13:資材は溶かすためにある。【前書:皇太子視点、本編:主人公視点、後書:皇弟視点】
皇太子としての執務の合間に、窓の外に広がる空を眺めるのが好きだ。
―――蒼穹のその先に眠る幼馴染にいつか話そう。
貴女の弟に、つまり我が友に婚約者ができた。というか、実は既に帝国法上では婚姻状態にある。
魔獣前線での戦闘中にバルリング辺境伯領の次期当主が『サリオン王国女王』から『王配宣言』を受けたという報告に、我が父たる皇帝は腹が捩れるほどに笑った。帝国滅亡の危機が、かの女王の参戦により、帝都の歌劇場で人気が出そうな恋愛譚に様変わりしたのが余程に可笑しかったらしい。
最終的に息も絶え絶えな様子で「うむ、よきかな」と呵々大笑して、その場で国教たる軍神神殿の教皇に通信を繋いだ。
通信具の先から、女性にしては低めの落ち着いた声音が流れ出す。当代教皇は我が叔母上で、つまりは父の一番目の妹だ。ちなみに、二番目の妹は現バルリング辺境伯夫人である。つまり、ルイスは二人にとって甥っ子ということになる。
「よろしく頼む」
「あの小さかった坊やに春が来たのか。これはめでたい」
国家と国教の最高指導者同士の会話は、トントン拍子に進んだ。というか、二人とも小さな頃から知っている甥っ子ルイスの恋物語を面白がっていた。
『殲滅教皇』の異名を持つ叔母上は、やると決めたら仕事が早く徹底している。魔獣戦線の邪魔になるもの全てを邪神教徒として血祭りにあげる彼女は、速攻で婚姻許可証を発行して印章を押し、バルリング辺境伯に飛竜便を送ったらしい。
ちなみに通常一年間はかかる行程である。慣例も慣習もガン無視した特使が、辺境伯領の戦場ど真ん中に飛竜ごと舞い降りて渡した許可証に、辺境伯は笑い過ぎて過呼吸になり、夫人たる伯母上は呆れたように額を抑えたらしい。
だから、当然と言えばそうなのだが――ー
「おい。俺はまだ婚約も申し込んでないんだぞ! こんなの、なんて言えばいいんだ。『皇帝である伯父上と教皇である伯母上が暴走して、俺達は実はもう結婚してます。はっはっはっ』とか、どう考えても最低の婚姻の申し込みだろうがっ」
怒らせたら怖いタイプの友人から苦情の通信が入った。婚約申し込み前に婚姻許可証を取るとか、先走りにも程があるし、お相手によってはドン引きだろう。ハードルが上がったと泣きが入っている彼を少し気の毒に思い、同時に羨ましくも思った。
―――私が婚姻を申し込みたかった相手は、軍神の御許で静かに眠っている。
***
耳に嵌めた黒色の宝玉から流れ出す恨み言を聞き流しながら、皇太子は山積みの書類に手を伸ばす。
国内外の密偵から届いた『サリオン王国女王』に対する他国の王侯貴族等の動向報告書である。辺境伯領に彼女が行く前、聖魔法の使い手の母体、或いは亡国の王族程度にしか認識されていなかった頃とは、比べようもない分厚さであった。
―――バルリング辺境伯領の次期当主夫人として貴族籍を与え、我が帝国の保護下にあると示したわけだが、もう一押し、牽制と保険をかけておいた方が良いか。
「おい、ルイス」
まだ続いている小言を遮って告げる。
「とっておきの結婚祝いをそっちに送るから好きに使え」
何を渡すつもりかを伝えれば、少しの沈黙の後に、幼馴染でもある親友は言った。
「いいのか」
―――『もう』いいのか、と尋ねる彼にわざと明るい声で返事をする。
「義妹のためだ。彼女もそちらの方が喜ぶだろうさ」
少し話した後に通信を切って、両耳に嵌めた黒の宝玉で作った通信具を久々に外した。立太子して以来使い続けているそれは、親交のある者達に私の象徴として知れ渡っている。
帝室の紋章が刻まれた宝玉は、元は主級の黒竜の遺骸から取れた魔獣石から作られたものだ。幼馴染の形見分けとしてそれを受け取った時の感情は、今でもこの胸の奥深くに渦巻いている。
―――いつか軍神の御許に召されたその時に、良い人生だったと幼馴染に胸を張って言えるように。
