【閑話】魔性のクロツグミ 人誑しのチャスズメ【前書:ハルト視点、本編・後書:ルーベン視点】
***『人誑しのチャスズメ』***
魔獣支配圏での護衛任務は傭兵団の代表的な仕事の一つだ。我が放浪侯爵傭兵団も、ある時、荒原地帯にある部族連合型人類生存圏へと刺繍布地や陶磁器、対魔獣戦特殊武具等を仕入れに向かう大規模な商隊の護送を依頼されたことがあった。
移動手段は陸路、期間は往復で七ヶ月。傭兵ギルド経由依頼の、他の傭兵団との共同任務だ。当時、既に放浪侯爵傭兵団の名は実績と共に有名になっており、その団長である私が総合指揮をまかせられた。
斥候部隊、本隊、後方部隊で等間隔に移動して二ヶ月余り、後一週間で目的の人類生存圏に辿り着けるところまで進んだ時のことだ。進行方向に未確認の魔獣湧出地を発見した。
斥候部隊が伝えた数は三。規模は中型から大型。帝国騎士団でも態勢を整えねば難しい相手だった。
即座に一つ前の航行路オアシスまで非戦闘員である商隊を退避させると決定。本隊と後方部隊を合流させ、他の傭兵団に商隊の護衛をまかせて、私の傭兵団は斥候部隊の救助に向かった。
未確認湧出地から発生した赤狼と青砂鮫の群れによって斥候部隊が分断され、団員の一部が行方不明になっていたのだ。今回、斥候役は我が団の傭兵が務めていた。その中には、我が団の副団長たるルーベンもいる。私の親友だ。
―――魔獣戦線では、どんなに祈っても命がこの手から零れていく。だが、それで諦める謂れはない。何度絶望しようと、足掻き藻掻いて、一人でも多くの仲間と明日を迎えてやる。
***
必死の捜索でどうにか全員を生死を問わず見つけた。たとえ死体でも八割方回収できれば、聖魔法で蘇生できる。生きている者は騎獣に乗り、死体は運搬用の騎獣に括り付け、我々も航行路オアシスへと退避しようとした矢先だ。
退却路上に新たな魔獣湧出地が発生した。しかも飛行種だ。陸路は狼型と鮫型が群れを成しこちらを狙い、空すら猛禽型に覆われつつあった。
この魔獣発生率の高さこそがこの地域が魔獣支配圏となっている所以だった。人間がどう足掻こうとも圧倒される物量の魔獣頭数。それが目前の空と大地を埋め尽くそうとしていた。
―――飛行種湧出地さえなければ、まだ陸路は魔獣頭数が少ない。生き残った団員達の実力なら、航行路オアシスまで退避可能だ。湧出地を一瞬で消し飛ばす方法さえあれば。
思いつくのは、かの有名なバルリング辺境伯領地魔獣戦線における有事の『ノイス侯爵家の人柱』戦法ぐらいだった。
―――仕方がない。まだルドヴィカ様を見つけられていないのが心残りだが、どのみち何時かは彼女も軍神の御許に来るだろう。先に逝って待っているとしようか。
「ルーベン、あとは」
まかせた、と負傷して片腕の無い副団長に告げようとした時だ。
「ハルト」
彼に台詞を遮られるのは二回目だった。一回目は初対面のときだ。
随分と長い付き合いになった平民傭兵は、魔獣を切り捨てるのに使っていた大剣を投げ捨てて、耳元にある白銀色の宝玉式通信具に片手を当てた。
聞き慣れた声の一斉通信が耳元から流れる。
「おい、お前ら、これから見るもののことは忘れろ。もし覚えていて他人に一言でも漏らせば、せっかく拾った命が無駄になるぞ」
そうして彼が天に掲げた片手で練った魔力が形成したのは、見たこともない巨大な魔術陣だった。精緻な魔導回路が刻まれた攻撃魔術は、隅々まで膨大な炎の魔力で満たされて、爆発するかのように一直線に火柱を噴いた。
***
一瞬で消し炭となった飛行種の湧出地跡を、団員達と騎獣で駆け抜ける。凄まじい威力だ。ヴァッレン帝国の高位貴族で、ここまでの攻撃魔術が使える者が何名いるだろうか。
「……ぼうっとしてんな! 全員、全力で走れっ。殿は俺と団長で守る。エウレカッ。先頭は任せた、活路を開け。元王位継承権者の実力を見せてやれっ」
