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【2】 元王子の、

帝国に捕縛された後、わたしたちは荷物のような扱いで幌馬車に乗せられた。

そしてそのまま帝国に連行されたのだが、両手・両足を拘束されていること以外、特に悪い扱いは受けなかった……、と思う。

そのあたりの記憶が曖昧なのは、拘束されてからすぐに粉状の薬みたいなものを飲まされ、意識が朦朧としていたからだ。

ともかく。道中、特に理不尽な暴力を振るわれたり虐げられるようなことがなかったのは、わたしたちを連行した兵士達には、捕虜をどうこうするような権利が与えられていなかったからと考えられる。そもそも、会話をすること自体、禁じられていたのかもしれない。

そういう意味では、帝国軍は指揮系統が確立され、規律の整った軍隊だったと言えた。

よく訓練されていて、そして戦いに慣れている。

思えば、この戦闘において帝国の兵士たちはあまり打撃を受けていないように見えた。それこそ怪我を負ったり亡くなった者もいただろうが、軍全体の士気を落とすような事態にはなっていないようだ。

疲労感こそ滲んでいたが、言動は非常に落ち着いている。


それほどに、我が国を陥落させるのは難しくなかったということだろう。


一方、わたしの国はといえば。たった一晩で、ほとんどの人間が炎に巻かれて命を落としたらしい。

魔法使いの国というのはもはや、ただの伝説でしかなかったわけである。魔法を上手く扱えたのは軍に所属する少数の人間くらいで。帝国軍に比べ、魔法に長けた人間そのものの絶対数が少なく、打てる魔法にも限りがあった。

そのため、統率の取れた軍隊には敵わず、無残にも命を散らすことになったのだ。


けれど、わたし自身を含めて、両親、父の側近、我が国の兵士たちも初めから闘いを放棄していたわけではない。歯が立たなかったのには他にも理由がある。

わたしたちが、いざ大魔法を展開しようとした瞬間、なぜか魔法が上手く発動せず霧散してしまうという事態が発生した。原因ははっきりと分からない。

生まれてから一度も使ったことのないような魔法だから、ただ単に失敗したのかもしれないし、あるいは、帝国軍には大魔法を使えなくするような魔道具があったのかもしれない。


結局、わたしたちは誰一人として帝国の兵士と同等に闘うことはできなかった。抵抗も空しく、ねじ伏せられてしまったのだ。

いずれにしろ断言できるのは、我が国は、弱かったのだということ。そのせいで、ただ、負けた。


「兵器の在処を知っているか」


帝国に着くなり両親と引き離され、独房に押し込まれたわたしの元にやってきたのは、二人の兵士を従えた尋問官だった。

男は、わたしと顔を合わせるなり、扉の在処について訊いてくる。

「……、」

申し訳程度に敷き石の並んだ地面に転がされたまま、返事もせずに男の顔を見上げた。ところどころ土がむき出しになって、尖った石が飛び出しているので、地味に体が痛む。

「質問に答えろ」

当然ながら、互いに挨拶など交わすこともなく、名乗ることもない。

薬の効果が薄くなってきたのか、意識もはっきりとしており、男の言葉がやけにはっきりと聞こえる。地下牢という特殊な環境下で、単純に声が反響しているのだろう。

瞬きすら数えているのではないかと思えるほどにじっとこちらを見つめている男に、何度か首を振って、自分は何も知らないという意思を示す。すると、彼は明らかに眉根を寄せた。

「本当に知らないのか?」

「……」

「まさか、そんなわけはあるまい。世界中の人間が知っているぞ。お前の国に、一国を滅ぼすほどの威力を持つ兵器があることを」

確かにそうだが、我々が自ら宣伝して回ったわけではない。

元々は、おとぎ話のような夢物語の一つとして語り継がれていただけだ。我が国には魔法王国に相応しい強力な兵器が存在すると。

それを、各国の統治者達が真実と思い込んでいただけのこと。

実際に扉が使用されたこともあったが、その際もわざわざ兵器についての詳細を公にするような真似はしなかった。

だからこそ、今更になって真実を明かす必要などない。


何も知らないとあくまでもしらをきるわたしに激高した尋問官が足を振り上げる。そのつま先が鳩尾に入ったのを合図に始まったのは、拷問だ。

それまでの、捕虜にしては割と丁寧な扱いを受けていたのが何だったのかと思うほどに、精神も肉体も嫌というほど痛めつけられた。

抵抗しようにも、拘束具自体が何かの魔道具なのか魔力を封じられていて、魔法を使うことができない。それどころか、暴力に慣れていないので受け身を取ることすらできなかった。


