10:それは私と女王は笑った。【前書:叔母視点、本編:主人公視点、後書:レオン視点】
―――異世界転生してどっかで幸せに笑っていてくれたらいいのに。
喪服の女が開いたノートパソコンにパスワードを打ち込む。
『昨日は車出してくれてありがとう、リサ叔母さん。アニメの劇場版、面白かった! 観覧車の上でパンダとポーカーした中年漁師ほんと沼。ノーパソのパス、あの駄目中年の誕生日にしたので万が一の時には積み荷を燃やしてください。……来年やる続編アニメも楽しみだなぁ。見られたらいいな』
結局、そのアニメを見ることなく17歳で旅立った彼女は、生まれつき体が弱かった。先天性疾患があり、医者に20歳まで生きられないだろうと言われていたのだ。そんな彼女に兄がつけた名前は『久遠』。永遠であれと両親に願われた子だった。
ごく普通の子だった。少し人見知りで、寂しがり屋の可愛い私の姪。激しい運動をしなければ日常生活を送っても構わないという主治医の助言のもと、最後の日までありふれた女子高生の一人として過ごした子。
≪フロンティア・ヴァンガード≫というゲームを教えたのはリサだった。引っ込み思案な姪もネット上なら友人を作れるかもしれないと勧めたのだ。一緒に初期設定を進めた時のことを今でも覚えている。
『国名? うーん。じゃあ、【リサ】とク【オン】で【サリオン王国】。キャラ名は【リオン】!』
一瞬で国とキャラの名前を決めた姪に、そんなに簡単に決めていいのかと尋ねた。
『だってゲームだし、私と叔母さんの名前をもじってたら分かりやすいかなって』
リサ叔母さんと慕ってくる私の大切な姪。
『どうして【鎖国モード】のままか? ……だって、フレンドを作ったら相手が困るかもしれないし。私が生きて明日もゲームにログインできるかなんてわからないもん』
優しくて臆病で、そのくせ寂しがりやな私の愛おしい姪。
『お父さんとお母さんはきっと私のものを捨てられないから、リサ叔母さんが処分してくれないかな』
そんな彼女に生前頼まれたのは、ノートパソコンの内容削除と本体の破壊だった。
教えられていたパスワードで起動した画面に、新着メールが一件。見ずに削除すべきか迷った。だが、万が一友人からならば、彼女のことを伝えなければならない。
差出人だけ確認しようと開いたメールアプリに表示された差出人名は――ー。
「……フロンティア・ヴァンガード運営局?」
このゲームを姪に勧めたのは自分だ。何かトラブルでもあったのだろうかと、思わず開いたメールには、思ってもいないことが書かれていた。
姪のアカウントが誤って初期化され、復旧が不可能であること。同様の被害を受けたユーザーと同じく、課金の証拠をメールで送れば返金処理を行うこと。その他注意事項が書き連ねられたメールの日付は、あの子が永遠に眠った日だった。
―――あの子と一緒にあの子の作った国が旅立ったみたい。
馬鹿な考えが頭に浮かんだ。
―――ゲームの世界でもどこでもいいから、転生でも転移でもなんだっていい。あの子がどこかで今でも笑って人生を楽しんでいるならば、それだけで、いい。
きっと届かない、ずっと祈ってきた思いを、神でも仏でも誰でもいいから聞き届けてくれと希う。
―――どうか、幸せで。
―――【魔力・体力値不足により現在アバターを停止中】
真っ白な空間の中、リオンは一人蹲っていた。ここに来るのは二度目だ。前回は皇帝とフレンドになった時に、突然ここに放り出された。そのまま魔力・体力の回復を待っていたら一週間かかったわけだが、さて、今回はどのくらいかかるだろうか。
いっそ目覚めなくてもいい、と耳を赤くして顔を覆う。脳裏を過るのは、ルイス様に働いた狼藉の数々だ。怒りに我を忘れていたとはいえ、アレはやりすぎた。しかも、公衆の面前でやらかしたのだ。辺境伯閣下もまだいたはずなのが更に居たたまれない。
誰も見ていないのをいいことに、大声を出しながらゴロゴロと転がる。
