11:Happily ever after【前書:息子視点、本編:主人公視点、後書:**視点】【本編完結】
――母さんが耳に通信具を付けさせた時点で、分かってたことだよなぁ、とレオンは遠い目をした。
跪いて頭を垂れた貴族青年が目前にいる。まるで貴族令嬢に求婚するかのような態勢の彼は、レオンの嫁の兄、つまり義兄であった。
「母君を私に下さらないだろうか」
戦場のど真ん中で義兄に実母との結婚の承諾を迫られた時ってどうするのが正しいんだっけ。
え、神殿実習でも、ラウラと婚約してから受けた貴族教育でも習わなかったよな。これどうすればいいんだ、と珍しく鉄仮面に困惑の表情を浮かべるレオン。その背後で、義父である現辺境伯と先輩神官が腹を抱えて笑い崩れていた。義母たる辺境伯夫人は額に青筋を浮かべている。やはり、貴族の常識的にも普通ではない状況らしい。
「ならぬ!」
何故か嫁のラウラがレオンの前に立って返事をする。腕組みをして仁王立ちする姿は、義母上が嫁に欲しければ私の屍を越えていけ、といった様子だった。実際一ヶ月前に彼女の蘇生を回復魔法でしたレオンとしては勘弁してくれというのが正直なところだ。あんな思いは二度とごめんである。
「ラウラって本当に母さんが好きだね」
ひょいっと屈んで覗き込めばラウラが頬を赤らめてこちらを見上げてくる。どういう反応だ、と戸惑えば、彼女は黒の瞳を潤ませて訴えてきた。
「義母様はな! 笑顔が控えめで可愛らしくて、抱きしめると柔らかいうえに良い匂いがするのだっ。しかもレオンの母君なのだぞ!? 好きにならない方が可笑しいだろうっ」
思っていたよりもガチめの反応にレオンは仰け反った。慌てて立ち上がった義兄が「おい、抱きしめたというのはどういうことだ」と、多分聞くべきところはそこではないことを聞いている。カオスである。
「兄様もレオンもいない日は御母上と共に一日を過ごすこともあったゆえ」
そう言って妻ラウラはレオンの知らない母リオンとの帝都での日々を話し始めた。
最初は遠慮して別棟に長居しないようにしていたらしい。しかし、どうやら母が寂しがり屋らしいと気付いてからは、邪魔にならないか様子を見ながら滞在時間を長くしていったという。
それで、気付いたら三食を共にして、風呂も一緒に大浴場に入って、同じ寝台でおしゃべりをしながら寝ていた、と言われて頭を抱えた。なんか義兄ルイス殿も「どこかで聞いたことのある戦法だ……」と項垂れている。
なんというか、当時、戦地への帯同神官としての職務と帝都での貴族教育で忙殺されていたレオンよりも恋人らしい関係である。なんだったら、母リオンを腕枕したことがある妻ラウラの方が、今、母君を下さい宣言をしたルイス義兄上よりも母と仲が良い可能性がある。
母さんって気を許した相手には全く警戒心をもたないんだよなぁ、とレオンは眉間を揉んだ。
「これは……」
執務室の中空に浮かんだ臣民情報を前にリオンは唸り声をあげる。
執務官と使用人達がチラリとそれに目をやる。彼女には他者に見えない何かが見えているのだと彼らは理解していた。深く思考に沈んだリオンの様子に、緊急性はなさそうだと各々が仕事に戻る。魔獣の大規模攻勢から一ヶ月が経過していた。
***
家令と侍女頭を呼び出し、この国における『常識』を尋ねた。やはり確実性が大事なようだ。リオンはふむと腕組みをして戦場マップを呼び出した。なんともタイミングが良いことにバルリング一家と息子レオンが同じ場所に集合している。
周囲に魔獣がいないところを見ると交代休憩中らしい。耳元のイヤリング型通信具を起動させ、愛息子に声を掛けた。
「レオン、少しいいかしら」
なんだか疲れたような声が「母さん」と返事をするのに首を傾げつつ問いかけた。
「貴方、ラウラさんを聖魔法で蘇生したのよね」
うん、と肯定する息子に更に続ける。
「そのときに気付かなかったの?」
暫し両者の間に沈黙が落ちる。レオンが戸惑ったような声をあげた。
「え、何に?」
何って……言いにくいなぁ、とリオンは指先で雫型のイヤリングを弄った。
「そうね、横にラウラさんがいるのでしょう? ちょっと癒術で体調チェックしてみなさい」
レオンは大侵攻からこちら、リオンから様々な情報提供を受けており、彼女がどうやってか戦場の人間達の情報を『見る』ことができるらしいと知ってる。慌てた様子の息子は、急いで彼の嫁のラウラに癒術を使い体内の異常を調べているようだった。
暫くして、震え声でレオンが母親に尋ねる。
