【小話】茨の護り【17話前日譚/エデル視点】
【小話登場人物一覧】
リオン:本作主人公。元女王、現次期辺境伯夫人。先日、茶飲み友達の弟のために10年前の戦死者を一部蘇生した。
エデル:亡国王女の十三男。宰相(公爵家当主)の長男アイロジウスx亡国王女の子。傭兵見習い。先日、初対面の父親に致死級の攻撃魔導陣型魔術をぶっ放しかけた。
ルドルフ:亡国女王の長男。リオンの『宰相』兼茶飲み友達。優秀だが加減を知らない弟達(全14名)に脳の血管がブチ切れそうになっていたが、最近は悟りを開きつつある。
テオフェル:亡国王女の六男。ヴァッレン帝国先帝x亡国王女の子。皇弟業が板についてきた。
アイロジウス:ヴァッレン帝国宰相の長男。テオフェルの家臣。10年ぶりに生き返ったら初恋の人との間に意図せぬ隠し子ができていた。先日、初めて対面した息子に攻撃型魔術をぶっ放されかけた。
ジギスムント:先代ノイス侯爵。テオフェルの家臣筆頭。10年ぶりに蘇った結果、とんでもない主(皇弟)に仕えることになった。先日、死んでる間に生まれた孫に、一番大切な相手に贈る風習がある、初陣討伐魔獣の宝玉をもらって泣きそうになった。
「……エデル。今度の決闘審判に参加するというのは本当か」
―――本当は分かっていた。
***【小話】茨の護り【17話前日譚/エデル視点】***
決闘審判の下準備のため、エデルがリオンの執務室で彼女の書類整理を手伝っていた時だった。本来であればリオンの嫁ぎ先であるバルリング辺境伯家の文官を使いたいところなのだが、情報の秘匿度を勘案して、リオンの『宰相』兼茶飲み友達ルドルフが彼の弟達を使うように提言したのだ。
「うちの弟達は優秀ですから」と薦めるルドルフに、「あらまあ、じゃあお願いしようかしら」と家庭菜園の水やりを頼むかのように軽く受け入れたリオンのもとに、最初に派遣されたのがエデルだった。傭兵見習いの彼が一番身軽だったためだ。
年若いとはいえ、エデルは、母親である亡国の王女が胎内で能力を調律して産んだ遺児だ。宰相家の血筋を引き、兄達に文武両道を叩き込まれている最中の彼は、10代半ばという年齢に見合わぬ分析力と判断力を持っていた。
「これは裏が取れてる。このまま進めた方が良い」
「これはブラフ。相手にする価値無し」
「コッチはここまで正しいけど、この後がアッチの報告書と整合性が取れない」
リオンの卓上で山を築きつつあった嘆願・提案・報告等の書簡が、エデルの手によって重要度別に並べ替えられていく。必要があれば参考情報が添えられ、彼に決済権限が与えられた書類はその場で処理される。見る間に高くそびえる書類の山が崩されていった。
甲斐甲斐しく働く少年にリオンは相好を崩した。
「エデル君は良い子ね。さすがはルドルフさんの自慢の弟だわ」
頭を撫でられて頬と耳を赤く染めた少年に、リオンは笑みを深めて腕まくりをする。
「私も頑張らないと」
ちなみに、後日この女王が家臣に負けじと『頑張った』結果が、前代未聞の指定戦闘区域における残存魔獣・湧出地ゼロを引き起こすなどと、この時点では関係者の誰も予想していなかった。
***
紙を捲る音とペンが走る音、たまに通信具での会話を挟みながら、長く室内を支配していた沈黙を、重厚な木製の扉を叩く音が破った。
秘匿経路から不法侵入した身であるエデルは、無言でペンを置き、椅子から腰を上げようとする。だが、部屋の主がそれを止めた。
「大丈夫よ。貴方のお兄様のテオフェル君に、この前会ったと言っていたジギスムントさん、それと貴方の御父様―――アイロジウスさんがみえただけみたい。全員が貴方の知ってる人よ。そのまま続けて問題ないわ」
