【小話】雲の果たて 払暁に焦がれる【本編前日譚/亡国王女の三男視点】
【小話登場人物一覧】
リオン:本作主人公。元女王、現次期辺境伯夫人。甘党。
ゲイル:亡国王女の三男。小話当時は老舗飛竜便屋の従業員。現在は民間飛竜便屋経営者。弓を始めとした武芸適性及び攻撃型魔術適性◎。帝国第二騎士団先々代騎士団長(侯爵家の四男)x母親。甘党。
ルドルフ:亡国王女の長男。主人公リオンの『宰相』兼茶飲み友達。甘党。
シャルレーヌ:ゲイルの飛竜。細長い羽根としなやかな体を持つ中量種のメス。細泡麦の新芽が好き。
ヌル:小話当時、帝国の老舗飛竜便会社の会長(現在は引退済み)。軽量種の飛竜を群れ単位で操縦できる名騎竜手。辛党。
ハザル:小話当時、帝国の老舗飛竜便会社の副会長(現在は会長)。重量種でも希少な古代種の騎竜手。会長の一人息子。辛党。
雲海の上を相棒の飛竜シャルレーヌと飛んでいると、たまにふと世界に一人と一匹だけになった気がする。
満月の眩い光に数多の星々も霞む暗闇の中、月光を弾いて銀色に輝く雲に、僕が乗る飛竜の影が一つポツリと落ちていた。どこまでも続く夜空と銀雲の狭間を一人と一匹で何処までも、世界の果てまで飛んで行けたら。そんな益体もない思いが胸を過る。そんな時だった。その先に輝く、夜明けの光を見つけたのは。
夜の暗闇を薙ぎ払う暁。その眩しさが目を焦がす。思わず手綱から手を離して掌を翳した。指の隙間から朝日が零れ落ちる。
―――届かない、行きつけるかも分からない高みに憧れ、手を伸ばしたくなるのは人間の性だ。
***【小話】雲の果たて 払暁に焦がれる【本編前日譚/亡国王女の三男視点】
僕は幼少期、貧民街で兄弟たちと身を寄せ合って暮らしていた。そんな僕を見出してくれたのがヴァッレン帝国でも老舗の飛竜便屋商会長だった。彼女は凄腕の飛竜遣いとして名を馳せた老婆で、完全なる実力主義者でもあった。
5歳くらいの時だったか。長兄は乳幼児であった弟達の世話に追われており、母親は次のターゲットを探しに出て行ったきり帰って来ない、そんな中で僕たち三つ子は毎日を精一杯に生きていた。
一応、母親は僕達の血縁上の父親達から貰ったという手切れ金やら贈られた宝飾品やらを、当面の生活費として置いていってくれてはいた。が、使うに使えなかった。
帝国水晶貨と帝国大金貨がみっちりと詰まった絹地の大袋と、燦然と輝く金銀宝玉でできた装飾品を前に、長兄は途方に暮れていた。
それはそうだ。
僕達のような平民貧困層がこんな高額通貨や宝飾品を使えるハズがない。相手に足元を見られる程度ならばまだマシで、最悪の場合、無理矢理に奪われるか、盗んだのではないかと帝都守護騎士団か民営自警団に突き出されるのがオチであった。
幸いなのは母親が亡国の王女で、その胎の子をある程度まで自由に設計できる異能でもって、見目はともかく、僕達の中身をとびっきりの出来に産んでくれていたことだろうか。おかげで僕を含めた兄弟たちは皆、病気一つしない丈夫な体を持ち、精神的成熟も早かった。
そのため、彼女が帝国で最初に産んだ父親違いの三つ子である僕と僕の同い年の異父兄弟たちは、5歳ともなれば、家の手伝いと小遣い稼ぎぐらいはできるようになっていたのだ。
***
その日は弟の世話と家事を他の兄弟に任せて、馴染みのクズ屋に再利用可能な素材を売り払うべくゴミ漁りをしていた。僕は兄弟の中でも成長が早く、栄養不足で痩せてはいるものの、5歳にしては体格が良かった。そのため積極的に外仕事や力仕事に名乗りをあげていたのだ。
その辺に生えていた蔓で編んだ籠を背負い、クズ拾いをする僕の背中に、杖を突いた老婆が声をかけてきた。
「坊主、金払いの良い仕事に興味はないかい」
正直、滅茶苦茶怪しかった。どう考えても胡散臭さ満載の勧誘にフラフラと付いて行ってしまったのは多分、金が無くて碌に食事をとれておらず、頭が回らなかったからだ。
