6.オペラとインド映画の違いを述べよ。【前書:皇帝視点、本編:主人公視点、後書:息子視点】
「滅ぶべくして滅んだのだろうな」
琥珀色の酒で満たしたグラスを誰も座っていない席の前に置きながら、皇帝は吐き捨てるように言った。それに苦笑しながら、辺境伯も空席に向かい自身の持つグラスを掲げてみせる。
「安寧の地に旅立ちし友よ、安らかに」「先に旅立った友よ、再び会う日まで」
口々に追悼の言葉を呟き、彼らは黙祷を捧げた。国を救うため、ひいては家族を守るために魔獣戦線の人柱となった先代侯爵を偲んで。
それで、と皇帝は話を続けた。
「子供が16歳で、母親は26歳であると。実子と実母だと本人達が言っており、血縁があることは確かである、ときたか」
不愉快極まりないという声で、皇帝は「そんな国は滅んで正解だ」と続けた。
「人として最低限守るべき倫理すら守れぬのであれば、ソレは魔獣とどう違う。9か10の子供に子を産ませるなど反吐が出る」と、皇帝は酒を煽った。そのグラスに酒を注ぎ足し、それまで黙っていた辺境伯が口を開いた。
「聖魔法持ちを産む可能性のある母体を、最大限有効活用しようとしたのだと思うぞ。それだけ切羽詰まった情勢であり、結局持ちこたえられず滅んだ。そんなところだろう。王位についていたと思われる母親自身の判断の可能性もある」
王位についていたという根拠は、と問う皇帝に臣下は答えた。
「『目』が違うのだ。話せば分かるだろうさ。お前と同じで、他者は全て支配すべき臣民だと思って居る目だ、アレは。この私ですら『民草』の一人と考えておるぞ、あの女人は」
まあ、そうであったにせよ、良識あるものが臣下におれば止めなければならない行為であったが、と続ける辺境伯に、まったくだ、と皇帝は嘆息する。
「魔獣に国を滅ぼされまいと足掻く気持ちは分かるがな。例え王者であれ、幼子にそこまでの自己犠牲を強いるなど許されることではない」
苦い肴はここまででよい、と皇帝は手を振った。
「それで、その後どうなのだ」
悪友の息子の初恋を肴に、皇帝と辺境伯の酒宴は夜が更けるまで続いた。
―――踊らないんだ。
今が夜であることを忘れさせる、眩い魔石ランプに照らされた舞台上で、歌劇のヒロインが悲しみを歌いあげている。恋人が魔獣との戦闘前線に行っている間に、悪役上官によって貞操を奪われそうらしい。ほうほう、この悪役上司、前線の恋人を人質にしているのか。
―――インド映画みたいに、せめて踊って、ついでに派手に爆破でもしてくれたら、この眠気も吹き飛ぶと思うんだけどなぁ。
豪華絢爛な衣装に身を包んだ人々を見下ろす特別観覧席で、リオンは欠伸を嚙み殺していた。考えてもみてほしい。現代日本の一般家庭出身の平民がオペラに突然連れて来られて、一体何人が感動できるというのだろうか。
音楽知識を義務教育として与えられても、個人の趣味嗜好というのは強制できるものではない。
音楽の時間に『ヴィヴァルディの春』を飽きるほど聞かされて、テストで実技として曲を流され「作者名と曲名を答えよ」と音楽教師に言われて、はいはいアレね、と満点回答を出したとして―――その曲を好きになり、高度な技術を持つプロの演奏に感動の涙を流すかは、その生徒の感受性次第なのだ。
―――アニソンの方が、なんぼかテンションが上がる。
一日分の体力を使い切った仕事終わりに、強制的に窮屈な外出用ドレスに着替えさせられて、髪をどうなってんのという複雑さで結い上げられ、目が潰れそうな輝きの宝飾品で身を飾り立てられて連れて来られた歌劇場。
ド庶民のリオンは、死んだ魚の目で、元世界の音楽の時間以来のクラシック音楽を聞き流していた。
***
―――やっと終わったか。
最終的に、歌劇ヒロインが悪役上官を物理的に拳と魔法でタコ殴りにした上で、前線の恋人を追いかけて、二人で魔獣を相手に大殺戮を繰り広げた後にハッピーエンドです! と演者全員で歌って終わった。
―――なんだ、このオチ。オペラって悲恋が多いんじゃなかったのか。
薄々気づいていたが、この世界の女性は前の世界と比べると異常に逞しい。悪役上官は、なんでこのヒロインを好きにできるって勘違いできたのだろう。理解に苦しむ。
スタンディングオベーションしている一般客の喝采を聞きながら、リオンはおざなりに拍手をすると座席を立ち上がり、外廊下へと繋がる扉へと足を踏み出した。
眠気が限界だった。一時間程度の音楽の授業でも重たくなる瞼と戦っていたのだ。船を漕ぎそうになっては掌を抓って耐えた、この歌劇の上演時間は三時間を超えた。早く別棟に帰って風呂に入って寝たい。
「リ、リオン殿?」
隣の席で拍手をしていた次期辺境伯ルイス様が、なぜか座ったままこちらを見ている。どこへ、と問いかける相手に、帰りましょう、と答える。
「早く帰らねば廊下と馬車乗場が込み合うではありませんか。……ああ、ルイス様が演者に挨拶なさりたいのであれば、馬車の中で待っておりますので、どうぞごゆっくりなさって下さい」
元女王兼女子高生のリオンは、映画館ではエンドロール中に座席を立つタイプだった。
