000_姫君の断罪
「いったい……何事でしょうか」
壇上に一人立たされた姫君は、無数の兵士に取り囲まれ端正な顔立ちを引き攣らせる。
彼女の名前はアリアライズ・ネイファ。
第一王女でありながら慈悲深い人格を持つ彼女は、民間人から兵士まで幅広く慕われていた。
着服や横領が絶えることない他の王族や貴族と比べると、悪い噂すら聞こえてこない彼女がより潔白に見えるのだろう。
だが、そんな性格を表しているようだと評判の雪のように白くて美しい髪も、今ばかりは艶が消えているように感じた。
「今日は大切なお話のために、この場をお借りしました」
そう言って国王である父に頭を下げたのは、第五王女のラーマ・ネイファ。
金や宝石で着飾る彼女は、金色の髪も相まって目が痛くなるほど輝かしい。
「ラーマ、あなたが招集したの? どうして?」
事態が飲み込めていない様子のアリアライズが質問すると、兵士たちもラーマの答えに耳を傾けた。
実のところ、兵士たちも招集された理由を聞かされていなかったのである。
金色の髪を揺らしながら顔を上げたラーマは、姉であるアリアライズを横目で睨んでから語りだす。
「お姉様にはクーデターを企てた嫌疑がかけられています」
ラーマの一言で大広間がざわついた。
アリアライズの日頃の行いからは想像もつかない話である。
同じく召集されていた役人たちも、空いた口を手で塞いだり、何かをぶつぶつと呟いたりしていた。
「なに、それ……? 私がクーデターを?」
アリアライズはつぶらな瞳を繰り返し瞬きしており、驚きを隠せなていない様子だ。
すると、彼女の後ろで付き従っていた女性の騎士が歩み出た。
「アリア様がそんなことをするはずがありません! 絶対に!!」
「誰があなたの発言を許可したの? 黙っていなさい」
「嫌です! アリア様を侮辱されて黙っていられるはずがないでしょう!」
冷たい視線を送るラーマに反して、騎士の感情は熱く燃え上がっているようだ。
彼女はただの騎士ではない。
第一王女の護衛として、長い時間をアリアライズと共に過ごしてきた特別な存在。
アリアライズ本人から略称のアリアで呼ぶように命令されていることは、一般兵士の間でも知れ渡っている。
「……はぁ」
ラーマは自分の背後に控えていた専属の騎士たちに目で合図すると、彼らは迅速に女性騎士を取り押さえた。
床に押さえつけられた拍子に唇の端を切り一筋の血が流れるが、ラーマからは絶対に目を離そうとしない。
「証拠も……ない……のに……」
複数の屈強な男にのしかかられ、肺が潰されながらも掠れた声で反論する。
「残念だけど、証拠ならあるのよ。こちらへ来なさい!」
掛け声が大広間内で木霊する中、一人の兵士が震える脚でラーマの方へと近づいて行った。
「彼は勇気を振り絞って報告してくれたのよ」
アリアライズは不安な気な表情で、女性騎士は怒りの籠った表情で、その兵士を見つめた。
「え、えっと、その」
緊張で舌がもつれている兵士の肩にラーマはそっと触れ、耳元でそっと囁いた。
「大丈夫。練習したとおりに話して」
肩から力を抜き、一呼吸おいてから兵士は言葉を口にする。
「私は、警備を、担当しているのですが。一週間前の夜中に、アリアライズ様の姿を見かけたのです」
「それはどこで?」
「城の、裏門です」
「裏門にも警備の兵士はいるはずだけど」
「はい。二名いましたが、両者とも路上で眠っていました」
「一人ならまだしも、二人とも眠っているなんておかしいわね。それで?」
「裏門から外に出ていくアリアライズ様が気になり、万が一の事があってはいけないと思い、ついて行ったら……その、ある人と密会しているところを見てしまいました」
「教えてくれる? それは誰かしら?」
「裏社会の支配者――ヴィライン・リアラーです」
ざわめきはさらに強くなり、国王は頭を抱えた。
子供ですら知っている大悪党の名だ。
密輸。密売。密造。人身売買。暗殺。その他多数。
あらゆる悪事の元を辿れば彼に辿り着くとさえ言われる裏社会の支配者である。
その支配は大陸全土に及び、数多くの小国がこの男の支配下にあるという噂も耳にするほどだ。
「口裏を合わせただけだ! そんな男と繋がりがあるはずなんてない!」
女性の騎士は憎しみを籠めた紅緋の瞳で睨みつける。
