【11.6と11.7の間の小話】赤薔薇の君と顔だけ平凡男【前書:アネモネ視点、本編・後書:先輩騎士視点】
「ねぇ、そこの『顔だけ平凡男』。メヒティルデにちょっかいかけてる馬鹿がいるんだけどいいの?」
上官ラウレンツの遣いで訪れた本邸。帰路につくため、預けた騎獣を馬丁が連れてくるのを待っているところだった。鈴のように軽やかな声が告げた内容に、青年神官テオフェルは眉を顰めた。
「いいわけねぇだろ、『半刻女侯爵』」
げぇっと淑女にあるまじき声で、紅茶色の瞳のメイドが呻き声をあげる。
「ちょっと、誰に聞いたの、その通り名っ」
掴みかかろうとする指先をスルリと躱して、テオは肩を竦めた。
「事情通の知り合いからだよ。お前に言っても分かんねぇって。これでも『顔だけ平凡男』ってお貴族様に有名だからからな。ある程度の情報を集めて保身しないと面倒なことになんだよ、俺みたいな平民は」
テオは平民にも関わらず聖魔法持ちで、魔力量も高位貴族並みにある。彼に利用価値を見出す貴族はそれ相応にいるのだ。そして、貴族の間で有名な通り名持ちなのは、目前の紫の髪を結い上げたメイドも同じだった
「実父から侯爵家当主権限を奪取して、秒で分家の有望株にぶん投げた女が、なんだってこんなとこで使用人ごっこしてんだよ」
しかも、妙に馴染んでやがる。ほんとに本人か五度見くらいする羽目になったと言っていた兄弟の話を思い出しながら、テオは揺れる紅茶色の瞳を見下ろした。
「誰にもバラしゃしねぇって。その代わりと言ったらなんだが、赤薔薇の君に手ぇ出そうとした勇者について教えてくれ」
ジトリとした目で長身の男を見上げた牡丹一花の君は「なに、ティルを巡って決闘でも申し込むの」と尋ねた。それに「まさか」と返して口角をあげた。
「どんなやつか、ちょっと調べるだけだ」
そんなことしてる暇があるなら、さっさと告ればいいのに、と呆れたように言う彼女に、彼は、こっちも事情があるんだよ、と肩を竦めて見せた。
「あともう少しで、俺の周りにいる小煩い貴族連中の駆除が終わるんだよ。なんか、権謀術数ばっかで役に立たない連中を釣り上げる餌にされてんだよなぁ、俺」
カラっと笑って見せた栗色の髪の男に、紅茶色の瞳が見開かれる。
「何それ……。アンタはそれでよかったの?」
権力者に貸しは作るに越したことはない、と強かな庶民は返した。
「怖え御父上がいる元伯爵令嬢を射止めようってんだ。切り札は多い方がいいだろ」
本当に、平凡なのは顔だけね、と元女侯爵は呆れたように笑って、当初の目的である害虫駆除を目前の神官にお願いする。貴族が見目の良い平民を愛人にしようとするのは珍しいことではない。それが同意の上ならば、問題はないのだ。
しかし、同僚メイドのメヒティルデはどこぞの平凡顔男を見ると金の瞳を輝かせて笑う。そんな彼女の心に、伯爵家令息の騎士が入る余地などあるはずがない。
そもそも、愛人にうっかり子供ができたら、苦労するのは子供の方なのだ。
―――妾腹にも関わらず、彼女の母親を溺愛する元侯爵によって強引に跡継ぎにされて散々苦労した元女侯爵は、心の中で件の騎士に合掌した。
「この前、部隊長の遣いで行った辺境伯閣下の本邸に、すっごい綺麗な人がいたんですっ」
後輩の騎士が興奮したようにしゃべるのに、こいつも随分戦場に慣れたもんだ、と先輩騎士は携帯食料を噛み砕きながら耳を傾ける。
魔獣前線の交代休憩時の食事に、調理時間などというものはない。そんな余裕はそもそもないし、よしんばあったとしても、その時間で一頭でも多くの魔獣を討伐しろ、というのが上の考えだ。
つまり、一切の調理なく騎士が口にする食料は、加熱して殺菌しない分、どれもこれも保存性重視で乾燥したものが多い。よって、口の中の水分を全部持っていく上に、喉につまりそうになる。
苦い薬草茶で、どうにか携帯食料―――多分、小麦とドライフルーツと穀物を砂糖で混ぜ固めたものだろう―――を飲み込んだ先輩騎士は、辺境伯領本邸で見かけた『赤い髪』で『金色の瞳』のメイドが、いかに可憐で品が良く優しかったかを語り続ける後輩騎士に、一つ頷き、口を開いた。
「やめとけ」
え、と目を丸める後輩騎士に、先輩騎士は続ける。
「『赤薔薇の君』だろ、そのメイド。もう売約済みだから、やめとけ」
