8.まいった。【前書:騎士団長視点、本編:主人公視点、後書:侯爵視点】
「……もう一度言ってくれ。神官がなんだって?」
こめかみを押さえるヴァッレン帝国騎士団長に、部下が戦況報告を繰り返した。
「後方支援神官達が前線に乱入、前線騎士達の戦闘に加わりつつ聖魔法と癒術を行使し、戦線の押し上げに成功しました。損耗の推定値は少なくともここ10年で最低、戦線の前進度は過去最高を記録しました」
騎士団長は宇宙猫を背負った。回復要員は後方にて温存、戦闘終了後に治療を行うのが習わしだ。確かに、後方にいなくてはならないと命じたことはない。ないのだが。
「前線で騎士並みに魔獣討伐しつつ回復もこなすバカがいるなどと思うか。しかも何だ。一人じゃなく、集団で前線に加わっただと……」
どこの阿呆どもだ、と頭を抱えた騎士団長に部下が淡々と答える。
「ラウレンツ指導役神官以下30名余が独断行動をしたと報告が上がっています」
知ってる馬鹿の名前が出てきた。騎士団長は呻いた。
ラウレンツという名を持つ筋肉ダルマ神官は、元は騎士だったが聖魔法適性の高さから神官に転向した、騎士団長の元配下だ。戦場の損耗率低下に人生を捧げると剣を置いたはずの部下が、異常に肉弾戦に長けた神官集団を育てて戦場に戻ってきた。
意味が分からない。
しかもこの馬鹿共、異常に戦果が良い。提出された報告書を読んでいて眩暈がしてきた。
「大型ヴィルドシュバイン一群、準主級ヒルシュ2頭……。はぁ!? 主級のルーヴェ!?」
戦神と名高い黒の辺境伯一族並みの戦果である。
「負傷も死亡も聖魔法と癒術でなかったことにして、相手魔獣に触れた瞬間に癒術で重要臓器を破壊……」
それはどんな大型魔獣でも一溜まりもない。内臓は鍛えられないのだから。それにしても。
「えげつがない」
あと戦闘職としての騎士の立場もない。まあ、しかし。
「これだけ戦果をあげられては文句の言いようもない」
怨敵たる魔獣を倒す、そのためだけに騎士団はある。誰が、どうやって、などどうでもよいのだ。重要なのは我らが不倶戴天の敵を一頭残らず滅殺することなのだから。
「分かった。好きにさせろ。万が一横やりが入りそうならば私の名を出せ」
そう言って、ヴァッレン帝国騎士団長たる皇后は不敵に笑った。
―――戦場に生き、戦場に死ぬ。
婚姻に際し皇帝に唯一希ったことが、死ぬまで魔獣討伐を続けることであった皇后は、この後も暴走しては大戦果をあげてくる神官たちに頭を抱えることとなるのだが、それはまだ彼女も知らぬことであった。
妙に重たい瞼を持ち上げる。最初に見えたのは見覚えのない天井であった。これは、かの有名な「知らない天井だ」という台詞を言うべきだろうか。悩むリオンの視界に美丈夫の顔が映りこんだ。
「目が覚めたか」
突然どアップでイケメンを摂取する羽目になったリオンが絶句していると、低い声で「気分は」と尋ねられる。
「だ、大丈夫、です」
掠れる喉に眉を顰めて手を当てるが、腕も動かし難くなっている。妙に関節が固まっている感覚に首を傾げつつ体を起こそうとすると、ルイス様が背中を支えて手助けした上に、クッションで背もたれを作ってくれた。
通信具で使用人に指示を出す彼を横目に、ぼんやりと室内を見やる。
濃い茶色系統の色合いでまとめられた部屋には、大きな書棚と書き物机、椅子、歓談用だろうか長椅子と小さな丸テーブルがある。深い赤とベージュで幾何学模様を描く絨毯に散らばっているのは執務用の書類ではないだろうか。
拾おうとベッドから立ち上がろうとしたリオンは、足に力が入らずにそのまま床に落ちそうになった。
「リオンっ」
