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16:Life is like a cup of tea.【前書・後書:長兄視点、本編:主人公視点】

***前書『水魚之交(すいぎょのまじわり)を結ぶ』***


「そう。なんだか最近周囲を探られていたのは、私が貴方のお母様と同じ、産み腹信仰の【母体】ではないか、貴方の弟を害する存在ではないか、それを確認したかったのね。そう、そういうこと。……沢山話してくれてありがとう。喉が渇いたでしょう。お茶を飲みなさい」


右手が勝手に持ち上がり、口縁の一部が欠けた茶器を掴んだ。引き結ぼうとした唇も、器が当てられると自然と開き、得体の知れない液体が喉に流し込まれていく。


味だけならば何番煎じかも分からない限界まで薄まった紅茶だが、何を混ぜられているかも分からない代物だ。普段の自分ならば、どうとでも相手を誤魔化して飲まずに済ます。だが、それができない。


―――油断した。


内心で歯ぎしりする。どのような【異能】かは知らないが、体の主導権を奪われた。


帝都の神官居住区をうろついていた時のことだ。背後からの声に振り向けば、白髪の老婆がいた。ボサボサした前髪の隙間から覗いた碧色の瞳がこちらをじっと見つめて、かさついた唇が小さく動く。見目よりも若く感じる声だった。


『従え』


ただ一言だった。


だが、それだけで十分だったらしい。気が付けば、女の命じるままに粗末な部屋まで付いていき、椅子に腰かけさせられ、質問全てに答えさせられていた。舌を噛み切ってでも抵抗しようとしたが、指先一つ己の意思に従わない。完全に体の自由を奪われていた。


―――どうする。こちらの情報を抜かれた。……弟達に危害が及ぶ前に、この女を始末しなくては。たとえ、この身を……。


「駄目よ」


凛とした声が室内に響く。『命令』と判断したのか、己の手が茶器を卓上に戻す。遮るものがなくなった視界の向こう側で、背筋を伸ばした女が此方を無表情に眺めていた。


「ろくでもないことを考えていたでしょう。私は息子が立派な大人になるまで死ぬ気はないし、その息子が懐いている先輩神官の兄君を自害させるつもりもないの」


さて、じゃあ、と彼女は口角を上げた。引き上げられた赤い唇から白い犬歯が覗く。ギラリと光るそれは、獲物を仕留める側の牙だった。


「貴方には、私の下僕になってもらいます」


―――だめだ、逃げられない。弟達だけでも逃がさなければ。だがしかし、一体どうやって。


蒼白となった私に、最初に女が命じたのは服従の宣言だった。


「では、まず私の言葉を復唱しなさい。『私ルドルフは女王リオンの配下となることを誓う』」


言われるがままに臣下の誓いを立てれば、全身を衝撃が走る。痛みではない。むず痒さに近い、体を構成する要素全てが組み代わるような未知の感覚だった。椅子に座っていられず、床に崩れ落ちる。


暫く肩で息をしていたが、ようやく気持ちが落ち着く頃には体の自由が戻ってきていた。


「ステータスを色々と弄ったから、簡単に説明するわ。まず【魅了】耐性を上限値にしたから。ゼロにされていたのは、きっと教団の指示ね。【母体】の【世話係】に命令しやすいようにでしょう。今まで悪用されなくてよかったわね」


床にへたり込んだまま、魂に刻み込まれた主君を見上げる。覗き込む形になった前髪の奥にあったのは、想像していた老婆よりも若く美しい顔だった。その美貌を生かせば、難民上がりの平民にしても、もっといい生活ができたはずだ。


「貴方の職業は『宰相』よ。臣下の知略キャラとして頂点の地位をあげる。……自分でも分かるでしょう? 今まで以上に情報処理能力が向上して、世界への解像度が上がっているのことが。ようこそ、支配者階級の視界に」


彼女の言う通りだった。弟達に集めさせた情報群。その点と点がつながり、その裏側にある思惑や策謀が一つの線となって世界を再構築していく。生まれ変わったかのような、或いは天地がひっくり返ったかのような気分だった。


「……何が狙いだ」


唸るように声を絞り出した。未だかつてないほど冴えわたった思考が告げる。敵わない相手だ。目前の女性は稀有な異能を持つ高位の存在であらせられる。服従を誓った以上、隷属以外の選択肢はない。


