【11.7話】じゃがいも男と私【本編:メヒティルデ視点、後書:皇弟視点】
―――初恋の人ってどんな人?
幼年学校で同級生とキャワキャワ話しそうな内容だ。外交官だった両親に連れられて諸外国を転々としていたメヒティルデには、無縁な会話だった。親しくなる前に転校するのだ。そんな話をする相手などいなかった。……の、だが。
「ねぇねぇ、ティルはどんな人だったー?」
赤ら顔の同僚メイドが尋ねるのに、メヒティルデは少し口籠った末に答えた。
「……じゃがいも」
居酒屋のテーブルに沈黙が落ちた。まん丸になった紅茶色の瞳がメヒティルデに向けられる。
「え、まさかの人外?」
別の同僚が、そういや、メヒティルデってジャガイモ料理好きだよね。ここでも揚げ芋とか粉吹き芋添えラムチョップ頼んでるし、と卓上に届いている料理を見やる。
「好きな相手は、食べたいタイプ……?」
好き勝手言う酔っ払い達に、メヒティルデは悲鳴を上げた。
「ち、違う、違うっ。顔がジャガイモだったの!」
ひでぇ言い草だ、と同僚達が口々に言う。言った本人もちょっと思った。
***
今日は、辺境伯領本邸のメイド有志による懇親会という名の飲み会だった。
本邸使用人には、週に1日公休日が与えられている。交代に取る休日が被った友人達と下町に繰り出して、買い物やお茶をしたり、夕方から飲みに出かけることは珍しくない。
喉越しのよいヴァイツェンビールの香りを楽しみながら、肉料理やらサラダやらをつまみつつ、他愛もないおしゃべりに花が咲く。そんな中で、酔っぱらった女達が初恋談義を始めた、というわけだ。
「え、それで、じゃがいも男のどこがよかったの?」
酔っ払いメイドがグイグイ来る。おしゃべり好きで、よくメイド長に口より手を動かせと叱られている彼女が、キラキラと紅茶色の瞳を輝かせながらメヒティルデの顔を覗き込んだ。それに、酔いばかりではない赤さのある顔で彼女は答えた。
「花をくれたの」
それでそれでっ、と別の同僚が先を促す。
「泣いてたら、赤い薔薇をくれて、それで、その……」
真っ赤になったメヒティルデを同僚達が囃し立てる。
「きゃーっ」
「気障っ」
「ほほう、やるのぅ」
顔がジャガイモでもそれは惚れるわ、と頷く同僚にメヒティルデは小さい声で反論した。
「別に、ジャガイモに顔が似ていたわけじゃなくて」
同僚は藍色の瞳を瞬かせて、首が傾げた。しばし考えた後に、口が開かれる。
「つまり、リアルジャガイモじゃなくて、比喩ジャガイモ?」
比喩ジャガイモってなんだそれ、と別のメイドが萌黄色の瞳を彼女に向けた。
「つまりさぁ、魔獣戦線に騎士がごまんといるじゃん? あっこにジャガイモを投げたら、当たった相手の顔にいそうなくらい、平凡でふつーな顔ってこと? かな?」
合ってる? と向けられた藍色の瞳に頷いて、多分もう一度会っても分からないくらい、よくある顔だった……とチビチビとビールを口にする。
無言で追加の黒ビールをグビグビ飲み干していた紅茶色娘がジョッキを卓上に叩きつける。
「もったいない!」
なんかヒントないの? もう一回会ってみたいじゃんっ、お礼とか、それを理由にお茶とかさーっ、と鼻息荒く詰め寄る彼女に、タジタジになりながらメヒティルデは首を振った。
「神官服を着てたけど、そもそも会ったの神殿だし。それに帝都だから、多分もう会うことはないよ」
ああー、と残念そうな声が同僚達から上がる。
彼女達は、メヒティルデが元貴族で、当主争いから逃れるために平民堕ちして辺境伯領に避難してきたのだと知っていた。生家の一族を刺激しないために、メヒティルデは辺境伯領から出ることができないのだ。
この領地にはそういう訳アリの人間が割とよくいるので珍しい話ではない。というか、この仲良しメイドグループも訳アリ元貴族組だったりする。
