鶴の一声
おれは、おじいちゃんからこう教えられている。
「一回目は遠慮しろ」と。
お年玉でもプレゼントでもなんでも、とにかく人様からの申し出は最初は「いただけません」って言うものなんだよ、と。
「出かけない?」
「いや、いい」
数秒、見合ったままでかたまるおれたち。
家の外で一回、となりの家の犬がほえた。
おれは教えられたことを、守っただけだ。
――萌愛は無反応。
しかしそのみじかい時間、不思議とテレパシーのように、
「はぁぁぁ!!!???」
「それ本気でいってんのぉ⁉」
「こんなかわいい子がさそいにきてるのに!」
「ことわるとかありえないでしょーーーっ!」
そんな心の叫びを感じとった。
表面上は、口元に余裕をたたえた〈おすまし顔〉なのだが。きっとこれは、長い時間を共有した幼なじみだからこそ成せるワザだろう。
「ウソだよ。いくいく」
「じゃ、はやく用意して。お邪魔しまーす」
勝手しったるという感じで、ずかずか上がりこんでくる萌愛。
しかも脱いだクツの向きさえ直さない。
(はあ……)
しゃがんで、あいつの赤いスニーカーをそろえてととのえる。
部屋にもどって時計をみると10時前。
(お出かけか。これは今までになかった流れだな)
ただ、デートという雰囲気でもない。
服装はそれっぽかったけど。
(まさかワンピースでくるとは)
水色で、肩には白いカーディガンみたいなやつを羽織っていた。
そして母親に借りたのだろう、大人なデザインの赤いハンドバッグに赤いスニーカー。ソックスは白とピンクのしましま。
「えーーーーっ⁉」
リビングのソファのど真ん中にふかぶかとすわった萌愛が、着替えたおれをみた第一声。
「それコンビニいく格好じゃん!」
「いいだろ。さ、いこうぜ」
解せぬ、という表情だが、しぶしぶ萌愛は立ち上がった。
たしかに文句を言いたい気持ちもわかる。
が、こいつがオシャレしてる分、おれのほうが肩の力を抜かないとバランスがとれないというか……そんな微妙な感覚があったんだ。
(さて。どうなることやら)
バスで駅前に移動。
そこからさらに電車にのり、高いビルがならぶ大きな街へ。
改札を出てスタスタあるく萌愛が、いきなり立ち止まった。
「来てないなぁ」
「えっ?」
思わず「誰が」とたずねた。
すると「~~ちゃん」と「~~くん」と、おれが知らない名前をあげる。
すごい早口でよくききとれなかった。
ききかえすか迷う間に、その二人があらわれた。
「あ……こんにちは」
一人はおとなしそうな女の子で、
「うぃーっす」
一人はおれより背の高い男子。
なんか……ラッパーみたいなファッションだ。
この時点でもしやと思ったが――
「ダンス部の友だちだよっ」
と、萌愛はニコニコして彼らを紹介した。
いや、おかしくないか?
どう考えても、ここにおれいらないだろ。どうして、おれをつれてきた?
「じゃレッツゴー」
元気よく先頭をきってすすむ萌愛に、その丸っこいショートヘアに、うしろからテレパシーを送る。
(おい!)
(おまえ知ってるよな⁉ おれの人見知りを!)
(二人きりじゃないのなら先にいえよ!)