だが、何故これほどの能力を私に授けたのか。それが分からなかった。


女王はキョトンと碧の瞳を丸めた。そのまま椅子から立ち上がると、床に膝をつき、私と視線を合わせる。ひび割れた唇から紡がれる柔らかな声が当たり前のように告げたのは、想像を超えた呑気な理由だった。


「息子が大好きな先輩神官のためよ。貴方に何かがあれば、先輩神官のテオフェル君が悲しむもの。そうなったら、きっと私の息子も一緒に哀しむわ。テオ君もあの子も優しい子達だから。


さっき初めて会った時に、テオ君のお兄さんであることも分かったけれど、同時に精神操作系の異能に対する抵抗力がゼロに()()()()()()()のに気付いてしまったから。


そのままにしておいては、ろくなことにならないと思ったの。別に忠臣になんてならなくていいけれど、せいぜいステータスを活用して長生きして、テオ君をよく見守ってあげて頂戴」


そう言って彼女はホケホケと笑った。そこに嘘がないことを、その声音と表情から『宰相』として与えられた解析能力が肯定する。信じられない理由だった。私の知っている『他人』は、誰も彼も己の利益のために動く、他者など踏み台か生きた駒としか思っていない人間達だった。


そして、それは私も同じだった。


信じるのは、大事なのは、母親と弟達だけ。母親は神の身許に逝ったから、もう私に残されたのは弟達だけだ。彼らの健やかな成長と幸せな未来、それだけが私の願いだった。


―――神など、滅んでしまえ。


産み腹信仰に最期まで囚われた母親の背に、何度神を呪ったことだろう。だが、彼女の根幹を為す思想を、生まれた瞬間から染みつけられた信仰を、最期まで否定することはできなかった。私は、神が、それに縋る人間が、嫌いだ。


けれど、もし。


「この前、戦地から帰って来た時に息子のレオンがお土産に地方菓子をくれたの。中に練り込まれた干し葡萄が美味しいのよ。よかったら一緒に食べましょう」


もし、本当に神がいるとしたら。


「さあ、立ち上がって」


それが人の形をしているのならば。


「一緒にお茶でもしながら、今度は二人でおしゃべりをしましょう」


きっと、この女性(ひと)のように笑うのだろう。


―――こんな風にお人好しな、優しい女王(かみさま)ならば。


とりあえず敵ではないと信じてやってもいいか、と肩の力を抜く。片膝に手を付いて、よっこらせと立ち上がり、服に付いた埃を払った。


「その菓子でしたら、うちのテオも持ち帰ってきました。少し火で炙って温めてやると風味が増して、もっと美味しくなりますよ」


あら、本当? と嬉しそうな声を上げたリオンに、先輩神官の長兄ルドルフは目を細めた。窓から差し込んだ光が、初めてできた茶飲み友達を柔らかく照らしていた。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



【16話】本編:『Life is like a cup of tea.』【前書・後書:長兄視点、本編:主人公視点】



真っ白な空間で中空を指さし、操作画面をスライドさせていく。

狐神『お藤さま』は「愛し子よ、また会おうぞ」と尻尾をフリフリ帰っていった。


神様の結婚式への参列という、とんでもない予定ができてしまった。とてもダラダラする気になれず、とりあえず家族の様子でもみるかとバルリング家辺境伯領マップを起動する。


人員・魔獣・湧出地の展開を確認。戦況は良好で問題なさそうだ。タグ付けした親族の位置を確認して二度見した。


―――凄い速さで、ルイスが西に向かって移動している。これ、騎獣の限界速度では?


ノイス侯爵領はバルリング領の西側に隣接している。妻のリオンが無理をして倒れたと一報を受けた夫ルイスが、ノイス侯爵家本邸に突撃しようとしていた。


***


先程からポンッというポップアップ音が鳴り止まない。

冷汗が頬を伝っていく。


―――【国宝:皇太子妃のティアラ≪明星食いの鷲獅子≫ を獲得しました】

―――【魔獣に対する攻撃力が3倍になります】


―――【国宝:皇后の首飾り≪天上の冥花≫ を獲得しました】

―――【暗殺者への攻撃力が5倍になります】

―――【毒耐性が10倍になります】


リオンは、次から次へと連なっていく物騒な二つ名持ちアイテムの獲得通知に震え続けていた。


どうしてこうなった。


犯人は分かっている。獲得通知の横に展開したノイス侯爵家本邸マップ上で、現実のリオンが体を横たえている貴賓向け客室、そこにいる人間はただ一人だ。


眠り続ける妻を心配する夫―――ルイスの名が、マップ上で輝いていた。


まだ目覚めない私に()れて、宝玉を『使用』して起きるように促しているのだろう。確かに、眠りについてから恐らく三週間以上が経過している。


だが私だって、わざと起きないのではない。


『お藤さま』の名前を呼んだ時に魔力値と体力値が大幅に削られたせいだろうか。いつもよりも自然回復速度が遅く、思っていたよりも手間取っているのだ。本当だったら用意してくれた宝玉を有難く使わせてもらって、サクッと起き上がりたいところなのだが―――。


