ペット扱いと矜持
お風呂上りに部屋へ戻るとノアベルトは手にした書類を戻し、ソファーに座るよう促してきた。
(さっさと仕事場に戻りたいんだけどなー。この格好ちょっと怪しいし)
いつの間にか準備されていたのはメイド服。サイズもちょうど良かったので文句はないが変態疑惑が浮上してきた。ロリ×メイド、文化祭でのクラスの出し物であったメイド喫茶のおかげで需要が高いことを知った。身の危険を感じてわずか30分で裏方に徹するはめになったのは苦い思い出だ。
近すぎる距離にノアベルトが腰を下ろすと、リアの警戒度は一気に高まった。嫌な視線を感じないからといって油断してはいけない。そんなリアの警戒をよそにノアベルトはリアの頭にパサリとタオルを落とす。
「へ?」
そのままポンポンと優しく押さえるようにタオルに水分を吸わせていく。
(これ、あれだ。珍獣というかペット扱いなんだな)
さきほどの餌付けの様子や抱き上げて連れてきたこと、そして半乾きの髪を丁寧に乾かそうとする様子を見てそう確信する。
正直気に食わないが、変態の相手よりかは幾分かましだ。リアはそう思うことにして、心の中でそっとため息をついた。
(いつまで続くんだろう、これ)
ようやく髪が乾いて開放されるかと思いきや、ノアベルトは先ほどのようにリアの髪を指で梳いている。何が楽しいのか全然理解できないし、ペット扱いもそろそろ限界だ。
(もう十分我慢したよね?私にしては)
「陛下、仕事に戻りたいので失礼いたします」
許可を得るのではなく、断定的に告げることでそれとなく自分の意思を伝える。一応角が立ちにくいだろう。
「ああ」
リアの思惑が通じたのか、あっさりノアベルトの手は離れる。
気が変わらぬうちにと立ち上がり、ドアに向かおうとした途端に腕を引かれて背後から抱きしめられる。
「…甘い匂いがする」
耳元で聞こえた囁き声に、羞恥と怒りが込み上げる。
「触るな!変態!!役に立つとはいったが、ペットになる気はない!」
思い切り足を踏みつけて腕の中から抜け出す。
「二度と勝手に触るな!」
部屋を出る前に睨みつけながら捨て台詞を吐くと、乱暴にドアを閉めその場を後にした。
――言ったこともやったことも間違っていないから後悔していない。だけど雇用主、さらには王族相手にやらかした感はある。
(処刑、されるかな)
気分がぐっと重くなる。その可能性は十二分にあるけれど、どこに逃げていいか分からないしこの世界に居場所などないだろう。結局片付けを命じられた部屋に戻って片付けを行っている。
「おいお前、見かけない顔だがそんなところで何をしている」
声のしたほうに顔を向けると防具を身に付けた男性が2人、扉の前に立っていた。長身で細身の男と背が低くがっしりした男と対照的だ。
「今日から雇われて、この部屋の掃除するよう言われています」
これ以上の厄介事はご免だし、一人になりたい。
短く答えて作業に戻ろうとするも、男たちは立ち去る様子を見せない。
「そんな話聞いたか?」「わざわざこんな部屋の片付けとか、必要ないんじゃ…」
「誰の紹介だ」
小柄な男に問われ、ノアベルトの顔が浮かんだが、勝手に答えていいか分からない。
その沈黙がますます疑惑を深めたようで、男達との距離が近くなる。
疚しいことはないのだと、まっすぐに相手の眼を見つめたのだが、すぐに失敗したと分かった。
生意気だと思われたのか、長身の男の眼には嗜虐的な光が宿っていた。
「こんな場所で働かされてるんだ、どうせ下働きの関係者だろう」
陛下だと答えれば彼らもすぐにはリアに危害を加えないだろう。だけどそれはしたくなかった。足を踏んで暴言を吐いたのはつい先ほどのこと。それなのに都合の良い時だけ頼りたくない。それに彼らと敵対関係にある人間を気まぐれとはいえ、雇うことにした陛下のことを彼らはどう思うだろうか。気に入らないとは思うものの、彼に不利益になるようなことはしたくない。それはリアの矜持でもあった。
「念のため外を見張っとけ」
「止めとけよ、まだ子供だろう」
一応宥める素振りを見せながらも、本気で止める気はないことは軽い口調で分かった。
(本当に面倒…でもまとめておいて良かった)
リアの行動は早かった。まずはそばにあった大きめの壺を思い切り窓に投げつけた。
ガラスや陶器が割れる耳障りな音が響く。
「お前っ、何して―」
慌てて止めようとする男から身を躱しながら、手近な物の中から割れやすい物や重い物をつかみ取りながら、男たちの方にも投げつけていく。
「頭おかしいんじゃねえか。陛下の居城でこんなことして、処刑されたいのか」
「はっ!処刑されるならお前らも同罪だ!子供を襲おうとして騒ぎを起こす者など不要、だろう!」
投げつけた机上のオルゴールは男の頭をかすめ、甲高い音を立てて壁にぶつかった。
「このガキが!大人しくしてれば痛い目見ずに済んだものを!」
怒りに顔をゆがめた男がリアに向かって突進してくる。そばにあるガラスの欠片に手を伸ばした時―
「何の騒ぎだ」
冷ややかな声音に男たちは身体を強張らせた。
不快感を露わにしたヨルンが扉の前で仁王立ちしている。
「その、この娘が、不審な動きを――」
「そうです!急に暴れだしたので、宥めようとしていたところです」
男たちが口々に弁明するのを一瞥し、ヨルンはリアに視線を向ける。
「申し訳ございません」
騒ぎを起こして助かる可能性に賭けて、それは成功した。だけど物を壊したことはリアの責任だから、謝罪した。
