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17:隣は一人でいい。【前書・本編:主人公視点、後書:タヌキ視点】

***前書『祖母の二つ名は≪喪服の鬼神≫であった』***


「いいかい、チビ助」

気っ風の良い女傑だった祖母は、いつもと違う着物の帯を締めながら私に告げた。


「家族ってのは一蓮托生だ。困った時はお互いを助け合い、嬉しい時はその喜びを分かち合う。それができないようなクズが相手だった時は、三枚に卸してドブ川にでも沈めときな」


体調を崩しがちで保育園にも幼稚園にも通えなかった私を、共働きの両親のために預かってくれた彼女からは色々なことを教わった。


「おばーちゃん、どうして今日は黒のキモノなのー?」


普段愛用していた小紋ではなく、初めて見る黒紋付と黒喪帯に身を包んだ祖母に、私は尋ねた。当時は着物の区別などつかなかったが、それが特別なものであることは子供ながらに察していた。


「それはねぇ」

祖母は(べに)で彩った唇から白い犬歯をのぞかせて、心底楽しそうに微笑んだ。


「家族を大事にできない、ドブ川行きのドクズに、これから『ご挨拶』に伺うからだよ」


―――命日に相応しいのは喪服だろう? 売られた喧嘩は高く買うもんだ。


その後のことはよく覚えていない。多分、いつも通りに迎えに来た両親のどちらかと共に、家に帰ったのだと思う。記憶は大分朧気になってしまったが、彼女からの教えは今でもこの心の中に刻まれている。


「かぞくは、だいじにする」


「うられたけんかは、たかくかう!」


***


「マ、ママーッ。クオンちゃんが、めっちゃ可愛いポーズしてるっ。台詞は物騒だけど、それもいい! カメラどこだっけ!?」

「あらあら。おばあちゃんのマネしてるわ。可愛いわねぇ」




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





【17話】本編:『売られた喧嘩は高く買え。』【前書・本編:主人公視点、後書:タヌキ視点】



フクフクとした手が金鎖でできたブレスレットを差し出す。三つの小さな宝玉が付いていた。彼が初陣で討伐した緑狼の魔獣石で作ったそうだ。

「父上と爺上(じじうえ)をかえしていただき、感謝申し上げます。リオンさま」


たどたどしく舌足らずに礼を述べる幼子にリオンは相好を崩した。


***


軍神神殿の混乱は宮廷にまで波及した。


ヴァッレン帝国史どころか人類史上でも稀な軍神の降臨。しかも、その夫婦神となった女神を引き連れての婚姻披露だ。歴史的な慶事であり、同時に失敗の許されない国事となった。おかげで帝室に貴族、官吏を始めとした関係者が不眠不休で絶賛準備中だ。


影響は国内だけに留まらない。話を聞きつけた他の人類生存圏にある国家や部族群、共同体から特使参列の打診が雨霰(あめあられ)と外交や神事の管轄部署に届いているらしい。書簡だけならばまだマシで、帝国に駐在中の外交官がいる場合、彼ら本人が参列させろと直談判に来ているそうだ。


騒動に巻き込まれて、夫のルイスが帰ってこない。


女神より直々に拝領した招待状を持って、今後の相談のために軍神神殿を尋ねたところ、国内外の要人との調整役として捕獲されたのだ。


皇帝と教皇の甥で次期辺境伯な現役騎士。帝国騎士団にも軍神神殿にも宮廷官吏にすら顔が()く高位貴族なぞ中々いない。格好の助っ人として馬車馬の如く働かされているそうだ。


たまの休憩時間に通信具で生存報告をしてくれるのだが、先日など「……もう外交書簡も要人会談も調整会議もウンザリだ。魔獣狩りがしたい。リオンが足りない」と禁断症状の出た中毒者(ジャンキー)のようなことを呻いていた。