いつ死ぬか分からぬ世の中なのだ、心残りは少なく、がモットーの皇太子であった。
魔獣戦線から交代休暇で帰って来た婚約者を迎えに行った玄関先で、皇弟と護衛騎士が単騎討伐に行く行かないで大騒ぎをしていたのを鎮めたのは、戦線から帰還したばかりのお義母様だった。土埃と血の染みが付いたままの鎧姿で彼女は美しく微笑んだ。
「御託は結構。魔獣に言葉の刃は効かなくてよ。己が力で正義を示しなさい」
両者の足元に大剣を二本投げやり、私を倒せた方が正しいことにしましょう、と凄みのある笑みを浮かべる彼女に、男二人は震えあがっていた。結局、引きずるように鍛錬場に連れて行かれていたが、大丈夫だったのだろうか。
静かになった玄関ホールで執事に扉を開けてもらえば、丁度婚約者のルイスが騎獣を部下に預けるところだった。声を掛ける前に、その瞳がこちらを捕らえる。
「ただいま。リオン」
眩いほどの笑顔で近づいてくる彼に、こちらも足を踏み出す。
「お帰りなさい、ルイス」
―――この時、人生において無縁だと思っていたリア充イベントをこなしていた私は、自分は彼の婚約者なのだと思っていた。実際は違ったわけだが。
***
「実は皇太子から祝いの品が届いている」
夕食後に私室で寛いでいると、ルイスが謎のビロード張りの小箱を持ってきた。その正方形のフォルムと婚約者の緊張した顔に、一瞬前世のプロポーズを連想してしまった。いやでも、この世界では結婚指輪の概念はなかったと思うんだけどな。
ダイヤの指輪でも入っているかと思った小箱の中身は小振りな髪飾りであった。シンプルな金細工に黒色の宝玉が二個付いている。……あれ、コレ。
「ルイス。私の見間違いかもしれないのだけど。この宝玉は主級の黒竜の宝玉では? あと、帝室の紋章が刻まれているように見えるのだけれど」
苦虫を嚙み潰したかのような顔でルイスが肯定した。どういう感情なんだ、その顔は。あと、前回の主級の黒狼ですら貰うのに躊躇したのに、今度はその更に上の主級の黒竜である。あ、手が震えてきた。いやだってこれ、前世で言うロイヤルジュエリーだぞ。これを身に着ける? 無理である。こちらの胃と心臓が持たない。
そっと返そうとした手に、二つ目の箱が置かれた。え、とルイスを見れば「こちらは私からの贈り物です」と照れた顔で言われて、少しドギマギしながらお礼を言う。開ければ、こちらも主級の黒竜の宝玉が着いたピアスであった。国宝再びである。
聞けば、ルイスから貰った方は、先日の大攻勢で討伐した個体から作ったものらしい。等級の高い魔獣石のため加工に時間がかかったと説明する声が遠い。身に着ける勇気のない品が増えた。
「あの、婚約祝いの品にしても、ちょっと立派過ぎない?」
できれば返品してほしいとルイスを見やれば、目線を逸らされた。なんだ、その反応、と首を傾げたところ、飛び切りの爆弾が投下された。
「実は、これ、婚約祝いじゃなくて―――婚姻祝いなんだ」
「へ?」
意味が分からない。更に首を傾げた私に、ルイスは懺悔するように続けた。
「実は、既に皇帝から許しをもらって教皇から婚姻許可証が届いている。その、帝国法上、君はもう既に俺の妻ということになっているんだ」
人間、真に驚くと声も出ないらしい。知りたくない事実だった。絶句する私に、彼は「伯父である皇帝と伯母である教皇は、その、行動力が無駄にあって、今回も暴走したらしくて」と言い訳のようなことを続けているが、正直言って頭に入ってこない。
―――気付いたら人妻になっていたとか、ある? そうはならんやろ。
なっとるやろがい、と突っ込み返してくれる同郷の人間が切実に欲しくなったリオンだった。
***
翌日、朝食の席に着くと、向かいの席に座った皇弟テオフェル殿下にジト目で恨みがまし気に見られた。昨日、玄関先で目を逸らして空気に徹していたのを根に持たれているらしい。どれだけお義母様にしごかれたのか、頬がゲッソリとしている。