それに、僕よりももっと食べられていない長兄に、固くない、カビてもいないパンを食べさせてやりたかった。そんなことよりも自分を大切にしなさいと、きっと怒って泣かれるから内緒だが。
***
ホイホイと老婆に付いて行った結果、帝都の老舗飛竜便屋商会に見習いとして雇われて、家族で一番の高給取りになった。
意味が分からなかった。飛竜便屋なんて人気職業、なりたいやつは山ほどいるだろう。どうしてわざわざ貧民街のガキを拾ったりしたのか。尋ねると彼女はニンマリ笑って煙管に火を灯した。
「騎竜手の勘さね。見えたんだよ、アンタの背中にデカイ翼が。こいつはきっと、果ての空までだって飛んでいける。そう思って拾ったが、どうだい、大当たりだったろう」
煙草の煙でプカリと輪っかを作った彼女は、他の文化圏からの土産だという細長い煙管をカンッと机に打ち付けて灰を落とした。石榴色の瞳が細められ、シミと皴だらけの荒れた手が僕の頭を左右に揺らす。
「相棒の飛竜を十にも満たない歳で獲ってくる逸材なんざ、アタシも初めて見るよ。……よく頑張った」
「母さん! 何褒めてんですかっ」
九歳になった年の春だった。屋根で休んでいたらしい白鳩の群れが大声に驚いて飛び立っていく羽音が聞こえた。
老婆の誉め言葉に噛みついたのは、副会長である彼女の息子だ。髭面の大男は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「長期休暇が欲しいと言われて、家族と水入らずで過ごすと良いよと小遣いを渡して見送ったんですよ、僕は。そしたら、魔獣支配圏を踏破する商隊の護衛傭兵団に下っ端として随行して、自分の仕事用に野生種を捕まえたと、休み明けに空から飛竜に乗って来られた僕の気持ちが分かりますか!?」
操縦する飛竜の得方は主に二つある。野生の飛竜を手なずけるか、飼育されている飛竜の仔を卵から育てて仲間と刷り込むか、だ。ヴァッレン帝国では後者の方法が主流だ。野生種の生息域は魔獣支配圏と重なることが多く、危険度が高すぎるためである。
「確かに、あちこちの繁殖場を周って頭を下げて、それでもやっぱり魔獣討伐騎士とお貴族様が優先だから、ゲイルを乗せる飛竜の卵や雛がなかなか手に入らなくて気を揉んではいましたけどねぇ。……自力で獲ってくる子がいますかっ。この大馬鹿者! 僕が、僕がどれだけ驚いたと……」
大粒の涙をボタボタと落とす副会長が、覆いかぶさるように抱き着いてきた。僕の身長は当時、彼の腰ほどだった。クマに抱え込まれた小リス状態となった僕は、完全に塞がれた視界の向こうで副会長の心臓が早鐘を打っているのを聞き、珍しく反省した。彼は心配性で涙もろく、世話焼きなところが長兄に似ている。ここは大人しく謝ることにした。
「ごめんなさい、副会長。次から心配させないようにします」
「それは、次からは『心配させない』ようにするってことだよねっ。うちの母さんと同じ思考回路だ、この子!」
ウウウと唸る副会長に、上手く慰められなかった僕は両手をワタワタとさせ、心配させた心当たりの多すぎる会長はヘタクソな口笛を吹いて誤魔化していた。
***
何度か副会長同伴で荷運びの飛行試験をした後、僕はめでたく一人前と認められた。歴代最速だと彼は複雑そうな顔で告げると、合格祝いとして赤色の宝玉で作られた通信具を二組くれた。僕と、僕の飛竜専用の通信具だという。商会の紋章が入った赤い宝玉は、見る人間が見れば、僕の所属が一目で分かるものだった。
「仕事中は必ず着けておきなさい。うちの商会が後ろにいると分かって無用な喧嘩を売ってくる馬鹿はそうそういないからね。それでも手を出す愚か者がいた時と魔獣遭遇時は―――自分の命を第一にしろ」
いつも柔らかく優しい彼らしからぬ、強い命令口調だった。
「積荷も何も、ゲイル、お前の命には代えられない。いいか、副会長として命令する。生きて、帰ってこい」
祈るような、絞り出すような声だった。そのときにはもう知っていた。彼の妻は魔獣討伐騎士だった。今はもう軍神の御許で眠っている、副会長の大事な家族。
