【小話】『長兄は激怒した』『手札はテーブルの上だけとは限らない』
***『長兄は激怒した』***
「に、にいちゃ」
「どうした、テオ」
緊急の通信が耳元の通信具から流れ出す。外出中だった長兄ルドルフは、弟テオフェルの縋るような声に短く返して自宅へと踵を返した。
今日は見習い神官として神官居住区の宿舎に住まうテオが久しぶりに帰省する日だった。できるだけ美味しいものを食べさせてやりたいと買い出しに出ていたのだ。留守番役はルーベンに任せていた。あの子は兄弟有数の武闘派である。どんなトラブルがあったにせよ、下手は踏まないはずだが。
「……ル、ルーベン兄ちゃんが、っう、く、くびを」
しゃっくり上げながら途切れ途切れに状況説明をするテオフェルの話を聞きつつ、通信具の居場所探知機能を発動させる。一番目の弟が組み込んだ独自開発の魔導陣だ。他の兄弟の位置を把握、自分よりも近くにいる三番目の弟を同時接続で呼び出し、急ぎ彼らの元に向かわせた。
「大丈夫だ。テオ。今、私とカールがそちらに向かっている」
だから落ち着いて、まず安全を確保しろと指示すれば、五番目の弟はギャン泣きで叫んだ。
「ルーベン兄ちゃん、自分で首切って死んじゃった!」
「……は。はぁぁぁ!?」
聞けば、蘇生の聖魔法を上手く使えるか不安だと相談したテオフェルに「よしっ。兄ちゃんで試してみろ」とルーベンは自分で自分の首を掻き切ったらしい。眩暈がしてきた。先に到着したらしいカールの呻き声が耳元の通信具越しに聞こえる。
「……兄様。馬鹿って死んだら治ると思いますか」
「カール。それで治るなら、どれだけ楽だっただろうね。お前がオイゲンと二人で最強の攻撃魔術と最強の防御魔術を同時に放ったらどっちが強いかを試したいと駄々をこねたのは、何歳の時だったかな」
***
帰宅すれば、血に塗れたテオフェルがルーベンの死体に縋りつくようにして聖魔法で蘇生を行っていた。その横で雑巾を片手に弟カールが床と壁に飛び散った血飛沫を黙々と掃除している。
聖魔法の光が漏れないよう、魔術で光を歪める膜を展開しているカールに礼を言い、そっとテオの横にしゃがみ込んだ。その肩に手を回して、ゆっくりと魔力を分け与えてやる。私自身は聖魔法を使えないが、魔力で補助ぐらいはできる。
「大丈夫だよ、テオフェル。お前ならば問題なくこの阿呆を叩き起こせる。兄さんと一緒にやろう。……起きたら覚悟しておけよ、この大馬鹿者が」
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***『手札はテーブルの上だけとは限らない』***
「……本当にいいのか?」
団長エアハルトの問いかけに頷く。久々に引いた紅で彩った口元が弧を描くのが分かる。
「知ってるかい。あの阿呆、神官居住区の未亡人と噂になってやがる。あいつがこの前入団させて面倒を見ている子供……エデルだったかね。あの子はその女との間の子供なんじゃないかって話だ」
下らない噂だ。真に受ける方がどうかしている。だが、それはそれとして。
「こっちばかりが振り回されるのは気に喰わないね」
***
辺境伯領の騎士達との食事会という名の出会いの場に参戦すれば、彼らの視線を一身に受けた。そうだろう。王侯貴族の血は代々娶った美姫美男子によって磨かれる。国は滅べど、その末裔であるアタシの外見もまた極上の仕上がりなのだ。
―――肝心の獲物は、全然褒めてくれないけど。
内心で口を尖らす。これで少しくらいは焦ると良いんだ、あの馬鹿。ぜんっぜん捕まってくれないチャスズメめ。
***
食事会は半分成功で半分失敗だった。魔獣戦線の傭兵と騎士が集まったのだ。魔獣談義に花が咲き、どう殺してどう殺されたかという何とも殺伐とした話題で盛り上がり、普通に情報交換の場になってしまった。
魔獣討伐者としては有益な場になったのだが、果たしてアレは男女の出会いの場と呼んでよかったか疑問だ。誰も彼も、どう魔獣を滅殺するかしか頭になかった。
私の前にいた白髪の少年騎士も、最初は緊張した様子だったが、次第に魔獣支配圏や他の人類生存圏での戦闘話に目を輝かせて聞き入っていた。アタシも初めて参戦するバルリング辺境伯領魔獣戦線について質問して、有意義な時間ではあった。
しかしながら、団長と知人だという辺境伯領騎士が意図した食事会からは遠くかけ離れた場になったのも確かだった。
―――まあ、集めたメンツが悪かったね。騎士と傭兵という時点で無理がある。
そう内心で呟いて、何杯目かの白ワインを飲もうとした時だ。
「そのくらいにしとけ」
見慣れた手がグラスの口を覆った。ゴツゴツとして剣ダコのある手の持ち主は、エウレカの背後に立ったまま団長のエアハルトに声を掛けた。
「それじゃあ連れて行くから、後は頼んだ」
―――テーブルの外にあった手札が、手元に舞い込んできた。
これが吉と出るか凶と出るかは、明日の自分にしか分からないことだ。エウレカは片耳だけに嵌った焦げ茶色の通信具を撫でた。
***
「まだ飲み足りない」
掴まれた手を引かれながら夜の繁華街を進む。
「十分だろ」
人混みからさり気なくこちらを庇いながら歩く男がそっけなく返す。
そのいつも通りの背中に無性に腹が立ってきた。いつもこうだ。こちらがどれだけ必死でも、この男は涼しい顔で受け流す。つい、言うつもりのなかった言葉が零れ落ちた。
「……あの、エデルって子を特別扱いするのは何で」
一度言い出したら、もう駄目だった。ずっと思っていたことが次々と口から放たれていく。
「神官居住区の未亡人って何。……アタシはアンタの何なの。副団長補佐って言ったら殺すから」
最終的に殺害予告をされた男―――ルーベンはこちらをチラリと見やって、そのまま無言で道を進んでいった。気付けば繁華街を抜けて住宅街の裏路地に来ていた。どこに行くつもりなのだろうか。
このまま大人しく着いて行って良いものか悩み始めた頃に、ようやくその足が止まった。なんの変哲もない一軒家の扉を彼が叩く。すると中から先程話題に上がった少年傭兵エデルが出て来た。
「とりあえず、この近辺の奴らは集まったよ」
「おう、すまんな」
短いやり取りの後で、こちらを振り返ったルーベンの表情は見たこともないものだった。
「エウレカ、この中に答えがある。ただ、もし中に入ったら、もう二度とお前を離してやることはできねぇ。それでも、いいか?」
自信の無さそうな、それでも僅かな希望に縋るような表情だった。
―――やっとだ。
「馬鹿だね。本物の馬鹿だ」
逆に彼の腕を掴んで、家の扉をくぐった。
―――やっと、チャスズメの尾羽を掴んだ。
「とっくの昔に捕まってるじゃないか。アンタもアタシも」
***
恋人の両耳に嵌った白銀色の通信具に機嫌よく鼻歌を歌えば、相手もこちらの焦げ茶色の通信具を撫でてきた。
「良く似合ってる」
「そりゃどうも。使い勝手が良いね、コレ。加工してくれたっていう義兄君に礼を言っといてくれ」
む、という顔で「魔獣石は俺が狩ったやつだ」と主張するルーベンにエウレカは笑い声を上げた。
「まったくもう、何を張り合ってるんだい。馬鹿だね」