「専属の家臣団ができるまで外出禁止とか、勘弁して欲しいんですけど。リオンさん、俺の家臣の条件知ってますか。『騎士として人にも魔獣にも対応できて、できれば貴族家出身で、ある程度の経験と人脈のある人間』ですよ。そんなやつ、もうとっくの昔に他の帝室メンバーの家臣になるか、国の重要ポストに就いてますって」
それはそう、とリオンは頷いた。通常、家臣というのは皇子皇女の誕生と共に選定に入り、その成人までに一人前にするべく教育が施されていくものだ。一朝一夕で選べるものではない。
突発的に帝室に加入したテオフェルの家臣は、ある程度の妥協が求められる。しかし、現在、妥協出来るどころではない大外れしか候補がないそうだ。テオフェル自身の能力が高いこともあり、下手な人物では逆に足手纏いだ、と彼は零した。
―――彼が満足できる人材、ねぇ。
無意識に中空に辺境伯領魔獣戦線人名簿を表示していた。現在、生きて戦線に参加している戦線参加者達の名を眺めるが、その中には良さそうな人間はいない。横に座っているルイスに目をやるが、そっと首を振られた。彼も心当たりがないらしい。
結局、朝食もそこそこにテオ君を慰めることになった。何時も明るい彼にしては珍しいことだ。どうやら、今の軟禁状態が思っていたよりも堪えているらしい。戦線参加のための条件である家臣団結成はいつになるか分からず、婚約の申し込みもある意味保留状態だ。
どうにかしてやれないだろうか、と指を耳元にやる。宝玉ピアスを弄るのはもはや完全に癖になっていた。
視界の隅で、執事に慌てた様子で従僕が近づく。何か紙を手に持っているようだ。
珍しく足音を乱して執事が食堂から出て行った。常に足音を消し、ひっそりと過不足なく我々辺境伯一家と賓客が過ごせるようにしている彼らしくない行動だ。
―――ふむ?
同じことを思ったらしいテオ君と目が合う。静かに席を立ち、執事の後を追いかけようとする私に、ルイスが何か言いかけた。それに、ニッコリと微笑んで朝食を続けるように目線で告げた。
―――『私は、まだ、黙っていたことを許してはいない』
言葉にしなくとも通じたのか、大人しく椅子に座り直す彼に、宜しいと頷いてテオ君と執事の背を追いかけた。
***
執事の娘が乗った飛竜便が魔獣支配圏で消息を絶った。テオ君が婚約を申し込んだメイドのメヒティルデの姉に当たる人物らしい。父親である執事を緊急連絡先として旅便会社に届けており、そこからの知らせは想定よりも悪いものだった。
乗っていた飛竜ごと墜落した可能性が高い。旅団の護衛とは逸れている。本人は、目と手足に一部不自由があり、戦闘には不向き。―――生存は絶望的だが、捜索を開始していると綴られていた。
顎に手をやり考える。目前では、捜索隊に加わるために職を辞したい、という執事と、それを宥める辺境伯、俺が行くと言い出しそうな皇弟、それを睨んで押しとどめる辺境伯夫人というカオスが広がっていた。
そんな中、不自然に黙っている騎士に近づく。テオ君の臨時の護衛騎士だ。家臣団の選定役でもある。伯爵家の出身であるにも関わらず、辺境伯領の魔獣戦線で平民騎士に混じって現場に出続ける変わり者だとルイスが言っていた。その実力は折り紙付きだとも。
「―――行方不明になったというベルタという娘は知り合い?」
聞けば、彼女が営む料理屋によく行っていた、とのことだった。執事に聞こえないように、そっと小さな声で、元部下が大事にしている恋人でもある、と付け加えて彼は目を伏せた。
なるほどなぁ、と呟いて、リオンは両手を打ち付けた。パァンッという音が高らかに執務室に響き、全員の視線が彼女に集まった。
「―――我が辺境伯家からも捜索隊を出しましょう。責任と費用は、次期辺境伯夫人であるこの私が負います」
宜しいのですか、と声を揺らす執事に、リオンは安心させるように頷いた。
「安心なさい。……お義父様、当該遭難地域近くの戦線に、確か有名な傭兵団がいると先日おっしゃっていましたわよね。いかほど報酬を積めば助力を乞えるでしょうか」
