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思い出交換所  作者: 西季幽司
シーズン2
23/26

引き籠り①

 何時も通り、深夜喫茶「マル・オブ・キンタイヤ」の指定席で時間を潰していた姫美子に会いに一人の中年女性がやって来た。

 姫美子は「新宿のクレオパトラ」と呼ばれ、占いがよく当たると評判の占い師のようになっていた。占ってもらいたいことでもあるのかと思ったが、中年の女性に「是非、お力をお貸しください」と頭を下げられた。

「知り合いから姫美子さんのことをお聞きし、藁にも縋る思いでやって来ました。噂では、心に傷を抱えた人を癒すことが出来るとか。私、もうどうしたら良いのか分からないのです」

 女性は必死の形相だ。

「どういうことでしょう?」

「実は――」

 女性が言うには、一人娘が引き籠りになってしまって部屋から出て来ない。引き籠りを始めて、もう一年になる。同級生たちは高校に進学してしまい、益々、学校に行く気力が無くなってしまったようだった。そう語った。

「何故、突然、学校に行かなくなったのか? 何故、部屋から出て来なくなったのか? さっぱり分からないのです。本人に尋ねると、怒って口をきいてくれません」と言うと、女性はバッグからハンカチを取り出して、そっと目頭を押さえた。

 確かに、どうしたら良いのか分からないようだ。それは大変だ。だが、部屋から出て来ない子をどうやって連れ出すというのか?

「ここに連れて来ることが出来ますか?」と聞くと、「無理だと思います」と答える。

「それは・・・難しいですね」

「家に来てもらえませんか?」

「お宅にお伺いしても、娘さんと会うことは出来ないのでしょう?」

「そうですね。部屋から出て来ないと思います」

「そうですか・・・」

 一体、どうやって思い出交換を行えと言うのか? そう言いたかったが、女性は思い出交換の現場を知らない。彼女を傷つけるだけだ。姫美子はぐっとこらえた。女性に思い出交換を説明する。

「部屋の外から、廊下から、その思い出交換をすることが出来ないのでしょうか?」

「それは――」やったことがない。

「無理なお願いだと言うことは、重々、承知しております。ですが、姫美子さんに断られてしまうと、もう私どもにはどうしたら良いのか・・・少しですけど、お金が必要でしたら、何とか用立てます」

「いえ。お金はどうでも良いのです。ご本人の協力がなければ、思い出交換は上手く行かないのです」

「上手く行かなくても構いません。どうせ・・・これ以上・・・悪くなったりはしないでしょうから・・・」と言って、女性はまた泣いた。

 話を聞いているだけで、胸が苦しくなって来た。

「分かりました。取り敢えず、明日、お宅にお伺いいたします。ドア越しで構いませんから、娘さんと話が出来れば、思い出を交換する方法が見つかるかもしれません」

「本当ですか⁉」と女性の顔が輝いた。


 翌日、姫美子は女性から聞いた住所を訪ねた。

 一戸建てが並ぶ住宅街に女性の家はあった。裕福な家庭のようだ。チャイムを鳴らすと女性が顔を出して、「本当に来てくれたのですね」と何故か悲しそうな顔をした。

 引き籠りは家族に多大な負担を強いる。ストレスで感情を上手く表現することができなくなっているのかもしれない。

「こちらです」と姫美子を二階に案内する。

 廊下の先にドアの閉まった部屋があった。そこが娘の部屋だった。娘の名は瑠璃子(るりこ)と言うらしい。

「ルリちゃん。姫美子さんが来てくれたわよ。姫美子さんとお話してみない。そうしてくれたら、ママ、嬉しいんだけど」

 女性がドアに向かって話しかける。だが、反応はない。

「お母さんは下にいてください」

 姫美子は女性を階下に追いやると、ドアの前にドカりと胡坐をかいて座った。

「瑠璃子さん。部屋の中にいるのでしょう。私、姫美子。私には不思議な力がある。人の記憶に手を加えることができるの。あなたの思い出を見せてくれないかしら。そうしたら、あなたの苦しみを和らげることができるかもしれない」

 姫美子はドアに向かって話しかけた。相手の顔が見えないところでの思い出交換は始めてだ。とにかく、本人が何も語らない以上、瑠璃子の思い出を覗いてみないことには、何をどうしたら良いのか分からなかった。

 だが、ドアの向こうから返事はない。

「ねえ。私の声に耳を傾けてみて。怖くない。きっと、あなたはもとの自分を取り戻すことができる。聞こえる? そう。何も言いなくないのであれば、私の言葉を聞いてくれるだけで良い。私の言葉を聞いていると、気分が楽になって来るはず。そう。そして、眠くなって来る。良いのよ。寝てくれて。あなたが寝ている間に、あなたの思い出を覗かせてもらいますから――」

 姫美子はドアに向かって話しかけながら、膝の上で掌を上に向け、両手を広げた。やがて、姫美子は優雅に指を動かし始めた。姫美子の目には、瑠璃子の思い出が見え始めていたのだ。

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