―――【国宝:皇太子の印章指輪≪払暁の春雷≫を獲得しました】

―――【選択可能な国家転覆モードがワンランクアップします】


―――【戦略兵器:超広域型攻撃宝杖≪灰燼の黄金竜≫を獲得しました】

―――【以下の近隣国家を消滅させられます】


ブルブルと震えて脂汗を流しながら叫んだ。

「いやいやいや、重いっ。責任とか感情とか価値とか、色々重い。とても使う気になれないっ」


夫ルイスからの無言の圧力が、獲得通知という形でリオンに降り注ぐ。


―――早く起きろ。起きねばもっと凄いヤツを追加するぞ。


使えば国宝破壊、使わなければ国宝漬けの刑。どっちも嫌だ。頭を抱えたリオンに救いの手が差し伸べられたのは、それからしばらく後だった。


***


―――【装飾具:腕輪(準主級の赤竜の宝玉3個付)を獲得しました】

―――【アイテムを使いますか? ▼YES ▼NO】


「イッ、イエス!」


ようやく手頃な価値のアイテムが提示された。突然もたらされた救いの手にリオンが飛びつく。どんどん上がっていたハードルが突然下げられたのだ。どんな気まぐれかは知らないが、これを逃すわけにはいかなかった。


―――【アイテム『準主級の赤竜の宝玉』3個を使用】


―――【魔力値30%回復】

―――【体力値20%回復】

―――【アバターを再起動します】


カッと碧眼を見開いて彼女は叫んだ。

「つ、使えるか! ……ぅ、げほっ」


起きてすぐに大声を出したからか、(むせ)こむリオンに慌てて夫ルイスが近づいてきた。伸ばされた手に宝杖≪灰燼の黄金竜≫を突き返す。彼が受け取ったのを確認して、起きて早々に全身の装飾品を丁寧かつ迅速に外していった。


途中からノイス侯爵夫人に手伝ってもらって、どうにか全てを外し終わったリオンは、寝台の上に並べられた宝飾品の多さに眩暈を覚えた。


皇太子妃のティアラ、皇后の首飾り、皇太子の印章指輪に、なんと皇帝の宝冠までもが寝具の上で燦然と輝いている。その他も国宝級とまでは言わずとも十分に高価な品々だ。


眩い金銀財宝から少しでも距離を取ろうとして、寝台から落ちかけた彼女をルイスが抱き上げる。無造作に床へと投げ出された宝杖に思わず悲鳴を零して、リオンは夫に縋りついた。


「はっ、発動したら帝国半分が吹き飛ぶ兵器を投げないで!」


何を考えているの、と抗議する彼女に、極上の微笑みを浮かべたルイスが答えた。

「あの程度の衝撃ならば大丈夫ですよ。安全装置がありますから」


敬語だった。


リオンの額を汗が伝う。恋人関係になって以来、公的な場所以外では砕けた口調になっていた彼から久々に聞く敬語には本気の怒りが滲んでいた。


「何を考えているのか、はこちらの台詞でしょう。姉上達の件は感謝しています。ですが、何の相談も無かったこと、その後の長期間の意識不明状態を事前に分かった上で実行したことに関して話があります」


胸元に抱き上げられているから、その米神に浮かんだ青筋がよく見えた。


―――こ、これは超ロング説教コースっ。


次期辺境伯ルイスによる苦言は、寝台の上にある国宝達にしれっと混じった、先程まで()()()()真珠色に光り輝く書状をリオンが指さすまで続いた。



***



「やり過ぎた……。なんか『なんだこの平民の小僧』って顔をされたのが、すんげぇムカついて」

「あらまぁ、そうなの」


なめられていると思ったら即威嚇って、田舎のヤンキーみたいね、とも言えず、リオンは無難に相槌を打つ。


帝都のノイス侯爵家本邸に滞在中の彼女は、貴賓向け客間の応接室にいた。


ヴァッレン帝国の軍神神殿に例の書状に関して相談したところ、上を下への大騒ぎとなり、とりあえずの帝都での待機を命じられたためだ。


ちなみに帝都に向かう辺境伯家所有飛竜の背中で二人きりになった時にルイスがした『仕置』に関しては記憶を封印することにしている。逃げ場のない場所で怒らせた夫と二人きりには二度とならないと誓ったリオンだった。