だから、その彼女か、あるいは、その腹にいたという子と僕を重ねているのかもしれないと思っていた。家族を思う気持ちは僕にも分かった。僕も家族を守りたくて騎竜手になったから。長兄も、増え続ける弟達も、全員を守りたいと思って、そのためにはまず金だと、稼ぎの良いこの職を必死に掴み取った。
けれど、副会長は言った。
「その宝玉はね、ゲイル。君のために会長が用意したものなんだよ」
手の中で、コロリと宝玉が転がるのが分かった。会長の瞳のように、深くて澄み切った石榴色のピアスは、保有魔力量を示すように、内側で魔力が小さな金色の光の帯となりクルクルと踊っていた。
「君と君の竜ならば、空の果て、あの雲の果てまでも、どこまでだって飛んでいける名騎竜手になるに違いない、そう言って会長が用意して、僕が商会のコネを駆使して、できる限り長距離の通信ができるように作ってもらったんだ」
だから、と彼は微笑んで僕に手を伸ばした。太くて傷だらけのささくれ立った指先が、大切な積荷を扱う時のような丁寧さで僕の頭を優しく撫でる。
「どんなに遠くからでも構わない。どんなことでいい。困ったことがあったら、すぐに僕たちに連絡しなさい。雲の果てだって、絶対に駆けつけるから」
僕を覗き込む彼の瞳の色は、その母親よりも明るいガーネット色の赤だった。朝焼け色の目に、まだ幼かった僕の顔が映り込んでいた。本当に僕を案じる色が滲む瞳に息を飲む。
僕を大切にしてくれる年長者を、僕はその時まで長兄しか知らなかった。いや。分かろうと、知ろうとしていなかった。他人は所詮他人であり、信用すれども信頼に値しないと、無意識に距離を取っていたのだ。
それを分かったうえで、きっと会長も副会長も、ずっと手を差し伸べてくれていた。そう気付いた。まだ小さかった掌の中で、彼らの瞳に似た赤色の宝玉がキラキラと輝いていた。
―――払暁の赤だ。そう思った。
「……あり、がとう、ございます。副会長」
言葉が詰まって喉から中々出てこなかった。途切れ途切れに礼を告げる声が震える。
―――こんな人間に、こんな大人になりたいと、そう、強く願った。
「大事に……ぜったい大事に、します」
―――今はまだ、この小さな掌では兄弟も誰も守り切ることはできない。でも、いつか。いつか、誰かの闇を薙ぎ払う暁の光になりたい。僕も、この人達のように。
言葉通り、この時の宝玉は今でも僕と僕の相棒の耳にある。通信範囲や精度のために補助の通信具を付けるようにはなったが、この赤色が僕達の耳から外れたことは、この後一度も無かった。
独立して自身の飛竜便屋商会を立ち上げた今でも、それは変わらない。だってこれは、僕の誓いだから。
―――雲の果てまで飛べる翼で、誰かの暗闇を払える人間になりたい。
それが、僕の飛竜便屋としての信念だ。
***
「僕に任せてよ、兄さん」
だから、迷いはなかった。
「この前、僕が昔働いていた飛竜便商会が旅客航行路で墜落事故を起こした時に、リオンさんが次期辺境伯夫人として救助の傭兵団と騎士部隊を編成して、遭難した従業員と顧客を助けてくれたらしいんだ」
耳元で光る赤い宝玉を親指で撫でて、長兄に宣言する。
「兄さんの大事な茶飲み友達で、僕の大事な古巣の恩人。それだけで理由は十分だよ」
兄弟たちと共に決闘審判に参戦することを。
「僕の兄弟は勿論、リオンさんとその家族も、誰一人、傷一つ付けさせないよ」
***
―――亡国王女の遺児。その最大戦力が雷撃でもって戦場の魔獣を薙ぎ払う様は、暗雲に差す暁光にも似た眩さであった。相棒の飛竜と共に戦場を縦横無尽に駆け抜ける彼に、息子に黙って三番部隊に潜り込んだ母親は呵々大笑した。
「ほぉら、言っただろう。良い竜騎手になるってねぇ。あの子の翼は、どんな魔獣だって止められやしないさ。さぁて、アタシも久々に一暴れするかね」
ちなみに、空っぽの竜舎を見て「また黙っていなくなってる。変なことに首を突っ込んでいないといいんだけど……」と顔を覆った現会長が真実を知って絶叫するのはこの三日後のことである。