手伝いましょうか、とは申し出たのだが、即座に却下された。


曰く、奇跡の聖魔法に関しても相当数の問い合わせが来ているらしく、私が行くと混沌(カオス)に収拾が付かなくなる、とのことである。


なんでも『女王リオン』の夫の座を狙う帝国内外の王侯貴族から連日『決闘審判』まで申し込まれる始末らしい。


『決闘審判』とは、ヴァッレン帝国の軍神神殿が、勝敗の審判とその勝者への聖誓文の遂行を保証する決闘制度だ。一番メジャーな形式は、神殿が指定する魔獣戦線で制限時間内にどれだけの魔獣を討伐できたかを競う方法である。


ただ、我が夫ルイスは現在多忙だ。そのため、帝国宮殿にある訓練場で挑戦者を千切っては投げ千切っては投げして、武力でもって相手を黙らせているらしい。一日の予定にごく当たり前のように決闘審判の時間が組み込まれていると呻いていた。


「困ったわ。私はルイス以外いらないのだけれど」

「……どうして今、私は君の隣にいないんだ」


どうにか決闘審判だけでも減らせないものか、とリオンは腕を組んだ。


***


腰を下げて小さな騎士殿と目線を合わせた。彼が差し出してくれたブレスレッドを受け取り、その場で身に着ける。長めの金鎖は二周するとちょうどよい塩梅で手首に収まった。


先日まで付けていた腕輪は放浪侯爵傭兵団を箱買いするのに使ってしまったので、しばらくはこの愛らしい御礼品を付けることにしよう。


「素敵な贈り物をありがとう。嬉しいわ」


柔らかな髪を撫でてやれば、五歳なのだという少年は、くすぐったそうな表情ではにかんでみせた。


こんなに小さくて可愛らしいのに、この子は既に魔獣の討伐経験がある。それはヴァッレン帝国の貴族に生まれたものの義務なのだ。それができなければ、低位貴族に養子に出すか、平民として生計を立たせて貴族籍から抜くことになるそうだ。


今、息子嫁ラウラの腹に宿る子供が歩む先に、この子はいる。この小さくフクフクした手は、既に戦場で魔獣の血に染まっているのだ。民草を魔獣から守れぬ貴族に存在価値はない。その険しく果てしない道のりの先に、どんな未来が待っているのだろうか。


―――願わくば、この幼子の未来に幸多からんことを。


リオンはそっと目を伏せた。


***


「それで、リオンさま」

幼子が両手で口を覆って内緒話の体勢に入ったのに、耳を傾けてやる。

「大叔母様の御夫君のディンゲン公爵が、リオンさまの護衛騎士が足りないのならば斡旋するので、好みはありますかって」


好み? と首を傾げる。それにニコニコと笑みを浮かべて侯爵家長男が問いを足した。

「気に入ったら第二夫にすることもあるから、ある程度の家柄で好みの男性騎士を用意しますよって」


―――あら、まあ。


ツイと碧の瞳を細めてリオンは微笑を浮かべた。夫ルイスが面会できる人間を制限したので安全地帯でヌクヌクさせて貰っていたのだが、まさかの裏技でコンタクトを取られた形だ。まあ、それはいい。だが。


「そう。教えてくれてありがとう、良い子ね。―――ジャクリーヌ様」


息子とリオンのやり取りを一歩離れて見守っていたノイス侯爵夫人は、今のやり取りが聞こえていなかったらしい。なんでしょうか、と穏やかに尋ねられた。それに一つお願いを申し上げる。


「ちょっと『決闘審判』を開きたいのですが、屋敷の一室を指令所としてお借りできませんか」


如何に謀略が貴族の嗜みとはいえ、こんな幼子を使うのはルール違反だろう。リオンの前の世界における祖母の座右の銘は『売られた喧嘩言い値で買え』だった。そして、リオンは喧嘩上等な女傑に育てられた孫であった。


「方式は戦線魔獣討伐数形式で、賭けの対象は私の夫の座。決闘開催は今回の一回限り。勝てば娶ってあげましょう。ただし、負ければ二度と私に求婚できず、こちら側の要求を各自一つ飲んでもらいます。如何かしら」


