逃げるが勝ち
まるで別れ話をしてるカップルみたいだ。
カフェで向かい合ってすわっていて、二人ともだまっていて、女の人には泣いたあとのような雰囲気。ときどき目元にハンカチをあてている。
なんか……まわりから興味シンシンで見られてる気がして、すごく話しだしづらい。
「あの、深森さん? そろそろ……」
メガネの奥の大きな目がおれをみつめて、こくっとうなずいた。
クラシックみたいなBGM。外はいい天気。砂糖とミルクで甘くしたアイスコーヒーはおいしい。
きっと会話がはじまったら、周囲もおれたちから興味を失うだろ――
「死になさい」
がたーっ‼ と近くでデカい物音がした。視界のスミでぎょっとしたような顔もあった。
が、意外にもおれは動揺してない。
前にもこういうことはあったからだ。
「や……やっぱり?」
「私こそやっぱり。おどろかなかったということは、近いことをすでに〈私〉が言ってるみたいね。別所くん、なにか書くものはある?」
なかったので、お店の人にかりにいった。
席に戻って彼女に手渡すと……
(おい、うそだろ)
テーブルのはしにある紙ナプキンをサッととって、そこにペンを走らせる。
「このマークがすべてのスタート地点になるの。いい?」
いや、いい……もなにもさ。
ドクロはやめてくれよドクロは。
いくらなんでもエンギわるすぎ。
「ここから――」びーっと線をのばして、その先に丸をかく。「ここへ。この丸が10月、つまり今。これが里居さんの動き。彼女は、このドクロマークの日から過去にもどってきたものと考えられる」
「あの……」
「まって。とりあえず、最後まできくこと」
おれはだまってストローを吸った。
深森さんの長い説明が終わるころ、もうおれたちを気にしてる人はいなくなっていた。
右からは「あはは」と明るく笑う声がして、左にいる人は静かに読書している。
ちいさいカップに入ったニガそうなコーヒー――たしか深森さんは「エスプレッソのソロを」って注文してたっけ――を一口のんで、おちついた口調でいう。
「疑問はあるだろうけど、矛盾はないはず」
たしかに――そのとおりだ。
おれは腕を組んで、ちょっと考えこむ。
まず大きいナゾが三つあった。
・なぜ萌愛が急におれに冷たくなったのか?
・なぜ「いかないで」と引きとめられたのにループを出れないのか?
・そもそも、なぜ10月がループしてるのか?
このうちの二つは、だいたい解けたように思えた。
前回の「いかないで」はちゃんと有効だったんだ。
しかし〈10月〉から出ていったのが……
「おれじゃなくて、なんでモアなんだ?」
「さあ」ゆっくりまばたきして、そのまま目をとじた。「それはあなたをループさせている人にしてほしい質問。私にきかれたって無言。結論は、シンプルにリクツから引っぱっただけの正論」
でた。深森さんのラップっぽい言い方……とかいってる場合じゃないな。
ぱち、と彼女の両目があいた。
「おそらく、あなたはこう伝えられたんじゃない? ――『「いかないで」と言われたらループから出られる』」
「あんま……よくおぼえてないんだけど、そんな感じだったかな」
「これだと主語がないでしょ? つまり、あなただとは言っていない」
「そうだけど……ふつーは、おれだって思うよ」
「気持ちはわかる。私も、文句の一つでもいってやりたいぐらいだから」
むっ、とほんの少し怒ったような顔つきになった。
そして、いつものように敬礼のような手でメガネの横にさわる。
おれは、うれしくなった。
こんなおれのために、まるで自分のことのように――――
「どーぞ」
えっ!? とめずらしい彼女のおどろいた表情。
おれも、たぶんすごいカオになってると思う。
なんだこの急展開。
「文句、ばっちこーい! って……ねっ!」
うふふ、と微笑みながらストローに口をつける。
テーブルの上にあるのはマンガ。大人の女の人がおとなしく読書してると思ったら、あれマンガだったのか。
ひとつ左の席のほうから、
ほおづえをついてこっちを見てる。
OLさんっていうのか、そんな格好だ。長い髪。うすい水色のスーツで下はスカート。
「だましたつもりはないのよ、向くん。べ・つ・に。これは意図した設計、そうです、シヨーってやつなのです」
と言い、口元だけで笑った。
なんだっけこの形……かわいい感じの……ああ、あれだアヒル口。
しかし、なんというか、その。
おれは言葉を失っている。
なにか言おうにも、異様な緊張感で口が、口が、
「どうして別所くんが先じゃなかったの?」
なにーーーっ‼?
