【11.8話】二度あることは三度ある。【前書:先輩騎士視点、本編・後書視点:爵位をぶん投げられた分家の男】
「どうして平民騎士に志願したか、ですか?」
草原に胡坐をかいて座り込んでいた後輩騎士は、藍色の瞳を瞬かせて先輩騎士を見上げた。
後方部隊と交代しての休憩時間の話だ。片腕に魔力の回復薬を打ち込みながら、後輩騎士は答えた。
「うちの両親が平民騎士だったんです。出陣する二人の背中を見送って育ったんで、そういえば他の道とか考えたことがなかったなぁ」
―――二人の出征中は、近所にある騎士団併設の託児院に預けられてたんですよね。だから、物心付いたころには魔獣戦線の騎士方が日常の中にあったんです。
後輩騎士は両手をグーパーと握って開いて、魔力の回復具合と、魔力通りが悪くなっていないかを確かめて、横においてあった黒い皮手袋を嵌め直しつつ、なんてことないような声で続けた。
「まぁ、俺が8つの時に、例の大攻勢で二人とも軍神の御許に召されちゃいましたけど」
彼は自身の剣を鞘から抜き取り、破損個所がないか確認しつつ、剣身の魔術刻印を指で辿っていく。
「たいした遺産もなくて、俺を引き取れるほど余裕のある親族もいなかったんで、葬式が終わって即、騎士の養成学校に入ったんです。魔獣戦線志望の養成生には特別手当てがでるじゃないですか。それでどうにか食いつないで、運よく生き残って、ここにいるって感じですね」
―――俺、本当に人間運だけはいいんですよ。今回だって指導騎士が先輩だったんですから。おかげでなんとか生き延びられてます。
後輩騎士はニシシと屈託なく笑った。真夏の向日葵を思わせる明るい笑顔に、先輩騎士は頬を掻いて、そうか、と短く返した。
どういう騎士に彼がなりたいか、を指導の参考にするために聞いたのだが、思っていたよりも苦労していたらしい。魔獣戦線で両親を失うというのは珍しい話でないが、普通はもう少し捻くれて育つことが多い。自分のように。
―――両親の復讐のため、とか、遺志を継いで、とかではないのか。
うーん、と腕を組んで唸った先輩騎士は指導方針を決めた。
「よし。お前を死んでも死なない騎士に育ててやろう」
なんですかそれ、と藍色の瞳を丸める彼に、先輩騎士は口の端を少し上げて、こう答えた。
「俺の友人に『死ななかったらかすり傷』がモットーの帯同神官がいてな。凄腕の聖魔法使いで、俺も何回も黄泉路から呼び戻してもらっている。新米騎士のお前が何回死のうと、よっぽどやばい戦況でない限り、あいつがお前を蘇らせるだろうさ」
―――魔獣戦線は、お前にとって生きるための手段なんだろう。だったら、生きてて楽しいと笑える、お前だけの生きる目的を手に入れるまで生き残れるようにしてやるのが、俺の仕事だ。
「何回死のうと帯同神官の聖魔法でちゃっちゃと蘇って魔獣討伐を続けるような、ちょっとやそっとじゃ軍神の御許に召されたりしない一人前の騎士に育て上げてやるから覚悟しておけよ」
お手柔らかにお願いします、と少し怯えた表情の後輩騎士に、おう、と先輩騎士は答えた。
この後輩騎士のために後日開いた食事会で、まさかの二人を再会させることになるとは思ってもいない先輩騎士だった。
紅茶色の瞳に私の姿が映っていた。13の春だった。
小鳥が庭先で求愛の歌を歌っているのが、室内まで聞こえていたのを覚えている。侯爵家本邸の応接室で、次期当主たる御息女に挨拶していた私は、まるで今の自分自身のようだと思ったものだ。
***
メールス侯爵家はヴァッレン帝国五大侯爵家の一つであり、広大な穀倉地帯を領地に持つ、帝国の食の番人である。その現当主が妾に囲った平民娘に夢中になり、あろうことかその女との間に生まれた娘を次期後継者に指名した。
ただの指名ではない。破れば神罰が下る神前契約にて『娘ルドヴィカを次期侯爵とする。もしこの誓約が守られない場合は、その原因となった人間及び私と一族郎党全ての命を軍神に捧げることを、我が名我が血我が魂をもって誓う』と明言したのだ。
帝都の貴族街に激震が走った。前代未聞の椿事だ。当時はどの社交場も侯爵家の噂でもちきりだった。