近年稀にみる参加者数の実力者が参戦する『決闘審判』となった。帝国内外の貴族どころか王族まで加わったのだ。リオンを心配したノイス侯爵夫人が家臣を貸そうかというのに、彼女は首を振った。


「屋敷に指令所を設けさせて頂いただけで十分です。それに―――私には自慢の家臣がいますもの」



***



「夜の男神が去り、陽光の女神が目を覚ました―――夜明けだ。『決闘審判』を開始せよ」


軍神神殿の教皇が開戦を宣下する。それを受けてリオンは耳元の通信具に触れた。赤い唇が弧を描く。

「さあ、私の可愛い家臣達」

リオンは女王だ。異世界で魔獣大陸の支配者を目指す国家元首をしていたゲーマーだったのだ。

「一頭残らず、殲滅しましょうか」

戦略ゲームは彼女の主戦場だ。区切られた戦域の魔獣狩りなど児戯にも等しい。それに。


「―――はい、女王陛下」


涼やかな男性の声が通信具から聞こえる。


今回、リオンには強力な助っ人がいた。

長男とか一番目の兄貴とか呼ばれる彼はリオンの長年の友であり、


「よろしくね、私の『宰相』」


最も信を置く家臣だ。


***


ノイス侯爵邸に設置された指令所には、リオンとその護衛官、『決闘審判』の立会人として軍神神殿から派遣された神官、それに帝国側の見届人としての帝国騎士がいた。


室内には大きな木製のテーブルが置かれており、それを囲むように椅子と護衛官が配置されている。面白がって主審となった教皇の開戦号令を受けて、リオンは手元の基盤魔導陣に両の(てのひら)を乗せた。


卓上に広げた白布に戦場の俯瞰図が浮かび上がった。そこに女王として得た戦場マップのデータを反映させていく。亡国王女一家の次男オイゲンに頼んで独自開発してもらった戦略立案用魔導具だ。


「【天空神の鏡】を発動。『宰相』、そちらとの共有は」

「問題ありません。陛下」


戦域内にいる家臣団員の位置・状態、魔獣の種族名・等級、魔獣湧出地とその規模がマップ上に表示される。まさに天に座す神の視点だ。立会人である神官と帝国騎士が息を飲むのが分かった。この戦略マップは戦場にいる指揮官達にも小型魔導具で共有されている。


「戦闘指揮は『宰相』に一任します」


御意、との短い返答が通信具からして、『宰相』は優秀な弟たちに指示を出す。もちろん名前をそのまま呼ぶわけにもいかないため、生まれた順番でナンバリングすることにした。『一番』は長兄たるルドルフだ。その下に続く『二番』から『十五番』が戦地で出番を今か今かと待ちわびていた。


「『五番』『六番』『十二番』『十三番』は担当空域に超広域型攻撃魔導陣を展開。『四番』は陣形成中の魔獣からの攻撃及び発動後の衝撃波に備えて防護魔導陣を担当。『二番』は【天空神の鏡】をもとに攻撃魔導陣の標的設定および発動補助を行え」


亡国王女の子供たちは全員が面を付けて顔を隠していた。仮面に刻まれた魔導陣で髪と目の色を変化させており、身元がバレる心配はない。


これまで彼らは表舞台を避けてきた。それは無駄なトラブルを避けるためだった。彼らは帝国及びその支配下や友好関係にある国家の有力な王侯貴族家の血筋を引いている。


平穏な暮らしを望む長兄ルドルフが育てた彼らは、兄の言いつけに従って、目立たぬように平民生活を謳歌していた。約一名、『皇弟』になった『六番』を除いて。


『六番』がやらかしたときに、彼ら兄弟は散々怒って嘆いて心配した。表立って『六番』を助けられない彼らに代わって、最高の家臣団をくれたのが女王リオンだった。だから。


―――『女王陛下に恩返しをするぞ。』


身元さえ露見しなければ、後のことはどうとでもなる。長兄は腹を括った。


今回の『決闘審判』では、どれだけ派手に暴れても構わない、と彼らの長兄ルドルフは弟達に許しを与えていた。逆に、我らが女王に手出しする馬鹿どもに、お前たちが敵に回す軍勢の実力を見せつけてやれ、と発破まで掛けていた。


