口下手は災いの元
「カケル様が手を出すなと言ったのですから」
「はい・・・」
怒り心頭のエステルは、俺の右手を治癒せずに出て行ってしまった。
「ひ、姫様。それは余りにも」
「知りませんわ」
ユズハの言葉にも耳を貸さないようだ。
『サーシャの事は俺に任せてくれ!』
確かに馬車を飛び出す前にこう言った。
拡大解釈をすれば、エステルが正しい、のか。
結局リンちゃんが間に入らなければ俺の手とサーシャの首が合体していたのだから、罰として痛みを受け容れるしかない。
姫様は治療ロボでは無いのだから。
「ごめん、なさい」
応急処置をしてくれている小さいメイドさんがシュンとしている。
ある意味では命令違反をした扱いなのだろうか。
エステルの言葉が刺さってしまったらしい。
「リンちゃんのお陰で助かったよ。ありがとう」
「でも、怒られた、から」
「俺の力じゃ止められなかったし、良いタイミングだったよ。もう落ち込まないで」
姫様とユズハが考えるギリギリと、俺のギリギリは違う。
「俺とサーシャを助けたのは、リンちゃんだよ」
「・・・はいっ」
穴が空いていない方の手で頭をやや乱暴に撫でると、笑顔を見せてくれた。
自らの衣装を破って処置をしてくれたメイドさん。
家事や戦闘だけでなく、諜報や医療技術までこなす彼女は、どれだけの時間訓練を重ねてきたのだろうか。
この世界の住人に比べたら、俺の苦労などちっぽけなものだ。
レベルもスキルも女神パワーに支えられているモノ。
与えられたカードと言えば聞こえはいいが、ようはただのチート。
サーシャを含めた彼女たちの心にどれだけ付き添えるだろうか。
「おわり、ました」
「ありがとう。後は俺に任せてくれ」
やや不安そうな表情をしたリンちゃんだったが、最終的には折れてくれた。
ぺこりと頭を下げて出て行く彼女を見送ると、俺とサーシャが残される。
最弱勇者の我儘に付き合ってくれた彼女たち。
サーシャを助けたいのも俺の願望。
己の我儘を通すための戦いが始まる。
♦♦♦♦
「どうして死なせてくれなかったの」
端の方で体育座りをしているサーシャが口を開いた。
短剣もペンも尖っているものは全て片付けたものの、死のうと思えば死ねる。
ただ、今の彼女はその気が無いようだった。
だからと言って安心はできない。
一度踏みとどまれたとしても、根本的な解決がされなければ結果は一緒だろう。
「死んで欲しくなかったから、は軽いか」
「・・・うん」
彼女が失ったものは多い。
信頼も騎士としての地位も、それに掛かった時間や努力も。
サーシャは家族に向けての手紙を書いていた。
巻き込まないでくれとも言っていた。
修復不可能だと考えた彼女が最後まで守ろうとしたのは家族。
「サーシャはどうして騎士になろうと思ったの?」
「・・・話さないとダメ?」
「できれば」
「・・・私は平民の生まれなの。西の方の小さな村」
彼女はぽつぽつと話始めた。
「土地を借りて、畑を耕して。私はただの村娘。両親がいて妹が2人いて、幸せだった。でも、3姉妹でお父さんの手伝いにはあまり役に立てない。生活は苦しくなる一方だった」
現代日本と違って社会保障が厚くも無ければ、機械の発達も恐らくない。
小さな村なら働き口も多くないだろう。
「私こんなだから、結婚相手も見つからない。それでも両親に恩返しがしたかった」
「そうだったのか」
サーシャの容姿は良い方だ。
内面的な部分を言っているのだろう。
確かにツンではあるが、可愛いものなのに、時代が追い付いていないのか。
「妹たちは幼かったし、長女として家族の暮らしを楽にしたくて」
「だから、騎士に?」
「そう。確かに身分の違いはあるけど、強ければ可能性はあると思ってた。アンジェリカ様に拾って頂いたのはたまたまだったけど」
「サーシャは凄いよ。家族のために頑張れるなんて」
「・・・当たり前じゃない。でも、終わり」
家族の暮らしを楽にしたくて騎士を目指したサーシャ。
そして見事にそれを叶え、失った。
(俺は、今も昔も家族のために頑張ったことは無かった)
毒親でも、疎遠というわけでもない。
ただ、自分の人生の大半は自分のために使っていたし、特別気に掛けたこともあまりない。
せいぜい誕生日や記念日にプレゼントを贈る程度。
俺からしてみれば、サーシャは立派な人間だ。
(・・・死んだ時に迷惑をかけただろうな)
何の前触れも無く車に轢かれ死んだ俺は、もちろん死ぬ準備もしていなかった。
そう考えると、チクリと胸が痛む。
「俺はさ、一度死んでいるんだ」
「どういうこと?」
それまで正面を見つめていたサーシャがこちらを向いた。
「ここからの話は内緒にしてくれる?」
「・・・わかった」
この世界の誰にも話したことが無い過去の俺。