いきなり文句。まさに有言実行。
てか、適応はやすぎ……。
さすがすぎだろ深森さん。
「こたえなさい」
「むむ、おヌシ、どうやらただものではござらんなー」
「そういうの、いいから」
「もー、めっちゃシリアスなんだネ。ま、いっか。あのねぇ、あの子が先ってゆーのは、たんに結果的にそうなっただけなのです」
「もしかして、未来からきた里居さんは自分が『いかないで』と口にしたらループを出ていく、というルールでもあったの?」
「するどいね、とだけいっておこうかな」
「別所くんをループさせている本当の意味は何?」
「そんなヤツギバヤにこなぁ…………あっ⁉」
左のテーブルの上にある飲み物がこぼれた。
そこに、ちょうど店員さんがやってくる。
(え)
だがスルー。何事もなかったように、通りすぎてしまった。
(え?)
視線をテーブルにもどすと、すでに誰もいない。何もない。消えた? こんな一瞬で?
「逃げたようね」
「あ、ああ……そうなのか……な?」
とにかく、と深森さんは冷静に要点をまとめた。
・萌愛は未来からきて、「いかないで」で未来に帰っていった
・だから今の萌愛は、ループ関係なしの〈本来の10月〉の萌愛
・〈本来の10月〉で、あいつはおれにかなり冷たい態度をとってしまって、そのことをつよく後悔していた
・そんなある日、おれが転校先で危険にあったことを知る
――と、ここがドクロというわけだ。
おれはじっと紙ナプキンをみつめた。
「なんで、あいつは自分が未来からきたことやループしてることをヒミツにしてたんだ?」
おれの視線の先にあるものを彼女もいっしょに見ながらつぶやく。
「いっしょに家族のように育った幼なじみに、ウソはつけなかったのよ」
「でもそれって」
「こう言いかえましょう。彼女はウソでウソをかくしたの。あなたに最悪の知らせをすることがないよう、時間旅行した事実ごと告げない……ようするに〈とぼける〉っていう戦略をとったのね」
「おれにぜんぶぶっちゃけて、あぶないメにあう日を教えてくれる……っていうのは?」
「日付だけでどうにかできる? あなたはまだ中学生なんだから、自分だけ避難することすらむずかしいと思うけど」
ふう、とほそく息をはく音。
どこか気だるい態度で、袖なしのワンピースとその中に着てる服がどっちもまっ黒な彼女のファッションにぴったりに思えた。
おれもなんかため息な気分だった。
逆に、外の景色はまぶしいくらい明るくてキラキラしていた。
深森さんのうしろは窓っていうか全面ガラスになっていて、道を歩いている人がたくさんいる。
「別所くん」
「なに」
立ち上がって、ななめにおれを見下ろしながら彼女は言った。
「ちょっと気分転換に、カラオケにつきあって」
◆
何事もなく日曜日が終わって、月曜日。
来週、中間テストがあるから、今日から部活はなくなる。まあ、おれにはカンケーないんだが。
「気になることがあったんだけど」
わっ、とおれは声をあげそうになった。
学校への道。カドを曲がったところで出会いがしらみたいに深森さん登場。あいさつも省略して話しかけてきた。
「土曜日のあのとき、別所くんは違和感なかった?」
「えっ⁉ もしかして……」
「そう。やはりあなたも―――」
「カラオケのこと? いやべつに、オンチとかじゃないと思ったけど」
「あっほ」
無表情に言う。
空気のかたまりをおれにぶつけるように、少しくちびるをつきだして。
ののしられてるけどうれしい、っていうこの感情。
っていうか、友だちとする会話って、こんな感じだよな。
「論外。朝から寝言はアウト。いい?」ずいっ、と間合いをつめてきて少し目をほそめた。朝のさわやかな風が、深森さんのいい香りをおれに直撃させる。
「お、オッケー……」
ちなみにまわりには、登校中の生徒はいない。ずっと向こうにある信号をわたったら、中学校がみえてくる。
「あの場所に突然あらわれた女性。途中で一ヶ所、『あの子』って言ったでしょ?」
「えーと……どのあたりで?」
「別所くんが先じゃないっていう―――」深森さんはこめかみに手をあてて、一往復、首を横にふった。「もういい」
「ま、まあそう言わずに、一応きかせてくれよ」
「なんとなく他人を指すみたいなニュアンスじゃなかった気がした、ってだけよ。たとえば、自分のこどもに対するような自然な……私がスマホをもってたら、ちゃんと録音してたんだけどね」
「あ。もってないんだ?」
沈黙。
スンとした顔で、スタスタ先に歩いていく。
まいったな。イヤミっぽくきこえたか? そんなつもりじゃないんだけど。
「まって。深森さん」
「ま……またない」
ぐっ、とスピードが上がった。
うそだろ。そんなに怒ってるのか? おれ地雷ふんだ?
背中が少しプルプルとふるえているようにも見えるが。
「あのさ、おれはどうしたらいいかな? 萌愛にちゃんとラブレターの返事をもらったほうがいい?」
「……」
「スマホのことでハラがたったんなら、あやまるよ。だから」
「ついてこないでってば!」
「そ、そこまで言わなくても……」
「ちがう! あなたのことじゃないっ!」
「へ?」
チラッとおれを見て、また前を向く。スカートがひらりと舞う。
そして逃げるように―――
「追いかけてこないでーーーーっ!!!」
(なっ!?)