「失礼なことを言うのね」
「失礼なのは貴様――」
強い衝撃音と共に彼女は崩れ落ちた。
取り押さえていた一人の騎士が剣を取り出し、彼女の後頭部を強打したのだ。
鞘が付けられたままとはいえ、金属の塊である。
後頭部から流れ出した血液は額を伝って床へと落ちていく。
「やめてください!」
アリアライズは気絶した女性騎士の元へ駆け寄ろうとするが、ラーマの騎士たちによって遮られる。
「ラーマ! 早く彼女を医務室に連れて行って!」
「もちろんそうするわ。身分の差を理解していない愚か者ではあるけど、この国を守る騎士の一人でもありますから」
「でしたら――」
「ただし、それはお姉様が全ての悪事を認めた後よ」
ラーマは吊り上がった口角を手でそっと隠す。
広場に集まった兵士たちは固唾を吞む。
アリアライズはどちらの選択肢を選ぶのかと。
彼女の普段の行動から推察すれば、女性騎士の身を案じて認めてしまうだろう。たとえそれが、事実無根の出鱈目であったとしても。
そして、それこそがラーマの企てであるに違いなかった。
「さぁ、答えてください。ヴィラインと密会していたことは事実なのですか?」
瞳を閉じたアリアライズは深呼吸し、答えた。
「……わかりました。認めます。だから、早く医務室に連れていってあげて」
「まさか……本当に……」
興奮と驚きがラーマの表情からは読み取れた。
ラーマ専属騎士のうち二人が女性の騎士を抱え上げ、大広間から退室するのをアリアライズは見送る。
「聞きましたか、お父様? やはりお姉様はこの国を――」
「私からもラーマに聞きたいことがあるのよ」
話を遮られたラーマが振り返ると、そこにいたのは壇上で立っているアリアライズの姿。
一つ奇妙なのは、彼女の表情から何も読み取れないことだ。
怒りも、悲しみも、焦燥感も。
不気味に優しい表情で微笑みかけてくる彼女に対し、ラーマは身体を強張らせる。
「ねぇ、あなたはこの展開に何も思わなかったの?」
「な、何が?」
「全て。全てがあなたの計画通りに進んだことよ」
「……話が通じないわね。時間稼ぎのつもりかしら?」
「そこにいる彼」
アリアライズは先程証言した兵士を指さす。
「十二日前に配置換えがあったばかりだけど、それは誰の指示?」
「上司から……であります」
アリアライズは兵士の返答ににっこりと笑う。
「その上司に指示を出したのは私よ」
「嘘よ! そんなの、なんの意味があるって言うの! わざわざ自分の悪事を兵士に気付かせて!」
ラーマは叫ぶように声を張り上げた。
姉妹の立場は逆転しているようだ。
落ち着いた声でアリアライズはラーマの問いに答える。
「意味ならあるわよ。あなたのおかげで、皆がこの場に集まってくれたじゃない。王国を出ていく前にお別れを言いたかったのよ。何も言わずに出ていくのは寂しいでしょ」
「……」
「そもそも、ヴィラインは裏社会を統治するほど用意周到で狡猾な男よ。彼を呼び出せるほど信用を得ている私が、兵士に見つかるなんて手落ちがあるわけないのよ」
「じゃあ、全て、お姉様の思惑通りに……」
「ラーマ。私は妹たちの中であなたが一番好きよ。可愛くて、素敵で、そして何よりも扱いやすいもの」
「そんな……」
心理戦、という意味では勝敗は決していた。
だが、アリアライズが追い込まれている現状に変わりはない。
「だとしても……我が国の裏切り者であることには変わりはないわ! あの国賊を捕えなさい!!」
一瞬戸惑いを見せるラーマの専属騎士たちだが、すぐにアリアライズとの距離を詰めだす。
「お姉様の騎士はもういないわ。大人しく捕まりなさい」
「彼女はこの場から逃がしたのよ。巻き込まれたら可哀想だから」
突如、アリアライズの両腕に幾何学模様が浮かび上がり、強い光を放ちだした。
「何も準備せずにこの場に立っているはずがないでしょう」
まるで神が降臨したのではないかと見紛う程、神々しい輝きだ。
その場にいた全員が石のように固まり、ただただアリアライズを見つめることしかできなくなっていた。
あのラーマでさえ、口を開けたまま固まっている。
兵士の内の一人が視界の端に映ったある物体に気付き、尻餅をついて後ずさりする。
その物体とは、アリアライズの頭上に浮かんでいる巨大な水球だ。