『侯爵がいつまでも正妻を持たぬのに業を煮やした前当主夫妻が、妾の女とその娘を遠のけようとしたのに報復として神前契約したらしい』
『妾腹の御息女は、平民並みの魔力量しかないようだ』
『次期当主となった娘は、容姿が【藍色】のメールスとはかけ離れていると聞いた』
真偽不確かな噂が侯爵家を取り巻く中、その渦中である当主に実子を売り込む勇者がいた。私の両親だ。今考えても正気を疑うし、その度胸はもっと別のところで発揮すべきだったと思う。
***
次期当主となることが確定した侯爵家御息女。その配偶者に息子ほど相応しい人物はいない、と彼らは声高に主張したらしい。
御息女がメールス侯爵家としての正統性が欠けるのならば、その配偶者に補わせればいい。それに打ってつけの人材として私を売り込んだわけだ。
「我が息子は、御息女の3歳年上、髪と瞳はメールスの象徴たる藍色、主家の皆様と遜色のない魔力量、既に魔獣戦線に参戦経験がある高い戦闘技能。いかがでこざいましょうか。これ以上に御息女に相応しい相手はおりますまい!」
歌うように売り文句を並べ立てる両親に、侯爵は少し引き気味だったらしい。道端のバザールで果物を叩き売りする商人のように強引な売り込みだった。ああいう育ちの良い坊ちゃんは、少し強引な方が話を有利に進めやすいのよ、と扇で口元を隠して笑う母親に、よく不敬と放り出されなかったものだと、聞いていて少し呆れた。
***
侯爵が一蹴できずに唸る条件の良さが私にはあった。
元々、もし侯爵閣下がこのまま正妻を持たず、正当な子を作らない場合の後継者候補に私は名を連ねていたのだ。そのため当時、先代侯爵の推挙を受けて帝都の高位貴族向け高等教育機関に在籍を許されていた。
王侯貴族が通うその学園は、帝室一族、連盟各国王族を始めとして、高位貴族の後継者候補や高級官僚候補者など、国の中枢を将来担う若者達が在籍する教育機関だった。
帝王学を基本とした統治者として必要な実学知識、魔獣戦線での実技演習。それらを柱とした多様な学業科目の中で学生達が切磋琢磨しつつ、生涯に渡って重要な人脈作りに勤しむ場だ。この学園卒業時の成績がその後の人生を左右するとまで言われている。
私は、その2年生としてまずまずの成績を収めていた。侯爵家御息女の配偶者として、侯爵領の実質的な支配者となるのに必要な知識と経験、人脈を得つつあったわけだ。
最終的に侯爵は、愛娘の婚約者候補としてメールス侯爵家本邸に私を招くことにした。娘が気に入れば婿にしてやってもよい、と尊大な文面の書簡をもらった両親は小躍りしていた。
***
両親は世間一般でいう野心家だった。
その長男として生まれた私は、将来を嘱望されて厳しい教育を受けてきた。食べるものも、着るものも、友人も、話し方も、将来の夢も、笑い方すら。私を構成する全ては、彼らが決めたものだった。
両親に反抗しようと思ったことは無かった。決まったレールの上を歩いていくのは楽だし、彼らに従っていて損をしたことがなかったからだ。少なくとも当時、なんの不満も私は感じていなかった。
今思えば、子供らしくない、つまらない子供だった。学園で先輩学生に『お前って生きてて何が楽しいんだ?』と尋ねられた時に、どうしてそんなことを聞かれたのかも分からない子供だったのだ。
今回の婚約話も、もし成立すれば両親も自分自身も将来安泰だとしか考えていなかった。学園の口頭試験か、魔獣戦線で高難易度の魔獣との戦闘に臨む程度の緊張感で、侯爵家本邸での見合いに出向いた。
***
沈丁花の重く甘い香りが、レースのカーテンを揺らす風に乗ってきていた。
両親と共に通された応接室の扉が開く。侍従が侯爵と御息女の来訪を告げた。椅子から立ち上がり、拝謁の挨拶をするために振り返れば、大柄な貴族男性に隠れるように少女がこちらに歩みを進めていた。
春の柔らかい日差しに煌めく瞳が、婚約者候補である私を見つめる。どこか大人びた表情の美しい少女だった。父が侯爵に挨拶するのに、慌てて顔を伏せて、声が震えそうになるのを我慢しつつ御挨拶申し上げた。