「王族使いが荒いんだよ、この平民詐欺野郎! こんの、人誑しのチャスズメがぁっ」
吠えるように副団長補佐のエウレカが答える。彼女は短い銀髪をかき上げて赤い瞳を爛爛と光らせると、各団員に指示を飛ばし始めた。生き残った団員は折り紙付きの実力者ばかりだ。見る間に邪魔な魔獣が駆逐されて、退路が開かれていく。
後を追ってくる魔獣を土魔法で足止めしつつ、横で騎獣を駆るルーベンを見やる。
「脇見してんな。湧出地は吹っ飛ばしたが、それまでに発生した奴らは健在なんだから、な」
警告と共に放たれた風魔術が、団員を襲おうとしていた鷲型魔獣の頭部を貫く。一撃で絶命させる、その魔術の精度と威力。魔獣の死体を騎獣で跳躍しつつ、頼もしい相棒に笑いが零れた。
「やれやれ、見せ場を取られたな。またお前の信奉者が増えるのか、『人誑しのチャスズメ』」
「うるせぇ。誰が言い出したんだ、その二つ名。意味が分からねぇ。……一人でも多く仲間を連れて帰るんだろ、団長サマ。その一人にあんたも加え忘れんじゃねぇよ。おかげで奥の手を披露する羽目になっちまった」
団長がいなかったら問題児ばかりのうちの団を誰がまとめんだ、と憎まれ口を叩く副団長に、思わず渾身の土魔術攻撃を周囲の魔獣に放ってしまった。
口蓋を土柱に貫かれて絶命した魔獣達の間を縫うように走りながら、ハルトは茫然として呟いた。
「……今のは、ルドヴィカ様が心にいる私でも危なかったぞ、ルーベン。そんな風だから、あんな二つ名がつくのだろう」
なんのことだ、という顔をする『人誑しのチャスズメ』こと茶髪の平民傭兵ルーベンに、方向性が違うだけで『魔性のクロツグミ』と同じくらい性質が悪いのではないか、と唸った『放浪侯爵』エアハルトだった。
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***【閑話本編】『魔性のクロツグミ 人誑しのチャスズメ』【前書:ハルト視点、本編・後書:ルーベン視点】***
「できるだけ短期で高額な仕事を探しているのだが」
よく通る声だった。人に命令することに慣れている人間のものだ。それこそ、魔獣戦線にいる指揮役の高位貴族みたいな。
そこまで考えてルーベンはカウンターを振り返った。まず目に入ったのは長い紺色の髪だ。腰まである長髪を一本にくくった青年が、受付嬢が依頼台帳を捲っていくのを静かに見つめている。行儀の良い大型犬のような、滲み出る育ちの良さと静かな迫力のある人物だった。
―――おいおい、ここは傭兵ギルドだぞ。
木製ジョッキの黒ビールを片手で呷ってルーベンは内心呟いた。明らかに場違いな人間だった。
傭兵ギルドに所属する傭兵というのは、大体が金目当ての平民だ。明日魔獣に喰い殺されてもいいから、実入りの良い仕事がしたい、学も身分もコネもない荒れくれ者の集団なのである。
極僅かに元王侯貴族もいるにはいるが、変人奇人ばかりだ。貴族社会に馴染めない変人、死ぬまで魔獣を討伐したい復讐者。帝国貴族にならなかった理由はそれぞれだが、まっとうな人間と呼べる人物は、果たして何人いるものか。
そんな、平民としても元王侯貴族としても『まっとうではない』人間達の巣窟に、まったく馴染んでいない新人傭兵が、不慣れな様子で仕事の斡旋を受けようとしている。恐らくは貴族階級出身。それも相当高位そうな、真人間っぽい青年が。
これ以上の酒の肴があるだろうか。いや、ない。
考えることは皆同じなのか、周囲で酒盛りしていた者達も自然と話を止めてカウンターの青年を見守る態勢になっていた。珍しいほどの沈黙が傭兵ギルド内に落ちる。聞こえてくるのは受付嬢の淡々とした説明だ。