暫くして、ポンッと通知音が頭上から響いた。
何だ? と顔を上げれば、通知バーが中空に浮かんでいる。
―――【フレンド≪ヴァッレン皇帝≫が共同戦線に同意しました】
どうやら皇帝陛下にリオンの『共同戦線宣言』が伝えられたらしい。「ふむ、よいよい。面白いではないか」と大らかに笑う彼の幻影が見えた。
―――【フレンド≪ヴァッレン皇帝≫との共同戦線内情報の共有を開始します】
―――【魔獣マップをダウンロード中……完了】
―――【臣民情報をダウンロード中……完了】
真っ白な上空に膨大な量の情報が展開される。内政チートの女王スキルが、自然とそれを分析し始めた。どうせ回復には時間がかかる。丁度良い暇つぶしだ。
どうやら戦況は大幅に改善しているらしい。今は、第二戦線から第一戦線に魔獣を押し戻している途中のようだ。……なんか、戦況マップに『障壁スキル発動中』の文字が見える。今、戦線にそのスキル持ちの帝室はいない『はず』なのだが。
脳裏に、息子レオンの先輩神官がウインクする姿が浮かぶ。職場の同僚として、まだ実家住まいだった息子を訪ねてきたこともある彼とは、食事をしたこともある。女王時代の習慣で相手のステータスを見て、スープを吹き出しそうになったのは良い思い出だ。なんだステータス【先帝の落胤/亡国の王女の六男】って。設定盛り過ぎだろう。
まさかなぁ、と思いながら、その他の情報を精査する。
粗方把握した後に、検索機能で更に詳しい内容を追っていった。
―――【情報検索。検索ワード『バルリング』。該当541名】
まあ、ここはバルリング家辺境伯領だ。分家を合わせると相当数がいる武闘派一族が、この非常事態に戦線にいない方がおかしい。
―――【追加ワード『レオン』。生存。位置98番A地区】
んん? と首を傾げる。この位置はまだ激戦区の第二戦線だ。なんで後方支援組のはずの神官である息子レオンがここに? 不思議に思って他の知っている同僚神官達の名を検索して更に困惑する。
なんか、息子伝手に知り合った神官全員が前線ど真ん中にいる。……何故? 回復役って後方支援が普通では? 異世界の戦略セオリーマジ謎。
まあ、生きてるし、魔力・体力・生命力ともに余裕があるから大丈夫そうだ。胸をなでおろして、他の家族を確認していく。辺境伯夫妻は元気に激戦地で魔獣を吹き飛ばしているようだった。
―――【追加ワード『ルイス』。生存。位置75番F地区】
じんわりと耳に着けた黒の宝玉が熱を持つ。ほっとすると同時に、むず痒い感情が腹の中で蝶のように踊り狂うのに、リオンは顔を覆った。本当に、これ、目が覚めたらどんな顔をして会えばいいんだろ。
赤くなった顔を仰ぎながら、次に移る。
―――【追加ワード『ラウラ』。該当なし】
は、という声が口から洩れた。顔から表情が抜け落ちるのが分かる。
再度、検索をし直す。
―――【時間設定を再指定。再検索。『ラウラ』。生存。位置8番C地区】
―――【時間設定を再指定。再検索。『ラウラ』。生存。位置9番C地区】
―――【時間設定を再指定。再検索。『ラウラ』。該当なし】
なるほど? 場所は第一戦線。現在の戦闘域のはるか向こうだ。そして、蘇生魔法の回復限界までの時間は、もう残り少ない。
息子を含めたバルリング家の現在位置、戦線全体の臣民の展開具合、魔獣マップを再確認する。
―――【アバターの起動には魔力・体力値が不足しています】
それでも、このままここで大人しくしているわけにはいかない。だって。
初めて義娘ラウラを恋人として紹介してきたときの、息子レオンの赤くなった耳を思い出す。結婚式の時の、あの、見ているこちらまで嬉しくなるような笑顔。そんな彼の片割れを、こんなところで失う訳にはいかない。
なにか方法はないかと、無意識に耳元の宝玉に触れる。はっとした。これだ。
―――【アイテムを使いますか?】
躊躇いはなかった。仮令国宝級の家宝でも、あの子には代えられない。
―――【アイテム『主級黒狼の宝玉』2個を使用】