ダッシュ。
メガネと三つ編みの外見に似合わない、しなやかな走りのフォームで。
すっごいターボだ。もうあんなところにいるぞ。
みごとな逃げ足。
だが、おれのたった一人のパートナーが……。
ん?
―――にゃあ
この声は、ネコ?
ふりかえると、おれと目が合った。白と黒のツートーンでハチワレっていうやつだ。顔の毛色が〈八〉の字に分かれていて、目のまわりが黒い。ネコ好きの姉キがみたら、とんでよろこびそうだ。
おれはやっと理解した。
(ネコがニガテ?)
ぷっ、とおかしくなった。
これはおもしろい発見だ。
でも本人に聞いてたしかめるのは、フキゲンになりそうだからやめておこう。
と、
「ベツベツベツベツ‼」
すぐそこにある学校から、おれのほうに走ってくる背の高い男子。
親友の優助だ。
マシンガンみたいに名前を連呼しながらこっちにきた。
「や、あの、さ、昨日でもよかったんだけど、ちょ、直接ベツに」
「おちつけよ優助。一回深呼吸しろって」
「お、おう……」
やや間があったあと、スマホをとりだした。
で、すっとタッチした指を左に流して、
(え? なんだこれ……ただの街の風景―――あーっ!!!!)
これはおれだ。
テーブルにはアイスコーヒー。
そして、この三つ編みの背中はまちがいなく深森さん。土曜日のあのときの。
「やっぱ知らなかったのか。あ、あのなベツ、もう一枚あるんだ」
再度、指が左へ。
またしてもおれだ。
んなバカな。信じられない。
画面にうつっているのは三人。手前で体をくっつけるようにしてるのがおれと深森さん。奥に立っているのが萌愛。
金曜日の放課後だ。
(……)
ぼーっとしてしまった。
なにが起きてるんだ?
どうしてこんなモノが?
(おれはともかく、深森さんまでコレに気づかなかったっていうのは―――)
ショックをふりきって、はやく考えないと。
たぶんラブレターのときはカミナリに気をとられていて、土曜日は気を抜いていたんだ。
テストも近いのに外出してるクラスメイトはそうはいない、って。
実際、小原さんだけには出くわす可能性があったけれど、彼女がこんなことをするはずがない。
きっとこれは防ぎようがなかったアクシデント。
くやしそうな顔で優助がスマホをポケットにもどして言う。
「クラスで回ってる。だれが撮ったのか、出どころはわからねぇ」
「じゃあ、も、モアも……」
「ベツ! ウワサをすれば、ほら!」
指さす先には真ん丸なショートカットの女の子。
たしかめるまでもなく、あれはおれの幼なじみだ。
(――――くっ! まじか!)
この距離でおれに気づいてないはずがない。
明らかにこっちから目をそらして、見ないようにしている。
歩くコースも、わざわざ遠回りするようなコースで。
バリアがあるんだ。避けようとする意志が。
しかし、いくしかないっ!
「モア! モア!」
「……」
がんばれベツ、とうしろであいつが小声でいった。
近寄るほど、不自然に横歩きみたいにして逃げる萌愛。
「とにかく話を……」
「ききたくない」ぷいっと横に向く。「楽しかった? あの子と二人で悪だくみして、ウソのラブレターまでつくって」
「それは誤解だって。おれがおまえにそんなことを――」
「おまえ?」
「ああ、いや」
「二度とそんなふうに呼ばないで」
あっ。
……行ってしまった。
深森さんみたく、ダッシュで。
おれは、その場にとり残された。
「大丈夫です?」
心配そうな声。前からだ。
いつのまにか地面に向いていた視線を、あわてて上げる。
「別所くん、幼なじみさんとケンカでもしたんです?」
「べつにケンカっていうか……」
「たぶんですけど、あの画像のせいですよね。あれ、ひどいと思いました」
ぷぅ、とほっぺをふくらます。
ちょうど上目づかいみたいな角度で、おれと目を合わしている。
「悪意がありますよ。メッセージ性っていうのか、あれじゃまるで里居さんに何かしてるみたいじゃないですか。まぁ、それはそうと……別所くんと深森さんというのは、意外なカップルなんです」
「ちがうんだ。彼女とは、そんなんじゃないから」
「あれっ? そうなんです?」
彼女は、クラスの級長だ。男女一人ずついて、その女子のほう。
ふちなしのメガネをかけてて、肩ぐらいまでの髪の長さ。うしろの右と左、〈Ⅹ〉でピンで留めて下に垂らしている、ひかえめなツインテールのヘアスタイル。
「こまったことがあったら、いつでも相談してください」
「うん。ありがとう」おれは彼女の名前を呼んだ。「末松さん」
本日は10月6日。
31日まで時間はある。
まずは萌愛との仲を修復したい。さもないと「いかないで」はありえないからな。
――――ちゃんと見抜いて、私の本心。
あいつとの約束から、おれは一ミリも逃げるつもりはない。




