目は口ほどに物を言う
スピードがはやすぎて目に止まらない。
今、そんな状況だ。
「おう」
「……どうも」
中庭のはしのほうの、あまり日当たりのよくない場所。
大きな木があって、その下で一対一で向き合っている。
目の前には、自分よりも背が高いダンス部の男子。
おれの、
おれの幼なじみとつきあっている的場だ。
ちっ、と舌打ちの音。
「江口はどこだよ。なんでおまえがいんの?」
「それは、まあ、ふかい事情があって……」
ふと、彼の足元をみた。少し汚れの目立つ上靴。おれもだ。もし先生がここを通りかかったら、きっとおこられるだろう。
そして目線をあげると―――
(なっ!!!???)
校舎の窓ガラスの向こうに江口さんが立っていた。
位置的に、ちょうど的場の背後になる。
(な、なっ!!??)
そこでにぎりこぶしをつくって、おれの目を見ながら、ボクシングのフックみたいな動きを何度も何度も。
(「こう、こう」じゃないよ!!!)
めっちゃ楽しそうに。ヒトゴトだと思って。
これはケンカか?
彼女はおれに、ケンカさせるつもりなのか?
てか江口さんてこんなだった? キャラちがくない?
(まいったな……)
本日は10月22日、水曜日。
おとといの夕方に萌愛のお母さんにあって、昨日の朝、おれは衝撃の事実を知った。
《スーパールーパー》。
ざっくり言うと、おれ以外にループしてることが〈わかる〉人のことで、
それがなんと、江口葵だった。
「わ! ほんとに?」
「うんうん。それでそれで」
「あはは! 別所くん、私にプロポーズまでしてくれたんだ?」
「……で、最終日、私はどうしたの?」
カゼひいて学校欠席してたんだ、と教えると、彼女は申しわけなさそうに「ごめんね」とあやまった。
いいんだ、と返して、そこから洗いざらいぜんぶ説明することになった。やってきたことと、現状を。
ただし―――
「そうなんだ。もうループしないでよくなったんだね。おめでとう、別所くん」
「うん」
「引っ越した先でも、元気でね」
「もちろん」
ひとつだけ言わなかった。未来で、おれが転校先の国でどうなるのかを。
まあ、なんとかなると思うんだよな。あぶないメにあう日付も判明してるわけだし。
あとは確実に助かるために、ぜひ深森さんの知恵をかりたいんだが…………
ギン!!!!
と、するどい眼光。
放課後に教室で話しこむおれたち二人のそばを横切るときに。
「どうしてその子と話してるの? そんなヒマあなたにある? ないでしょ? あほなの?」と言わんばかりだった。
そういったわけで、深森さんとは昨日一言もしゃべれてない。
モアとも。あいつに近づけるチャンスが、全然なかったんだ。
「はー、ワケわかんねぇな。あいつ……」
右手で頭のうしろをかくようにして、的場はおれに背中を向ける。
「え、え……江口さんとは」
「あ?」ふりかえる。おれを見る目は、冷たい。「なんだよ」
「どういうアレなんだ?」
「はぁ? 去年、同じクラスだっただけだよ。はっきり言って、親しくもなんともねー」
さっ、とおれはさりげなく彼女のほうを見た。
うそだろ。まだ楽しそうに、パンチパンチってやってるぞ。
昼休みのこの時間、彼女がここに的場を呼び出して、(何も知らせずに)おれをつれてきたのはおそらく、
(幼なじみを力ずくでとりかえせっ! ってことなんだろうな)
たしかにわかりやすい。これ以上なくシンプル。
が、現実はそうカンタンにはいかないよ。
なによりモアの気持ちを考えずに、おれだけで暴走したってしょうがない。
「ごめん。これは、おれが……江口さんにたのんだんだよ」
「おまえが?」
「言いたいことがある。ひとつだけ。あの……モアを裏切るようなことだけは、絶対にしないでくれ」
無言。
生徒のおしゃべりの声は遠くて、木がサワサワいってる音が一番大きい。
しばらく的場と目を合わせたままだった。
この〈彼〉には、おれやモアの友だちと遊びにいった記憶はない―――はずだ。
「ふざけてんな」
そう言い残して、猫背の姿勢で歩いていってしまった。
いれかわるように、タタタと江口さんが駆けよってくる。
「あー面白かった! ねえ、ちゃんと言えた?」
「な……なにを?」
「『おれの幼なじみをかえせーーー!!!!』って」
あはは、とおれはニガ笑いした。
しかし、意外にも彼女の顔はマジ。