非常に高く設計されている大広間の天井を埋め尽くすほどに巨大であり、今も成長を続けている。
「何よ……これ……」
「湖の水を丸々全部持ってきたの。これだけの質量の水を放出したら大事よね」
アリアライズの言葉が事実であるなら、どれだけの死者が出るかわからない。
特に鎧を身に纏った兵士や騎士は溺れ死ぬだろう。
運が良ければ建物の方が先に崩壊し、助かる可能性はあるが。
「誰も動かないでね。動いたらこの水で全てを流すから」
静かに席から離れ逃げようとする父親をアリアライズは見逃さなかった。
誰もアリアライズに近寄れず、かといって逃げることもできない。
すると、アリアライズは壇上から降りて、整列している兵士の集団へと歩き出した。
兵士たちは、自分たちの間をすり抜けていく彼女の姿を、首を動かさずに瞳で追った。
そして、『俺』の手を取る。
今まで立ち並ぶ兵士たちの中から傍観していただけの、それこそ有象無象なただの兵士。
「さぁ、行きましょう」
何処へ、とは聞き返せない。
彼女の呪縛によって身体を動かせないでいると、彼女もそれを察したようだ。
優しく微笑み、手を引っ張る。
「こっちよ」
出口に向かって進んでいくアリアライズと一人の兵士。
背後からラーマの震えた声が聞こえてくる。
「待ちなさい」
力ない言葉だが、アリアライズは足を止めると振り返った。
「安心して。王国はあなたにあげるわ。大切にするのよ」
「そうじゃなくて、何処へ行くの?」
アリアライズに手を伸ばすラーマの姿は、まるで姉に置いてかれた幼い妹のようだ。
だが、そんな彼女に対してアリアライズは何も感じていないのだろう。
「闇に潜るのよ。光が届かなくて、暗くて、少し寒い世界。ふふふ、楽しそうよね」
伸ばしていたラーマの手は力なく下がっていった。
アリアライズは出口に向かって再び歩き出し、大広間の扉を手に取ったとき何かに気付く。
「あ、そういえば肝心なことを忘れていたわ」
くるりと振り返り、今度はアリアライズが手を伸ばす。
すると、何もない空間に歪みが生じ、次の瞬間に手にしていたもの。それは――
男の生首だった。
白い髭を血で濡らし、焦点の合わない瞳で彼方を見つめている。
「兵士を一人貰っていく代わり――としてはちょっと変ね。とにかく、ここに置いて行くわね」
この男が誰であるかは全員が理解していた。
気安く口にすることを憚られる、闇の世界の支配者。
ラーマがぼそりと呟く。
「ヴィライン……リアラー……」
「正解。彼を呼び出したのも不意打ちで殺すため。でも、こんな小娘に命を奪われるとは思ってなかったのかもしれないわね」
さも当然の如く、アリアライズは語り続ける。
「私が王国を裏切ってないって話、これで信じることができるでしょ」
その時、国王である父親が立ち上がった。
「なんて……なんてことを、してくれたんだ!」
「ふふ、変なの。王国からしたら彼は大敵のはずよ。なぜそこまで焦っているの?」
「お前は子供だからわかっていないのだ!」
「わかっているわ。彼がこの世界の実質的な支配者であることも、お父様が彼と親しくしていたことも」
「何を……」
国王は言い返せない。
例え反論したところで、国王の言葉を信じる者はいない。
いや、王国に属する者であれば信じるべきであることは皆が理解している。
それでも、アリアライズの絶対性を覆せないのだ。
「彼を殺せるのは私しかいなかった。それだけのことよ」
笑顔でそう言うと、大広間は静まり返った。
「待たせたわね。行きましょう」
大きな扉を開き、外の世界へと踏み出す二人。
扉が閉じるとき、最後に彼女は一言残す。
「ラーマ。悪いけど、その置き土産は何とかしてもらっていい?」
「え?」
ラーマが天井を見上げると、巨大な水球は膨れ上がり、今にも全てを飲み込もうとしていた。
扉の向こうでは廊下を駆ける二人の足音が響く。
走る途中で何度も振り返る兵士の手をアリアライズは何度も強く引いた。
「早く走らないと洪水に巻き込まれて死ぬわよ」
「は、はい……でも……その……」
「話は後で聞くから、今は走ることに集中して」
程なくして、大広間から溢れ出した水は轟音と共に王城全体へと流れ出す。
王国を自ら追放された姫君と、無理やり連れ出された一人の兵士。
二人の物語はここから始まった。