そんなリアを見てヨルンは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「付いてこい。お前らはここを片付けておけ」
前半のセリフは自分に向けられたものだと理解したリアは、憎々し気な男たちの視線を見ない振りをしてヨルンの後に続いた。
予想通り到着したのは先ほど逃げ出した部屋の前だ。
扉を開ける前にヨルンはリアを振り返って尋ねた。
「どうして黙っていた」
「何のことですか?」
「あんな騒ぎを起こさずとも、陛下の庇護下にあると言えば真偽はともかく奴らはお前に手出ししなかった」
その言葉でヨルンが事情を正しく理解していることを悟った。
「……どこから聞いていたんですか」
「俺はお前が気に入らない。だが陛下を利用しなかったことだけは、褒めてやる。ここにいるつもりなら陛下の命令は絶対だということを忘れるなよ」
リアの質問には答えず、言いたいことだけ言ってしまうとドアを開けてリアを室内に促した。
ノアベルトはリアの顔を見るとすぐに傍に近づいてくる。
正直非常に気まずい。罵倒したこと、足を踏んだこと、物を壊したこと、謝らないといけないことが山ほどある。その中には謝りたくないことも含まれているが、背に腹は代えられないのかもしれない。
「リア、怪我をしたのか?」
その言葉に驚いて顔を上げると、ノアベルトの視線はリアの右手に注がれていた。
ガラスの破片が掠めたらしく、人差し指に血が滲んでいた。ヨルンの登場でガラスを振り回す必要もなくなったので、これぐらい大したことではない。
「いえ、大丈夫です」
「ヨルン、何があった」
見張りの兵士に絡まれ、身の危険を感じたリアが暴れて物を壊したことなどヨルンは公平かつ簡潔に説明した。
一方的に非難されるかと思っていたリアは少し安堵した。襲われかけたことを自分で上手く説明できる自信がなかった。
「―殺す」
突き放すような冷ややかな声が聞こえた。
威勢の良い啖呵を切ったくせに、与えられた仕事もこなせず、暴言を吐き、騒ぎを起こしたのだから当然といえば当然だ。目の前が暗くなり力が入らずリアはその場に座りこんでしまった。
(頑張ったけど駄目だった…)
自分の矜持と命を両立させるのは自分にとって難易度が高すぎたのだ。生きることを優先させるのなら、何をされても耐えれば良かった。いつだって努力はリアの願うとおりに叶わない。
(やっぱり私は駄目な子だ――)
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえていたが、今更我慢する意味などあるのだろうか。そう思ってしまえば、たちまち大粒の涙があふれてきた。
「リア? リア!――触れていいか?」
ぼやけた視界に映る差し出された手はリアを恐慌自体に陥れた。
(嫌だ、怖い!)
耳を塞いで首を激しく横に振る。わざわざ許可を求める問いかけに疑問を覚える余裕もなかった。ただ触れられるのがたまらなく怖くて不安だった。殺される前に汚されるのか、暴力を振るわれるのか、恐ろしい想像ばかり膨らんで涙が止まらない。
不意に視界が暗くなり、柔らかいものに包まれた。
びくっと身体を硬直させるリアの背後に温かいものが触れた。
「大丈夫だ、リア」
布越しに穏やかに何度も名を呼ばれる。どのくらいそうしていただろうか、恐怖は薄れリアは落ち着きを取り戻す。そして毛布をかぶせられ背後から抱きしめられているこの状況を理解し、顔が熱くなった。
(子供みたいに大泣きとか、恥ずかしすぎる!! そもそもさっき殺すとか言っていたのに、どうしてこうなった!?)
このままでは酸欠になってしまう。とりあえず毛布から顔を出そうともそもそしていると、目の前が明るくなった。
振り向くと至近距離に紫水晶のような瞳と目が合った。
「っ、すみません」
羞恥心から俯きながらも何とか謝罪の言葉を口にした。
「謝らなくていい。落ち着いたか?」
「はい……。あの、陛下はどうして、気遣ってくださるのですか? その、処分するのかと思っていましたが」
勢いよく片眉が跳ねあがり、険しい顔に変わる。
「そんなことしない!―ああ、済まない。あれはリアに危害を加えようとした者への処遇だったのだが、勘違いさせたのだな。本当に済まない」
項垂れて何度も詫びの言葉を口にするノアベルトを見て、安堵のため息が漏れる。
「いいえ、見苦しいところをお見せして申し訳ございません。それに物置を片付けるはずが余計に散らかして、物もたくさん壊してしまって、本当に申し訳ございません」
「そんなこと、気にしなくていい」
ノアベルトは毛布越しにリアの頬を優しく撫でる。
「今日はもう休め」
そういってノアベルトはリアを毛布に包むと抱き上げた。
抱きかかえられるのは二度目で、抵抗するのも駄々をこねているようで大人しくしておく。ノアベルトが部屋から出ていったあと、リアは枕に突っ伏した。
「疲れた……」
一人きりの空間にリアの声がぽつりと落ちる。
死にかけたことも、異世界に来たことも、これからのことも、考えることは山ほどあるが今はキャパオーバーだ。休もうと目を閉じるとノアベルトの顔が脳裏に浮かぶ。
(あの人は多分大丈夫だ)
毛布越しになだめたり、撫でてくれたのはリアが触るなと言ったからだ。パニック状態になったときも律義に許可を求めてくれた。だからこのまま眠ってしまっても大丈夫、そう思ってリアは意識を手放した。