「母さん……これ何ヶ月か、そっちで分かる?」
直接癒術を使ったのに分からないの? と聞く母親に、息子は専門神官でもないんだから分からないよ、と力のない声で返した。
「2ヶ月と13日みたいよ」
日数までわかるの!? と珍しく素っ頓狂な声を出すレオンに、気まずそうな声で、分かるみたいね、と彼女は答えた。
「先程から一体何の話をなさっているのですか、お二人とも」
通信具越しに久々に聞いたルイス様の声に、心臓が飛び出そうになる。
「ル、ルイス様……」
その続きをレオンの声が遮った。その場にいるらしい現辺境伯に向かって彼は告げた。
「義父上、ラウラに子が出来ました。後方の辺境伯本邸で安静にさせたいのですが、部隊の再編成を上にお願いしては頂けませんか」
複数人の驚きの声が通信具の向こうから響き渡り、リオンは思わず耳を塞いだ。
尚、一番大きい声はラウラ本人のものであった。
後に、あんな公衆の面前で公表してよかったの? と尋ねた母親リオンに、息子レオンは苦笑いで答えた。
「だって、ああやって嫌でも後方に行くようにしないと、皇后陛下みたいに産み月まで戦場にいそうだったから。実際、皇太子殿下は戦場で生まれたらしいよ。まぁ、何かあっても僕の聖魔法と癒術でどうにかするけど」
リオンは思った。この異世界カルチャーギャップに驚かなくなる日は本当に来るのだろうか、と。
***
夜の帳を魔石ランプがぼんやりと照らす。その光源を頼りに書類に目を通していたリオンは、ノックの音に顔を上げた。すでに晩餐を済ませて白い夜着に身を包んだ彼女は、後ろで軽く一つに結わえた髪をなびかせつつ、扉に向かう。
「まあ、ルイス様」
同じく寛いだ夜着姿の彼を室内に招き入れ、長椅子を勧めて横に座る。そこが彼ら兄妹の定位置となって随分になる。もっとも、妹君のラウラ嬢は妊娠が分かってから、早めの就寝と飲酒の禁止を息子レオンに言い渡されており、こうして夜に訪ねてくることは少なくなったのだが。
「良い酒を帰還祝いにノイス侯爵から贈られまして。一緒にいかがですか」
小さめの丸テーブルに葡萄酒の入った瓶が置かれた。なんでもノイス侯爵領で特級とされる超レア品らしい。ワインレッドがガラス越しに魔石ランプの灯りを反射してキラキラと輝いている。
ルイス様が持参したグラスを掲げ、共に乾杯の祈りを捧げる。
「旅立ちし命よ、安らかに」
「共にあった命よ、軍神の加護があらんことを」
口に広がる芳醇な香りと味に思わず相好を崩す。ルイス様を見やれば、黒の瞳と目が合った。
「気に入られましたか?」
コクコクと頷けば、それはよかった、と彼は目を細めた。グラスを空にしては、ルイス様に注ぎ足されつつ、ここ数か月の怒涛のような毎日の話をお互いにしていく。
辺境伯一家が戦地に総出で出征した後の本邸は、文官の激戦地となっていた。後方への領民達の避難指示とその受け入れ先の調整、戦地への支援物資の提供体制の再構築、リオンのみが閲覧できる【魔獣マップ】【臣民情報】から分析した情報の騎士団への提供。
挙げればきりがない量の仕事を、寝る間も惜しんでこなした。結果、現在リオンの通信具には、騎士団上層部のみならずヴァッレン帝国の高位貴族・官吏及び皇帝夫妻との通信回路が設定されている。最後の二人に関しては気付いたら直通回路が設定されていて震えが止まらなくなった。女王としての振舞はできても、根が小心者のリオンであった。
ルイスの方は、不眠不休で只管に魔獣を狩り続けていたらしい。勿論、それだけではなく、異常湧出した魔獣に破壊された防衛設備の再整備や補充された人員の再配置、先日皇位継承権放棄を神前で誓った皇弟殿下による『障壁』の修復や一部前進させる形での再形成の補助などをしていたそうだ。
お疲れさまでした、とワインを注ぎ足せば、そちらも、と返杯を受けた。
ところで、とルイス様がグラスを机上に置く。いつもよりも切り上げるのが早いが疲れが溜まっているのだろうか、とリオンは彼を見上げた。彼女の碧の瞳に、端正な顔立ちに真剣な表情を浮かべた青年が映る。
「レオン殿に『母君を下さい』と言ったところ『母さんがいいならいいですよ』との返答を受けたのですが」
思いっきり咽せた。片手で口を押さえ、もう片手のグラスを持て余していると、慌てた様子でルイス様が横の丸テーブルに置いてくれた。気管支に入ってしまい、大きく咳をしてゼイゼイと呼吸する背中を大きな掌が摩る。
「だ、大丈夫ですか」
―――まったくもって大丈夫ではない!