エデルは目を見開いてリオンを見つめた。
――――問題しかないだろ!? この前、魔術で殺しかけた親父がいるんですけど女王陛下っ。
先日の乱闘騒ぎ以来となる父親との顔合わせに、ソワソワと書類に目線を落としていれば、入室を許可された面々が静かに入室してきた。
家臣二人を引き連れた皇弟テオフェルが、分厚い紙の束をリオンに渡す。
「女王陛下、決闘審判に参加する相手方の家系とその交友関係、まとめ終わりました。この後は家臣共と決闘審判でどう動くか作戦会議に入るんで、何かあったら通信具で連絡して下さい。……それと、エデル」
テオフェルは家臣のアイロジウスに持たせていた布包みを受け取ると、そのまま弟エデルにそれを投げて寄こした。
「ルーベン兄さんが傭兵団からお前用の部隊を編成して貸し出してくれるそうだ。通信具で呼び出されたら部隊長として顔出ししろ」
平べったい荷物を両手で受け取れば、包みの中身は仮面だった。一見すると黒色の面は、その実、白地にびっしりと精緻な魔導陣が刻まれていた。
「陣に魔力を通せば、目、髪、声を変えられる。身バレ防止策だ。付けて行け。……二番目の兄貴の力作だ。大事にしろよ」
後ろに護衛として控えた先代侯爵ジギスムントが口元を緩める。
「主、仮面が壊れるような怪我をしないで欲しい、と素直におっしゃっては如何か」
「うるせぇ。そんなんじゃねぇし」
「また、そんな憎まれ口を叩かれて」
最初よりも随分と打ち解けた主従を横目に、付き従ってきていたアイロジウスが口を開いた。
「……エデル。今度の決闘審判に参加するというのは本当か」
事情を知る人間しかいない空間で、先日ひと悶着起したばかりである血縁上の父親が声を掛けてきた。酷く緊張した様子の男に、こちらも強張った声で返す。
「そうですが、何か」
内心で頭を抱えた。実の兄である皇弟は、実際に額に手を当てて、アチャーとでも言いたげな顔をしている。丁寧な口調になった分だけ前回よりもまだマシだが、随分可愛げのない返答になってしまった。普通に話したいのに、何故かこの男相手には素直になれない。
―――本当は分かっている。
「そうか」
小さく頷いた彼―――アイロジウスは、息子の不愛想な返答を気にした様子もなく、おもむろに腰元の長剣を鞘ごと剣帯から引き抜いた。
「では、これを」
ツカツカと歩み寄った父親に剣を差し出されたエデルは、何がしたいのか分からず目を瞬かせた。そんな両者に溜息をついたのは、この場で最も年長のジギスムントだった。
「アイロジウス殿。家族相手に口数が足りぬところは宰相閣下譲りですな」
我が主といい、皆、言葉を惜しみすぎる。家族には言葉を尽くして心を伝えるべきですぞ、と10年の眠りから目覚めたばかりの騎士は嘆息した。
「エデル少年、いいか。アイロジウス殿の生家であるキール公爵家では、子供が初陣を飾るときに武具を贈る風習があるのだ」
その言葉に父親を見上げれば、彼は小さく顎を引いて頷いて見せた。おそるおそる差し出した両手にズシリとした重みの剣がのせられる。促されて、おっかなびっくり鞘から長剣を引き抜いた。
刀身には先程の仮面と同じくらい、隙間もないほどぎっちりと魔導陣が刻まれていた。その中に戦闘とは関係なさそうな文字列が混じっているのに気付き、エデルは首を傾げた。
帝国の神聖古代文字らしきそれは、年若いエデルには馴染みのないものだった。王侯貴族が生活上必要のない教養として習う、使われなくなって久しい言語だ。もしかしたら、長兄や知識欲の塊である二番目の兄ならば読めるかもしれない。