「ハルト様の傭兵ランクですと、こちらの三件がオススメとなります。一番高額なのが黒鶫商会の護衛三か月です。
日当の他に各種手当があり、例えば道中必要な装備の購入代補助が出ます。また、事前の魔獣支配域のルート・出現魔獣説明があり、行路での働きが良ければ往路の契約更新が可能です。
応募要項上、帝国内での魔獣討伐経験が豊富であれば、他生存圏への商団護衛初心者も歓迎となっています。如何でしょうか」
―――おい。おいおい、クロツグミってまさか。
嫌に聞き覚えのある名前だ。周囲の傭兵仲間に視線をやれば、目が合ったヤツが頷いてみせた。案の定の厄ネタである。それも、傭兵事情に詳しくない新人で、なおかつ顔面偏差値が高い男性傭兵限定の。
どうやらこの新人傭兵殿は中々にイケメンらしい。後ろ姿しか見えねぇけど。
ハルトと呼ばれた青年傭兵は受付嬢から許可を得ると、薦められた依頼書を持ち上げて読み始めた。文字が読めるのか。
依頼書は簡易で定型な文言が多い。それ抜きにしても迷いなく文章を読み進める姿に、一定以上の教養を持つ貴族階級出身であることに確信を持つ。
恐らく高位の貴族階級出身。偽名か簡易化した名が『ハルト』。紺色の髪。『常春クロツグミ』に紹介される端正な顔立ち。役満である。
―――め、めんどくせぇぇ。
小麦色の短髪に覆われた後頭部をガシガシと掻き、黒ビールのジョッキを呷って空にする。
深く溜息を一つ。そっと酒場椅子から重たい腰を上げた。
***
「これを」
依頼書を受付嬢に返して、依頼を受けようとしていた青年の肩に後ろから腕を回した。
「おーう、ハルトっ。ひっさびさじゃねぇか。ちょっと、あっちで飲もうぜぇ」
振り向いた御尊顔は予想通りのイケメンだった。その瞳は藍色。メールスの藍である。イェイ、大当たりだぜ。ああ、面倒くせぇ。
高位貴族であることが確定した青年の口を強引に覆って、受付嬢に詫びる。すまんが、このカモは譲ってやれない。カモがクロツグミに喰われんのを見捨てたとバレたら、俺が可愛い家族に怒られちまう。
「わりぃ。こいつは俺が先約なんだ。その依頼は別のやつにすすめてやってくれ」
受付嬢は、俺の顔と胸元で光る等級証にチラリと目をやり、カウンターに広げられた複数の依頼書を台帳に戻し始めた。
「了解しました。またのご利用をお待ちしております」
そのまま青年の腕を引っ張って、ギルドの端にある酒場に戻った。もといた卓がまだ空いていたので、その向かい側に青年を強引に座らせて、自分も元の椅子に腰かける。うるさい周囲の視線を手を振って追い払い、今度はエールを二杯注文したところで、それまで黙っていた青年―――ハルトが口を開いた。
「それで、どういう事情なのか説明して頂いても宜しいか」
はいはい。お噂通り頭の回転の速いこって。状況から俺の横槍が助け舟で、自分が厄ネタに巻き込まれかけたことに気付いてるって、さすがは元メールス侯爵閣下ってとこだな。
「お前さん、ケツを掘らされかけてたんだよ」
数秒の沈黙。その後に、震える声で美青年は問い返した。
「……掘られるのではなく?」
だよなぁ。そう、思うよなぁ。
「いんや、掘る方だ。黒鶫商会長っていやぁ、稀代の男色家メーカーって有名なんだよ。
なんか、とんでもねぇ名器で、一度抱かせた男は全員虜になるんだと。二度と女を抱けなくなるのは勿論、クロツグミの味が忘れられねぇってんで、あんた、あのままだったら傭兵を止めて専属護衛に転身する羽目になってただろうな」
嘘だろ、という顔をした青年に、エールを持ってきた給仕係が頷いてみせる。
「マジっすよ。しかも、あの商会長チビデブハゲなんです。誘惑に負けてウチの店を辞めてアッチの商会に移った先輩が言ってました。『人は見た目じゃねぇ、中身だ』って」
木製ジョッキを受け取りながら、顔馴染みの店員に一応警告してやる。
