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ヘビのお言葉  作者: 羽藏ナキ
9/17

残った皮は放っておけば壊死して身体を蝕んでいく

月曜日の朝、出社して入荷リストを確認すると予定が大きく変わっていた。今週いっぱい来るはずだった汚泥が入荷リストから消えていたのだ。社内メールを確認すると、先方の都合で今週は金曜日に二台分の引き取りがあるだけで残りは来週になるらしい。課内の朝のミーティングでもこの話が出て、「入荷量がいつもより減るものの油断して事故は起こさないように。それと、特に金曜日の汚泥は性状に問題がないか注意して見てくれ」と課長補佐から言われた。


予想通り木曜日までは汚泥の分だけ入荷量も減ったおかげでたいした忙しさではなかった。定常的に来るものは性状も大きく変わることなく、基本的にルーティンでこなすことができた。

要注意と言われた金曜日の汚泥もいままでとさほど性状は変わっていないように見えた。強いて言えば汚泥が少し濃くなっているように見えたが、ドライバーいわくそれでも全体の三割程度だろうとのことだった。作業場所も先週と同じで、新たに汚泥が追加された様子もなかったらしい。僕が「同じものが来ていると考えて間違いなさそうですね」と言うと、ドライバーは「同じだから大丈夫」と笑っていた。

他のサンプルチェックの合間を縫って一応汚泥の成分は分析したが、多少の数値のブレはあるものの基準を大きく逸脱しているわけではなかった。先週と同じ場所で受けることで現場担当者も納得していた。


僕にとって、今週変わったのは入荷予定だけではなかった。先々週から始まった大型案件の入荷以来、周りの自分に対する反応が明らかに変わっていた。いつもは急かしてくるドライバーや現場担当者が、僕に強い態度を取ることが無くなったのだ。ドライバーに関しては、「ゆっくりでいいぞ」と優しい言葉をかけてくる人もいるし、現場担当者も僕の話を疑わなくなった。おかげで仕事がやりやすくなり、結果として今週はひとりでほとんどの入荷をさばくことができるようになった。


僕はやっと彼らの信頼を勝ち取ることができたのだ。彼らだけではない。課長補佐や先輩など自分が所属する課の人たちからも認められるようになってきた。

微笑みながら「期待している」と言われ、彼らの僕を見る目がやさしく温かくなったように感じた。その変化が、僕はとてもうれしかった。努力が報われた気がした。だけどその反面プレッシャーも感じていた。ここからもっと難しい仕事を任されるかもしれないし、もし大きな失敗をしてしまえば失望されてしまう。

だから僕はいままでと同じかむしろそれ以上に自主勉に精を出した。家にいる間はほとんどメモのまとめと復習に時間を費やし、それ以外に関係ありそうな分野についても勉強を始めた。



土曜日の朝、霧吹きをするためにケージを覗くとナツの脱皮殻が転がっていてペットシーツに汚れも見られた。脱皮殻は手に取ってみると破れていない一本に繋がった状態になっていて、うまく脱皮ができたことがうかがえる。僕はケージを掃除するためにペットシーツの下にいるナツをどかした。そして除菌消臭スプレーをかけ、新しいペットシーツを敷いて霧吹きをする。こうして汚れて強い臭いを放っていたケージを清潔な住みやすい環境へと整えていくのだ。


手に持ったナツを改めて見ると、脱皮直後特有の明るいきれいな色をしていた。ナツはノーマルと呼ばれる品種改良をしていない言わば野生の品種で、背中には頭から尻尾にかけて茶色みがかった黒のラインが一本あり、サイドにはよくある宇宙人の顔のイラストのような形の明るい茶色の柄が入っている。さらに鱗は光に当たるとうっすら虹色に輝いて、模様の美しさをより際立たせる。白くくすんだ色からここまで鮮やかな色合いになると、まるで生まれ変わったかのようにも感じられる。


「脱皮すると成長したって感じがするよね」


僕はナツをケージに戻しながらそうつぶやいた。

ナツはスルスルとケージを這い回り、やがてとぐろを巻いて顔をこちらに向けた。


「人間でいう垢を落とすっていう感じだから、一般的な成長のイメージとは離れているかもしれないけど、まぁ間違ってもいないかな」


「僕も最近殻を破ったというか一皮むけた感じがするんだよね。まだ完全じゃなくて途中かもしれないけど」


僕は上を向きここ数週間のことを思い出していた。

いままでできなかったことができるようになり、いろんな人に認められてきている。まだ道半ばかもしれないが、確実に以前とは違う自分になっている自負があった。


「油断しないことだね」


「え?」


ナツの低い声が返ってきて、僕はナツの方へ顔を戻した。


「脱皮はエネルギーを使うんだ。それに湿度を上げるとか環境づくりも必要になる。その辺の認識を間違えるとたちまち脱皮不全を起こしてしまう。そして残った皮は放っておけば壊死して身体を蝕んでいく」


ナツの口調は重くのしかかるような窮屈さがあった。表情が変わらない分、声の違いが色濃く伝わってくる


「君が、そうならないことを祈っているよ」


ナツはそう言ってペットシーツの下に潜ってしまった。

なにか意味深なことを言われた気がしたが、僕はいまいち理解できていなかった。「そうならないこと」と言うのは「脱皮不全にならないこと」と言うことなのだろうか。「一皮むけた」はあくまで比喩表現で、僕は人間だから本当に脱皮するわけではないんだけど……。

考えても分からず、ナツに訊こうにもさっきの雰囲気からして気軽にペットシーツをめくることはできなかった。

脱皮直後で疲れが残っているのか、今週もナツが餌を食べることはなかった。


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