先程の護衛騎士が、知己であり声を掛ければ協力を仰げる、と言うのに、費用はきちんと私宛に請求するように手配して欲しいと告げ、続けた。
「そういうわけなので、お力をお貸し頂けませんでしょうか、テオフェル殿下」
え、いいんですか、と目を丸める彼に、ただし、条件がある、と女王は不敵に笑った。
後に、無事に未来の義姉を保護したテオフェルは述懐した。
「思ってたよりも簡単な条件だと思ったら、その後がやばかった」
***
―――お土産は、もし余ったら主級の黒竜の宝玉でいいわよ、と冗談で言ったのだが、律儀な彼は本当に一つ分けてくれた。
五個の国宝が両手の中で輝いている。月光を跳ね返すだけでなく、内部にある膨大な魔力が放つ光がキラキラと闇の中で星の様に瞬いていた。なんとも幻想的な光景だ。さて―――。
「始めましょうか」
夜空の下で女王が微笑んだ。現在地はノイス侯爵領地にあるとある戦役の戦没地である。辺境伯領の戦線は、夫であるルイスに任せてきた。丸投げともいう。『加護』はプレイヤーであるリオンが現地にいなくとも有効であるため、難易度は以前より下がっている。彼と辺境伯夫妻がいれば、あちらは大丈夫だろう。
元々執務補佐官として持っていた仕事や次期辺境伯夫人としての執務は、周囲に満遍なく振り分けてきた。大抵の相手は、魔法の言葉で黙って代わってくれた。
「『婚姻許可証』のことをご存じだったのかしら」
物凄く気不味げに目線を逸らしたり、沈黙したり、頭を下げたりされた。なんでも戦場のど真ん中に婚姻許可証を持った勅使が降り立ったので、かなりの数の目撃者がおり、噂が広がるのも早くて私以外ほぼ全員が知っている事実だったらしい。勘弁して欲しい。
***
両手の中の宝玉を『選択』する。
―――【アイテム『主級の黒竜の魔獣結晶』五個が選択されました】
よしっ。宝玉も魔獣結晶と同等に扱ってもらえる。前回、ピアスに付けた宝玉が使えたから大丈夫だと思っていたけど、良かった。
―――【特殊回復を実行しますか? ▼YES ▼NO】
勿論、実行する。本当は国宝を『使って』良いのか、最初は迷っていた。
―――【特殊効果対象を選択してください。 ▼時刻設定 ▼戦域設定】
だが、婚姻許可証の件を聞いて、馬鹿らしくなった。あの皇帝も会ったこともない教皇も随分と好き勝手にやってくれたのだ。私だってやりたいようにさせてもらう。
―――【実行には神官職が二名以上必要です。経験値制限があります。確認の上、選択して下さい。】
一緒にノイス侯爵領に連れてきた息子レオンと皇弟テオフェルを選択する。帯同神官として経験豊富な彼らは、経験値制限も余裕でクリアしていた。突然、自身の聖魔法が自動で発動して驚く彼らの目前で、大地に巨大な光の柱が立つ。
―――【『特殊回復』実行中……10%完了】
光の柱の中に、徐々に光の粒が集まり、人の輪郭が浮かび上がる。私が何をしようとしてるのか分かったらしいテオ君が、震える声で「一体、誰を」と呟く。それに、「あら、『サプライズプレゼント』は、驚かせてこそでしょう」と返した。
―――【『特殊回復』実行中……30%完了】
通常の聖魔法の蘇生ではありえないゆっくりとした速度で、人が形作られていく。蘇生限界時間をはるか昔に超えた人々だ。その眠りはきっと深かったことだろう。
―――【『特殊回復』実行中……50%完了】
朧気だった輪郭が大分はっきりしてきた。後ろに控えていた女性が息を飲む音が聞こえた。この場所まで案内してもらったノイス侯爵夫人だ。突然のお願いにも嫌な顔一つ見せず、案内は家臣の誰かでも構わないと言ったのに、夫人自ら同行して、夜は冷えると全員に暖かい上着まで用意して下さった。凄く親切なご婦人である。
―――【『特殊回復』実行中……70%完了】
テオ君の護衛騎士が、蘇生中の一人の名を呼んだ。ああ、そういえば、彼はあの大攻勢時、もう既にこの戦線にいたのだったか。信じられないものを見るかのような顔で、光の柱の中で目覚めを待つ人々を凝視している。それにしても、確かに夜は冷える。目が覚めた彼らが寒くないように、用意してあった布や湯を用意するように指示を出せば、周囲が慌ただしく動き出した。
