下手の考え休むに似たり
中学の入学式があった日。
親からではなく姉から「ほれ」と人生初のスマホを手渡しされたとき、なんかイヤな予感はしたんだ。
中をみたら、やっぱり。
電話番号、メール、ラインのぜんぶに問答無用で登録ずみだったその名前は―――「モアちゃん♡」。
「しょうがないじゃん。ことわれなかったんだから」
ぶすっとしたあいつの顔がみえるようなメッセージ。
これが、幼なじみからのはじめてのラインだ。もちろん、いまでもスマホに残っている。
そこからしれっと一年以上連絡ナシ。
最近だと夏休みに一度「宿題みせてよ」というのがあったぐらい。
「ふかい意味はないんだよ?」
しまった。
返信を考えすぎて、彼女から次のメッセージがきてしまった。
「ただ、きいてみただけ」
「ほんとほんと」
「でも興味あるんだよね」
……こまったな。既読もつけちゃってるし。
はやく返さないと。
「いるよ」
「おっ! それは……誰かな?」
「そ」盛大に指がすべった。「それはおれの名前だから」
まちがって予測変換をえらんで、あやまって送信ボタンにふれる。
これは萌愛とのやりとりでつかう定型文。
江口さんには、意味不明すぎる。
新しいメッセージがきた。
「?」
……そりゃそうだよな。
「ごめん!打ちまちがえた!」
「あー」
「前に、友だちに送ったやつの予測変換のせいでさ」
「友だちね。なるほど」
そして――――フルスピードのフリック入力。
相手よりもはやく、はやくないと意味がない。
「江口さんは、好きな人はいるの?」
「じゃ~また明日~☆」
なっ⁉
冗談っぽく、かつ、あざやかに質問がかわされた。
つづきがこないかしばらく待ったあとで、おれはスマホを机の上にもどす。
(もしかして、けっこう恋愛経験が豊富なのか?)
っていうか、じつは元カレとかいたり……。
いや現在進行形で彼氏がいても、べつにおかしくないのか。
どちらにせよ、おれよりオトナなのは確実だな。
10月2日。
朝の通学路では萌愛に会わなかった。
「うぃ」
靴箱のところで肩で肩を押してきたのは、おれの友だち。
「優助。こんなにながくつきあってもらって、わるいな」
「あぁ? 朝イチからおかしなこと言うぜ。ベツとダチんなって、まだ一年もたってねーぞ?」
「いや、もうだいたい一年になる」
「ははっ。わけわかんねーよベツ」
そして教室まで向かう途中。
「ひとつ教えてくれないか?」
「おお。いいぜ」
「こう……ある程度、なんていうか、おれが女子に好かれてる状態だとしてだな」
「えっ⁉ 里居ちゃんのことか!」
おれは否定せずに、話をさきに進めた。
「その子に対して、どういうアクションを起こしたらいい?」
「それはなベツ」優助は平泳ぎのマネをした。「流れに身をまかせんだよ」
ほんとにそれでいいのか?
でも、たしかに追えば逃げるとかいうしな。
江口さんにかぎっては、おれからグイグイいくのはやめておくべきなのだろうか。
「部活はやってないの?」
と、ナチュラルに靴箱で話しかけられる。
セーラー服に斜めにさしかかる夕陽。
ストレートのきれいな髪の、少し内側にカールした毛先。
この流れは……まさか今日もおれといっしょに下校してくれるのか。
「別所くん、帰宅部だっけ?」
「一応、入ってる。あ、いや入ってた」
「どこ?」
「サッカー部」
「えーっ‼ めっちゃ意外だねー!」
手を口元にあてて、彼女は一瞬、おれの足をみた。
「スポーツ得意なの?」
「ぜんぜん。小学校がいっしょだった友だちにさそわれて、なかばムリヤリ。半年でやめたよ」
まるでずっとそうしてるみたいに、自然に話しながら歩きだすおれたち。
「江口さんは?」
「帰宅部」
「そう……なんだ」
「そんな残念な女子をみる目でみないでよ~。ラクでいいじゃんか」
笑顔で、ぽん、とやさしく胸を手でおされるおれ。
女子と二人でこんな会話するとは。リア充ハンパない。
(まてまて。ここだと〈入ってる〉ぞ。そーっと……)
おれはダテに『恋愛心理学』の本を何度も読み返していない。
人間にはパーソナルスペースっていうのがあるらしい。
わかりやすくいえばナワバリ。
そこに入りすぎると警戒――つまりきらわれる原因になってしまう。
で、さらにむずかしいのは、はなれすぎてもダメってことだ。
45センチが基準。だいたいペットボトルを縦に二本つないだぐらいの長さ。
それより接近すると〈親密ゾーン〉っていって、ようは彼氏彼女の距離感となる。
今はそこに入るのはまだはや―――
「もっと近づこうよ」
ぐいっと腕をひかれた。
「私といっしょにいるの、はずかしい?」
友だち同士だと45センチから120センチ……の、はずなんだが。
友だちの関係をスキップするような間合いだ。
ついカンちがいしそうになる。
おれがそんなにモテるはずないのに。
(本当にこの道をすすんでいいのか? 「いかないで」にたどりつく……のか?)