「それほどまでに頑なに口を閉ざすとは。……ならば、改めよう」


「お前は、兵器の「扉」がどこにあるのか、知っているか?」


帝国は、初めから扉のことを知っていたのか。それとも我が国に攻め入った際に偶然知ったのか。

疑念が沸き上がれども言葉にする余裕はなく、わたしができたのは呻き声を上げることくらいだった。

だが、いくら尋問官といえど、今代の扉が人の形をしているということまでは知らない様子で、核心を突いた質問は出てこない。

つまり、帝国軍は扉が代替わりをすることも知らないし、毎回形を変えて出現することも、扉には対を為すものが存在することも、当然ながら知らないのである。

それでも彼らは、扉を欲しているようだ。何とかして手に入れようとしているのが分かる。


父の側近や、王宮の関係者がいれば何らかの情報を引き出せたかもしれないが、彼らはもういない。文字通り、既に息絶えたか、とっくに姿を消している。

結果論ではあるが、彼らの内の誰一人として帝国軍に寝返らなかったのは唯一の救いだった。


「扉はどこにあるのかと聞いている!!!」


薄暗く、寒く、カビ臭く、王族としてこの世に誕生した自分には一生縁のない場所だと思っていた牢獄。投獄されてから、己がいかにこの事態を甘く見ていたのか思い知らされた。

帝国に投降することを決めたとき、この先どんな地獄がやってきても耐えられると覚悟を決めたつもりだったのに。そんな覚悟は、何の役にも立たなかった。

元より、国を見捨て、民を見殺しにした自分に、救いがあるなどとは思ってもない。

しかし、本物の地獄は想像をはるかに超えていた。


とはいえ。体感的には数日間、耐えたのだ。いや、違う。数日というのは願望で、もしかしたら数日どころか数時間も経っていなかったのかもしれない。何せ牢屋には窓がなく、外の様子も分からなかった。昼か夜かを判断することなど至難の業だ。要は、日を跨いでもいないのに、何日も経過したと勘違いするほどには長い時間、暴力を受けていたということである。

本当は、たった数分で心が折れていたにも関わらず、よく耐えた。

嵐のような暴力に何度も気を失い、叩き起こされ、奇妙に曲がった自分の腕を視界に収めながら……、人間というのは、これほど痛みに弱いのかと思い知る。

死よりも痛みのほうが、圧倒的に恐ろしい。

殴られて、蹴られて、指を折られたときには、もうダメだと思った。いっそのこと舌を噛んでしまおうと。


そうしなければ、扉の正体を明かしそうだったのだ。


ここにきてやっと、母が「わたしの扉」に名を与えなかった理由を理解する。

こういう不測の事態が発生したとき、あの子を護る為にあえて名を与えなかったに違いない。

だって、もしもわたしがあの子の名前を知っていたなら、口を滑らせていたはずだ。痛みに屈して、扉には名があると、本当は人の形をしていると、言ってしまったことだろう。

そうなれば、彼女が逃げ切ることは難しくなる。

名前というのは個人を特定するものであり、すなわち、存在証明だ。名を持つことで他人と区別され、自分が自分であることが証明される。名を与えられるというのは、この世に誕生したことの証だ。人生はそこから始まる。

そして人間は、生きている限り何らかの足跡を残すものだ。だから、どこへ逃げたとしても、辿った道のりやその痕跡を消すことはできない。必ず足がつく。

父や母は、それを知っていたのではないか。


だからこそ。扉の正体を知られないために、最初から名前を付けなかったのだ。

かつての国王が所有していた花瓶のように。


これまで、たくさんの扉が現れては消えていった。花瓶はその中の一つである。それでいてやはり、名前など持たなかった。名の知れた陶芸家が作成したものであれば作品名というものを与えたかもしれないが、そうではなく。本当にどこにでもある、派手さのないごく普通の花瓶だったのだ。

いくら扉とはいえ、姿かたちはこの世に数えきれないほど存在する花瓶の一つに過ぎなかった。

ゆえに、国王以外の誰にもあの花瓶が「扉」だとは分からなかったのだ。世の中には似た模様の花瓶が幾つも存在していて、恐らく、国王の手を離れれば、花瓶はただの花瓶に成り下がっていたはずだ。

兵器としての役目を果たすことはない。


名前をあげたかったと切なく笑う母の姿を思い出す。


「扉の在処を知らないということであれば、お前に存在価値はない。血を絶やすため、明日にでも処刑されることだろう」


残忍な尋問官はそう言って、地面に蹲り、もがき苦しむわたしを無理やり立たせた。

そして、


「最期に、母親の顔を見せてやろう」そう言って嗤う。

それが慈悲などではないことくらい誰にでも理解できる。

母は今、どうしているのか。自分がこんな目にあっているのだから、母だってきっと酷いことになっているはずだ。

そんな哀れな姿を見せるなんて。

これほどに冷酷な仕打ちがあるだろうか。


「お前の母親は本当に美しい。囚人にしておくのが惜しいほどだ」


確かに、嫌だと首を振ったはずなのに、単なる捕虜でかないわたしの意見が受け入れられることはない。尋問官の後ろに控えて、気が向いたときに手を出していた兵士の一人が、わたしを担ぎ上げた。