―――【『特殊回復』実行完了しました】
パチリ、と様々な色合いの瞳が一斉に開き、臨戦態勢を取る。流石は、ヴァッレン帝国に命を賭して忠誠を誓った精鋭騎士達だ。彼らに向かい、一歩を踏み出して、声を掛ける。何と言うかは決まっている。戦線から帰ってきたら、私の愛しい夫に告げると決めているのと同じ言葉だ。
***
満天の星空の下で女王は微笑んで彼らに告げた。
「お帰りなさい」
謁見の間に足を踏み入れれば、整然と並び犇めく貴族達からの視線が突き刺さる。平民女が産んだ御落胤への好奇・値踏み・羨望・嫉妬・憎悪・嫌悪。有象無象からの視線に素知らぬ顔をして中央の王座へと続く赤い絨毯を踏みしめていった。
歩みを続けていくうちに、ざわめきが大きくなり、それと同時に動揺も露に顔色を変える人々が増えていく。彼らの視線の先にあるのは、俺ではなく、その背後―――配下として付き従う二人だ。
ゆったりと王座の前まで来ると、腰を折って最上位への神官としての礼を捧げる。膝は突かない。俺は軍神神殿の神官だ。この命と魂は、軍神のためにある。
「ヴァッレン帝国皇帝陛下におかれましてはご健勝のことと誠にお慶び申し上げます」
長ったらしい挨拶を遮ったのは、皇帝の背後に控えている皇太子の低い声だった。
「……テオフェル叔父上、大変に懐かしい顔が見えるのですが、どのような神の奇跡が起きたものでしょうか」
動揺を抑えるように強く握られた拳が、視界に入る。皇族とは面倒な生き物だ。喜怒哀楽さえ自身のものではない。周囲へ与える影響を考慮して最も効果的なものを選ぶ。それが、帝室の存続ひいては帝国の繁栄につながると信じて。
なんともいじましく、なんて―――つまんねぇ人生だ。
さて、叔父さんから皇太子を頑張っている甥っ子に、とっておきの土産をやろう。なんとも違和感のある呼び名だが、皇帝は俺の腹違いの兄だ。その子である皇太子は俺の甥っ子ということになる。
実は、正確に言うとこれは俺の発案ではない。とある女性に頼まれて、そいつは面白そうですね、とホイホイ配達人を請け負って、遥々帝都に来たに過ぎなかったりする。
発案者の女性は『サプライズプレゼント』と謎の用語を使っていた。どうやら彼女の出身である亡国で『相手を驚かせる予想外の贈り物』という意味らしい。喜んでくれると嬉しいのだけど、と言っていた彼女には悪いが、贈り相手の皇太子は心臓が止まりそうな顔色をして葛藤中である。
仕方がないと思う。何しろ、俺の背後に控えている二人は、十年前の魔獣大攻勢で戦没したはずの者なのだから。蘇生限界時間などとうの昔に過ぎている死者の登場に、謁見の間は混乱に陥っていた。
まぁ、普通に邪法を使って死者蘇生をしたと疑われている。
兄である皇帝陛下が真顔でこちらを睥睨していた。甥っ子も、二度と会えないはずの相手に会えた喜びと、道理に反した背信者たる俺を断罪すべき立場との板挟みになって酷い表情をしている。
そんな彼らに、ニィッと口の端を上げて、悪戯っぽい笑みを見せてやる。
「こちらの二人は、先日婚約した私に祝いとして『かの女王陛下』が贈られた者達でございます。我が名我が血我が魂に誓って軍神の意に反する愚行を侵してはおりませぬ故ご安心を」
女王という単語に口々に貴族達がさえずり始めた。皇帝の眉がピクリと動く。そう、あの女性は、我々の理の外にある。その御業は、時に我々の想像の遙か外の偉業を成す。
「かの女王の国には、『特殊アイテム』というものがあるそうで、それを使って、我が国の蘇生限界を超えた黄泉路から頼もしい戦士を呼び戻して頂きました。そうそうはできぬことらしく、今回は古くから親交のある私のために特別に実行してくださったそうです」