彼ら兄弟が一堂に会して全力で戦闘するなど初めてのことである。つまりは大いに―――テンション爆上げであった。兄は弟に良い所を見せようと、弟は兄に負けじと、戦闘準備を整えていく。


「あと20秒で一斉攻撃を行う。『十五番』、カウント開始。発動後に残りの魔獣への掃討戦を開始する。『三番』、先駆けを務めろ。―――お前たち一頭たりとも逃がすなよ。女王陛下への献上品だ」


―――魔獣達にとっての悪夢(オーバーキル)が始まろうとしていた。


***


リオンの戦術マップ上に、形成中で起動を待つ魔導陣が次々と表示される。見届人の騎士が思わずといった風に椅子を蹴倒して立ち上がる。


「なんだ、この魔導陣の規模は。これほどの上位者が今までどこに」


『決闘審判』でリオンが割り当てられた戦域。そのほぼ全てが四つの円形魔導陣によって覆われていた。


これほど大規模な攻撃魔導陣は貴族家程度では陣形成ですら不可能である。魔力も技量も王侯クラスの実力者だ。そんな上位者が次期辺境伯夫人の家臣として戦場にいた。それも一人どころではない。


リオンは碧眼をゆるりと細めて立ち上がり、繊手(せんしゅ)を伸ばして戦略マップ上の魔導陣に(てのひら)(かざ)す。


「私の家臣たちは優秀ね。―――女王リオンが命じます。我が魔力を対価に、魔導陣の攻撃レベルを引き上げなさい」


ただでさえ非常識な広域魔導陣の攻撃性能を異世界の女王が容赦なく引き上げる。平面に描かれていた魔導陣が立体化して複雑な多層構造を形成するのに、騎士の喉から悲鳴に似た驚嘆の声が漏れた。


帝国騎士として数多の戦場を渡り歩いた彼も見たことのない魔導陣だった。分かるのは、その威力の強大さが彼の既知を遙かに上回るであろうということだけだ。


魔導陣の上位互換が完了すると同時に、通信具の向こう側で『十五番』と呼ばれた少年の声がカウントゼロを告げる。


「ゼロッ。発動!」


―――ドオンッ。


魔獣戦線の轟音が通信具越しに伝わる。遠く離れた帝都まで揺らした、その衝撃と同時にマップ上の魔獣がごっそりと頭数を減らした。生き残りは大型の主級と僅かな準主級のみとなっている。小型と中型は、主級まで含めて今の攻撃で全滅していた。凄まじい威力だった。


それを当然のように眺め下し、女王は満足げに頷くと椅子に座り直した。後は家臣に任せることにしたらしい。通信具から、興奮した男の声が彼女に話しかける。


「女王陛下、今の上位互換魔導陣ですが、ちょっと一部回路をじっくり眺めて解析したいのでもう一度……」

「後にしろ、『二番』。リオン様、御助力に感謝申し上げます。―――掃討戦を開始する。『三番』部隊、行け。全てを狩り尽くして女王陛下に献上せよ」


待ちかねたように戦場に駆け出した『三番』らしき家臣を追いかけるように、戦略マップ上で他の家臣の位置情報が展開して行く。通信具の向こうで、騎獣の蹄音が幾重にも重なってゴウゴウと音を立てていた。


***


女王の介入により予定よりも残存魔獣数が減った。『宰相』ルドルフは共有情報にある生存魔獣の位置・種類・等級に目を走らせる。各弟とその異能及び魔法特性を鑑み、各自が担当する戦域を決定。よく通る声が戦場にいる家臣団に指示を下してゆく。


「『七番』部隊は白竜の主級を担当しろ。位置は南西方向5の4。『五番』部隊、分裂植物型の主級が北東7の8にいる。全てを灰燼に帰せ。種一つ残すなよ。『八番』から『十番』の部隊は共同で魔獣湧出地を潰せ」


