エース
初めて人を刺したのは、いつのことだったか。
風。
全身が弾け飛ぶような気がした。
けれど、それを全身に感じるより先に、記憶が途切れた。
薄暗い夕暮れ時。
これから、濃い闇がじわりじわりと侵食してくる。
池のほとりに、幼い少女がいた。
少女は、夕日で真っ赤に染まる池の中を覗いていた。
そっと背後に忍び寄る。
これから、輝かしい未来が待っているであろう少女。
その小さな背中を、ためらうことなく刺した。
刺してからしばらくして、逃げた。
不思議と全身に力がみなぎるのを感じる。
自分が、生きていることを強く感じていた。
どこまでも、遠くに行けると思った。
長い長い、逃亡生活の始まりだった。
人を刺し続けた。
老若男女、刺していった。
その度に、自分が生きていると実感する。
自分の好みは、幼い少女から女子高生だと知った。
刺す。
教養、道徳、といったものは誰にも教わっていない。
だから、生きるためには、仕方がなかった。
刺す。
1ヶ所にはとどまれない。
刺す。
逃亡生活は続いていた。
初めて、室内に侵入した。
暗闇の中から、今回の標的を探す。
標的の男は、眠っているようだ。
幾度となく修羅場を潜り抜けてきた自分には、たやすかった。
いつものように、何も考えずに構える。
最近では、生きているという実感はなくなっていた。
ゆっくりと、男の手首を刺していった。
いつもなら、すぐに逃げるはずなのに。
この日に限って、狂暴な自分を抑えきれなかった。
腕、足、顔。
次々に刺していく。
男が、目を覚ましたようだった。
唐突に、辺り一面が眩しく照らされた。
目の前には、標的の男が不敵に立っていた。
風。
男が勢いよく手を伸ばすが、間一髪で身をかわす。
全身に、痛いほどの風圧を感じた。
極限の緊張感。
久々に、生きていると実感する。
男の死角に入り込む。
首筋。
確実に狙えると思った。
風。
今までとは比較にならないほどの風圧。
それを全身で感じるより先に、記憶が途切れた。
またひとつ、命を奪ってしまった。
肩で息をしていた。
全身のいたるところが、赤く腫れていた。
強敵だった。
自分の手のひらを、ちらりと見る。
そこには、小さな夏の風物詩と共に、あり得ないぐらいの自分の血が付いていた。
僕は、その亡骸を見つめながら、今年一番のエースに敬意を払った。