で、でも恋人はいないって聞きましたよ、と反論する後輩騎士に、先輩騎士は頭をガシガシと掻いて面倒臭そうに言った。
「だから、まだ『売れてない』だけで、もう『買い手』がいるんだよ。あー、この言い方だと語弊があるか。ええとな、もう決まってんだよ、『赤薔薇が一番幸せに咲き誇れる場所』ってやつが」
両想いの相手がいるといわれても、まだ納得がいっていない顔をする後輩騎士に先輩騎士が、まぁ、飯でも食いながら聞け、と白い紙に包まれた携帯食料を渡す。中身は知らないが、やけに固いそれを恐る恐る後輩騎士が齧る。
「なんかチーズの味がするけど、なんでしょう、これ」と咀嚼を続ける後輩騎士に、「どうせどれも似たり寄ったりの不味さなんだ、味なんぞ気にするな。今生きていて、こうやって不味い飯を食えるだけましだと思っとけ」と先輩騎士は返して、飲み込むための薬草茶を渡してやる。
「で、だ。生きているっていえば、俺達を黄泉路から呼び戻す帯同神官部隊がいるだろ。お前、神官のテオフェルを知ってるか?」
チーズ味の塊を咀嚼しつつ、黙って頷いた後輩騎士は、そういえば先日一回死んで聖魔法で蘇生を受けていた。あの時の担当神官がテオだったのかもしれない。
「赤薔薇の君の相手はアイツだ」
でも、と薬草茶で無理矢理に口の中のものを胃に流し込んだ後輩騎士が言う。
「俺達騎士の方が直接魔獣を討伐する分、女性受けがいいはずですよ。神官なんて安全な後方陣地で仕事してるだけの回復役じゃないですか」
愚かな子犬を見るかのような目で、先輩騎士は首を横に振った。
―――昔な、テオが前線に『見学』に来たことがあったんだ。名目は何だったかな、俺達が負傷する現場を実際に見て、今後の治療方針に役立てるため、とかだったか。
それで、アイツは同行した部隊を半壊させた準主級の黒狼を一人で討伐しやがった。ついでに、その戦闘で死んだ騎士どもを回復して、大変勉強になりましたって後方陣地に悠々と帰ってったんだ。
で、その時に蘇生した騎士にこう言ってたぞ。
『その程度の実力で赤薔薇の君に手を出そうとしたのかよ。せめて神官の俺より強くなってからにするんだな』
お前、準主級の黒狼を単独討伐できるか? と尋ねる先輩騎士に、後輩騎士は青くなって首を激しく横に振った。当たり前だ。本来、最低30名の騎士でどうにか討伐する魔獣なのだ。それを一人でなど、正気の沙汰ではない。
はぁ、と溜息をついて先輩騎士は言った。
「テオはな、『顔だけ平凡野郎』って有名なんだよ。聖魔法と癒術は勿論、俺達騎士の本業である剣術も超一級の腕前だって話だぜ。その上、使える魔法は回復系だけじゃなくて攻撃系もいけて、魔力量が上位貴族並みなんだとさ」
化け物じゃないですか、と呟く後輩騎士に、先輩騎士は深く頷いた。
本当なら神官ではなく騎士として前線で戦わせたいところなのだが、この魔獣戦線は激戦地であり損耗率が著しく高い。聖魔法適性の高い彼を、万が一にも失う訳にはいかないと、後方陣地から動かすことができないのだ。
せめてもう一人、彼と同じレベルの聖魔法使いの神官がいれば話は変わるのだが。
「で、お前が手ぇ出そうとしている赤薔薇の君は、その化け物が後生大事に守ってる宝物なわけだけど」
―――どうすんの。まだ赤薔薇の君を狙うってんなら、お前がいつまでもつか賭けの胴元にならなくちゃなんねぇんだけど、俺。
そう続けた先輩騎士に、後輩騎士は白旗をあげた。賭けの対象になりたくなかったのか、それとも顔だけ平凡男の敵対対象になりたくなかったのかは、聞かないでおいてやることにした先輩騎士だった。
後輩騎士が藍色の瞳を輝かせて、机の向こうにいる華やかな美女を見つめている。光沢のある紫の髪を緩く結んで、白い髪飾りをつけた彼女は、若い騎士達から牡丹一華の君と呼ばれる本邸メイドだ。
後輩騎士の赤薔薇の君への淡い恋心を玉砕させた先輩騎士が、彼を気の毒に思って開催した本邸メイドとの食事会という名の出会いの席であった。主催者である先輩騎士は、内心で頭を抱えた。
―――だから、なんでお前は毎回、的確に一番の大物に引っかかるんだ!
花の名で通称を付けられている本邸メイドは、それだけ知名度が高く、競争相手が多い高嶺の花なのである。果たして、後輩騎士の次の恋がどうなったかは、ずっと先の戦場で、彼の耳に飾られた宝玉の色を知るしかないのだが、それは随分先のお話であった。