「ジーゲン子爵家が長子エアハルトと申します。主家たるメールス侯爵閣下と御息女ルドヴィカ様に拝謁を許されました光栄に言葉もありません」
侯爵に許されて顔を上げ、応接室のソファーに向い合わせに座る。しばし親同士が腹の探り合いをした後に、当事者同士でも話してみるようにと侯爵が命じた。貴族同士の会話は、家格が上の者から始まるのがルールだ。当時10歳だった彼女が、小さくて形の良い唇を開くのを見ていた。
「エアハルト様」
その瞬間の衝撃は今でも忘れられない。ただ名を呼ばれただけだった。なのに、未だかつて感じたことのない多幸感が私を襲った。
内心を表情に出さないように必死だった私は、その後何を話したかまったく覚えておらず、帰宅後に絶対に断りの連絡が来るに違いないと頭を抱えた。だが、実際に侯爵家から届けられたのは、ルドヴィカ様との婚前契約に関するものだった。
安堵で泣きそうになったのは、今も昔もあの時だけだ。最難関と言われる学園の入学試験に受かった時も、高位魔獣の討伐から生還した時も、本当は失敗しても成功してもどっちでも良かった。
淡々と親に言われるがまま生きてきた私は、どうしてこんなに感情が暴れるのか分からずに、当時は随分と戸惑ったものだ。
それから暫くして、私はこの感情の正体を知った。あれをきっと、世の人間は『一目惚れ』というのだ。
気付かせてくれた先輩には感謝しているが、初恋を散々揶揄われたことは今でも恨んでいる。
***
さて、世の中には『二度あることは三度ある』という諺がある。だから、私が神前でこれから行う宣誓も、きっとありふれた人間話の一つに過ぎないのだろう。
「私エアハルト・メールスは侯爵位を後継者イルメンガルトに今この時をもって譲り、以降貴族籍を放棄し生涯平民として生きることを我らが守り神軍神に我が名我が血我が魂をもって誓う」
唖然としている立会人の皇太子殿下とバルリング辺境伯閣下には申し訳ないが、こうすることはずっと前に決めていた。そう、彼女があの神前契約を宣言したと、告げられた時に。侯爵家の婿入り教育の一環として赴いた魔獣戦線での戦闘中に突然本陣まで呼び出しを受けて、引き合わされた伝令は真っ青な顔色であった。
彼が持ってきた書簡には、事の経緯と現状に関する報告が端的に書かれていた。私の婚約者たるルドヴィカが侯爵位を父親から譲りうけた次の瞬間に、その爵位を私にぶん投げた、との旨が書かれていた。余りの衝撃に、私は一瞬呼吸を忘れた。
『軍神に誓う。私ルドヴィカ・メールスは侯爵位を後継者エアハルトに今この時をもって譲り、以降貴族籍を放棄し生涯平民として生きることを、我らが守り神たる軍神に我が名我が血我が魂をもって誓う』
そう宣言して失踪した彼女の、その後を知る者はいない。もともと侯爵閣下が掌中の珠として社交界にも出さずに邸内で過ごさせていたこともあり、彼女の姿形を知る人間は限られている。捜索は難航した。生死すら不明な彼女を未だ探す者達はおり、私もそのうちの一人だ。
その叙爵位期間の短さから『半刻女侯爵』という通り名ばかりが独り歩きして有名な彼女は、今、どこでどうしているのだろうか。
***
元侯爵令嬢ルドヴィカが次期領主権限で作成した書類に、彼女が領主となった瞬間に有効となる命令書があるなどと、その時になるまで私は知らなかった。
彼女が爵位を放棄しても有効な命令書により、彼女の両親である元侯爵夫妻と私の両親である子爵家夫妻は一生涯を領地で過ごすこととなった。私が爵位を継いだ後に有害となりうるその他の人物も、軒並み同じ運命をたどった。
どうやってか彼女は祖父母である先々代侯爵夫妻を味方に付けていた。可愛いけれども、侯爵家としての立場から愛するわけにはいなかった初孫の代わりに、と彼らは新米侯爵である私の援助をしてくれた。上世代へのコネクションと長年社交界にいたものだけがもてる権威にどれだけ助けられたか分からない。