―――【魔力値50%回復】
―――【体力値30%回復】
―――【アバターを再起動します】
ぱちりと女王が目を開く。その碧の瞳をギラギラと煌めかせながら。
***
執務室に足を踏み入れれば、中は騒然としていた。誰もが通信具で連絡を取り合い、怒鳴り、走り回っている。床に散らばった書類を踏みしめて、自分の執務机へと近づいた。ルイス様の側近が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「リオン様、お体は……」
それに大丈夫だと頷いて見せて椅子に腰かける。耳に光るイヤリング型通信具に指を伸ばした。ピアス型は先程『使って』しまって木っ端微塵にしたからだ。
「レオン」
――――優しい子だ。誰かが傷つくと自分まで痛そうにする子だった。人を癒し守る神官になると言われた時に、ああ、この子は天職につくのだと思った。だから反対はしなかった。仮令それが、命の保証などない、魔獣との生存圏争いの最前線だとしても。
「レオン、駄目よ」
―――初めてのことだ。この子の仕事に口を出すのは。
幼子に言い聞かせるように、先程から返答を返さない息子に語り掛ける。
「それは、駄目。だって貴方は『守る』ために私が作ったのだもの。その貴方が私の家族を、大事な義娘を諦めては駄目よ」
だって、と震えた息子の声が通信具の向こうから響く。
「もう間に合わない!」
血を吐くような叫び声だった。
―――第一戦線で戦死したラウラの蘇生限界時間が迫っていた。
「大丈夫よ」
リオンは安心せるように柔らかな声で続けた。
「貴方の横にいるテオフェル皇弟殿下と話をさせて頂戴」
いつから、という男の問いに、最初からと手短に女王は答えて、レオンの妻ラウラの危機を訴えた。
「なんか、いつにも増して無口だとは思ってたんだけど。……『障壁』スキルで何とかしろってことなら、ちょっと難しいですよ」
テオフェル神官が探るように問いかける。
『障壁』は万能ではない。今いる第二戦線から第一戦線までの間には、まだまだ魔獣がいる。それら全てを『障壁』で吹き飛ばせと言われても無理だ、と言う彼にリオンは頷いた。
「第一戦線までの魔獣はこちらで排除します。テオフェル殿下には、こちらの指定する地区まで移動して『障壁』で魔獣の侵入を阻止して頂きたいのです。その間に息子が蘇生した騎士達を後方に避難させます」
どうやって、と尋ねる彼に、女王は通信具を弄りつつ答えた。
「まだ一人『枠』が空いていますので」
***
「ルイス様」
話しかければ、すぐに返事が返ってきた。
「お体は大丈夫ですか。気を失ったと聞きましたが」
心配が滲む声に、少しの申し訳なさが湧きあがる。だが、もう決めたのだ。
「大丈夫です。それより、お願いがあるのですが」
何でしょうか、と返す声の向こうで爆音と悲鳴、魔獣の咆哮が聞こえる。戦闘の真っ只中らしい。そんな中でも、こちらを気遣い、通信具での呼びかけに瞬時に応答してくれる彼の思いが嬉しかった。まあ、いまからその感情に付け込むのだが。
「私の剣になると誓ってはいただけませんか」
意味が分からず困惑する気配が通信具の向こうからした。それに構わず続ける。
「特殊な『加護』があります。戦場の全員には与えられませんので、もっとも効率が良さそうなルイス様に掛けたいのです。どうか、私が今から言う言葉を一緒に唱えては頂けませんか」
出立前にリオンが戦場全体に掛けたバフ・デバフを思い出したのだろう。なるほど、と頷く気配の後で諾の返答があった。
「では、今から言う言葉を繰り返して下さい。『私ルイス・バルリングは女王リオンに剣を捧ぐ』」
朗々たる声が通信具越しに耳元に響いた。
と、同時にシステムが認定を下す。
―――【≪ヴァッレン帝国≫から臣民≪ルイス≫の『略奪』に成功しました】
―――【臣民≪ルイス≫の所有権がプレイヤー『リオン』に移行します】
―――【イベント『初めての略奪』をクリアしました】