「笑ってないでさ。ね? ほんとにほしいものは、ちゃんと自分からとりにいかなきゃダメ。まってたって、向こうからはきてくれないんだよ?」
「ごめん……」
「じゃあ的場くんとは、何も話せなかったの?」
「一応」
「ん?」
「モアは裏切らないでくれ、とは言ったよ」
「…………そっか」
ふっ、と彼女の目が細くなって、微笑んでるカオになった。
「私があなたを好きになった理由、今、はっきりとわかったよ」
ぼっ、とほっぺの奥で火がついたようだ。やばい。てれる。
おれも逆にわかったよ。
こうして自分の気持ちをしっかり声にだせるところが、江口さんのいいところなんだって。
「まだ時間あるね。美術室に移動しようよ」
「あっ」
「あ! ご、ごめんなさい。つい……」
いきおいでつないだ手を、はなす。
おれとしては、べつにいいんだが。
いや、
そんなカンケイじゃないから、やっぱよくないよな。みんなの目もあるし。
美術室についた。
がらり、と自分の部屋のように引き戸をひく。
「じつは美術部なの。もしかしたら、別所くんには『帰宅部』だって言ってるかもね。ほとんどユーレイだから」
そこで、おれたちはまたループの話をした。
「実際……どんな感じなの? おれは、ふつうの日々と同じように、ループの記憶があるんだけど」
「んー、それよりは少しモヤッとしてる感じかな。そんなにクリアじゃない」
まずね、と江口さんはおれを指さす。
開いたままの窓から、さわやかな秋の風が入ってきた。
「あなたが気になったの。そんでね、あれ? どうして私、こんなに彼のことを気にしてるんだろうって思いはじめて」
ゆっくり窓のそばに歩いていく。おれもついていった。運動場のほうから、遊んでいる男子の声がきこえてくる。
「美術室にきて一人で考えつづけていたら、私がかいたマンガを破ってるイメージが急に浮かんだの。声でたよ、ほんと。『あっ!』って。そこからはもうイモづる式ってやつ? ああ私、別所くんに告白した、デートもした、この10月はきっと〈はじめて〉じゃない」
「なんかごめん」
「え? どうしてあやまるの?」
おれもわからない。なんであやまったのか。ループは、おれのせいじゃないはずだ。すくなくとも、おれの意志ではじめたことじゃない。
「わるい優助!」
「おい、なんであやまんだよベツ。おれまだ何も言ってねーぞ」
「部活休みだから、おれん家にこないかって言うんだろ?」
「お、おお……そうだけど。ベツすげーな」
「すまん。今日、どうしてもはずせない用事があるんだ」
「まじかよー。まぁ、しゃーねーか」
「優助」
「なんだベツ」
「たのむから長生きしてくれよ」
そう言うと、あいつは目をパチパチさせた。
で「年寄りみたいなこというなよ!」と、すぐ笑顔になった。
心からそう思ってる。
一年後おれがどうなってても、こいつには無事でいてほしい。
(えーと、まずダッシュで下校……だな)
靴箱で靴をはきかえて、さっそく行動にうつる。
しかし、今週はかなり目まぐるしい。月曜から今日にかけて、毎日なにかしらのサプライズがある。
「激おそ」
そう言われて、反射的におれはあやまった。たぶん、的場のヤツにもあやまってるから、これで本日4回目だ。
「これ……なんかワケがあるの?」
おれは声のボリュームをおさえて質問した。
ここは学校の図書室。おれの足元は靴下。
すべて、机に入っていた深森さんのメモのとおりにしているけど。
「さとられたくないのよ。私たちの動向を」
「学校からダッシュで下校―――とみせかけて、しばらくしたら学校にもどってきて図書室へ。ただし上靴は靴箱に残しておくこと……」
「そう。それが私の指示」
ぱたん、と厚い背表紙の本をとじて棚にもどす。
ここでやっと、深森さんはおれのほうに視線を向けた。相変わらずきれいな目だ。
「クラスメイトには見られてない?」
「たぶん」
「あなたって浮気性?」
寝落ち寸前ぐらいまで、深森さんのまぶたがスーッと下がる。
ジト目だ、これ。
「もしかして、江口さんのこと?」
「10月以前の傾向から推定するに、彼女は向に好意はないはず。最近、ときおりチラチラあなたのほうをうかがっていたフシはあるけど」
「……」
さらっと名前呼びされてしまった。
おそらくはじめてのことだと思う。
たまたま?
