城下町へ
内門に着くと漆黒の馬が繋がれた馬車が用意されていた。
立派な幌や座席に目を奪われたものの、すぐに違和感を覚えてよく見ると、馬だと思った動物にはユニコーンのような角が生えていた。
「陛…、えっとノア、あの子たちは何という動物なの?」
うっかり言い間違えそうになったら、軽く眉を顰められた。隠さないといけない身分とはいえ、まだ城内にいるのだから大目に見て欲しい。
「魔馬という魔獣だ。野生の場合は獰猛だが、成獣になる前に調教すれば従順で大人しい。……触れてみるか?」
動物は好きだし元の世界でも馬に触れる機会などなかったから、こくこくと頷くと手を引かれて魔馬の前で連れて行かれた。
間近で見ると結構迫力がある。毛づやがよく、穏やかな瞳を見ると大切にされていることが分かる。馬に不慣れだと驚かせてしまうことがある、そう聞いたことがあるので手を出さずにいると、目の前の魔馬が前足を折ってうずくまった。
「陛下?! この子大丈夫ですか?」
調子が良くないのだろうか、と心配になって尋ねる。
「リアが触れやすいようにしたのだろう。撫でてやればいい」
鼻先に手を近づけ敵意がないことを示してから、首のあたりを撫でる。しっとりとした人よりも高い体温が伝わってきて、何故か目頭が熱くなった。
誤魔化すように笑みを浮かべると、ノアベルトは何も言わずに馬車にエスコートしてくれた。
(初めての生き物に触って感動した? そんなに感動しやすい性格ではないのだけど、情緒不安定なのかな?)
馬車は思ったよりも早いスピードで森の中を進んでいく。魔獣は普通の動物より能力が高いとあったが、知力だけでなく体力もそうなのだろう。窓の外を見るふりをして、さっきの感情の昂りについて思考を巡らせる。
泣きそうになっていたことに、きっとノアベルトは気づいていた。そう思うと気恥ずかしくて顔を合わせづらい。街に着けば、そんな態度を取り続けるわけにはいかないのだけど、ちょっと落ち着く時間が欲しい。
森を抜けると一気に視界が開けた。道は舗装され馬車のスピードもゆっくりになり、少し走ったところで止まった。
「ご主人様、お嬢様、お疲れ様でした」
ドアが開いて声を掛けてきたのは、ステラだった。御者の隣に座っていたらしいが、まったく気づかなかった。どれだけぼんやりしていたのだろう、とちょっと落ち込む。
馬車から下りると遠くから賑やかな音が聞こえてくる。高らかな呼び込みの声や、威勢のよい掛け声から街の活気が伝わってきて、気持ちが徐々に浮上してきた。せっかく念願の街に来たのだから、楽しまなきゃ損だ。
ノアベルトにどこに行くのか尋ねると、行きたい場所に行ってよいとの許可が出た。
そう言われても初めての場所なのだから、何があるのかも分からない。もっと事前に本で情報収集しておけばよかった。
困っているとステラが同行してくれることになった。案内してくれる人がいるのは有難い。喜んでステラの後に付いて行こうとしたら、後ろから手を引かれた。
振り向いたノアベルトの顔はどことなく不満気に見える。
(うん? 何でだ??)
「リア、約束しただろう。 私から離れてはダメだ、と」
「えっ? 傍にいるじゃないですか?」
驚いてそのまま答えると、不満の色が濃くなった。どうやら怒っているようだ。だがリアには原因が分からない。すぐそばにいるのに離れるなと言われても、意味が分からない。
「どうして怒ってるのか分からないです……お出かけは取りやめ、ですか?」
ワクワクしていた気分が一気にしぼんでいく。
「怒ってなどいない……。リア、おいで」
差し出された手を取ると、そのままぎゅっと握られた。俗にいう恋人繋ぎというやつだ。
「ノア、これって……」
「こうすれば、はぐれる心配もない」
迷子になるような年齢ではない、と反論しかけてぐっとこらえる。過保護な雇用主は納得しないだろう。何しろ手が届く距離が近くにいる約束だという認識なのだから。
街の活気は想像していた以上だった。綺麗に整備された街並みは見通しが良く、一角ではバザーのように路面で陶器や布などの売買が行われており、テラスでお茶を飲んでいる若い男女、噴水の周りでは幼い子供たちが駆けまわっている。甘く香ばしい匂いにつられて顔を向けると、とある屋台の前に人だかりが出来ている。
「ノア、あっちに行ってみたい」
「もう少しだけ待てるか?」
(何を?)
疑問に思ったのも束の間、屋台の脇からステラが出てくるのが見えた。どうやら既に購入済みらしい。行動が早すぎるのはステラが優秀な侍女だからなのか、それともリアの考えが想定内なのか、どちらにせよ望みが叶ったので文句はないのだけれど、気になるところだ。
「お嬢様、こちらはウィッケという最近評判のお菓子です。果物入りとチーズ入りどちらがよろしいですか?」
両手にある紙包みからは薄く色づいた生地とクリームが見えて、クレープのようなものだろうと推測する。
「うわー、どっちも美味しそうで迷う…」
「両方食べればいい」
それは流石に食べ過ぎだ。身体を動かしたくて外に出たのに本末転倒だが、城外に出る機会なんてめったにないから、食べないという選択肢はない。
「そうだ! ステラ半分こしない?」
ステラの笑顔が強張った。思い付きを口にしてしまったが、マナー違反なのかもしれない。
「私がもらう」
ノアベルトはステラから菓子を受け取り、片方をリアに差し出した。甘いものを食べているところを見たことなかったから、食べないものだと思い込んでいた。
「ノアは甘いものが苦手だと思ってた。勝手に分けようとしてごめん」
「苦手ではないが、普段は食べない」
(たまに食べたくなるものってあるよね)
納得して渡されたウィッケを一口かじる。甘さ控えめのクリームにさくさくした軽い歯ごたえの果物が入っていて美味しい。
「気に入ったようだな。こっちも食べてみるといい」
口元に差し出されるが、さすがに外で食べさせられるのは人目が気になる。
受け取ろうとするが片手にウィッケ、もう片方は繋がれたままだから難しい。
「ん、そっちはノアが全部食べて」
どんな味か興味はあるが、一つ食べられたので十分だ。
「…ではリアのが食べたい」
ノアベルトはそう言うなりリアの手元に顔を寄せる。いつもより近い距離に妙に緊張するが、食べやすいようウィッケを傾ける。
「甘いな」
そう呟く表情はどことなく嬉しそうに見える。
「これ好き? もっと食べる?」
ノアベルトが屈まなくてよいように手を伸ばして、口元に差し出した。ノアベルトは一瞬目を丸くしたが、何も言わずにウィッケをかじる。その様子に何となく嬉しくなった。食べさせられるのは恥ずかしいが、食べさせる側だとそうでもないし、相手が喜んでくれるならなおさらだ。
(陛下もこういう感覚なのかな)
ペットにおやつをあげる時の飼い主の心情が何となく理解できた。
今の仕事はリアの倫理観からはギリギリで楽しいものではないが、雇用主のニーズをある程度満たさなければとは思っている。何もせずにもらうだけの状態は居心地が悪い。
だから再びノアベルトからウィッケを与えられた時には、素直に口にするとノアベルトは満足げな表情を見せた。ペットという役割に順応しているようで、複雑な心境ではあるものの、どうやら正解らしい。口の中に広がる甘さに少しだけ苦みが混じった気がした。