「それ、使い方間違ってるからな」
へいへい、毎度あり~、とエールの代金を受け取って去っていく店員を見送って、固まったままのハルトの目の前で手を振る。
「おい、大丈夫か」
「……失礼した。馴染みの無い世界だと身構えていたつもりだが、想像よりも覚悟のいる業界なのだな、傭兵というのは。このようなことが日常茶飯事なのか」
とんでもない誤解である。周囲で聞き耳を立ててた傭兵仲間が、あちらこちらで吹き出している。おいこらやめろ。「俺達全員経験済みだと思われてるんじゃぁ」とか呟くの。
さっさと誤解を解けという周囲からの圧力を感じつつ、ルーベンは溜息をついた。
―――めんどくせぇ。テオフェルの頼みじゃなけりゃぁ、ほっといたんだがなぁ。
『ダチの騎士がエアハルトっていう行方不明の元侯爵を心配してんだ。なんか学生時代の後輩らしくて。見かけたら教えてくれねぇか、五番目の兄貴』と可愛い弟が珍しく通信を入れて来たのが昨晩だ。タイミングがいいんだか、悪いんだか。
酒のツマミに頼んだ赤牛ジャーキーを嚙み千切ろうとして苦戦している元貴族に「そいつは指で割いてから食べるんだよ」と実演して見せつつ、庶民傭兵は嘆息した。
―――見捨てて魔性のクロツグミに喰わせたら、怒るよなぁ、テオ。
***
始まりこそ、元とはいえ高位貴族に関わることを煩わしく思ったわけだが、付き合ってみればハルトは素直でいい奴だった。なんだかんだで放っておけず、こいつを旗頭に傭兵団なんてものを作ってしまう程度には気に入ったわけだ。
―――まあ、そんな腐れ縁も今日までだ。
帝都傭兵ギルド本部に部屋を借りている放浪侯爵傭兵団の事務所に入室すれば、ハルトが書簡を事務官に渡しているところだった。うちの団も随分と出世したものだ。
「さっすがマメだな。モテる男は違うね」
「先日の竜種湧出地での戦闘報酬がバルリング次期辺境伯夫人から入金されたんだ。随分と色を付けてくれている。早めに礼状を送って次の依頼につなげるべきだと教えてくれたのはお前だろう」
そうだったか? と首を傾げつつ、放浪侯爵傭兵団長であるエアハルトに折りたたんだ書状を差し出す。
「なんだ? ……は?」
書状を開いたまま固まった団長に、同じ部屋にいた傭兵達が群がり、同じように動かなくなった。ヒラリと指をすり抜けて床に落ちたのは『退団願』だ。
大事な場面では書面を残すというルールを決めたのは団長のハルトだった。貴族らしい発想だが、確かに揉め事回避に有効だ。
おかげで、難民や貧民出身の新人団員全員に帝国語の読み書きを教える羽目になった。最初は傭兵ギルドの有料講習会に参加させようとしたんだが、そもそも仕事で国外に出ることが多くて進みが悪く、結局戦闘の合間に俺とハルト、その他のできる奴で個別に学習させる体制に落ち着いた。
なんか、最終的に貴族の依頼主への礼儀作法とか、言語や文化が違う他生存圏の傭兵と共闘するコツとか、食べられる野草講習とか、他の傭兵団じゃ聞かねぇ、各団員持ち回りの学習会みたいなのが定期開催される変な傭兵団になった。
そのせいなのかどうなのか、団員同士の仲が良くて、居心地の良い場所だってんで長居しすぎたんだよなぁ。
「団を抜けるわ、俺。お前ら全員、元気でやれよ」
そのまま出て行こうとして、慌てた声に呼び止められる。転びそうな勢いで執務机から駆けてきたハルトが両肩を掴んできた。
「わ、わたしの何が悪かった。言ってくれ、直すから」
「おい、俺はお前の恋人でも奥でもねぇぞ。語弊があんだろ。ヤメロ」
お前こそ茶化すのはやめろ、と真剣に返す団長に、副団長であるルーベンは肩を竦めて見せた。
「仕事は補佐のエウレカが引き継げる。お前は傭兵団長として一人前になったし、もう俺が先輩風を吹かせて手助けする必要が無ぇ。副団長の椅子に座ってるだけのおっさんなんぞ、いなくなっても特に問題ないだろ」