別に元々平民のグループと仲が悪いという訳ではないのだが、ちょっとした文化の違いなどで悩んだ時にお互いにフォローし合ってきたために、自然と仲良くなった仲間達だ。
まぁ、貴族とはいえ元である。こんな下町の居酒屋で、酔っぱらって恋バナをしている時点で、もはや貴族令嬢とか何それ美味しいの状態であった。
***
しゃべっては笑って飲んで食べて、皿もジョッキも空になったしお開きにするか、というところで背後から声がかかった。
「おっ、綺麗なお花が揃ってる。どしたの? 今日休み?」
聞きなれた声に、本邸メイド達は振り返った。
「あっれー? テオじゃん。そっちも交代休暇ー?」
めちゃくちゃ短期でなんと3日間だけどね、と肩を竦めて見せた彼を、藍色娘が指差した。
「ジャガイモ男」
焦げ茶色の目を瞬かせたテオフェル神官は、栗色の髪を指でつまんで、え、髪がジャガイモ色ってこと? と首を傾げた。
「いや、平凡っていうか、マジで知り合いに3人か4人かいそうな顔だよね。テオって」
ひでぇ、と腹を抱えて笑って見せた彼は、俺は気に入ってるんだけどなぁと、酔いどれの暴言を軽く流した。
「綺麗な顔だと、それはそれで苦労があるじゃん」
彼はそう言って親指で横にいる連れを指差す。
それまで無言だったレオン少年神官がペコリと頭を下げるのに、可愛いーっと年上メイド達が歓声をあげる。そして「確かに苦労が多そうだわ、この顔は」と内心で頷いた。
―――元貴族組は知っているのだ。綺麗なものにはリスクが伴うことを。
***
「私らは帰るとこだけど、先輩神官に美味しいお肉を沢山おごってもらうんだよ。オススメはラム肉と揚げ芋ー」
ふらつきながら立ち上がるメヒティルデに、同僚メイド達が、やっぱりジャガイモ推しなんじゃんっ、とキャラキャラ笑う。それにテオフェル神官が苦笑して、できあがってんなーと手を差し出した。
何? と首を傾げる酔っ払いの金の瞳を、腰をかがめてジャガイモ男が覗き込む。
「お城までお送りしますよ、お姫様」
重ねられた小さな手を握りしめ、彼は他のメイド達にも声をかけた。
「もう暗いし、送ってくよ」
ええー、いいのー? と尋ねる酔っ払い達に、おお、ゆっくりでいいから水飲んでから立ち上がれよー、とテオフェルが返す。いいよな、と聞かれたレオン少年神官も無言で頷いて、女性陣が足元に置いていた荷物を持つのを手伝う。
そんな彼らを眺めながら、酔いでグラつく頭でメヒティルデは思った。
―――多分、もう会うことはない。そう思っていたんだけどなぁ。
きゅっと分厚い掌を握り返して、酔っ払いは隣の男にもたれ掛かった。どうした、飲み過ぎたか? と尋ねる声は、あの日より低くなった。でも、その優しい喋り方とこちらに目線を合わせてくれる気遣いは、あの日のままだ。
じゃがいも男の良いところは、メヒティルデだけが知っていればいいのだ。そう思って、先程まで初恋談義をしていた元貴族令嬢はひっそりと笑った。
今日の晩飯はここにするか、と大衆居酒屋を覗き込んだテオフェル神官は「お、ついてるな」と呟いて、耳元の通信具を指先で叩いて起動させた。
範囲は周辺3km以内、性別をちょっと悩んだ末に男に限定して、彼は一斉通信を行う。
「おーい。聞け、野郎ども。野兎亭にお花達が咲いてるぞー。そろそろ帰るみたいだから、一緒に本邸まで送ってきたいやつは来い。牡丹一花の君と竜胆の君、百日草の君と豪華メンバー揃い踏みだから、早いもん勝ちな。あと、知ってると思うけど、赤薔薇の君に手ぇ出したら次の戦場で背後に気を付けろよ」
おおーっ、と歓声が深紅色の宝玉の向こうで上がるのを聞きつつ、通信を切断する。隣にいる小柄な後輩神官を覗き込んで、「ちょっと飯が遅くなるけどいいか?」と尋ねる彼に、レオンは頷いてみせた。
「はい。よかったですね」
後輩神官にまで思い人を知られていることに頬を掻いたテオフェル神官は、少し照れくさそうに「おう、ありがとな」とレオンの金髪をガシガシと撫でてから店内に入った。