彼女が残していった様々な人や物、約束や契約に守られ助けられて、私は今日この日までメールス侯爵として職務を全うしてきた。そして今日、これまで次期侯爵候補として厳しく実務や実戦を教えてきたイルメンガルト嬢を、正式に次期侯爵とする誓いを神前で立てる予定だった。
―――予定は未定とは、平民の俗語が好きな学園の先輩が言った台詞だったか。
後継者候補の令嬢イルメンガルトは元侯爵令嬢ルドヴィカの従妹に当たる人物で、同格の侯爵家に嫁いだ先代侯爵の妹君の長女だ。分家出身と散々揶揄された私と違い、きちんと本家筋の血を引く有望な若者がいるのだ。後進に道を譲るのも、先達の役目であろう。
私は、胸を張って引退宣言を軍神に申し上げた。
メールス侯爵家による神前契約を利用した爵位譲渡のごり押しが、めでたくも今回で三回目となったわけだ。お家芸にならないことを祈る、と後に再会した学園の先輩が呻くように言っていた。だが、私に人生の楽しさを説き、自分だけの人生の目的を持て、と言ったのは先輩ではないか。
顔を覆って天を仰ぐ教皇と、絶句する先々代侯爵夫妻、目を白黒させる爆誕したばかりの新米侯爵その他、参列して頂いた関係者を振り返ることなく、私もまた帝都を出奔した。
行先は決めていなかった。どこまでも私の旅は続いた。紅茶色の瞳を持つ彼女を見つける、その日まで。
***
のちに『放浪侯爵』との呼び名が付いた傭兵団を立ち上げた私は、招致されたバルリング辺境伯領で、学園時代の先輩と再会するのだが、それは随分後になってのことであった。
学園時代の貸しまで引き合いに出された私が渋々参加した食事会で、見開かれた紅茶色の瞳を見つけて、先輩に感謝の言葉を述べることになるとは、爵位をこちらに放り投げて逃亡した元婚約者をずっと探していた過去の私には知りようもないことであった。
バルリング辺境伯領の城下町で、その日の夕飯を食べようと雑踏の中を歩いていた時のことだった。
「おっ。ハルト、久しぶりだな」
呼び止められて振り返れば、学園時代の先輩が片手を上げていた。騎士になったと聞いていたが、ここが赴任地だったとは知らなかった。人混みを泳いで彼の横に並ぶ。
「お久しぶりです。先輩。次の一斉討伐、うちの傭兵団も参戦します。担当戦域が同じになるかもしれませんね」
この戦地での滞在が長いという彼に、よかったら情報交換がてら夕飯を一緒にしないか、と尋ねておすすめの店に行くことになった。
グラスを掲げて互いへの軍神の加護を祈り、鹿肉のソーセージを齧っていると、言いにくそうに先輩が口を開いた。
「そういやハルト。実は今度、後輩騎士のために食事会を開く予定なんだが、良かったらお前も参加しないか」
それは、ここの戦線の騎士と顔つなぎをしてくれるということか、と首を傾げると、決まり悪げに先輩は頭を掻いた。
「いや、実はな、本邸メイドとの食事会なんだ。ちょっと事情があってな、できれば成功させたい。お前みたいに顔が良い奴がいるって言った方が集まりがいいんだよ」
そういう男女の集まりには、悪いが興味がないと一度は断ったのだが、この魔獣戦線特有の魔獣と、今回の作戦の担当指揮官・騎士・帯同神官の情報を餌に、結局押し切られる形で出席する羽目になった。多分、断っても教えてはくれたのだろうが、この面倒見の良い先輩には学園時代に随分世話になったので、恩返しのつもりで参加したのだ。
―――結果、返さなければならない恩が増えた。
どう返したものかと藍色の通信具を耳に付けた恋人に相談したところ、次の食事会の幹事を肩代わりすることになった。
所属する傭兵団でも比較的性格が穏やかで癖の少ない女性陣と騎士達の食事会を開催したわけなのだが。
「本当に、一番の大物を選んでいますね……」
横で無言で黒ビールを煽る先輩の耳元でそっと囁いた。
「先輩の後輩騎士殿が見つめてる白銀の髪の女性傭兵。彼女、7年前の大攻勢で滅んだ近隣国家の元王位継承者ですよ」
ゴフッと先輩が咽るのに、慌てて手巾を渡しながら、人を見る目があるというか、引き運が強いというか、一種の才能だよなぁ、と後輩騎士にエールを送る通称『放浪侯爵傭兵団』団長のエアハルトであった。