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思い出交換所  作者: 西季幽司
シーズン1
3/19

罪深き女

 新宿の雑居ビルの二階に思い出交換所はある。

 二階への階段の入り口に「思い出交換所」の小さな看板が立っているが、小店舗がひしめく雑居ビルだ。看板に埋もれるようにして目立たなかった。

 一見、ダサい名前の寂れたバーにしか見えない。細長い店内には奥にテーブル席がひとつあるだけで、後はカウンター席だ。店の半分近くをカウンターが占めている。

 そんな狭い店内の奥に、もうひとつ部屋があった。

 関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアの向こうには、椅子しか置かれていない部屋があった。薄い青緑で染められた部屋は、森林や海原を思わせる。

 質素な部屋だが、メモリートレードセンターと姫美子は親しみを込めて呼ぶ。大袈裟な名前をつけて喜んでいるのだ。

 メモリートレードセンターの更に奥にも、カーテンで仕切られた小部屋があるようだが、そこに立ち入ることが出来る人間はただ一人、メモリートレイダーこと、冴木姫美子だけだ。

 カーテンの奥がどうなっているのか、姫美子以外、誰も知らない。

 今日も薄い青緑色のメモリートレードセンターで、姫美子は一人の女性と向かい合って座っていた。

 女性は三十代、長くて細い足を強調したいのだろう。短いスカートを履いていた。長い髪に、補足尖った顎、吊り上がった眉、派手なネイル、ブランドもののバッグ、そして、ややきつめの香水を漂わせていた。

「お願い、あの日のことを忘れてしまいたいの」と女は言った。

「あの日のことを教えてください」

「あの日、朝から、どうでもいいことで夫と喧嘩をしてしまいました」と女が語り始めた。

 その日の朝、夫が携帯電話を見ながら朝食を食べているのを見て、「消化に悪いから止めなさい」、「消化に悪いなんて研究結果が出ているのか?」、「折角、つくった料理だから味わいながら食べて欲しいのよ」、「つくったって、食パン焼いて、ベーコンと目玉焼き焼いただけだろう」という会話から口論となった。

「もう知らないから!」と腹を立てる女を置いて、夫は逃げるように家を出て、会社に向かった。

 そして、出勤途中に、夫は駅のホームから転落して死亡した。

「あの日の朝、夫と喧嘩をしてしまいました。最後に夫に言った言葉が、あんたなんて大嫌い! でした。そんなことないのに。できることなら、夫に謝りたい。そして、伝えたい。夫のことを心から愛していたと・・・」そう言って、女はさめざめと泣いた。

 姫美子はクールだ。女に慰めの言葉をかける訳でもなく、「それで、その朝の喧嘩の記憶を消し去りたいのですか?」と聞いた。

「いいえ。その日、一日丸ごと、記憶を消してしまいたいのです」

「一日丸ごと?」

「はい。朝から夜まで、喧嘩してから、主人の事故のニュースを聞いて、泣き明かした夜までの記憶を全て消してしまいたいのです」

 まあ、分からないでもない。

「そうですか・・・」

「何か?」

「いえ。分かりました。実は思い出を交換したいという方が既に一名、いらっしゃって、お相手を探していたところでした。直ぐにでも思い出の交換ができると思います」

「本当ですか! 良かった。よろしくお願いします」

 女は喜んだ。

 女の後ろ姿を見送りながら、何故か心が騒いだ。キイキイと音を立てていた。


 何時も通り、思い出を取り出して、消し去りたい過去を切り取れば良かった。

「さあ、あの日のことを思い出してください」

 そう頼むと、女が思い出を頭に描く。直ぐに目的の思い出にたどり着くことができた。優秀な検索機能を有している検索エンジンみたいなものだ。

 後は、思い出のリールから、映画のフィルムのように消してしまいたい記憶を見つけ、そのコマを切り取ってしまえば良い。思い出を切り取る時、その前後の美しい思い出を少し、余分に切り取っておく。そして消し去りたい記憶のコマを削除し、余分に切り取った思い出のコマ数を増やして、他人の記憶に埋め込むのだ。

 先ずは女の思い出だ。

 一日は長いように感じるが、覚えていること、記憶に残っていることなど、たかが知れている。姫美子は女の思い出のリールを両手で優しく広げた。

 ピアノを奏でるように、姫美子の指が優雅に泳ぐ。朝、女が朝食を作っている。幸せな朝食風景だ。丁度良い。この辺りから切り取って、記憶はコマ数を増やして、交換相手に移植してしまおう。

