002_小さな殺意
「……知っていたんですか」
「うん。でも、彼の息子が王城内で警備していることを知った時には、流石の私も驚いたわ」
なおも微笑み続ける彼女に、ノイルの心には小さな殺意が芽生え出す。
「知っていて、連れて来たんですか?」
「そうね」
両手を合わせて握り込んだノイルの手に、さらに強い力が加わる。
ついには手のひらに爪が食い込み、一筋の血が流れ出した。
偶然にアリアがノイルのことを選んだというのなら、ノイルは自分の出生を隠したまま行動を共にする覚悟を決めていた。
父親を殺した人間と一緒に過ごす苦しみを、一人で耐え抜くのだと。
だが、秘密を知られていたというのなら、これは悪質な挑発であると捉えざるを得ない。
親の仇で殺されたとしても――文句は言えまい。
「私のことが憎い?」
俯いたまま動かなくなってしまったノイルにアリアはそっと近づく。
そして、細くて柔らかい彼女の指先が、血に濡れたノイルの手を優しく解す。
そのとき、ノイルは自分の両手の中に異物が入り込んできた感触があった。
少しだけ開いた手のひらの隙間に入ってきたのは、棒状で木材の何か。
思わず視線を上げた彼の手に握られていたのは一本のナイフ。
驚くべきは、怪しく光る切っ先がアリアの首元に当たっていたことだ。
「……!」
急いで両手を引っ込め、ナイフを床に投げ捨てる。
「私は親を殺されたことがないから、ノイルの気持ちはわからないわ。でも、あなたが望むなら――」
「物騒なことを言わないでください!」
アリアがナイフに近付かないよう、ノイルの視線はアリアと床に転がるナイフを行き来する。
思い返すと、馬車が強く揺れていたらアリアの首を切り裂いていた距離間だったことに、ぞっとする。
「ノイルは優しいのね」
「違います。王国に忠誠を誓ったから……」
「私はもう王家の人間ではないけど?」
「立場や身分が変わったとしても、俺にとっての忠誠は不変なんです」
「そういう思想もあるのね」
今まで読み取ることが出来なかったアリアの表情だが、今は満足しているように思えた。
アリアがどのような行動を取ったとしても彼女の身を守れるよう、前傾姿勢で腰かけているノイルの手をアリアはもう一度触れる。
「あなたには辛い思いをさせてしまったわ。謝罪したところで許されることではないけれど、せめて言わせて。ごめんなさい」
ノイルは彼女から視線を逸らす。
忠誠を誓った可憐な女性が自分の父親を殺し、その彼女から謝罪されている。
どんな表情で何を答えれば良いかなんてわからないのが普通だ。
「……いいんです。変な話ですが、いつかはこんな日が来ると思っていました。父は多くの人の命を奪いましたから」
「えぇ」
「誰にも止めることのできなかった父を悪事がやっと止まって、少しほっとしている自分もいるんです」
アリアの水色の瞳は、肩を小さく震わせるノイルを見つめる。
「だけど、そんな父でも、唯一の家族だった。本当は生きて、一緒に暮らしたかった」
「……残念だけど、それは無理ね」
「どうして?」
「彼が行使した支配の奇跡によって世界が束縛されていたから。彼が死なない限り、この世界は彼の支配から逃れられないのよ」
アリアの話は半分ほどしか理解できなかった。
それだけ、ノイル自身も父親のことを理解していなかったということでもある。
「彼が改心すればノイルが望んだ未来が訪れたかもしれないけど、そんな人間ではなかったわね。どこか私に似ていたもの」
「そうですか……」