***
帰りの馬車の中、目元を片手で覆ったルイス様が口を開く。
「その、リオン殿。今日の歌劇はお気に召さなかったようで申し訳ありません。好んで見ていた演目があるのならば、教えてはいただけませんか。今日のお詫びに席を用意させます」
本気で落ち込んでいる様子のルイス様に、流石に申し訳なくなる。
「そもそも、私がルイス様にお詫びするために今夜の歌劇に御同席したのです。もっと楽しそうな表情をすべきでした。こちらこそ申し訳ありません」
リオンは反省した。相手の推しが自分の推しでないからといって、露骨に興味なさげにするのは確かにマナー違反だった。これはきっとルイス様の推しプレゼンだったのだ。そうとは知らず、申し訳ないことをした。
「ルイス様は、先程の歌劇のどのあたりがお好きなのですか。それとも有望な歌手が出演していたのでしょうか。お恥ずかしながら、あのような場に不慣れなもので演目に集中できなかったのです」
貴方の推しは、きっと一番星に輝いていたよ。私が楽しめなかったのは、慣れてない環境のせいだから気にしないで、とリオンは遠回しに伝えようとした。
しかし、落ち込んだ様子で俯いたままのルイス様は顔を上げようとはせず、黙ったままだ。気まずい沈黙が車内に落ちる。焦ったリオンは、歌劇ではないのですが芝居では好きな演目がございました、と続けた。
ルイス様がばっと顔を上げる。黒い瞳が、窓から入る街灯の光を反射してキラキラと光っていた。
「貴女が昔語りをするとは珍しいですね。それはどのようなものですか」
おそるおそるという風に尋ねる彼に、彼女は答えた。
「少年が魔獣と友になるという芝居です」
友ですか。我らが不倶戴天の敵である魔獣と、と理解に苦しむ声をあげたルイス様に苦笑してみせる。
「芝居ですから、現実にはありえないことも可能です。それで、その少年と魔獣は世界を旅するのです」
人と魔獣が友であり、戦など存在せず明日が当たり前に来る世界で、多くの出会いと別れを繰り返し、彼が成長して強くなるのをずっと夢中になって見守っていました。
言えば、ルイス様は複雑そうな表情で、「連作劇だったのですね。それで結末はどのような」と尋ねた。
「知りません」
え、とルイス様が声を漏らす。その黒色の瞳をじっと見つめる。どれだけ嘆こうと消えてはくれぬ郷愁は熾火のようにずっと、この胸で燻り続けている。
「結末を知る前に、舞台装置ごと私の世界から消えてしまいましたから」
叶うなら、あの続きを知りたいものです、そう呟いた私に、ルイス様は一瞬口籠り、では、と大きな声を出した。
「彼らはきっと今でも旅を続けているのでしょう」
目を瞬かせる私に、ルイス様は続けた。
「終わりがなかったのです。ならば、きっと今でも二人仲良く、楽しい旅を続けているのだと、私はそう思います」
そうなのかな、と幼少期から夢中になって追っていたアニメの主人公の顔を思い出す。もう朧気になってしまった、その少年の肩には相棒の魔獣が乗っている。彼らが今でも二人仲良く旅を続けている、それは、とても―――
「それはとても素敵ですね」
笑ったつもりの声は震えて、視界が水の膜で波打つ。先程とは逆に、リオンが両手で顔を覆う番だった。向かいの席で慌てたように謝るルイス様に、今度こそ本当に笑い声が漏れた。
「戦場のど真ん中で接吻するとか、これだから男って嫌なのよぉ」
筋骨隆々。そんな言葉が似合う髭面の指示役神官が、甲高い裏声で平民神官レオンをなじる。先日、恋人の辺境伯次女ラウラと口付けているところを見ていたらしい。
「レオン君てば顔がいいから、どうせ女を食いまくって経験豊富なんだろうけどぉ。あっちは下手するとファーストキス☆だったかもなのよぉ。時と場所を選んであげなさいよぉ」
いつまでその謎キャラを続けるのだと内心呆れつつ、レオンは否定すべきところは否定した。
「僕も初めてでしたけど」
初めてでアレ!? と今度は後ろで薬品整理をしていた先輩神官がつっこむ。戦闘の合間の休息時間とはいえ、暇人が多すぎないだろうか。
「あんなの、何回かやってる人間を見てたら分かりますよ、やり方くらい」
首を傾げるレオンに、どんなシチュエーションだったら口付けてる人間を何回も見るんだよ、と別の人間が声を掛けた。
説明しろ、と詰め寄る周囲に、レオンは面倒そうにため息をついた。
「戦闘で疑似回路が刻まれた部分が吹っ飛ばされると、回復した後でもう一回魔力回路を入れ直すじゃないですか。同じ戦場に患者の恋人がいると、結構、自分が刻みたいって立候補してくるんです」
で、ご存じ激痛施術後に、盛り上がった恋人同士がやらかすらしい。
「口付けで済んでるうちは、まだマシですよね」
と淡々と言うレオンに、口付け以外をおっぱじめようとしたら、その瞬間に救護所から放り出せ、とドスの利いた声で指導役神官が凄む。
「ちょっと騎士団本部に、うちの年若い神官になんてもんを見せてくれたんだゴラァって御挨拶してくるわね~☆」
全身筋肉の指導役神官は、ドスドスと足音も荒く去っていった。どうでもいいが、いつまでその口調でいるつもりなのだろうか。