【11.6話】この花を貴女に。【本編:皇弟視点、後書:長男視点】
母は毒婦と呼ぶに相応しい女だった。
透明感のある美しい金髪に、新緑を思わせる若葉色の瞳、男好きのする肉感的な体を持ち、雲雀のような声で男たちを誘惑する様は淫魔そのものだと幼心に思ったものだ。
男から男へ蝶のようにヒラヒラと渡り歩き、俺が13の時に、産後の肥立ちが悪く神の御許に旅立った。遺された異父兄弟は、男ばかりが15人。全員の父親が違うというのだから、中々たいしたものである。
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母は亡国の第五王女だった。難民に混じってヴァッレン帝国に逃れた彼女は、唯一共に避難できた長男と共に、身分を隠して使用人となり貴族に仕える道を選んだ。美しい容姿と王族であったがゆえの教養から、勤め先には困らなかったらしい。
祖国では、女の王族のみが異能『育成』を継承し、女王蟻として優秀な騎士を産み国土を守っていたそうだ。結局滅んだところをみれば、無理のある防衛システムだったのだろう。たった一つの異能に頼って守り切れるほど、魔獣との生存競争は甘くはない。
『育成』は胎内に宿した子の容姿や能力を自由に選択できる能力だ。ただし、両親いずれかの血筋が実際に有した能力しか選ぶことはできない。より優秀な『選択肢』を得るために、母は高位貴族の屋敷を使用人として渡り歩いた。
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母は産むまでが自分の仕事だと思っていた節がある。
事実、生まれた子供の世話と養育は長男である兄を始めとする俺達兄弟の仕事だった。俺が7歳で神官学校に特待生として入り、激戦地である最前線への帯同神官になろうと思ったのも、高給取りになって弟達を学校に行かせて腹いっぱい飯を食わせてやりたいと思ったからだ。
母の葬儀のために集まった兄弟達でいっぱいになった貸家のボロ部屋で、長男である兄に尋ねた。
こんなに兄弟を増やして、母は祖国を復興しようとでも考えていたのか、そう聞いた俺に、兄は首を振った。
「あの人はそうであるのが正しいと育てられたんだ。より多く優秀な子を産めば死後に天国で幸せに暮らせると、そう教えられて私を産み、この帝国に逃れてもその教えを信じていた」
―――果たして彼女は、その信じた神の御許に辿り着けたのだろうか。
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大した感慨もなく、母の亡骸を淡々と神殿の無縁墓地に葬った。
独立した墓を作るほどの金は我が家にはない。たとえ家の墓なんぞを作ったところで、末弟が独り立ちすれば俺達兄弟はバラバラになる。これまで一緒にいた理由である、母親が次々と生み捨てる弟達の面倒を見るという共通の目的が無ければ、集まる理由もないからだ。
墓参りする人間もなく朽ちて荒れ果てた場所よりも、誰かが常に花を供えてくれる集合墓地の方が寂しくないだろう。そう考えたのが、家族としての情からなのか、最期まで妄執の中にいた女への憐憫からなのかは、今をもっても分からない。
ただ、帯同神官任務の合間に帝都に帰還した際に、無縁墓地に花を供える習慣がなんとなく続いていた。
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その日は赤い薔薇の花束を抱えて神殿の通路を歩いていた。定番は白百合なのだが、別にどの花はダメだなんてルールはないし、あの母親に清楚な花を供えてもなぁ、と考えた結果だった。確か、14か15ぐらいの時だったと思う。
柱の陰に、10歳ぐらいの女の子供が蹲っていた。薔薇の様に鮮やかな赤髪の少女は、膝に顔を埋めて震えているようであった。迷子であろうかと声を掛ければ、涙に濡れた金の瞳がこちらを見上げる。
「御父様と御母様にさようならをしたの」
何らかの事情で両親を失ったらしい少女は、だって、と続ける。
「死ななかったら大抵のことはかすり傷って御母様が言っていたから。死にたくなかったの」
でもやっぱり悲しいと泣く少女に、なんと言葉をかければよいか分からなかった。
目線を合わせるためにしゃがんだままオロオロとさ迷わせた視線に、深紅色が映る。
「薔薇は好きか?」
きょとんとこちらを見る少女に、赤い薔薇を一本手渡した。
「よくわかんねぇけど、女は綺麗な花が好きなんだろ。母さんもよく貰ってた。これやるから泣き止めよ」
金の瞳を少し丸めて、次の瞬間に「ほんとだ、綺麗」と破顔した彼女に、束の間目を奪われた。
暫く話していると、所属する神官部隊の上官であるラウレンツ神官が慌てた様子で廊下を駆けてこちらに来て、少女を回収していった。
「お花、ありがとう。お兄ちゃん」
赤い目もとで笑った少女が、かつて言っていた。
『生きていたら楽しいこともあるから、死ななかったらかすり傷なんだよ』
そうだな、と誰にともなく頷いた。母親のいる無縁墓地に赤い薔薇の花束を供えながら、少女にその言葉を教えたという彼女の母親に同意する。
―――死んだら誰でも土の下だ。だったら、その時まで精一杯人生を楽しんでやろう。
後に思いもよらない場所で少女と再会することになるとも知らず、ただ、鮮やかな赤髪とキラキラと眩しいほどに美しい金の瞳だけが、いつまでも記憶に残っていた。
「母さんと兄さんは美形なのに、なんで俺達はフツーなの?」
8番目の弟が尋ねるのに長男は苦く笑った。見目が良くてもいいことばかりではないよ、と弟の髪をグシャグシャとかき混ぜてやり「ほら、葬儀の時間だ。祈祷の間に移動するよ」と立ち上がる。髪型が崩れたと文句を言う弟の声を背に、彼は神殿の廊下を進む。
―――その答えは、泉下の人となった彼女にしか分からない。
故国で生まれた自分は、人形のように整った容姿であるのに対して、ヴァッレン帝国で生まれた弟たちは、それぞれに顔立ちこそ違うものの、平民として一般大衆に紛れれば探すのが難しいほどに凡庸な容姿である。
異能『育成』は能力と容姿を任意に選べるものだ。つまり、我々の姿形は、母の明確な意思の下で決められたものなのだ。
それが、女王蟻が産む働き蟻に煌びやかな容姿など必要がないという判断からだったのか、平民として生きる子供たちが少しでも生きやすいようにという親心からだったかなんて、もはや知りようもないことだ。
―――知ったところで、もはやこの世にいない人間の話だ。何の意味がある。
目を伏せた彼は、祈祷の間に横たわり、永久の眠りについている母親を思った。もうすぐ灰になって集合墓地に埋葬される、最期まで自分たち兄弟を振り返らなかった女を。
―――死んだ人間なんか振り返らずに、お前達はお前達の好きな道を歩いて行ったらいいんだ。母さんだって、最期まで好きなように生きて死んだのだから。
そう思いつつ、長男はその後もしばしば花束を持って無縁墓地に赴いた。色とりどりの花束が供えられたそこが、彼女の思い描いた楽園に近い場所ならいいと、そう願って。