暫く戦闘の推移を見守れば、形勢不利を悟った魔獣が一部撤退を始める。『宰相』ルドルフは冷静に『六番』を呼び出した。


「『六番』部隊、戦域境界線を防護魔導陣で覆え。他の戦域に戦果を逃がすな」


彼の指令に応えて、戦略マップ上で防護魔導陣が即座に起動した。異常なのは、その範囲と精度だ。本来ならば帝国の一級魔導師が集団で起動する巨大な防護魔導陣が、こともなげに『六番』によって女王リオンの狩場たる作戦領域を包み込む。


「よくやった『六番』。『十三番』部隊、『十四番』部隊、出番だ」


***


女王が見守る戦略マップ上で、逃げ出そうとしていた魔獣たちが右往左往を始めた。防護陣によって外に出られなくなったのだ。動揺した魔獣達を『十三番』部隊と『十四番』部隊が防護陣との間で挟み撃ちにする形で撃破していった。


「残りの魔獣の位置が散らばっていて効率が悪い。『六番』、一か所にまとめてやれ。『三番』、追加の獲物だ。最後の一頭まで喰い尽くせ」


一度戦場全体を包み込んだ防護陣が、徐々に範囲を狭めて魔獣を中心地へと追い込んでゆく。それに見届人の騎士が渇いた笑いを零した。なんとこの女王の家臣ども、魔獣相手に追い込み漁を始めたのだ。


「防護魔導陣の規模と精度、強度。この『六番』はもしや。いや、しかし。……それにしても、防護魔導陣は魔獣から人を守るために創られた術式だぞ」


人が魔獣に喰われないために創った魔導陣を、この女王の家臣たちは魔獣(エモノ)を逃がさないための柵ぐらいに考えていそうだ。これではどちらが捕食者か分からない。これほどの強者が一体今までどこに隠れていたのだと騎士は唸った。


戦略マップ上の魔獣が見る間に数を減らしていく。魔獣湧出地から新たな魔獣が出現しても即座に駆除され、或いは、その発生源の湧出地ごと高出力の攻撃魔法で吹き飛ばされて抹消されていく。


それまで大人しく戦闘を見守っていた立会人の神官が――手を叩いてキャッキャと笑い声を上げ始めた。


「素敵! 湧出地まで潰すなんて最高の殲滅戦ね! ああ、神よ、彼らに御加護を!」


女王リオンはそっと静かに微笑み、内心で神官が狂喜乱舞する様にドン引きしていた。


魔獣にとっての地獄絵図を生み出した元凶としての自覚は、彼女にない。異世界ゲーマーにとって魔獣狩りは当たり前のことだから。マップ上の敵とその拠点を全部倒すとか普通である。


―――本当に怖いのは、味方のふりをして謀略を仕掛けてくる人間の方なんだよなぁ。魔獣は100%敵って分かってるだけまだマシ。


女王は戦略マップに視線を戻して遠い目をした。


***


リオンの異能による補助を受けつつ、家臣たちは快進撃を続け、日没前には全てが終わっていた。


「担当戦域における生存魔獣ゼロ、全ての湧出地の抹消完了を確認。……戦闘を終了する。帰還せよ」


『宰相』が完全殲滅を宣言した時点で、求婚組の戦域における戦果は主級3頭と準主級9頭だった。だが、誰も彼らを無能とは(そし)らなかった。どう考えても、女王の家臣団が過剰戦力(ヤバすぎ)だったのだ。


***


後日、ノイス侯爵邸で大人しくしておけと言っていただろう、という苦情が夫ルイスから入った。

それに対する女王の回答がこうである。


「侯爵邸からは出ていないわ。それに、売られた喧嘩は高く買うものでしょう? 私の隣はルイス一人で十分だもの」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



***『子孫タヌキはふだん学ランDK(だんしこーこーせー)をやってるらしい』***



タヌキは四つ足でノスノス歩いていた。花畑があれば砂地もあるし朝があれば昼もある、何処にもあるし何処にもない場所をテクテク歩く。ヒトが天国とか極楽浄土とか彼岸とか好き勝手呼ぶ、そんな場所を。