10月3日。
天気は朝から大雨、夕方には雷雨。
おれは決心した。
もう助けてくれない―――って言ってたけど、やっぱり彼女はたった一人のたのもしい味方なんだ。
放課後。
わかりやすく読書のフリをしていれば、気がついてくれて前のループと同じになるはず。
会おう。もう一度だけ。
深森さんに。
「なに読んでるの?」
声をかけられて、目線をあげる。
そうか。江口さんがいたんだ。
ニコニコした顔で、本をのぞきこむように顔を寄せてくる。いいにおいがした。
「私も自習でもしようかな。帰る気になったら、教えてね」
「あ、あのさ」
「ん?」彼女は口をとじたままでハミングをならす。
「ごめん。今日友だちと……約束があるんだ。しばらく教室で時間つぶさないといけなくて」
「えー。ほんとにー?」
じゃしょうがないね、と案外あっさり引き下がってくれた。
正直ホッとした。
彼女まで居残ってたら、出てきてくれない可能性があるからな。
そしてザーザーザーと切れ目のない雨の音をきくこと数十分。
テスト前のせいかこの荒れた天気のせいか、教室はからっぽになった。
いける。
(……)
おれは彼女の机に近づくと、手をゆっくり中へさしこんだ。
「盗難やイタズラを避けるために、私は机にモノを置かない」
(よしっ!!! ばっちりだ!)
教室の外側、非常階段につながる通路へのドアがあく。
あらわれたのは、びしょ濡れで腕を組んだポーズの彼女。
タイミングもセリフも、あのときのままだ。理由はわからないが、ちょっと泣きそうになってしまった。
おちつけ。
ここからが勝負。
ちゃんと、おどろいておかないとな。
「な、なにーーっ!!??」
ドギモを抜かれた―――演技。
無言で近づいてくる深森さん。
歩きながら、メガネの横に手をあてて一言。
「あなた、タイムリープしてる」
バリバリッ!! と心に電撃が走った。
演技じゃなくてホントにおどろく。
見抜いたスピードが人間ワザじゃない。
最後の音を〈↘〉断定するように言ってるところが、とくにふるえる。
「すくなくとも3回。ちがう?」
「え、えーっと……」
「なにもしなかった1回目、〈私〉にいわれて机の中をのぞいた2回目―――」
ばん、と彼女は乱暴に机をたたいた。たたいた音は、ほとんど雨音にかき消された。
「目的は何?」
「こ……こうなったら白状するよ。おれはずっと10月がループしてて、出られない。深森さんだけがそれに気づいて、助けてくれたんだ」
「あほ」
「えっ⁉」
「私が私なら、とっくにあなたなんかループを出てる」
「そ、それは……」
「あなたの失敗のシリぬぐいを、私にさせないこと。ケツは自分でふいて。話は以上」
くるっと回って背中を向けた。
遠心力で回った三つ編みの髪が、おれの顔に細かい水しぶきをかける。
「おれ、どうしたら……いいのかな?」
「まよったときは、原点にかえるのよ」
深森さんはふりかえって言った。
直後、どっがぁあぁん、というど派手なカミナリの音。
ワープしたように、彼女はおれに抱きついてきた。
パーソナルスペースなんかおかまいなしで。
(原点――――か)
おれもうっすらそう思っていた。
最初の失敗は、じつは失敗じゃなかった……そんなことも深森さんが教えてくれたから。
翌々日の日曜日。天気は晴れ。
「出かけないか?」
せいいっぱいオシャレしたおれが、萌愛の家の玄関で言った。