―――【クリアボーナスが贈られます】
一生クリアしたくないイベントだったなぁ、とリオンは顔を覆いながら、新規臣民『ルイス』のステータス画面を起動する。そして、その職業欄を選択。
―――【現在の職業は『次期辺境伯』です。変更しますか? ▼YES▼NO】
YESを選択後、通信具越しにルイス様に震え声で宣言した。多分、相手が認識しないとシステムに認定してもらえないから。
「女王リオンの名のもとに宣言します。ルイス・バルリングを『王配』とし、我ら王族の一員として『特殊加護』を付与します」
通信具の向こうで爆発音がすると同時に、執務室の窓の向こうに巨大な閃光が走った。
―――【臣民≪ルイス≫を王配と認定します】
―――【王族NPCに≪ルイス≫が追加されました】
―――【ルイスのステータスバーが変更されます】
目前に浮かぶルイス様のステータス画面が忙しなく変更されていく。魔力・体力・生命力の上限値が上昇し、これまでの戦闘で十分な経験値が蓄積されていたのだろう、一瞬でカウントストップとなっていく。
魔法スキルに取得可能な新規スキルがどんどん追加されては、経験値条件をクリアして取得済み欄に移動していく。戦略・剣術・騎獣といった戦闘系のスキルも同様だ。さすが武のバルリング家。元世界の戦闘系国家元首が取得推奨と言われていたスキルを軒並み持っている。
ステータス変動が落ち着いたところで、沈黙を保つ通信具の向こう側に恐る恐る声を掛けた。
「ルイス様、その、騙し討ちのような真似をして申し訳ございません」
戦闘初期に第一戦線で死亡したラウラの蘇生限界が迫っていること。そして、彼女のもとに息子レオンが向かうために第二戦線から一気に魔獣を駆逐する必要があることを手短に説明していく。
「戦闘終了後に離縁宣言をしたら元の状態に戻れますので、どうか、それまで」
我慢してもらえまいか、という声は爆音に搔き消された。唖然として振り返った窓の外に、巨大なキノコ雲が立ち昇っていく。
「お断りします」
なんだか、聞き覚えのある台詞が通信具越しに聞こえた。
「私は欲深いのです。いつかの貴方もおっしゃったではありませんか。強欲であれ、と。妹も、義弟も、貴方も。私が守ると決めたもの全てを守り通し、決して」
―――手放すつもりはありませんので、そのつもりで。
熱を帯びた声に、女王は微かに笑いを零した。
いつか、どこかのお茶会で、どこぞの皇帝に告げた言葉を思い出す。
―――『何一つ諦めることなく強欲に、なさりたいことをなさいませ』
まったくもって、その通りだ。人生は思い通りになることの方が少ない。それでも足掻き藻掻くのが我ら人間の生き様だ!
「女王リオンの名において命じます。ルイス、ラウラを助けなさい」
御意と答えて、戦場の覇者たる黒の王配は騎獣を駆り、魔獣を駆逐する。
驚異的な速度で前線を押し上げるルイスに先導されて戦場を駆け上がるレオンは、この分ならばラウラの蘇生限界時間に十分間に合いそうだ、と安堵の溜息をつきつつ、悩んだ。これからは『義兄上』ではなく『父上』と呼ぶべきなのだろうか、と。
―――ああ、命の灯が今にも消えてしまいそうだ。
画面越しに『母上』を見つめた。目線が合うことはない。《レオン》はゲームのキャラクターに過ぎないから。
だから、願うことしかできない。己と同じ、彼女に仕え、彼女を守り、彼女を案ずる他の国民達と共に。
―――どうか、いつまでも彼女が人の世で笑って生を謳歌できますように。
モノに心が宿ると信じられている国で、小さなソレが抱いた願いをそっと掬い上げる手があった。
ソレは問うた。
―――対価はあるか。
ソレは答えた。
―――僕の、僕たちの全てを。
ソレは笑った。
―――少々多いな。ふむ。……余った魂で器を一つ作ってやろう。願った命の行く末をその隣で見届けるが良い。
誰も知らない、最初の話だ。
未来において、叶うはずがないと泣く女の声が呼び寄せたソレを、人は神と呼んだ。