***


本来ならば帝都の辺境伯家本邸に滞在するべきなのだが、ノイス侯爵家本邸に居候させてもらっている。既に皇弟が臨時の執務場所として離宮代わりに使っているため、宮殿並みに警備が厳重な場所として預けられることになったのだ。


それもこれも、奇跡の死者蘇生でリオンを狙う人間が爆発的に増えたためだった。


だから言ったでしょう、と呆れたように出迎えた皇弟テオフェルに、反省はしているが後悔はしていない、とリオンは反射で胸を張り、慌てて後ろを振り返った。完全に形式美として答えたが、聞かれると不味い人物がそこにいた。


遅かった。


再び青筋を浮かべたルイスと『お話』をしてぐったりとした彼女は、与えられた貴賓向け客室で大人しくしていることを厳命されたのだった。



***


ルイスが軍神神殿との打ち合わせに出かけて暫く後に、侍女を通して皇弟の訪問が打診された。貴賓室に隣接している応接間で彼を出迎えれば人払いを求められ、ホイホイと侍女を下げて暫く後、壁が歪んで中から少年が出てきた。


見覚えのある少年だった。皇弟テオフェルの異父弟だ。話は既に通信具で長兄のルドルフ様から聞いているわ、と長椅子に一緒に座るように促す。


「初めてお父様にお会いしたのだもの。緊張したのかもしれないわね」


この子は平民時代からの顔馴染みで、度々頼み事をする仲である。


主に彼の長兄との連絡役をしてくれている、どこにいても周囲に紛れられる凡庸な平民の少年。窓辺に来てパンくずをねだる小鳥のように可愛らしい、リオンにとって愛すべき存在だ。


窓越しの太陽の光が、少年の小麦色の髪をキラキラと輝かせていた。ゆっくりと頭を撫でてやれば、そばかすの浮かんだ顔がそろりと持ち上がる。少し赤くなったその目元を絹のハンカチで拭い、両頬に手を添えて笑いかける。


「エデル君はとってもいい子だもの。きっと次はお父さんと仲良くお話しできるわ」

よしよし、ともう一度頭を撫でてやり、彼女は小さな丸テーブルにある、温かい紅茶の入ったポットを手にした。下がる前に侍女に用意させたものだ。


「美味しい紅茶と焼き菓子があるの。それを頂きながら、何が悪くて、次はどうすればいいか。二人で考えましょう」


テーブルを挟んだ反対側で紅茶を啜りながら二人を眺めていた皇弟テオフェルは、うちの弟、猫かぶりばっかりが上手いマダムキラーになりつつあるんだが、大丈夫かこれ、と心の中で教育係の五番目の兄にツッコミをいれていた。リオンは知る由もないことだが。


ちなみに、想像上の兄は『可愛ければそれでヨシッ』とサムズアップしていた。彼の兄弟育成における基本方針は『褒めて育てる』である。



***



「おい、チビ助。お前が突然戦闘を始めて直ぐに皇族謹製『障壁』を張り巡らせて、部屋が壊れたり、外部に音が漏れないようにしてやったのは誰だと思ってやがる。素晴らしいお兄様になんか言うことがあるんじゃねぇか?」


テオフェルが行儀悪く片肘をテーブルについて言えば、エデルはちらりと兄を見た後に、しぶしぶといった表情で口を開いた。


「チビじゃねぇもん。……ありがとう、テオ兄」


あら、ちゃんとお礼を言えて良い子ね、と女王が微笑むのにエヘヘと笑い返す少年。そのあざとさにテオフェルが顔を引き攣らせたことに気付かず、リオンはそのまま彼にも微笑みかけた。