くるっ、と日光を反射した黒い髪が回転して、
「うっさいなぁ」
目をほそめておれにそんなことをいう。
「なにも言ってないだろ」
「顔が言ってるじゃん、顔が」
「あーはいはい」
「今さら帰るとかいうのやめてよね」
「まあ来た以上はつきあうけどさ」
チラッとうしろをついてくる二人を確認した。
それぞれべつな方向を向いていて、会話ゼロ。
女の子のほうは、心なしか恥ずかしそうにうつむいているようにも見えた。
「ダブルデートなのか、これ?」
「へー。コウちゃんそんな言葉、知ってたんだ」
「あの二人がケンカしてて別れそうだから、仲直りさせようとでも思ってるのか?」
「生意気に推理なんかしちゃって」
萌愛がそう思ったのなら、きっとそれは深森さんの影響だろう。
彼女のおかげで、おれもある程度〈先読み〉っぽく考えるようになってきてるからな。
だがやはりおれは凡人だ。
まったくアテがはずれていた。
「じゃあペアになって卓球しよーか。私はコレと組むから」
ラケットでおれをつつく萌愛。
待ち合わせから、一時間ほどゲーセンで遊び、ファミレスで昼食をとって、今はスポーツ系のアミューズメント施設みたいなところにいる。
「ちょっと……コウちゃんさぁ……ヘタすぎだからっ!」
へらへら愛想笑いするしかないおれ。
相手チームは、ぺちっ、と小さな音でハイタッチしていた。
そのあと、できもしないビリヤードをみんなでやって、つぎはカラオケにいこうかという話になったが、女の子が猛反対したので却下となる。
時刻は午後三時。
新しい場所へ行くにも、帰宅するにも、ものすごく中途半端な時間帯だ。
「はい。女子チームはいったんお手洗いにいってきまーーす」
萌愛たちがいなくなって、
当然、おれは男とツーショット。
「なぁ」
「えっ」
「おまえ里居とつきあってんの?」
カンペキにタメ口。
遊んでいるときも食事のときも彼とはほとんど話してないから、まだおたがいの名前ぐらいしか知らないのに。
苦手なんだよなおれ……こういうタイプ。
「つきあっては、ないけど」
「里居っていいよな。今日もあいつ、友だちとおれをくっつけようとして、ずっとがんばってんだぜ?」
「あ……そうだったんだ」
そこでやっとわかった。
萌愛のたくらみが。どうしておれをさそったのか――それはダブルデートの形にする必要があったから――だ。
「おれ的場。射的の的に場所の場な。最初にいったけど、もっかい自己紹介しとくわ」
「ああ、はい。おれは―――」
「アンタのことはいい」
ズボンのポケットに両手をつっこんで、あごをひいて、強い目をおれに向ける。
「里居から吐くほどきいてんだ。アンタの話。おれの気も知らずに、うれしそうにしてさ」
もうわかっただろ? と言いたそうな視線。
カラフルなバスケのゼッケンみたいな服の下に、黒のロンT。ぶかぶかのズボン。登山靴みたいなごついクツ。
この日一番、おれは彼の姿をしっかり眺めた。
「正直、きらいだよアンタ。できればずっと遠くに……はっ、転校でもしてくんねーかなーって感じだな」
おれはなにも言えない。
言えないまま、駅で解散になった。
「帰り道、むっちゃテンションひくかったじゃん」
「もしかして、的場になんか言われた?」
夜、そんなラインがあいつからきた。
「なあ」
「ん?」
「おれの転校のこと、誰かに言った?」
「言うわけないじゃん」
つづけて「あれ? 私が知ってるってことは、コウちゃんのお母さんからきいたの?」とくる。
たび重なるループのせいで知ってるんだが、説明はめんどくさい。
「そうだよ」
「ふーん。で、今なんでそんなこときいたわけ?」
「べつに」
「べっしょーーー!」
ふう……元気よく返しやがって。
しょうがないから「それはおれの名前だから」と、「そ」の予測変換から入力した。
「も」の予測変換は、萌愛やモア。
あいつのスマホも、「べ」と入れたら一番上におれの名前が出るんだろうか。
◆
10月6日。
「うわっ!!?」
靴箱のカゲから、ぬっと深森さんがあらわれた。
おどろくおれにおかまいなしで、
有無を言わせぬ口調で、
「あなたにぴったりな相手がいるから。彼女にしなさい」
という。
ことわったら「そう」とあっさり行ってしまいそうで、たとえ一回目でも遠慮できるような空気じゃない。
おれは即答した。
「わ……わかった‼ それで……いったい誰?」
「いいましょうか」
「ふ、深森さん、たのむ、ぜひ!」
「いいましょうか」
彼女は同じセリフを二度くりかえした。
おれをからかっているようには見えない。
ずい、とこっちに一歩接近して「だから」とダルそうに前置きし、
「いいましょうか!」
と三度めのリピート。
片手を腰にあてて、おれをもう片方の手の人差し指でさして、声を大にして。
「はあ……朝からつかれた。あとは知らないから。しっかりやって。あまり、私に世話を焼かせないこと。いい?」
すっ、と登校する生徒の人ごみにまぎれるように気配を消していなくなった深森さん。
(い、いってなくない…………?)
おれは靴箱の前で立ちつくした。
「いいましょうか」がクラスメイトの女子の名前だと気がついたのは、その日の昼休みだった。