煩悶
ノアベルト視点です
(本当に愚かなことをした)
ベッドに横たわるリアの顔を見ながら、ノアベルトは自責の念に駆られていた。
顔がいつもより紅潮し苦しそうに見える。リアに使われた薬は意識を奪うためのもので、身体に影響がほとんど残らないものだという見立てだったが、目覚めるまでは安心できない。
顔にかかる髪をそっと払うと細い首筋が露わになった。そこに残した自分の痕を指でなぞると、リアが僅かに身体を震わせる。構わずに頸動脈の辺りに手を這わせると、とくとくと規則的な鼓動を感じて、詰めていた息を吐く。
危うくリアを失うところだった。ほんの二月前まで出会ってすらいなかったのに、もはや傍にいないことなど考えられない。
いまだにリアの心を得られてはいないが、最初の頃に比べるとずっと慣れてくれたし、今回の外出で距離が縮んだように感じられた。甘えて欲しいと願えば、一生懸命応えてくれようとしたことが嬉しかったし、腕の中で眠ってしまった時には信頼されている証のようで満たされた気持ちになった。
リアの喜ぶ顔が見たくて、書店に連れて行ったことが失敗だった。そのまま城に戻っていたなら、楽しい一日で終えたのだろう。
(否、あれは油断していた私のせいだ)
背後関係を洗い出そうとして、衛兵ごときに注意を逸らされるなどあってはならないことだった。
あれが敵意や悪意を持って接近していたなら、間髪入れずに気づいたと断言できる。負の気配に敏感な性質だったからこそ、気づくのが遅れた。術の発動と同時に気づいたが間に合わず、リアを目の前で奪い去られた。
喪失感と激しい怒りに目の前が真っ暗になった。初めて抱いたあの感情を絶望と呼ぶのだろう。
左手を握るとブレスレットがきらりと光った。手首と一緒に唇を押し当てる。直前に渡していなければ、リアを探すのにもっと手間取っていたはずだ。購入してからお守り代わりにと自分の魔力を微量ながら付与していた。その痕跡を辿り最短でたどり着けたが、崩れ落ちそうになるリアの姿を見た時に怒りで我を忘れそうになった。
すぐさま存在を消してやりたかったが、すぐ傍にリアがいた。力と感情を抑えた結果、致命傷を与えることが出来なかった。
抱き留めたリアの目には涙が浮かんでいた。何を言われて何をされたのか、不安と苛立ちが湧いたが意識を失ったリアの治療が最優先だった。
(もう二度と外に出さない)
活き活きとした表情で楽しそうなリアの笑顔が頭をよぎった。一生閉じ込められると知ったなら、どんな顔をするだろう。リアにとって決して喜ばしいことではない。
「大切に慈しむから嫌わないでくれ……」
祈るような切実な声はリアの耳には届かない。
明け方になってようやくリアが目を覚ました。安堵しかけたが、その瞳が不安げに揺れていることに気づいた。
「ノアは、私が聖女だから、優しいの?」
縋るような弱々しい声に言葉を失った。一体どんな良からぬことを吹き込まれたのか。
安心させるように想いを伝えた。余計なことまで口にしてしまったが僅かでも嘘が混じっていれば、リアは二度と信用してくれない気がした。
リアを一人にするのは不安だったが、落ち着くための時間を与えるため、部屋にしっかり鍵をかけてノアベルトは部屋の外に出た。緊張した面持ちで待機していたステラを一瞥する。
「申し訳――」
「謝罪はいらん。許す気もない」
真っ青な顔に怯えの表情が浮かんだ。身体が小刻みに震えている。
外出許可を最終的に出したのは自分だから、それに対する処罰はない。だがカフェと書店と続いてステラは対応を誤った。
リアを尊重した結果ではあるものの、危害を加えられそうになったこと、そして衛兵を入口で止められずノアベルトに対応させたこと、それは許しがたい失敗だった。
「だがリアはお前を庇うだろう。 今後は私の不在時にリアの世話をすることを禁ずる。また私がいる時でもリアに話しかけることも目を合わせることも許さない」
震える声で承諾の意を示したステラを顧みることもなく、思案を巡らせる。
二度と他からかすめ取られることがないように、そしてリアを逃がさないためには閉じ込めるだけでは不十分だ。リアの全てを手に入れるためにも、逃げ道や選択肢を与えてはならない。
リアにとってステラは必要な存在だから処分はしないが、近しい関係にある必要はない。
ステラと距離を置けば、リアは孤立し自分だけしか頼ざるをえない状況になる。
それでもリアが我慢できるのは恐らく5日~8日程度、その間に婚約の準備を整える。リア自身に想いの深さを伝えるためにも、対外的な牽制にも有効だ。求婚してもリアは素直に首を振らないだろうが、意識させるためにも有効だ。理由を用意すればリアは断れない。
ふと自嘲的な笑いが漏れた。
リアは優しいと言っていたが、自分の身勝手さを知ったらさぞ失望するに違いない。
「私なんかに愛されて、哀れだな……」
罪悪感を覚えるが、どうしても手放してやれそうになかった。