「テオ君も、ちゃんとお兄ちゃんをして良い子ね。さすがルドルフ様の自慢の弟君達だわ」


いや、それなんですけど、とテオフェルは良い機会だと尋ねた。

「いつから兄貴と知り合いなんですか」


あら、言ってなかったかしら? と小首を傾げてリオンは答えた。


「テオ君が初めて遊びに来た次の日に、()()貴方の五番目のお兄様にお会いしたの。それで、うちの子がお世話になっている先輩神官のお兄様でしょう? ご挨拶をしたら、その日のうちに長男だっていうルドルフ様を近所で見かけて声をかけたの」


テオフェルが額を抑え、エデルが焦げ茶色の瞳を丸くした。

「リオンさん、それ、多分正体を見破られたのを警戒して敵情視察に来たんじゃ」


おずおずと少年が指摘するのに、そうでしょうねぇ、とリオンは頷いた。


「私も最初はどうしようかと思ったけれど、とりあえず少しお話したの。それで、子育ての悩みなんかで意気投合して、それ以来ママ友になって色々と相談させて頂いたわ」


あまりの不用心さにテオフェルは、この人、警戒心をどこに落としてきたんだと頭を抱えた。


ちなみに万が一息子レオンに対して敵意があった場合、帝都地下にある廃神殿で『始末』するつもりだったリオンなのだが、幸運なことにその奥の手は今も静かに眠っている。


まあ、知らない方が良いこともあるよわよね。内心呟き、リオンは茶器を手に取った。そんな彼女に、皇弟テオフェルが「ちょっとは相手を疑った方が良い」と警告してきた。


「北方にある宗教国家が私を狙っているの? あらまぁ、大変ね」


明日の天気は悪いらしいくらいの軽さでリオンは首を傾げた。テオフェルは表裏に広く深い情報網をもっている。仲の良い兄弟達からもたらされる恩恵を、リオンにまでお裾分けしてくれる皇弟もまた、リオンにとって優しい良い子であった。


「もうちょっと緊張感とか持った方が良いですよ。女王陛下」

行儀悪くクッキーを頬張ったまま文句を言う彼に、女王本人はフフッと笑った。


「あら、だって。その国の間諜だったら、私が帝都の辺境伯家本邸に住まい始めた時には、もう潜り込んでいたもの」


ゲフッ、と焼き菓子を喉に詰まらせた皇弟に、背後に控えていた護衛ジギスムントが慌てて水を差し出す。それを(あお)って、彼は叫んだ。


「聞いてねぇんですけど!?」


そういえば言ってなかったわねぇ、と呑気にホケホケとリオンは笑い声をあげた。

「いいカモなのよね。欺瞞情報を流したり、他の間諜を炙り出したり、重宝しているわ」


元国家統治者たる『黒の女王』は、皇弟とその異父弟に静かに語り掛けた。

「テオフェル、大事な家族はどんな手を使っても守りなさい。エデル、明日があるかは分からない世の中なのよ。大好きな相手には、言うことができるうちに愛していると伝えなさい」


分かったかしら? と尋ねる元国家元首に、兄弟が気圧されたように頷く。それに満足気に微笑み、リオンは続けた。


「では、貴方達の長兄ルドルフ様からお願いされた、責任ある支配階級としての立ち振る舞いを本日から講義します。まずは行儀作法と言葉遣いから始めましょう」


反射的に抗議の声を上げた二人に、リオンは笑みを深めた。赤い唇から除く犬歯が竜の牙のようにギラリと光る。


「ノイス侯爵邸での騒動で随分とお心を痛められたそうなの。私達は獣ではなく理性と知性を持つ人間ですもの。暴力も暴言も、手段として用いるにしても最後の選択肢であるべきでしょう。


ルドルフ様から手加減無しで躾け直してほしいとお願いされているわ。御自身では、弟君可愛さに手加減してしまうと。


大事なママ友のお願いですもの。誠心誠意、骨身に染みつくまで叩き込んであげましょうね」



***



怯えを隠さずに震えあがる皇弟とその異父弟に、ジギスムントは『講義』の邪魔にならぬよう、一歩引き下がった。彼らの侯爵家での狼藉に関して、保護者ルドルフに抗議した本人だ。


―――思っていたよりも大事になったかもれない。


声なき悲鳴を上げる主人と弟君に、報告した(チクった)ことがバレないようにしよう、とそっと目を逸らした臣下だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



***後書『Blood is thicker than water.』***


茶飲み友達になって暫く後のことだ。


その日も、帝都の情報を裏表に渡って提供して、二人でその相関関係や今後の推移を議論していた。情報の分析は、より多角的であることが好ましい。為政者としての視点を持つ彼女の意見は的を射ていることが多く、今回も大変に参考となった。