知っているのは女神様だけ。
「俺は、この世界とは全然違う日本って国に生まれた。そこは平民でも普通に暮らせて、仕事も沢山あって。頑張らなくても生活ができた」
これを話したところで、何か変わるだろうか。
ただの自己満足かも知れない。
それでも話を続ける。
「努力をすれば、多少の夢なら叶うような国。それなのに俺は何の努力もしなかった。怠惰に毎日を送って、サーシャのように家族を大事にしていたわけでもない。生きているけど生きてない。そんな人生だったんだ」
「・・・そう」
サーシャはただ「そう」と呟いた。
興味を失ったわけでも、怒ったわけでもない。
「ある日俺は唐突に死んだ。硬い、馬車のようなものに轢かれて。でも終わらなかった。女神様にたまたま選ばれて、勇者カケルとして生まれ変わった」
「それが、今のあなた?」
俺は「違う」と言って頭を横に振った。
「生まれ変わった俺は、何の努力もしないで強かった。勇者伝説のように強くて、苦労もせずに魔王を倒した。そしてそこで終わるはずだった」
リヴィアさんに土下座をして泣き落として、来た世界。
思い返せば、これが三度目の正直になるのか。
「この世界に来たのは俺の我儘だったんだ。女神様に懇願して勇者召喚に選んでもらった。正直調子に乗っていたと思う」
「どうして?」
「勇者カケルは最強だと、思っていたから」
サーシャを首を傾げて頭に疑問符を浮かべた。
「・・・サーシャも気付いているかも知れないけど。今の俺は弱い。どうしようもなく、何も守れないほどに。君がいなければ、あのまま死んで今度こそ終わっていた」
「私をどうにかするための嘘でしょ?」
「嘘だったらどれ程良かったか。本当に強かったら君を巻き込まずに済んだのに」
最初はただ挫折していただけだった。
エステルたちに遠く及ばず、プライドはズタズタにされた。
毎日訓練しても強くはならないし、悔しかった。
しかしその悔しさは最近別のものに置き換わっていた。
「・・・話して良かったの?」
「良くない。けど、サーシャには聞いて欲しかった」
聞いて欲しかった。
結局は自分の願望だ。
「君がどれだけ家族のために努力して、絶望をしているか。今の俺には半分も理解できないと思う。でも、後悔は残すべきじゃない」
「勇者に何が分かるの。弱いかも知れないけど、勇者は特別。これまで楽に暮らしてきて、今だってエステリーゼ様に守られてる」
サーシャは棘がある言い方をした。
これまでの話を聞いていれば、当然の反応だろう。
「今だから言えることだけど、俺はずっと後悔してた。いや後悔し続けてる」
「・・・」
「死ぬ前はもっと努力していれば、家族を大事にしていれば。前の世界では皆との時間を大切にしていれば。今は、俺がちゃんとした勇者だったらって」
細かいことまで言ってしまえば人生は後悔の連続だ。
「サーシャには俺の様になって欲しくない」
「でも、私の人生は」
「終わってない。君が死んだら家族も後悔する。それは君にとっての後悔になる」
「・・・死んだら後悔も消えるでしょ」
まだ、彼女には届かない。
生前精神科に通っていた俺にも経験があるが、自分の心がコントロールできないことはままある。
「どうしてそんなに死にたいんだ」
「・・・もう、耐えられないの」
「何に?」
「この先、私が見る全て。だからお願い。私が死ぬのも、家族を守るのも両方叶えてください」
サーシャはそう懇願すると、顔を下げた
彼女の抱えた全てに寄り添う事ができなかった。
後悔することは承知の上で、それでも死にたいと願うのか。
それでも、諦めるわけにはいかない。
「その願いは叶えられない」
「・・・どうして」
「命の恩人を殺したら、俺は死んでも後悔し続ける」
「勇者の事なんて私には関係ない」
「・・・サーシャの事は俺が預かってるんだ。つまり、家族のことも」
サーシャはビクッと身体を震わせて俺を見上げた。
(あぁ、これで俺はサーシャに一生恨まれるだろうな)
自分の命と引き換えに家族を守ろうとし、自分は死にたいと望む彼女に、俺は人質という名の脅迫を突き付けた。
「家族は必ず守る。その代わりに君は生きるんだ」
「い、いや!やだ!お願い!お願いします!」
服が汚れるのも気にせず、彼女は俺に縋りついた。
完全に悪役のそれだ。
「もういやなの!耐えられないの!」
「・・・だったら、家族と一緒に」
「いやあああ!やめてください!」
涙ながらに訴える彼女を見ると、俺の中の何かが崩れそうになる。
「助けて・・・お願い・・・」
サーシャとその家族を守るためなら、悪役でもなんでもいい。
しかし、この状態のままにしておいても正常に戻れない。
絶望している彼女に必要なのは希望。
それがきっと死にたいから生きたいになるはずだ。
