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思い出交換所  作者: 西季幽司
シーズン1
6/19

あと一歩

 思い出交換所は新宿にある雑居ビルの二階にある。

 同じフロアに深夜喫茶「マル・オブ・キンタイヤ」という店があった。飲み屋街に喫茶店がと思う人がいるかもしれないが、酔いを醒ましたい酔客や、喧騒に溢れる夜の新宿から避難して来た人たちでにぎわっている。

 深夜喫茶店は常連客から「マルキン」と呼ばれ親しまれている。

 姫美子もそんな常連客の一人だ。

 メモリートレイダーとしての仕事なんて、そうそう無い。日頃はマルキンでたむろしていて、思い出交換所の表の業務が忙しくなると、ブックが呼びに来るので手伝いに行く。

 店内の隅に、柱とカウンターに挟まれて個室にようになった場所がある。そこが姫美子の指定席だ。マスターが姫美子の為に席を空けておいてくれる。

「マルキン」のマスター、神代篤史(かみしろあつし)は五十代だろう。頭髪も顔一面に伸ばした髭も半分近く白くなっている。太い眉の下の窪んだ眼窩に黒目勝ちの小さな眼がうるうると輝いている。ブックは神代をテディベアみたいだと言う。

 姫美子はコーヒー一杯で指定席に居座り続けるが、神代は何も言わない。逆に、「姫美子ちゃんがいてくれると商売繁盛だ」と歓迎している。

 美人の姫美子目当てに通ってくる客がいる上、姫美子は「新宿のクレオパトラ」と呼ばれ、占いがよく当たると評判の占い師のようになっているのだ。

 それもそのはずだ。

 姫美子は他人の記憶を映画のフィルムにように見ることが出来る。

 家族構成から経歴まで、知ろうと思えば、全てを知ることができた。相対して、「あなた、仕事で悩みを抱えていますね」だとか、「おや? お母さんがご病気なのですか」とズバズバ悩み事を当てられると、姫美子の占いを信じてしまう。

「思い出から性格を分析して、その人に一番、合っていると思う道を示してあげているだけよ」と姫美子は言う。

 思い出交換をする候補者の中には、姫美子に占ってもらいたいとやって来た人が少なからずいた。

「姫美子ちゃんに頼みがあるんだ」と神代篤史が姫美子の指定席にやって来て言った。

「マスターの頼みなら、断れないわね」

 珍しい。神代が頼み事をするなんて。

「高校の後輩に田辺ってやつがいるんだが――」と神代が話し始めた。

 神代は中学、高校、大学と野球部に所属し、高校時代は甲子園を目指した高校球児だった。草野球のクラブチームを結成していて、監督を務めている。今でも野球への情熱は冷めていない。

 そんな神代の高校の後輩に田辺という男がいた。

 野球部の後輩でもあり、田辺も甲子園を目指してハードな練習に耐え抜いた。そして、迎えた県大会予選、一回戦を順調に勝ち上がり、チームの意気は上がった。

 二回戦。息詰まる投手戦となり、二対一とリードしたまま、九回裏を迎えた。この回を守り抜けば三回戦に進むことが出来る。勝利は目前だった。

 ポンポンとツーアウトを取ったが、そこから四球でランナーが出て、次の二番打者に二塁打を打たれた。ツーアウト、二、三塁、迎えるのは相手の三番打者、一打サヨナラ負けの大ピンチだ。

「田辺はセンターを守っていました。守備の上手い子で、足も速かった」

 三番打者を歩かせ、満塁策を取った。四番打者との勝負だ。その日はノーヒットで当たっていなかったが、痩せても枯れても相手は四番打者だ。油断は禁物だった。

 初級、四番打者がフルスイングした当たりは、ライナーでセンターへ飛んだ。

「田辺は懸命に走った。そして、ダイビングキャッチを試みたが、あと一歩、届かなかった。打球は点々と外野を転がって、その間にランナー二人がホームインして、チームはサヨナラで負けた。あと一歩、だったんだけどね」

「惜しかったですね」

「それでも試合が終わってから、色々、言われたようだ。無理に取りに行かずに、確実に補給をしていれば、同点のままだったんじゃないかとかね。俺もあの試合、見たけど、どうだろう? ヒットを打たれた時点で、二者生還は止む無しだったんじゃないかと思う」

「一か八かの賭けに出た訳ですね」

「ところが、田辺はそうは思っていないようなんだ」

「そう思っていない?」

「うん。ボールを追って走っている内に、足がもつれて転倒してしまった。それが、たまたまダイビングキャッチのように見えてしまっただけだ。自分があの時、ちゃんとダイビング出来ていれば、ボールにグラブが届いたんじゃないかってね」

「そうなのですか?」

「どうだろう? 確かに足がもつれてこけたように見えなくもなかったけど・・・とにかく微妙なプレーだったし、ちゃんとダイビングできたからと言って、ボールが捕球できたとは言い切れない。まあ、同級生からは、あれは、こけただけだと今でもからかわれるそうだが」

「何だか可哀そう」

「まあ、二回戦を勝ち上がっていたとしても、甲子園に行けるようなチームではなかったんだけどね。でも、それから田辺は何をやっても、あと一歩のところで上手く行かなくなったらしい。大学受験は僅かに点数が及ばず落第したし、大学卒業時にも、単位足りずに留年したそうだ。就職面接でも最終面接まで行って落とされたり、何とか滑り込んだ会社でも、第一希望の部署には配属されず、第二希望の部署へ回されたり、彼女だって、本命には振り向かれずに、本命の友人と付き合うことになったりと――」