俯いたままのリオンは内心で叫んだ。まず、白い夜着に赤いワインのシミがついてしまった。次に、毎回のことながら酷い醜態をルイス様に晒す羽目になった。その上、薄い夜着越しに掌の熱さが感じられて落ち着かない。そしてなにより。
「いきなり過ぎるでしょう」
リオンは他人の心の機微に敏い方ではない。人との関わりを避けてきた分、苦手分野ですらある。そんな彼女でも、ルイス様がリオンにどのような感情を抱いているかは、薄々気づいていた。というか、あんなことやこんなことまでされて、気付かない方がどうかしている。
―――咳き込んだせいで潤んだ碧の瞳が、黒髪の偉丈夫を見上げる。寝る前であり当然化粧は落としてしまっていた。それでもなお赤く艶めかしい唇が開くのに、ルイスはごくりと唾を飲み込んだ。
「いいですよ」
え、と黒の瞳を丸くした彼に言葉を重ねる。
「私を一人にしないと約束するのならば、いいですよ。どんな戦場に行かれても、必ず私の隣に戻ってきて下さいませ」
ルイス様に抱きしめられて真っ暗になった視界の中で、リオンは小さく笑った。
――― 一人でのんびりまったり過ごす。
一人息子の独り立ち後は誰とも深く関わらずに、ただ穏やかに余生を過ごすつもりであった。そんな人生設計はもはや叶いそうにもない。だが、彼が、ルイスが隣にいてくれるのであれば、こんな毎日も悪くない。そう思えた。
温かな腕の中で、酔いも相俟ってウトウトとし始めたリオンは、まだ知らなかった。
―――本人は能力強化のために設定しただけのつもりの『王配宣言』が皇帝の耳に入っており、教皇の署名入り婚姻許可証が既に発行済みであるということも。
―――ラウラと共寝をしたそうですね、とやけに低い声のルイス様に問い詰められて、妹に許したのならば私も構いませんよね、と迫られることも。
―――後に彼女達の恋愛模様が、帝都で評判の歌劇になるだなんてことも。
まったく知らずに、ルイス様の腕の中で彼女は幸せそうに笑っているのだった。
―――知った声が嘆くのにたずねれば、いるはずの命が見えなかった。慌てて時を辿れば、まさに風前の灯火となった命を悲しむ、小さな同胞達がいた。思い浮かんだのは、困ったときは頼れと言ってくれた友の赤い瞳であった。
玉露と羊羹を手土産に友を訪ねた。相手は嬉しそうにそれを受け取ると、どこからか急須を引っ張り出し、中空に浮かべた水の塊を熱して湯を沸かし始める。それを眺めながら椅子に腰かけて尋ねた。
「それで、あの人の子らは元気かの」
パチリと瞬き一つして、友は頷いた。
「ああ、ちょっと前に頼まれたあの者らか。うむ。元気であるぞ。子もできた」
ほぉ、めでたいのぅ、と目尻を下げれば、よかったな、と微笑まれた。
「それにしても無茶をしたものだ。隣近所の神々に随分と苦言を呈されたと、遠く離れたこちらまで伝え聞いたぞ」
心配そうな顔をされて苦笑を返す。
「最近は『ルール』とやらが厳しくてのぅ。人の子らに昔のように関わっては、かえって良くないと若い者らに叱られてしまった」
難しい世の中になったものだと零せば、慰めるように湯呑が差し出された。それに礼を言い啜っていると、相手が、ふむと天を仰いだ。
「ならば、こちらに越しては来ぬか。」
首を傾げれば、異界の軍神は赤い瞳をキラキラと輝かせて言った。
「私の隣で夫婦神として、あの人の子らを子の子のずっとその先まで見守ってはどうだ」
九つの尻尾がぶわぁっと膨らむのが分かった。へ、とか、え、とか言葉にならぬ言葉を漏らすこちらを、黒髪の男神がじっと見つめている。思わず目を逸らして、湯呑に目を落としつつ告げる。
「妾は今となっては神社も廃れて大した力を持たぬ、ただ古株であるだけの神じゃぞ」
構わない、と伸びてきた手が湯呑を持つ手を包み込む。
「し、信者も、もはやあの子とあの子の親族が近所だと来てくれていたぐらいで」
なにやら人の子が読んだ書物に九尾の狐が登場するものがあり、その縁で稲荷神社に通い始めたといっていたな、と片手を取られた。
その人の子らを見守っていたら、二人が楽し気にやっていたゲェムがこちらの世界に似ていると其方に話しかけられたのが最初であった、と懐かしげに指を撫でられる。
「その神社も、人の子らの土地開発で無くなってしまったのじゃ。……もう、いつ消えてもおかしくない」
だが、まだここにいる、と取った片手に戦神が口付けるのに、九つの尻尾それぞれが落ち着かなげに蠢く。フルフルと狐耳を震わせ真っ赤になって涙目に見上げる女神に、男神は笑ってみせた。
「人の子らと同じく、我らとて、こう物語を締めくくってもよいではないか」
―――そうして彼らはいつまでも幸せに暮らしましたとさ。