「俺が、守るから。サーシャが耐えられないと思う全てから守ってみせる」
「・・・すべて?」
「全てから。失ったもの以上に、得られるようにする」
「弱いのに?」
彼女の瞳には恨みの感情が込められている。
それでも『全て』には反応した。
「俺が弱いことを知っているのは少数だし、勇者は特別なんだろう?」
「・・・でも城に戻りたくない」
「勇者邸に住めばいい。あそこなら人目も気にならないし、アンジェには話は通すよ。それに勇者が話せばサーシャの事は誤解だって分からせられる」
サーシャの心に寄り添うことは叶わない。
勇者物語も彼女の共感を得るには弱かった。
それなら他で縛るだけ。
彼女の命に鎖を付け、死にたい理由を一つずつ潰す。
勇者特権を用いたサーシャ専用介護。
「私はもう頑張れないよ」
「サーシャは今までよく頑張ったんだから、今は休む時間だよ」
「騎士じゃなくなったら、家族に会えない」
「家族にはいつだって会える。それに騎士にだってちゃんと戻れるようにする」
「・・・あ」
サーシャは口を開きかけたが、途中で閉じた。
とりあえずの要望は終わりだろうか。
彼女が生きることで家族を守る約束はしたが、自暴自棄になればまた自殺を考えかねない。
なので俺ができることは飴を与えることだけ。
「本当に、全てから守ってくれるの?誓ってくれる?」
「・・・誓う」
涙で顔を濡らしたまま俺を見上げてくる。
「私はあなたが、勇者が嫌い」
「分かってる」
「・・・でも、私はあなたのものだから」
「え、そこまでは言ってない」
深刻な表情で誤った物言いをするサーシャ。
「エステリーゼ様からもアンジェリカ様からも、陛下からも、ガレリアの誰からも私を守ってくれるんだよね。世界が全部敵に回っても、頑張らなくても、失敗しても、何もできなくても。もし私が死にたいって言っても、どんな時でも守ってくれる。そう誓ってくれたから。だから嫌いだけど、受け容れる。」
腕を強く掴まれ、思わず引こうとする。
「どうして逃げようとするの?やっぱり嘘だったんだ」
「え、いや嘘は言ってないよ」
想像と違う彼女の行動に、鼓動が早鐘を打つ。
「嘘なら嘘って言ってよ!!!」
「・・・!?う、嘘じゃない」
「そうだよね。勇者は・・・ううん、カケルは私を見捨てない。ねぇ、どんな時も私を心配してくれるんだよね。それに死んだら後悔するんだよね?」
「う、うん。めっちゃ後悔する」
視線を彷徨わせたいが、サーシャにじっと見つめられ動かせない。
今の彼女の状態はなんだ。
エステルとも一味違う圧を感じる。
「えへ、えへへ・・・。私、守られるんだ。もう何も心配しなくていいんだ」
「で、出来る限り」
「え?」
「さ、サーシャは何も心配しなくていいです」
考えが纏まらないまま、外堀が急速に埋められる感覚が襲ってくる。
「カケルの秘密も私だけが知ってる」
「そうなるかな・・・」
「誰にも言わないよ?私もちゃんと守るからね。心配しないで」
「大丈夫、心配してないから。あの、サーシャ」
一旦落ち着きたい。
あれ、この子もしかして俺の過去話を脅迫材料にするつもりなのか。
思ってた展開と違うような。
「どうして心配してくれないの!?」
「え、信用してるから?」
「いつでも心配してくれるって言ったのに!」
そんなことは言っていない。
信用よりも心配されることの方が重要なのか。
「いや、あのね」
「やっぱり私、死んだ方が良いんだ」
「それはないから!家族のことだってあるんだし」
「カケルは私の家族を悪いようにしない」
確かに、その通りではあるんだけど。
脅迫していたと思ったら、され返されている。
サーシャ自身が人質。
「と、とにかく!死ぬのは禁止だ!」
「死にたくても?」
「ダメ!」
どうしよう、対処法が分からない。
心中したがりのエステルの方がまだ分かりやすい。
「ご、ごめんね。怒らないで?私がダメな子だから怒らせちゃったんだよね?」
「怒ってないよ・・・」
勢いよく俺に言葉を投げていたサーシャが、今度は泣きそうになっている。
そこまで強く言ったつもりはないのだが。
(どこで間違えたんだ・・・いや目的自体は果たせたのか・・・?)
自殺を防止し、サーシャとその家族を守ることはできたと思う。
結果だけ見れば上々。
しかし、彼女の様子は。
「・・・私が死んだらカケルは困る。カケルが死んだら私は、困る。守ってくれる人がいなくなる。でもカケルは弱いから守らなきゃ、絶対」
彼女の瞳は俺を捉えているはずなのに、何も見えていないように呟いている。
その姿にゾクッと寒気がした。
「よろしくね、カケル。これからずっと、一生」
「よ、よろしく・・・です」
勇者カケルの胃はキリキリと痛んだ。