「きいてるの、向」
たまたまじゃなかった。
「きいてる。オッケーだよ。深森……さん」
おかえしにファーストネームで呼びたかったが、あいにくおれはそれを知らない。知らないことに、今ごろ気づいた。
「最初にその点をきかせて。それで、彼女が敵か味方なのか判断するから」
「敵なんかじゃないよ。江口さんは――――」
「《スーパールーパー》?」
めずらしい。
あまり動きのない彼女の眉毛が、ぐいっと上にもちあがった。
「そうだよ。だから、いろいろ確認してきたんだ。おれ以外にもループを自覚……」
「なんて冴えないネーミングなの。おどろき」
あ。そっち!?
深森さんは、セーラー服の胸元に垂れていた二つの三つ編みの片方を手ではらって、背中へまわした。
「そんなの今さらの話」
「今さら?」
「失われた時間の記憶は、とっくに思い出してる。どうやら私も〈それ〉の素質があったようね」
言いながら、腕を組んだ。
おなじみの彼女の姿勢だ。
「その証拠を示しましょうか?」
「いや、いいよ、べつに」
「べっしょ」
なつかしいフィーリング。かえす間もばっちり。
あれ?
おれはそのやりとりをずいぶんモアとしたけど、深森さんがきけるようなタイミングで口にしてたっけ?
「前回のループの10月3日よ。あのとき、私はまだ教室にいた。だから耳に入ってるわけ」
この心を読んだかのような会話のスピード感。
まじ、ふるえる。
「――と、ここまではたんなる前置き。本題に入りましょうか」
こくっ、とうなずいた。
放課後の図書室のスミのスミ。なんとか全集みたいなのがおいてるスペースで、人気はない。
「末松さんに、なびかないように」
そろえた指先をメガネの横にあてる。知らない人がみたら、おれに向かって敬礼してるみたいに見えるだろう。
「くれぐれも。ガチ、くれぐれもだから」
「さっきの……『さとられたくない』っていうのは、彼女に?」
YES、と深森さんは目で返事した。
「あなたにぶっとい、極太の五寸クギをさしておこうと思って」
「えっ」
「このまま、幼なじみとうまくいかない日々がつづくと、きっとくる」おれから目をそらして横顔を向けた。「魔がさす一瞬が、きっとくる」
「大丈夫だよ。うん。それは。絶対」
「油断はできない。いい? 向」きっ、とおれをみる。遠心力で、うしろに回っていた三つ編みが胸元にもどった。「私は今回のループが生まれた〈すべての原因〉は彼女にあると思っている」
静かに、感情をこめずに、事実をラレツするかのように彼女はいう。
「あなたは彼女に言い寄られ、幼なじみはべつの男に告白された」
「ボタンのかけちがえみたいなところからはじまって、だんだんひどくなっていったの」
「あなたは幼なじみのために、幼なじみはあなたのために、それぞれ身をひいて」
「強烈なすれちがい状態のまま、あなたたちは、わかれてしまったのよ」
「そして一年後の10月の悲しいニュース」
「後悔の念はとても強く、里居さんは立ち直れないほどのダメージを受けた」
いい終わると、深森さんはおれの肩に手をおいた。
正面に立って、両手を。
「約束して。あなたがこの最後の〈10月〉で好きになるのは、里居萌愛だけだって」
するよ、とおれは即答した。
「ありがとう。私は、そんなあなたが大好き」
「はは……うれしいよ。それ〈人間として〉ってヤツだよね?」
「いえ。恋愛の相手として。こっちはバリ恋愛感情、あるから」
えっ?
えっ、えっ?
えっえっえーーーーーーーっ!!!!???
おれは、目が点になった。
点すらないかもしれない。
このあと、おれはボーッとした頭のままで帰宅した。
眠る前のフトンの中で、はっと思い当たった。
(そうか〈単純接触〉! 毎日顔をあわせてたら好きになるっていう……もし深森さんがループのことを思い出せるなら、その日数は半年をかるくこえる――――)
翌朝。
学校の正面玄関の近くで、おーい、と元気よく手をふっているのは江口さん。
昨日の放課後どうしてたの、という話から、図書室での会話のことに行きつく。
彼女にはかくす必要もないと思い、
「スエちゃん、かー……」
数秒、言おうかどうか迷っているようなそぶりを見せたが、
「じつはね、昨日、廊下でスエちゃんにニラ……ああ、やっぱやめとこ」
「ニラ?」
「あー、失敗したなぁ。言いかけたら、気になるよね?」
うん、とおれはうなずく。
すると、江口さんは「こんな感じで」と、一度キツい目つきをしてみせて、
また真顔にもどって、こう言った。
「ニラまれちゃった」