 喧嘩を始めるシーンから削除して――。

 ふと姫美子の手が止まった。

 夫が家を出た後、女も直ぐに外出していた。しかも、夫の跡をつけているようだ。夫に見つからないように、距離を取りながら、夫の背中を追い続けていた。

 悪い予感がする。

 駅に着いた。女は柱の陰に隠れながら、夫の背中を見つめていた。夫は携帯電話を見ていて、女の存在に気がつかない。電車が来た。夫は携帯電話を見るのを止めて、一歩、前に出た。女はその瞬間を見逃さなかった。柱の陰から飛び出ると、夫の背後に駆け寄って、思いっきり夫の背中を突き飛ばした。

「うわっ!」と悲鳴を上げながら、夫が線路に落ちて行った。

 結果を見届けることなく、女はそのままホームから逃走した。

(なんてことなの・・・)

 道理で記憶を消してしまいたい訳だ。女は夫を殺害していた。不倫でもしていたのか、はたまた金のためか。記憶を紐解けば、女が夫を殺した理由が分かるだろう。だが、そんなことは、どうでも良い。

 女は夫を殺害した罪悪感から逃れようと、姫美子に思い出交換を頼んだのだ。

 知ってしまった以上、このまま記憶を消し去ることなど出来ない。犯罪に加担することになってしまうからだ。

(さて、どうしよう・・・)

 姫美子は途方に暮れた。


 姫美子が女の死を知ったのは、一週間後だった。

 駅のホームから転落し、列車に轢かれて亡くなった。夫と同じ死に方だった。夫の後を追ったのだろうと人々は噂した。

 ホームから転落する前、よろよろとホームを歩く女が目撃されていた。事故の可能性があった。いずれにしろ、事件性の無い死亡事故として処理されることになるだろう。

(これで良かったのかしら)

 そう思わないではいられなかった。

 女に記憶を消して欲しいと頼まれたが、姫美子はそうしなかった。

 女が消したいと願った一日の記憶を封印したのだ。封印と記憶の切り取りは異なる。封印は、説明が難しいが、例えるなら、記憶のコマをひとつにまとめて再生できないようにしてしまうのだ。思い出のリールを結んで再生ができないようにしてしまうと言った方が近いかもしれない。切り取ってしまう訳ではないので、何かの拍子に、結び目がほどけて記憶が蘇ってしまうことがある。結び目を解く鍵としてキーワードを設定しておくこともできた。

 姫美子は女の記憶を封印した。

 そして、朝の料理をつくっていた記憶を切り取って、交換相手に移した。女には何の思い出も移植しなかった。

 女の記憶に穴をつくっておいたのだ。

 今の、現在の記憶は消してしまって構わない。寝ていたのと同じだ。脳に記録されないままになるだけだ。だが、過去の記憶に穴を空けてはならない。それはメモリートレイダーとして姫美子が守って来た禁忌のひとつだ。

 記憶には大きさも長さも、重さも時間も関係ない。鮮明な記憶はコマ数が多いが、やがて、コマは少しずつ減って行く。記憶が薄れて行くのだ。

 そして最後には真っ白になってしまう。

 だが、記憶が無くなった訳ではない。真っ白になった記憶でも、何かのきっかけで映像が蘇って来る。

 過去の記憶に穴が空いてしまうと、正しく再生できなくなってしまう。脳が記憶の再生を停止してしまったり、記憶の穴を埋めようと、暴走してしまったりする。穴を埋めようと、記憶が膨張したり、移動したりして、最後にはバラバラと崩壊してしまうことがあると言う。

 姫美子にも記憶に穴が空くと、どうなってしまうのか、正確には分かっていない。

 記憶に空いた穴を、真っ白になったコマで埋め尽くしてしまった猛者がいたと聞いたことがある。個人差があるようで、強靭な精神を持った人間なら、記憶に穴が空いても、それを塞いでしまうことができるようだ。

 だが、女は記憶の穴を修復できなかったようだ。

(私は神様じゃない)

 女が死んでしまったことに責任を感じた。果たして、自分のやったことは正しかったのか? 女の生死を左右するなんて傲慢ではなかったか?だが、女が死を選ぶとは、予想していなかった。もし、分かっていれば・・・考えずにいられない。他に、もっと良い方法があったのではないかと。

(こうなったのも、あの人の運命だった)

 そう思うしかない。女の死に様が夫と同じであったことに、姫美子は運命を感じた。

(私はこうしてメモリートレイダーとして、生きて行くしかないのだから)

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