「ふふ」と姫美子が笑った。「ごめんなさい。笑っちゃあいけないんでしょうけど、つい・・・」と笑いを堪えながら言う。

「そう。笑っちゃうよね。それで、心機一転、やり直す為に、県大会の思い出を忘れてしまいたいらしい」

「なんだかもったいない。青春の思い出なのに」

「最後のダイビングキャッチのシーンだけ、何とか消し去ることができないかな? 本人がこけてしまったと思った、その一瞬だけを」

「できると思う」

「それは良かった」と神代は嬉しそうな顔をした。そして、「実は、思い出を交換する相手も決めてあるんだ」と姫美子の顔色を伺いながら言った。

「あら。随分、気が早い」

「姫美子ちゃんには、迷惑をかけてしまうけど・・・」

 神代が申し訳なさそうな顔をした。


 姫美子がヨシキを伴って現れた。

「悪いね。姫美子ちゃん」

「マスターの頼みなら、何処までだって行きますよ」

「すみません。僕までついて来ちゃって」とヨシキ。

「私が方向音痴だから、迷子にならないようにヨっちゃんに付き添ってもらいました」

「いや。僕が勝手について来ただけです」

 神代には分かっている。ヨシキは姫美子のことが心配でついて来たのだ。姫美子のボディガードのつもりなのだろう。

「さあ、こちらへ」と神代が誘う。

「病院で思い出交換を行うのは初めて」と姫美子が広いロビーを見渡した。

「田辺はもうじき到着すると思います。先ず、カズ君に会ってあげてください。本当、良い子ですよ」

 カズ君は神代が監督をやっているクラブチームに所属する選手の子供らしい。まだ小学生だが、生まれた時から心臓に持病を抱えており、入退院を繰り返していると言う。今も入院中だ。

 カズ君が父親に言った。「僕もお父さんみたいにボールを追いかけて、思いっきり走ってみたいな」と。

 その話を聞いた神代が田辺とカズ君の思い出交換を思い付いた。

 田辺に話をすると、「そんなこと、出来るのですか⁉ 僕は勿論、構いません。高校野球の思い出は、あの試合だけではありませんから」という返事だった。

 カズ君は話を聞いて大喜びしたが、「でも、僕には交換したい思い出がないよ」と言ったと言う。自宅と病院の往復ばかりで、ろくに学校にも行ったことがない。交換できるような思い出が無いと言うのだ。

 その話を聞いて、神代は「なんか、可哀そうで涙が出ました」と言った。

「思い出交換は楽しい思い出を交換するのではなく、辛い思い出を消してあげることが目的なのですが、カズ君には辛い思い出が多すぎるのですね」姫美子も眉をひそめた。

 田辺に尋ねると、「思い出なんて、何だって構いません。俺、入院したことないから、入院の思い出だって結構です」と言ってくれた。

 こうして、今日の思い出交換が実現したのだ。

 場所は病院、カズ君の個室。午後の面会時間に行われる。幸い、個室だ。思い出交換が行われている間、神代とヨシキが入り口に立って、邪魔をしないように見張ることになっていた。

 病室に入って来た姫美子を見るなり、カズ君が「うわっ! 綺麗な人。女神様みたい。僕に思い出をくれる人なんだね?」と叫んだ。

「あら、正直な子ね~」と姫美子が大喜びする。隣でヨシキが苦笑いしていた。姫美子はヨシキを軽く肘でつついてから、「そうよ。私は姫美子。カズ君に思い出をつくってあげる為に来たのよ」と言った。

 姫美子とカズ君が挨拶を交わしていると、「すみません。遅くなっちゃいました」と田辺がやって来た。元スポーツ選手とあって、骨太のゴツい体型だ。男くさい風貌も想像通りだった。

 ヨシキと神代が病室から締め出されて、思い出交換が始まった。

「どれくらいかかるんだろう?」と聞く神代に「一時間くらいかかる時があります」とヨシキが答えた。


 十日後、何時も通り「マルキン」でたむろする姫美子のもとに神代がやって来た。

「昨日、クラブチームの試合が会ってね。田辺がうちのチームに参加してくれることになった。また、野球をやる気になったみたいだ」

「そう。それは良かった」

「姫美子ちゃんのお陰だよ。至って健康で、病院なんか縁がないと思っていたのに、何故か入院していた記憶があるんだって。その頃のことを思い出すと、健康でいられるだけでありがたい。そう思って働いていると、最近は、良いことばかり起こるって言っていた」

「へえ~なんか興味ある」

「本命の彼女と付き合えずに、その友達と付き合っていると言っていたけど、本命の彼女、男癖が悪かったらしくて、三角関係のもつれから、二股をかけられていたことを知った彼氏が会社に乗り込んで来て、大騒ぎになったらしい。その本命の彼女、会社にいられなくなって、辞めたそうだ。彼女の友人だった、田辺の彼女も縁と切ったと言っているらしい」

「修羅場ね。見てみたかった」

「何時も二番手だったのに、同期で最初に係長になるらしい」

「良かった。野球もやる気になってくれたみたいだしね」

「そうそう。あれだけ避けていたのに、田辺の方からチームに入れてくれと言って来た。それにね。姫美子ちゃん」

「うん?」

「カズ君、退院したみたいだよ。驚異的な回復だって」

「そう!」と姫美子が顔を輝かせる。

「高校生になったら、野球部に入って、甲子園を目指すんだって言っているらしい。グランドを駆けまわっている姿が見えるんだって。だから、絶対、野球部に入るんだって言っている。親父、涙を流して喜んでいた」

「良かった」

「うん」と頷いた神代は姫美子と顔を見合わせて、「本当、良かった」としみじみ言った。

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