一段落したところで、休憩がてら紅茶を入れた。今日の茶葉と茶菓子は私が持参したものだ。


「ところでリオン殿。お聞きしたいのですが」


用意した御茶請けは、『ハルヴァ』だか『ハルファ』だか、発音が難しい砂糖菓子だ。


五番目の弟は傭兵として他の人類生存圏を渡り歩いている。先日、荒原地帯にある人類生存圏を訪れた彼が、周辺国家における魔獣と人間の勢力図情報と共に持ち帰ったのは、口の中ですっと溶ける不思議な異国菓子だった。


「何かしら。ルドルフ様」


素朴な菓子で甘くなった口を、渋めに()れた紅茶で潤して、二人揃ってホウッと息をつく。帝都に関する情報の意見交換で疲れた頭に、糖分が染み渡るようだった。


「どうして王族としての保護を難民当局に願い出なかったのです。隠してはいますが、その美貌と稀有な異能、聡明な頭脳があれば、最低で高位貴族、運が良ければ、帝室への輿入れも望めたでしょうに」


硝子玉のように澄んだ碧瞳が私に向けられた。ゆるりとその目を細めて、彼女は窓の外に視線をやる。晴れ渡った空をゆっくりと白い雲が横切っていく。


「そうねぇ。貴方のお母様が最期まで平民であったのと同じ理由かもしれないわね」


リオン殿は普段、神官とその見習いたちの衣類を洗う洗濯婦として働いている。水仕事ゆえに荒れてひび割れ、血さえ滲んだ指先が、息子であるレオン神官の土産だという新しい茶器を撫でる。


「貴方のお母様程の教養と美貌を持つ御婦人であれば、まず貴族の愛妾には簡単になれたでしょう、その上で、篭絡した貴族を利用して低位貴族に養子入りして、正妻は無理でも貴族籍の第二夫人か第三夫人として生きていくことも可能だったはずよ。


だけど、お母様はそれをしなかった。


貴方の言葉を借りるならば、次から次へと男を代えて、平民として異父兄弟を産み続けた」


―――それは、どうしてだと思う?


質問に質問で返されて、私は瞬いて、薄汚れた天井を見上げた。


リオン殿が住まう集合住宅は平民神官とその家族向けのものだ。最低限の設備こそ揃っているものの決して住み心地の良い場所ではない。何不自由ない暮らしのできる王侯貴族としての暮らしを捨ててまで、欲しいもの。


―――平民にあって、王侯貴族にないもの。


脳裏に浮かんだのは、それぞれが平民として懸命に生きている弟達だ。帯同神官になった者、傭兵になった者、文官になった者、商人になった者。その行先は多岐にわたる。まだ私の庇護下にある年少の弟達も、目指す道に向かい日々励んでいる。


彼らが進み、また、これから進もうしているのは、彼ら自身が選んだ未来だ。


生まれながらに生き方が定められた王侯貴族には無い選択肢が、そこにはあった。


「……自由、でしょうか。あの空の雲のように、私達平民は、どこに行くのも何をするのも自由だ。勿論、全く制限が無いわけではありません。それでも王侯貴族に比べれば、我々は青空を飛び続ける鳥のように自由だ」


そうね、とリオン殿は頷いた。


「せっかく支配階級としての(しがらみ)から解放されたのだもの。自由に生きて欲しいじゃない。誰よりも何よりも愛している息子には」


もしリオン殿が異能持ちの王族として名乗りをあげていれば、彼女の息子もまた、王侯貴族としての恩恵の代償に多種多様な制限を受けていただろう。


窓の外を眺め続けている彼女の瞳には、その空の先、魔獣戦線にいる息子の姿が映っているのかもしれない。今この時も彼自身が持つ聖魔法を存分に戦場で発揮しているだろう、人を助けることを生きがいとする少年神官を。


