自殺未遂
ある人物にサーシャが危険だと聞かされた俺は、彼女の元に走った。
目的地は馬車から出て1分弱。
「はぁっ、はぁっ」
緊張感のせいだろうか、息が上がるのが早い。
すぐに到着し、入り口を開く。
声が聞こえたのはその直後だった。
「さようなら、私」
心臓がドクリと鳴り、一気に身体が冷える。
そこには、今まさに自殺しようとしているサーシャの姿があった。
「さ、サーシャ。止めるんだ」
驚きと緊張で、息が上手く整わない。
「どうして、ここに」
「そんなことより、手を下ろしてくれ」
テントはそれなりの広さがあり、彼女までは十歩程度必要だ。
今すぐに行為に及ばれれば、とても止められない。
「お願いが、あるんです」
「な、なにかな」
じりじりとサーシャを刺激しないように近づく。
彼女を落ち着かされるために一人にしたのは間違いだった。
俺もエステルもメイドの2人も適任ではなかったが、それでも誰かが傍にいるべきだったか。
「家族には、何もしないでください」
「そんなつもりないよ。とにかく、冷静に」
「心配しないでください。誰にも言ってませんから」
短刀を握りしめたままなのに、サーシャは淡々と言葉を紡ぐ。
しかしどこかの姫様の様に会話ができていない。
「サーシャ。俺は」
「勇者様のお陰で手紙も書けました。ありがとうございます」
視線の端にくしゃくしゃになった紙が映る。
あの紙は話ができない彼女のために、せめて欲しいものを書いてくれと用意したものだ。
手紙を書くことは良いことだが、あれは遺書だ。
そんなものを書くために用意したわけではない。
「あれは、君が欲しいものを書けるように置いたんだ」
「欲しいもの・・・」
彼女がスッと視線を落とす。
その先には、自らに刃を向けた短剣。
「早まるな。まだ出来ることがきっとある」
「私は、死が欲しい」
「そんなこと、言わないでくれ」
あと半分。
彼女に手が届くまで、もう少し。
かろうじて会話ができているのに、彼女は死に一歩ずつ近づいている。
「君が死んだら、皆悲しむ」
「そうでしょうか。どちらにしても死ねばもう何も見なくて済みます」
「女神様に死後を見せられる人もいる」
大体は俺の経験。
あの時は死んではいないが、世界から消えたら死んだも同然。
その後の彼女たちは何か幸せそうだったが、それはそれ。
今大事なのは時間を稼ぐこと。
「もう疲れたんです」
「お腹が空いてるから、悪く考えちゃうんだよ」
「それ以上近付かないでください」
「・・・っ」
あと数歩で手が届きそうになった所で、サーシャに制止された。
彼女が自分を刺す時間を十分取れる距離だ。
「命を助けて頂き、ありがとうございました」
死のうとしてる人が言う台詞ではない。
「待ってくれ。君に死んで欲しくない」
「最後にお礼が言えて良かったです」
サーシャは「それでは」とでも言うように、短剣を一度下ろした。
「俺はサーシャがいたからここにいるんだ!君に助けられたから!だから頼む!」
「・・・そう。私があなたを助けなければ・・・勇者さえいなければ」
ガタガタとサーシャの手が震える。
「勇者さえいなければ!私はこんなことにならなかった!どうして全てを奪っていくの!全部、全部、全部!勇者が悪いのよ!」
力を込め過ぎた手は更に大きく震え、俺のことをきつく睨みつけてくる。
勇者の存在を深く恨んでいるように。
まるで呪いでも掛けるが如く、堪えきれない怒りを向けられる。
「君は・・・」
彼女たちなら、俺より上手く止められるかもしれない。
外で待機してもらっているエステルたちなら。
(いや、あの子たちばかりに頼ってはダメだ)
自分の撒いた種は自らの手で。
それにサーシャを助けたいのは、俺の我儘だ。
「あの時見捨てていれば・・・ううん、違う。勇者は悪くない・・・悪いのは私」
「違う!サーシャは悪くない!何も悪い事なんてしていない!」
「・・・こんな私、知りたくなかった」
そう言うと、彼女の身体から余計な力が抜けた。
手の震えが収まり、やや上を向き目を瞑る。
「やめろおおお!」
嫌な予感がした俺は、一歩早く動くことができた。
エステルもスイッチが切り替わる時にふっと力を抜くことがある。
常に顔色を窺っていた経験が生きる時が今なのか。
俺の声に目を瞑っていた彼女はビクッと身体を反応させた。
それは一瞬のことだったが、彼女の喉に短剣が刺さるまでの時間が遅れた。
しかし、その凶行を止めるまでの時間には足りない。
(間に合わない・・・!?)
咄嗟に短剣とサーシャの首との間に右手を伸ばす。
「・・・っ!?」
ズブズブと手の平に刃が侵入し、そのまま裏側から出てくる。
骨ごと貫通したのか、それとも上手く避けたのか、俺には分からない。
「やめてくれ!サーシャ!」
「いやああ!離して!!死なせて!!」
「離れられないから!」
激痛で涙が出そうになりながら、俺は叫んだ。
離してと言われても、俺の手は貫かれている。
「サーシャ!?」
「私はここで死ぬの!もう生きていたくない!」
あろうことか彼女はそのまま短剣を喉に突き刺そうとする。
遠慮なく力が込められ、返しまで串刺しにされた右手が裂けそうだ。
俺は残った左手で彼女の腕を何とか抑える。
「勇者さま!」
助太刀に入ったリンちゃんがサーシャの動きを止める。
「離して!もう嫌なの!」
「ダメだ!絶対に死なせない!」
小さいメイドさんが来なかったらきっと悲惨なことになっていた。
格好は付かないが、最悪の事態は一旦避けられた。
「俺は、まだ君に恩を返しきれていない」
「・・・うぅ」
リンちゃんにピタリと腕が止められ、観念したらしい。
ようやく彼女から短剣が手放された。
俺の手にぶら下がる短剣。
「・・・リンちゃん。ぬ、抜いてくれる・・・?」
自分で抜くのが怖くて、万能メイド2号に依頼をする。
「わかり、まし、た」
「いっでえええ!?」
彼女は「まし」で短剣に手を添え、「た」で一気に引き抜いた。
こういうのは合図がある方が痛いとは聞くが、早すぎる。
ぼたぼたと垂れる血は、俺だけでなく彼女たちも赤く染めた。
結局今回も恰好が付かないな。