間一髪でルイスに抱き留められた彼女は、薄い寝巻越しに感じる体温にどぎまぎしつつ礼を言う。そのまま離れようとしたが、逆に力強く抱きしめられた。小さく悲鳴を上げるリオンに気付いているのかいないのか、その首筋にルイスが顔を埋める。
「よかった」
泣いているような声だった。恐る恐るルイス様の背中に腕を回して、ご心配をおかけしたようで、と謝れば、まったくだ、と短くこぼされた。
「一週間も眠ったままだったんだぞ」
いっしゅうかん、と繰り返す彼女に、ルイスは彼女が倒れた後のことを説明する。
リオンが玄関先で倒れた後、毒物や病を疑い神官の診察を受けたが原因不明と言われたこと。聖魔法も癒術も効かず、その日の晩から数日発熱が続いたこと。熱が引いた後も意識が戻らず、聖魔法で回復を行って生命維持をしてきたが、目覚めるかは分からないと言われていたこと。
「本当に、目が覚めて良かった」
噛み締めるように言われた声は掠れていて、リオンは酷く落ち着かない気持ちになった。よく考えたらずっと抱きしめ合っているし、こちらは薄物の寝巻のままだ。本来異性に見せるべきでない恰好である。
離してもらいたいのだが、何故か言葉が口から出てくれない。
痛いほどに抱きしめる腕の力と、布越しに伝わる早鐘を打つ鼓動、首筋に顔を埋めたままのルイス様が、本気で自分を心配してくれていたのが伝わるから。
―――ああ、まいったなぁ。
どうしたものかと思っていた時だ。部屋の扉が開き、辺境伯夫妻と神官らしき人物、それに手に湯などを持った使用人たちが入ってきた。
「こ、これは、違うんですっ」
何が違うのか分からないまま言い訳をして、慌てて離れようとしたが、再びベッドから落ちかけてルイスに助けられる。結果的に彼の腕に自ら戻る羽目になった彼女は、穴があったら埋まりたいと真っ赤になった。ルイスの腕の中で縮こまるリオンは、満更でもなさそうな彼と、その彼を生暖かい目で見守る人々に気付いていなかった。
***
「ねえ、ここは本邸の部屋なのかしら」
神官の診察を終えて体調に問題はないと太鼓判をもらったリオンは、体を拭き清めているメイドに尋ねた。本当は風呂に入りたかったのだが、体力が落ちている状態なので少なくとも今日一日は駄目だと言われてしまったのだ。
「はい、本邸にあるリオン様の御部屋です」
ん? 私の住居は別棟では? と首を傾げるリオンに、メイドが続けた。
「辺境伯領にございますバルリング家本邸にご用意いたしましたリオン様の寝所でございます。執務用の私室と専用の応接室、衣裳部屋等もご用意しております。またお体が回復しましたらご案内いたしますね」
元気になるまで出歩くなと笑顔で圧をかけてくるメイドに頷きつつ、言葉を咀嚼する。
『辺境伯領にございます』とはつまり? ゆっくりと窓の外を見やると、遠目に光の柱が立つのが見えた。そういえば聞いたことがある。辺境伯家は魔獣戦線を領地に持ち、戦地で大規模攻撃があると屋敷から見えるとルイス様がおっしゃっていた。
ベランダから花火が見えます程度の軽さで言われた内容にドン引きした覚えがあるのだが、もしかして、ここは本当に。
「ここは帝都ではなく辺境伯領なの?」
左様でございますと答える使用人に女主人は「記憶にないわ」と呟き、「意識がございませんでしたから」とマジレスされて撃沈していた。
***
「お母さん、何してるの?」
思春期に入ってから専ら『母さん』呼びだった息子が『お母さん』と久々に幼い頃のように問いかけるのに、リオンは思わず花が綻ぶように笑った。
ところで、リオンの息子レオンは聖魔法と癒術が使えるエリート神官だ。その腕は一流である。
普段は戦地にいる彼に余計な心配をかけないために、リオンは自分に何かあっても知らせず、戦場から帰還後に教えるようにと周囲に頼んでいた。