そう簡単にできることではないらしいと釘を刺しながら、チラリと貴族達の顔を横目に見る。分かっていたことだが、目の色が変わっている。それはそうだろう。これまで不可能と言われていた蘇生限界時の突破例だ。かの女王を狙う理由がまた増えたことになる。小さく溜息を零した。
―――だから最初、この復活者達を表舞台に出すことに反対したんだ、俺は。それをあっさりと却下したのが『女王』だった。
あの日、星々が眩く光る夜空の下で亡国の女王はおっとりと微笑んでいた。馴染みのある蘇生魔法の光の中で十数人の人間が形作られていくのを茫然と見ていた我々に、いっそ呑気なほどのんびりとした口調で彼女はこう言ったのだ。
―――彼らは十年前の特攻作戦参加騎士達よ。『騎士として人にも魔獣にも対応できて、できれば貴族家出身で、ある程度の経験と人脈のある人間』が理想なのでしょう? うってつけだと思ったの。どうかしら。
彼女の息子レオンと共にノイス侯爵領にある前回の魔獣大攻勢戦没地に連れて行かれて、そこで見たことない聖魔法行使をレオンと共に『命じられて』、彼らを黄泉路から呼び戻してからの御言葉である。
どうもなにも、特攻作戦選抜騎士は、魔獣支配圏を少数精鋭で突破する分、選りすぐりの実力者ばかりだ。中には、元侯爵や辺境伯家直系もいた。帝国のために自ら死地に赴いた騎士であり、その忠誠心は疑いようもない。まさに、皇弟の護衛騎士に相応しい者達であった。
絶句した。愉快犯として周囲を振り回すことが多かった俺を、こんなに驚かせる人間というのも、なかなかいないと思う。
―――帝室と縁が深い二人を、帝都に連れて行ってやってくれたら嬉しいわ。テオ君なら面倒な手続きなしで宮廷に出入りできるでしょう? 久々の再会ですもの、喜んでくれるといいのだけど。
とびっきりの家臣団を作ってくれた女王に御礼は何がいいか、と尋ねて返って来た答えがこれだ。
俺は反対した。仮面でもつけて、出自がバレないようにすべきだと主張した。当たり前だ。こんな奇跡が起こせるとバレれば、彼女は今以上に、表裏両方の世界から狙われることになる。危険過ぎた。
だが、女王も頑固だった。
―――民草の喜びが、私達王族の、統治者の喜びだと、そうあるべきだと、私は思っているの。
彼らが日の下で家族や愛する人と堂々と歩けるように協力してほしい、と懇願されて折れた。碧の瞳を波打たせて彼女は言った。
「もしも二度と会えないと諦めた相手に会えるのならば、私だったら何を差し出してもいい。いいえ、きっと差し出してしまっていた。……息子が、レオンがいなければ、形振り構わず命だって投げ出していたわ。私はもう会えないけれど、彼らはまだ間に合う」
彼らが愛する、そして彼らを愛する人の元にかえしてやりたいと言う亡国の女王の言葉に、仕方がないなぁと天を仰いだ。憎たらしいほどに美しい星空だった。
***
まったく、相も変わらずお人好し過ぎて心配になる御方である。ルイス殿と息子のレオンをはじめとした辺境伯一家が過保護になるわけだ。
さて、そんな女王特選騎士が、一人は不敵に笑みを浮かべ、もう一人は無表情で、俺の背後で膝をついて皇帝に敬意を示している。
無表情の方が「陛下、思っていたよりも老けて、ちょっと額の生え際が……?」と小さく呟いたのに、もう一人が肩を震わせて吹き出した。この二人、さすが特攻作戦参加者というか、想像以上に肝が据わっている。
皇弟は自身が生み出した混乱の渦の最中で、帝室に人間の形をしたビックリ箱を渡す日が来るとか、人生って本当に面白れぇなぁ、と笑いを零した。
***
少し表情を緩めた皇帝が「面を上げよ」と、皇弟の背後に控えた二人の騎士に声をかけた。
長身の年若い女性騎士が、高い位置で一つに結い上げた黒髪を揺らして顔を上げる。黒い瞳に映るのは、皇帝ではなく、その背後に控える皇太子だ。微かに彼女の眦が緩められて、小さく口角が上がる。その些細な表情の変化が分かるのは、幼い頃から共にあった幼馴染だけであった。
ハクリ、と皇太子の口が動く。声にならない声が確かに呼んだ名は、十年前に失われた、辺境伯家長女のものであった。