んだ。それが何よりも、悲しかった。」

老人はそう言い、胸をかきむしる。その様子を見たアウラは、老人の背中にそっと触れようとした。しかし、その手を引っ込める。

しばらくして、老人は再び言葉を紡ぎ始めた。


「エマが”闇”に取り込まれた、まさにあの瞬間に、この世界は数式の在り方を変えた。いくらソフィアに式を打ち込もうと、世界はまるで呼応しなくなった。まるで、私たちの過去を嗤うかのように、こんなことには何の意味もなかったのだと嘲笑うように、この世界は数式を受け付けなくなった。」


老人は、どこか遠くを見つめながら語る。

その瞳には、怒りとも諦めともつかない、濁った感情が揺れていた。


「エマは失敗した。私は長年そう思っていた。エマは栄光を独り占めにしようと急き、その報いを受け、死んだのだと。しかし、それはある面、間違いだった。確かにエマの魂は、最早かつて彼女の持っていたそれとはまるで異なるものなのかもしれない。だが、彼女は今も”生きて”いる。今、この世界はエマによって制御されている。」


そう言うと、老人は心に手を当てて、小さな声で何かを呟く。

薄汚れた床から、まだ誰も目にしたことのない鮮やかな数式が数多湧きだし、部屋中をぼんやりと青白い光で染め上げる。それは何十年も前、老人が彼女——エマとともに見た光景と同じだった。


確かにソフィアは使い物にならなくなった。しかし、それも当然のことだった。世界の形態など、そのコア——神に依存して変容する。

老人は世界を受け入れ、また世界も老人を受け入れていた。それこそが、老人が真の意味で”ソフィア”と成り得た理由だった。


長年の思索の末、老人はある確信にたどり着いていた。


——神が世界を作るのではなく、世界が神を作る——


神そのものに矛盾があるのではなく、世界自体に矛盾が存在する。何者が神になろうと、その魂は世界の圧倒的な矛盾性に呑まれ、半永久的に世界=矛盾の奴隷となる。

神殺しとは、破滅ではなく解放を意味するのだと。


ブルーライトに照らされ、アウラはゆっくりと目を覚ました。

その様子を見つめながら、老人はどこか別れを惜しむような表情を浮かべ、静かに口を開く。


「アウラ、今日は少し寒い。リビングから毛布を持って来てくれないか。」

——寒い、か。そんな感触、もう随分前に無くしてしまったはずなのに。


11月の乾いた風が、薄汚れた部屋を吹き抜ける。

老人は、部屋の中央に出現した”扉”へと足を踏み入れようとする。

あの時は、あんなに気軽に、決意に満ちて踏み出せたはずの足が、今はどうしても竦んでしまう。


「エマ。君も、あの時、これほどの恐怖を感じていたのだろうか。」


そう呟き、震える足で一歩を踏み出した。

室内に、かすかな揺れが走る。

一体の蝋人形の倒れる音が、部屋中に響き渡る。

すべてが静止するその刹那、老人は耳の奥で懐かしい声を聴いた気がした。


「僕たちは、決して、無矛盾では存在しえなかったんだ。」

最後まで読んでいただきありがとうございます!

もし、少しでも「応援したい!」と思ってくださったら、感想や評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