呉越同舟
日曜日の昼間にダムの写真集をみながらおれは考えた。
「いかないで」にはダムがいる。
昨日の映画をみても思ったんだが、こんな言葉はそうそう口から出るものではない。
よっぽど相手の感情がたかぶってなきゃ、ダメだ。
つまりおれへの好意がある程度たまっている状態で、がつん、と一撃くらうぐらいのことがないと。
そのために――
(ギリギリまで転校することは秘密にする)
というのは有効だろう。
週が明けて月曜日。
おれは校門の前を、行ったり来たりしていた。
待っているのは、もちろん演劇部の小原さんだ。
一回デートにいって、逆に相手のことを意識しすぎてよそよそしくなる――なんて思春期をやっている場合じゃない。
押して押して押す!
「そこ邪魔」
と、背後から声。
おれに敬礼のポーズ……ではなく、メガネの横に指先をあてている。
「調子はどう? タイムリープくん」
さわやかな朝日の逆光で、表情はよく見えない。
ほんのわずか微笑んでいるような気もする。
同じクラスの深森さん。
「まあ、はい」
「だれかを待ってるのね」
ぜんぶお見通しのような口調で、ぼそっとつぶやく。
「ご苦労さま」
「あ、まって、えーっと……」
「なに?」
「土曜日、映画館で泣いて――――」
電光石火。
言い終わらないうちに、両手で腕をつかまれた。
「どっ……、どうしてそれをしっしし知ってるのっ⁉」
「いや、そんなにおどろかなくても。おれ、うしろの席にいたから」
「あれは中学生の男の子が興味をもつような映画じゃないでしょ!」
「それはその……デートだったから」
「デート?」
手の力がゆるんだ。
セーラー服の胸の前で腕を組んで、くぃっとあごを上げて、なにを言うのかと思ったら、
「お盛んでけっこう。とにかく、絶対に私が『泣いてた』とか言いふらさないように。いい?」
「そんなことしないけど……」
「あなた、意外とあなどれない存在ね。まさか里居さんとそこまですすんでいたなんて」
「モアと? いや、べつの子だよ」
数秒、無言でおれをみて、
はっ、とあきれたように息をはいて首をふった。
「それがあなたの生き方なら、私はなにも言わない」
どいて、と手でおれをどけてさっさと行ってしまう。
登校するたくさんの生徒の流れの中にまじって、三つ編みの後ろ姿が消える。
――ん?
いまのどういう意味……これって盛大に誤解されてないか?
あたかも女の子とイチャイチャするためにおれがタイムリープしている――みたいに。
ま、いいか。
深森さんに嫌われたならそれもかまわない。
実験で証明されてるらしいからな。
①最初はわるい評価、途中からいい評価
②ずっといい評価
③ずっとわるい評価
④最初いい評価、途中からわるい評価
この場合、①がもっとも相手に好意をもつって話だ。
どうせ正面からアプローチしても、おれなんかじゃ彼女と仲良くなれる可能性はうすいだろう。
嫌われに嫌われて……ぐらいの展開のほうがまだチャンスがある。なんならおれの〈敵〉になるぐらいでも。
(あっ)
いつのまにか小原さんが、友だち数人とおれの近くまできていた。
通りすがりに目が合って、ウィンク。
ドキッとした。
まわりに気づかれないように、こっそりひみつの信号を送ってくれた感じが、すごくいい。
◆
放課後。
いきなりダムが決壊した。
「転校するって、ほんと⁉」
小原さんが駆け寄ってきて第一声がそれ。
うろたえつつも「まあね」とこたえたおれ。
「せっかく別所君とは仲良くなれると思ったのに。残念だなー」
「いや、まあ、でも、まだ時間は……あるから」
「もちろん。それで、どこに行っちゃうの?」
おれは転校先の場所を伝えた。
「えーっ!」とひときわ大きくなる彼女のリアクション。
なんか急いでいる感じがしたので、そう長くは話しこめなかった。
バイバイ、と手をふって、小原さんは教室を出ていった。
おれは心の中で、ストーンと両ひざを地面に落とす。
彼女の姿と――「いかないで」が、いっしょに遠ざかったからだ。
犯人の目星はすぐついた。
「……なによ」
来週の月・火に中間テストがあるから、今日から部活はないし、みんなさっさと下校している。
こいつもそうだ。あと数秒おそかったら、つかまえられなかっただろう。
「どうしてバラしたんだ?」
「知らないじゃん」
「おれからナイショにしてくれとは言わなかったけど……だいたい空気でわかるだろ。それなりに長いつきあいなんだから」
「はいはい。あやまればいいの?」
「……モア。おれはそんなことを言って――」
ビンビンに周囲からの視線を感じる。
言葉にすれば「おーおーチワゲンカやってんな~」という、そんな見守り。
いい見世物だ。
「もういいよ」
そんな捨てゼリフでおれは教室を出た。
さすがに今日は、放課後に校舎をブラつこうという気にならない。
もはやそれどころじゃなかった。
こうなった以上、すみやかにプランBがいる。
(まいったな)
帰り道。
ときどきうしろをふりかえるが、誰もいない。
(ほかの女の子に好きになってもらうより、確実におれを好きになってくれる子が一人だけいる)
萌愛だ。
一週間ほどロスしてしまったが、今からでもアタックして、前回と好感度を同じくらいにまでもっていけないか?
「こ、このヘアピン……どうかな? ヘンじゃない……?」
咲いた赤い花の飾りがついたヘアピンを、あいつは最後のデートのときにつけてきた。
あのとき「かわいい」とホメたおれの心は、たしかにウソじゃなかったはずだ。
(今度は前もって、あいつをトイレにいかせるとかしてれば……あるいは)
ぶーんぶーんとスマホがふるえた。
「やっぱりか」
と、ついひとり言を口にしてしまった。
みじかい「まってよ」というメッセージ。
ふりかえった。
そこには丸っこい髪型の、セーラー服の女の子が立っている。
30メートルぐらい向こうに。
(…………?)
様子がおかしい。
その場から、動こうとしないんだ。
びゅう、とつよい風がふいてクラゲみたいにあばれるあいつの髪。
スマホに電話がかかってきた。
「私、決心したことがあるんだ」
「この距離で電話しなくていいだろ」
「きいて」
「なんだよ」
「本日10月6日をもって、私―――」
なんだ?
急にドキドキしてきた。
いつもの幼なじみが、いつもじゃないまなざしでおれを見ている。
「コウちゃんの敵になるっ!」