懐かしい景色①
俯いて黙り込んでしまった女性に、姫美子が尋ねた。
「悩み事があるのなら、相談に乗りますよ」
女性は友人と連れ立って、「マルキン」へやって来た。当たると評判の「新宿のクレオパトラ」に占ってもらうためだ。
「姫美子ちゃん。占い師になった方が、稼げるんじゃないの」とマスターの神代は言う。
実際、姫美子に占ってもらう為に、「マルキン」と訪れる女性客が少なくない。
占い料はタダ。「マルキン」で何か注文してくれれば、それでOKにしている。神代は「なんだか申し訳ないね~」と言いながら、店の奥のテーブルを姫美子の為にキープしている。
今日は、結婚を控えた女性が占ってもらいたと友人と共にやって来た。
「来春、結婚ですか? 羨ましい」と姫美子が言い当てると、「やだぁ~凄い!」と若い女性らしい反応だった。
「悩みがあるのね。お父さんのことで」とまたまた姫美姫が言い当てると、女性の顔が見る見る曇った。
「ごめんなさい。今日、占ってもらいたいことは、そんなことじゃなかったのね」
「はい。でも、確かに、父のことは・・・」という返事から、冒頭の台詞に繋がる。
「悩み事があるのなら、相談に乗りますよ」
女性は暫く押し黙ったままだったが、やがて意を決したようで口を開いた。「私、恨みを忘れたいのです」
「恨みを忘れたい? 誰を恨んでいるのです?」
「父です」
「詳しい事情を聞いても良いかしら?」
思い出を読み取ることも出来た。だが、感情までは読み取れない。こういう時は、本人の口から聞いた方が良い。姫美子は女性の話に耳を傾けた。
「父は厳格な人でした。母は少し、だらしないところがある人で、父の標的になることが多かったのです。洗濯物がたまっている。料理の品数が足りない。部屋が片付いていない。可哀そうになるくらい、父に責められていました。ある日、何が気に障ったのか、父が烈火のごとく怒りだし、それまで一度も手を上げたことが無かったのですが、その時は怒りに任せて母を殴りつけたのです。私はもう怖くて、怖くて、その時の父の鬼の形相が忘れられなくなりました」
「それは大変でしたね」
「結局、そのことを契機に、両親は離婚し、私は母に引き取られました。当時は幼過ぎて分かりませんでしたが、大人になると、色々、分かって来ました」
「そうね。大人になって見る景色は、子供の頃に見る景色と違うものだから」
「母は優柔不断で、何事にもだらしない性格でした。買い物が大好きで、服や靴を次から次へと購入するのです。あの日も、母が買い物で二百万円も借金をつくっていることが分かり、父が激怒して、つい手をあげてしまったというのが、父が暴力を振るった真相でした」
「そう。お父様が腹を立てる気持ちも分かりますね」
「そうなのです。離婚してから、毎月、父から養育費が送られて来ていましたが、養育費を使い込んでしまうことがよくありました。私が中学生になると、母に送ると直ぐに使ってしまうからと、私宛にお金を送ってくるようになりました」
「大変でしたね」
「ええ。それで、父のこと、もう許してあげたいのです。そして、結婚式に呼んであげたい、そう思っているのですが・・・」女性はそこで言葉を切った。
「何か、まだわだかまりがあるのですか?」
「あの時の父の顔が・・・母を殴りつけた時の父の鬼の形相が忘れられないのです。父を見る度に、その時の記憶が蘇って・・・恐怖心が蘇って来て・・・どうしても素直になれないのです」
「なるほど」と姫美子が頷くと、「思い出交換をやってみますか?」と尋ねた。
「思い出交換?」
「ええ」と姫美子は思い出交換について説明した。
姫美子の話を聞いた女性は「是非、お願いします。あの時の父の顔を、あの鬼の形相を忘れることが出来たら、この先、父とうまくやって行けるかもしれません」と身を乗り出すようにしながら言った。
「そうと決まれば、お相手を探さなければ・・・」
「そのことなのですが――」と断りを入れながら女性が言った。「見知らぬ人と思い出を交換することに、ちょっと抵抗があります。出来れば、婚約者と思い出を交換したいのですが、ダメでしょうか?」
「ダメじゃありませんけど、あなたの婚約者にも忘れたい思い出があるのですか?」
「さあ? 聞いています」女性は笑顔で答えた。