暫くすると沼地に出た。タヌキは鼻にシワを寄せた。酷い匂いだ。泡立ったヘドロが毛皮に付くのは困る。これから(とも)を訪ねるのだから。


小さく首を傾げて考え込んだタヌキは、ウンと頷いて後ろ足で立ち上がり、どこからともなく白い扇子を取り出した。前足で器用に持ったそれを一振り二振り。扇が舞うごとに沼の底から透明な水が湧き上がり、ヘドロが上空に浮かび上がってゆく。


上空に大きなヘドロ玉ができるころには、沼は澄んだ湖になっていた。だが、その底にまだ泥の塊が見えている。一際大きな塊を扇子で呼び寄せて、おやまあとタヌキはつぶらな目をまん丸にした。人の形をしていたのだ。


髪も顔も手足も胴体も真っ黒だ。全身泥塗れで体を丸めたソレは、目を閉じて眠っているようだった。ムムと再び考えたタヌキは、ここまで来たら同じことと再び扇子を振って、ソレに纏わりつくヘドロを引っぺがしたのだった。すると、パチリと黒い瞳がこちらを見やった。


「おはよう、依り代(よりしろ)

「……だぁれ?」

「タヌキはタヌキ。ずっとタヌキだしコレからもタヌキ」

「そう」


淡々と話すソレにタヌキは幼子に話すように優しく語り掛けた。


「他の供物も綺麗にしてあげる。ピカピカになったら次にお行き」


そう言って、三度(みたび)扇子を泳がせてゆっくりと流れる小川のようにタヌキは舞った。踊りに合わせて、湖の底から大小様々な泥団子が浮かび上がり、タヌキの周りを漂う。タヌキが扇子を閃かせ、柔らかな声で寿ぎの歌を奉げるごとに、泥団子のヘドロが剥がれ落ち、上にあるヘドロ玉に合わさっていった。


泥がおちれば団子は(ぎょく)だった。色とりどりに優しく光る玉達に、タヌキはツイと天を扇子で指差した。


「アッチが『次』だよ。良い子達。さあ、お行き」


無数の玉がフヨフヨと舞い上がってゆく。依り代の腕の中からも二つの淡い光が旅立っていった。それを見上げて見守る依り代に、おまえもお行きとタヌキは促す。しかしソレはフルフルと首を振った。


「神様がいると信じて、これから来る子達が困るわ。前の依り代は壊れてしまったから、私が代わりをしないと」


そうかなとタヌキは首を傾げて、上空にある真っ黒なヘドロ玉を見上げた。

「祟り神RTA(リアルタイムアタック)でもしたいのか」


目をパチクリとさせる依り代に、彼女よりもずぅっと長生きしているタヌキはまん丸で太くて自慢の尻尾を振って見せた。


「玄孫の仔の仔の、ええと、ずっと仔の仔が、よく困って耳とヒゲと尻尾を垂らしてる。人の不幸でできた腐った供物で育った神は臭いし汚くて不味いって。タヌキは雑食だけど、あんなゲテモノは食べたくないって」


でも棲み処を綺麗にするのはタヌキの仕事だからとあの仔は好き嫌いをしない。本当にうちの仔狸は良い仔なんだよ、とタヌキは子孫を自慢した。そして、かつて人の子であった依り代に、依り代のままだと人を祟り殺すタイプの堕神になって最悪討伐対象に認定されるけど大丈夫かと尋ねた。


「それは困るわ。息子達を見守れないもの」

「子を見てたのか」

「ケガレが酷くて見れなくなるまでずっと水面に映して見ていたわ」

「そうか」

「そうなの」


そうかあ、とタヌキは真っ黒な髪と瞳の依り代を眺めた。元の色は分からない。穢れた信仰に侵された依り代は、ヘドロは落とせど堕ちた色は戻らなかった。だが、魂はまだ光っている。金色だ。……(とも)の瞳と同じ色だ。