つーわけで他に移るわ、と片手を挙げれば、抗議の声が四方八方から上がる。思っていたよりも団員達に慕われていらしい。それは嬉しいんだが。
どうしたものかと後頭部をガシガシ掻く。
「おい、毛根が痛むからやめろって言ってんだろうが、自称役立たずのおっさん」
副団長補佐のエウレカに叱られて手を止め、ハルトに眉を下げてみせた。
「つっても、もう『次』が決まってんだよ」
どこだ、とドスの利いた声でエアハルトが尋ねるのに、ヘラリと笑ってルーベンが返す。
「バルリング次期辺境伯夫人の私兵団長」
室内にもう一度、団員達による驚愕の声が響いた。
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***後書『そんな餌で釣られクマー』***
「うわっ。あっぶねぇ。踏むところだっただろうが、お前ら」
死屍累々と横たわった弟二人に、許可を得て入室したルーベンは目を瞬かせた。絨毯に懐いている年少の方の横にしゃがみこみ、声を掛ける。
「生きてっか、エデル」
「もう、無理、です。お許しください女王陛下……」
お、ちゃんと言葉遣いが丁寧になってんじゃねぇか、偉い偉いと雑にその頭を撫でて、講師役のリオンに持ってきた書類を渡しながら礼を述べた。
「愚弟へのご指導に感謝申し上げます、女王陛下。……んで、これがうちの傭兵団からリオン殿の私兵団に派遣として回す予定の人員名簿な。いやぁ、ほんとスンマセン。籍は傭兵団に残したまま、リオン殿の私兵団長をするなんてアホみたいな話になっちまって」
ずらっと並んだ名前と簡単な経歴に目を通しつつ、リオンは手を振って構わないと返した。
「絶対に裏切らない戦力が欲しいと無理を言ったのはこちらよ。どんな形でも力になってもらえて助かるわ」
それにしても、と片手で口元を隠して彼女はクスクスと笑い声を零した。
「貴方を移籍させないでほしいと団長本人に直談判されたのには驚いたわ。愛されてるわね、『一番の親友で、大事な片腕の副団長』さん?」
放浪侯爵傭兵団において副団長であるルーベンがどれほど重要な人物かを熱く語った団長の台詞で揶揄えば、当の本人は勘弁してくれ、と頬を掻いた。
***
「……つまり、放浪侯爵傭兵団は副団長であるルーベンを手放したくない、ということ?」
茶器を片手に首を傾げたリオンに、団長のエアハルトは強く頷いた。
「はい。我が団にとってルーベンは欠くことのできない仲間です。私にとっても一番の親友で、大事な片腕なのです。約定違反金は私が用意します。その他に条件があれば、なんなりとおっしゃって下さい。どうか今回の私兵団長職のお話は、無かったことにしては頂けませんでしょうか」
真剣な表情で頭を下げるエアハルトに、リオンは茶器を受け皿に置いて頷いた。
「分かったわ」
顔を上げた彼に、にっこりと微笑んで彼女は片手を差し出す。開かれた掌には、先に指から抜いておいた指輪があった。その台座には主級の赤竜の魔獣石から作った宝玉が輝いている。ちなみに、これ一つで帝都にある貴族街に広い庭付き一軒家が建てられる。
「手付金はこれで足りるかしら」
意味が分からない、という表情のハルトに、次期辺境伯夫人はついでとばかりに複数種の宝玉が連なる腕輪を外して、追加と言って彼の前に置いた。こちらは広い庭付き一軒家どころか、小規模であれば城が建てられる代物だ。
先日の蘇生生還組の各親族から礼として贈られた品々を惜しげもなく差し出して、リオンは不敵に笑った。
「貴方達『放浪侯爵傭兵団』をバルリング辺境伯家の紋章付きに推挙します」
傭兵団の箱買い宣言である。副団長一人がダメなら全員引き抜けばいいじゃない、と何処のフランス王妃だと言いたくなる台詞が放たれた瞬間だった。