複雑に絡み合う茨のような文字の連なりを指先でなぞっていると、先代侯爵ジギスムントが言葉を続けた。
「……刀身には、家門秘伝の戦闘系魔導陣と、その子息子女が無事に帰還することを祈る文言が刻まれていると聞く」
パッと顔を剣から上げれば、父親であるアイロジウスはフイッと目を逸らして、少し口籠った後に、観念したように小さな声でボソボソと説明し始めた。
「家門の専属鍛冶に手伝いを頼み、急ぎ完成させたが、その、出来は悪くないはずだ。刀身自体は、将来の我が子のために元々死ぬ前に用意していたのだ。鋼は落ち着く時間が必要な故、私が15の時に打たせていた」
アイロジウスの耳が先端からジワジワと赤くなっていくのが、エデルの瞳に映る。
―――本当は分かっていた。
「魔導陣と文言は、エデル、お前と会ってから決めた。学生時代の同級生が魔導騎士団専属の研究者になっていて、協力を頼んで魔導陣に改良を加えた。一番お前に役立ちそうな陣を刻んだつもりだ」
―――素直になれないのは、怖かったからだ。
「神聖文言は、その……エデルの長命と幸運を祈るものにした」
―――父親に、アイロジウスに、嫌われるのが怖かった。
アイロジウスに子供と認めてもらえなかったら。お前なんか息子じゃないと、平民の子供なんていらないと、もしそう言われたらと思うと怖くて仕方が無かった。
「……お前がよければ。その……使ってくれると、嬉しい」
虚勢を張って棘のある言動をした。ただ単に血縁上の父親を好奇心から見に来ただけで、お前なんてどうでもいいと突き放した。未遂とはいえ魔導陣による魔術攻撃まで仕掛けた。きっと嫌われたと思っていた。
でも、俺の手には、今、その父親がくれた長剣がある。
「……うん」
指でゆっくりと神聖古代文字をなぞる。茨のような文字が連なる護りの文言は、俺のために刻まれたものだという。今度、ルドルフ兄にお願いして読み方を教えてもらおう。
「うん。大事にする」
じんわりと熱をもった目を一度強く瞑って、父親と目線を合わせた。安堵の浮かぶ薄紫色の瞳に、平々凡々な容姿の少年が勝気そうに笑う姿が映っていた。
「ありがとう、父さん」
***
ちなみに、父親からの『初めてのプレゼント』にテンションがぶち上った息子殿が頑張ったことも残存魔獣・湧出地ゼロに大いに貢献したと後に長兄ルドルフが分析していたが、父子ともにそんなことはまだ預かり知らぬことであった。
【おまけ】
父子が剣を挟んで見つめ合うのを、リオンはニコニコと眺めていた。両手で口元を隠して、横で彼らを見守るテオフェルにヒソヒソと話しかける。
「照れた時の耳の赤くなり方がそっくりだわ。流石は親子ね」
「無事に渡せてよかったです。アイロジウスの奴、いつエデルに会えるか分からないって、ずっとあの剣持ち歩いてたんですよ」
焦げ茶色の目を細めて弟を見守るテオフェルに、リオンはフフフと笑った。
「エデル君は皆に愛されてるわね。お守り代わりの仮面と剣に、お兄様が特選した優秀な部隊もついて、ルドルフさんも少しは安心かしら。最初、危ないからと反対していたのでしょう?」
兄貴は過保護なんですよ、とテオフェルは肩を竦めた。
「最終的に、エデルが危なくないように俺を含めた兄貴連中が魔獣を全部ぶったおすってことで説得しました」
あらまあ、とリオンは笑みを深める。危ないからと年少組の魔獣討伐への参戦を止めようとした長兄ルドルフも、危ないならば魔獣を全部こっちで狩ってしまえばいいと本末転倒なことを言い出した年長組の兄達も、誰も彼もが弟に対して過保護だった。