息子レオンの人生だもの。あの子が望むままに、あの子が自由に生きていけるように。ただ、それだけよ」


大体、王族も貴族も面倒じゃない。こんな大帝国の皇族と関わるなんて真っ平ごめんだわ、と彼女は(うそぶ)く。


―――私の母も平民としての自由を愛していたのだろうか。……それにしても。


「弟が生きている者だけで十四名いるのは、さすがに多いと思いませんか。いえ、勿論どの子も変わりなく可愛い私の弟なのですが」


クスクスと機嫌のよい小鳥のような笑い声を上げて、彼女は告げた。


「あら、可愛い子供は何人いてもいいじゃない。それに、これは私の想像に過ぎないけれど、貴方達全員が貴方達自身への贈り物なのではなくて」


首を傾げれば、リオン女王陛下は、亡国の王女の遺児たる我々兄弟それぞれの能力を挙げ始めた。


「貴方の知略と幅広い属性への魔術適性、一番目の弟君の解析と創陣に優れた魔術適性、二番目の弟君の弓を始めとした武芸適性、三番目の弟君の防御魔術適性。他の子達も、各々異なる分野に優れた血統能力をもっているでしょう」


―――子供たち全員で仲良く助け合って生きていって欲しいと思ったのではないかしら。


お互いに土産を贈り合ったり、情報を共有して助け合ったり、こんなに仲の良い兄弟も珍しいと思っていたのよ、と女王がポットに追加の湯を注ぎながら呟く。


「血の鎖―――血族への情は、何よりも重くて深いものだもの。貴方のお母様からすれば、よすがの無いこの異国の地で、兄弟という味方を一人でも多く貴方達に遺したかったのかもしれないわね」


―――そう、なのだろうか。


俯いて考えこめば、彼女は小さな子供にするように私の頭を一撫でした。


「勿論、全ては私の推測に過ぎないわ。正解は何時かずっと先に本人に聞いてみなさい。できるだけ沢山のお土産話と一緒に、ずぅっとおじいちゃんになってから、ね」


一番の親孝行は、子供が長生きしてくれることなのだから、と彼女は目を伏せた。


差し出された茶器に映って揺らめく自分の顔を覗き込む。紅茶色の水面に映る瞳の色は、母と同じ新緑の若葉色だ。


頭を撫でられたことなど、親である彼女にもなかった。亡国となった祖国では、私は産み腹王女のための道具にすぎず、逃げ延びたヴァッレン帝国では生きることに必死で、子供らしい子供時代などなかったのだ。


母は、どんな思いで我々兄弟を見ていたのだろうか。最期まで『愛している』と我々兄弟の誰にも一度も言ってはくれなかった、あの人は。


―――そこには信者の『供物』への執着だけではなく、母親としての『子供』への情があったのだろうか。


首筋にある、かつて亡国で母親に付けられた刀傷を撫でる。そのまま深く思索に耽りそうになり、瞼を一度強く閉じて思考を切り替えた。女王も言っていたではないか。真実は、いつかの未来で本人に尋ねればよいのだ。


「私の頭を撫でる人など、貴女ぐらいのものですよ。まったく。これでも貴女より年上なのですが」


冗談めかして苦言を呈せば、リオン殿は追加の菓子を保存用の木箱から取り出しながら、当然のように返した。

「あら、貴方は茶飲み友達でもあるけれど、臣下でもあるもの。民草は、すべからく我が子も同然でしょう」


『宰相』としての洞察力など使わずとも、随分長くなった付き合いから分かる。この女王、本気でこの私を女王としての庇護対象に数えてしまっている。


これでも帝都の闇、その最深部に触れられる程度の人脈と実力を有している元王族の血統持ち成人男性なのだが。


―――これだから我らが女王陛下は。全くもって敵わない御方だ。


内心で苦笑しつつ、菓子を摘んで、茶を飲み、次の議題に移る。


「では、我が麗しの女王陛下。もう一頑張りして、帝都貴族の相関図をもうちょっと深堀りしても宜しいでしょうか。まずは北方の宗教国がどこまで浸食してきているか、です。宝玉流通と貴族間の婚姻関係、国家間の外交関係をみると……」


無知は罪だ。危険をそれと認識できないことほど恐ろしいものはない。そのためには情報を収集し、それを正しく理解して、対策を練る必要があった。


私には弟達という絶対に守りたい相手がいる。そこに変わりはない。変わったのはただ一つ。守る対象に、このお人好しな女王とその息子が加わった。ただ、それだけだ。


―――いつかのその先で、きっと私は母に話すのだろう。


窓から差し込む日の光に照らされた女王陛下を見つめる。私の問いに答えるため、思惟に沈むその姿は、かつて亡国の祭壇に描かれていた宗教画のように神聖なものに見えた。


―――貴女にとっての信仰のように大事な親友兼主君ができました、と。

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