蛇足だが、団長のエアハルトは目を剥き、渦中の副団長ルーベンは「流石女王陛下。我々の予想の遙か彼方の解決法だぜ」と乾いた笑いを零していた。
***
傭兵団を紋章付きにするとは、貴族家が実力を認めた傭兵団に出資して後見となることだ。
何か問題があれば、出資者の貴族が責任をもって対処することになっており、紋章付き傭兵団は、言ってみればプレミアム付の傭兵団となる。その分だけ依頼料は通常より高い。しかし、傭兵団としてのレベルの高さを貴族が保証しているとあって、資金力のある貴族や商人が好んで使うため、紋章付き傭兵団ともなれば仕事に困ることが無くなる。
貴族側のメリットは、傭兵団からの見返りだ。
通常、傭兵団は紋章付きにしてもらった貴族へ依頼報酬の一定割合を渡したり、当該貴族家領地の魔獣討伐に団員を派遣して戦力を提供したりすることになる。
ただし、傭兵団が問題を起こした場合、その責が後見貴族に及ぶとあって、傭兵団への紋章付きには慎重になる家が多い。
そして、エアハルトは『放浪』の所以となった出奔で侯爵家や辺境伯家の顔に泥を塗ったことになるため、その両家に睨まれる可能性があるとあって、実力はあれども『放浪侯爵傭兵団』に紋章を付ける貴族はいないだろうと言われていた。
一応、傭兵団として活動する中でメールス侯爵家ともバルリング辺境伯家とも和解済みではあるものの、未だに気まずい関係だ。
さて、そんな前提の元で考えてみよう。
この女王、次期当主夫人という立場でしかないのに、当主の許可も得ずに、過去に当主に後ろ足で砂をかけて婚約者探しの旅に出会た傭兵団長に、勝手に紋章付き宣言をしたわけである。
大丈夫なのか、これ、とルーベンが心配したのも無理からぬことであった。
***
「大丈夫よ。義姉様を蘇生した礼はどんなことでも構わないから望むようにと義父様から言質はもらっているもの。何にしようか迷っていたけれど、ちょうどいいから、貴方達『放浪侯爵傭兵団』への紋章付きをお願いすることにするわ」
今回、バルリング次期辺境伯夫人であるリオンが放浪侯爵傭兵団に求めた見返りは二つある。
一つは、副団長ルーベンの私兵団長としての貸し出し。そして、もう一つは、バルリング辺境伯家所属騎士の傭兵団への派遣だった。
「うちの領地の戦闘難易度を私が下げてしまったでしょう。一部の戦闘狂が暇を持て余して困っていると報告が上がっていたの。傭兵として思う存分に魔獣討伐ができて、しかも騎士の身分では中々できない他の人類生存圏での魔獣との戦闘経験が積めるとなれば、きっと皆喜ぶのではないかしら」
彼女の読みは大当たりだった。
応募者多数で、最終的に公平を期すために抽選まで行われる騒ぎになった。厳正なる抽選の結果、選ばれし騎士達が入室した傭兵団事務所に沈黙が落ちる。
「傭兵業は不慣れなため御迷惑をお掛けすることもあるやもしれませんが、どうぞご指導宜しくお願い申し上げます」
元メールス侯爵であるエアハルトは、見覚えのある女性騎士に痛む頭を抑えつつ尋ねた。
「どうして貴女がここにいらっしゃるのですか、アデリナ様」
バルリング辺境伯家長女アデリナの姿がそこにあった。皇太子妃に内定した結果、皇弟の家臣にしていては体裁が悪いと実家の辺境伯家に返品されていたのだ。まだ正式な婚姻を結んでいないため、確かに彼女は身分としては辺境伯家の騎士となる。そして、魔獣狩り大好き人間が、こんな餌に釣られないはずがなかった。
果たしてそこまで予想していたかは、女王にしか分からないことだ。
「おい、女王陛下。オタクの義姉が派遣騎士として押しかけて来たって苦情が団長から入ったんだが」
泣きが入った通信を受けたルーベンが問いかけるように次期辺境伯夫人を見やれば、そっと視線が逸らされた。予想外だったらしい。