「依り代、お前の神を捨てるなら、一緒に連れてってやるぞ。ウチの神域の泉なら、お前の子を映せる」

「……後から来る子達が困らないかしら」


もとはどれだけ信心深くとも、これだけの穢れを纏えばその信仰心も堕ちようというもの。もはや依り代の核となったヒトも信仰心を保ってはおるまい。


それでも、依り代は神を信じて来る他の魂が行き場を失いやしないかと心配しているようだった。自分のことよりもヒトのことを心配する、そのお人好しさも(とも)に似ている。


ウムとタヌキは頷いて扇子を振った。するとアラ不思議、扇子が毛筆になった。


それをどうするのだと依り代が見つめる先で、タヌキはヘドロ玉にエイヤと筆を突っ込んだ。泥だらけになった穂先を地面に向かってシビビと振ってやれば、半紙に散る墨汁のような黒点が下界に降り注いでゆく。


「何をしているの」

「飲み仲間の神が酔っぱらって天動説にインクを零したことがある。そのせいで地動説ができて、ヒトに干渉しすぎたと真面目な神にすごく怒られてた。でも、ここらへんの神はそういうの気にしないから多分大丈夫」


本当は羊羹にでもして食べようかと思ったけど、やっぱりやめた。だって、このままにしていたら、またヘドロ沼ができそうだ。


綺麗好きのタヌキは、穢れの元凶となった哀れなカミモドキを見やる。依り代無しには神として存在を確立できない、自律思考する同胞になれなかった、ヒトの妄執の塊を。


「ケガレを発生元の信仰心に還してやった。アレは猜疑心を呼び起こし、疑念を抱かせ、それまでの信じる力が強いほど、強い怒りと反発心を産むだろう」


―――さて、カミが死ぬのと殺されるのとどちらが早いかな。


老獪なタヌキは瞳を冷たく光らせて、ヘドロ玉が無くなるまで黒い雨を降せ続けた。元は人が産んだ穢れだ。彼らに還した結果はタヌキには関係のないこと。


タヌキは知っている。人は愚かだ。


だけど、タヌキは分かっている。愚かだけれど、馬鹿ではない。


だからきっと、きっかけさえあれば気付くだろう。自分にとって本当に大事なものは何か。それが分かれば、最期に還るべき場所も分かるだろう。


「たぶん、後から来る子達はここにはこない。―――さあ、おいで、仔狸」


振り返れば、真っ黒な仔狸が尻尾を膨らませていた。突然に変わった自身にびっくりしたらしい。なかなかの美狸である。引っぺがしたカミモドキの神格をさり気なく肉球で踏み潰して、タヌキはウムウムと満足げに頷いた。


「今日から仔狸はタヌキの子分。大事な仔。さあ、ついておいで」

尻尾を左右にフリフリ歩き出した親分タヌキの後を、テテテと慣れない四つ足で仔狸が追いかける。


「どこに行くの」

(とも)の結婚式に招待されたのだ。タヌキの古い友達。キツネの豊穣神で、お前と同じ、無類のお人好し」


揺れる二本の尻尾の行方を、天高く上っていく、輪廻転生の輪へと向かう魂達が見守っていた。そのうちの二つが淡い金色を瞬かせる。仔狸の新たな旅立ちへの祝福だった。


***


後日、新たな子分として黒タヌキを紹介された子孫狸は真っ赤になって尻尾の先まで毛皮を膨らませた。好みだったらしい。



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― 新着の感想 ―
[一言] 追記 登場人物一覧、1番上にありましたね(汗 読み落としすみませんでしたー!(大汗
[一言] 更新ありがとうございます┏○))ペコ!! 29日だと思ってうかうかしてたら28日にアップされてて慌てて読みました笑 人物一覧の位置が一番上にいつのまにか変わっててびっくりしました(๑ʘ∆ʘ๑…
[良い点] もー!もーっ! 沢山新キャラもでてきて兄弟達のご活躍に女王様のやっておしまい!な司令室とかご褒美が過剰なんですけど!ありがとうございます!(土下座) 喪服のおばあさま、誰を川に沈めてきた…
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