結果、母親リオンが原因不明で意識を失い一週間目を覚まさなかったということを、交代休暇を取った時になって初めて知った息子レオンが鬼の形相で辺境伯家に来襲した。リオンが目覚めてから一か月が経過していた。
たまたま玄関横の庭先でルイスの執務室に飾る花を選んでいたリオンは、息子の心境など知らずに、今回も無事に帰ってきてくれてよかったわ、とほわほわと笑ったわけなのだが。
まぁ、普通に怒られた。
「後になって知るとか死ぬほどびっくりするから二度とやめて欲しい。時間が経ち過ぎたら助けられるものも助けられなくなるんだから。なんのための通信具だと思ってるの」
母親に聖魔法を重ね掛けして癒術で体内に異常が無いか確認しつつ、迫力ある真顔で怒る息子。その後ろでは息子嫁のラウラ嬢もコクコクと頷いている。心なしか潤んだ紫と黒の瞳に、この顔は卑怯だなぁと母親は白旗を上げた。
「御婦人とはかくも儚きものなのか」
リオン殿が目覚めたと伝えてきた悪友に安堵の声を漏らした侯爵は、次期辺境伯ルイスの台詞に、そういえばこいつの周囲にいる女人は『普通』とはいささかかけ離れていたな、と思い起こした。
母親である辺境伯夫人と次女は現役の騎士で、姉であった長女は魔獣と相討ちとなり亡くなっている。そもそも黒の一族自体が武闘派集団である。魔力的にも身体能力的にも一般人とかけ離れており、男女関係なく幼少期から武術を叩き込まれる環境なのだ。その環境で女人を見て育ってきた彼に、普通の女性を理解しろという方が難しいのかもしれない。
いや、それにしては。
「宮廷でお嬢様方に囲まれた時は上手くやっていただろ、お前。何を今更言っているんだ」
それが、とルイスが続けた。
「宮中の御婦人方は砂糖と小麦と卵と牛乳でできた喋る菓子だと思って、触れず傷つけずそっと優しく接しろと母上に教わったのだ。実際その通りにして問題はなかった。だが、相手がリオン殿となると、そもそも触れるなの時点で難しい。どうすればいい」
―――知ってたけど、べた惚れだな。こいつ。
「あー、まあ、まず病み上がりなんだから」
無理をさせるな、と続けようとしたところで、通信具ごと耳を引っ張られた。
「ご歓談中失礼いたしますわ。ルイス様」
侯爵夫人が通信具に向かって名乗りをあげた。いやいや、いつから聞いてたんだよ、とか、普通乱入してくるか、とか色々と言いたいことがある侯爵だったが、そっと口を閉じる。彼はお利口なのでこういう時の女性に逆らってはならないと知っているのだ。
「今が攻め時ですわ」
なんか人の耳元で妻が物騒なことを悪友に吹き込んでいる。侯爵は遠い目をした。
「弱っているときに優しくされると人間グッとくるものですわ。それに聞けばリオン様は平民暮らしが長く、我々貴族風の逢瀬が、例えば先日の歌劇鑑賞のようなものが苦手なご様子。ならば、今ですわ」
力強く夫の耳を握りしめる侯爵夫人は、痛みで涙目になりつつある侯爵に頓着することなく続ける。
「平民風の『おうちデート』をすればよろしいのです。ご療養でリオン様は暫く部屋に籠られるのでしょう? 自室というリオン様にとって安心な環境で二人きりで時間を過ごすのです。食事もお茶もご一緒して、たまに盤上遊戯などで目線を変えて、とにかく相手にルイス様が一緒であるのが当たり前であると刷り込めばよいのですわ」
ルイス様がいなければ寂しいと思うようになれば御の字でしてよ、と侯爵夫人は悪辣な笑みを浮かべた。
「リオン様の体調が回復しましたら少々刺激的に。そうですわね、晩餐後に『寝る前に少し話を』といって夜衣でお酒でも片手に訪ねれば宜しいのです。ルイス様は普段きちんとした格好が多いですし、そういう方が寛いだ格好をなさりますと女性としては……」
その後も延々と続く恋愛戦術指南に、いくつか心当たりのある侯爵は頭を抱えたのであった。