そのまま牢獄を出て歩き出す。

暴行を受けて腫れあがった瞼のせいで、視界が霞んでいる。だから、自分がどこにいるのか、また尋問官がどこを歩いているのかよく分からない。窓がなく、風通しも悪く、また松明が焚いてあるにも関わらず薄暗かった。例え、暴力を振るわれていなかったとしても、この息苦しさでは、数日の内に息絶えていただろう。分かるのは、それくらいだ。


「、なんてこと」


投げ捨てられるように地面に落とされ、鉄格子越しに母と再会を果たす。その人は、ここが牢屋なんて忘れてしまうほどに、別れたときとほぼ変わりない姿でそこに居た。違うのは、髪がほつれていて、薄暗い中でも分かるほど顔色が悪いくらいである。

単純に、無事で良かったと思った。暴行を受けた形跡もない。

でも―――――、


何で。と、思った。


「……なんてことなの」涙に震える母の声は、陰鬱な牢獄で聞くにはまるでそぐわない。美しくて儚いその声。絶望で悲しみに震えるよりも、歌っているほうがずっと似合う。

「酷いわ。あんまりよ……! こんなことをしなくても、どうせ私たちを殺すのでしょう?!」

叫ぶ母を、尋問官と見張りの兵士がただ眺めている。母は、鉄格子の間から手を伸ばして、地面に転がっているわたしの腕に触れた。細い指が、皮膚に触れただけなのに痛覚が過敏に反応する。思わず呻いたわたしに、母は分かりやすいほどに動揺した。

「母、うえ……、触らないで……」たったそれだけを口にするのにも息が切れる。

きっと、明日の処刑を待つこともなく事切れるだろうと思った。むしろ、それを願った。


わたしが死ねば、扉であるあの子もきっと無事では済まない。これまでの扉がそうであったように、壊れるだろう。花瓶のように粉々に崩れるのか、あるいはただ呼吸を止めるのか。

何せ、彼女は「鍵と扉」の歴史上はじめての存在なので、どうなるか予想もできない。


扉を逃がすために、国を捨てたというのに。これでは本末転倒だ。

ふっと漏れた自嘲の笑みは、誰にも悟られることなく消えた。

わたしは、浅はかにも、護れると思っていたのだ。どんな酷い目にあっても大丈夫だと、耐え抜いてみせると。

嗤えることに。


でも、無理だ。わたしにはもう、無理だ。何一つ、守れそうにない。


「私の王子。私を見て。お願いよ」


閉じかけていた瞼をこじ開けて母の顔を見る。その人は、双眸を赤くしてわたしの顔を覗き込んでいた。


「きっとこれが最期になるでしょう。けれど、私は、貴方を救いたい……」


どうやって? という疑問は喉の奥を滑って、どこかに落ちていく。呑み込んだ言葉が腐敗して、胃の底に泥となって溜まっているような気がした。言いたくても言えなかった言葉が、たくさんある。


「貴方を愛している。愛しているわ。私の王子。私の愛は伝わった? 私は、愛を示せたかしら……?


場所が場所でなければ、歌劇の一幕のように。情熱的な言葉を簡単に、口にする。演技がかってみえるのは、わたしが母の……、いや、王妃の言葉を疑っているからだ。

この人はかつてこう言った。


愛するというのは、示すことだと。

生まれてきて良かったと、生きていて良かったと、そう思ってもらえるように示すことだと。


「私は貴方を、ちゃんと愛せた……?」


母の目に映るわたしは、どんな顔をしていたのだろうか。唇は微かにわなないただけで、言葉が出てこなかった。ただ頷けばいいだけなのに、それができない。

愛するというのは、生きていて良かったと示すこと―――――、だとすれば。

ぐるぐると視界が回りだして、耳の奥に金属がぶつかるような音が響く。唇は意味もなく開閉を繰り返し、母の望んだ答えを口にできないのが、苦しい。


嘘でも言えなかった。生きていて、良かったなんて。


「泣かないで、わたしの、王子―――――」


ひくりと喉を鳴らしたのは誰だったのか。それが嗚咽だと気付くのに、少し時間がかかった。


「……は、母上、」呼びかけてみても言葉が続かない。黙っていると、背後で尋問官が動いた気配がした。束の間の再会はこれで終わりだということだろう。

またあの地獄が始まるのかと身構えたそのとき、地面に投げ出された腕に熱を感じた。

何事かと、僅かばかりに身じろげば、倒れ込んだわたしの体の下に大きな魔法陣が広がる。同時に尋問官と兵士が何事か喚くのが聞こえた。

ふわっと胸の底が浮かぶような奇妙な感覚に襲われ、縋るように地面へ爪を立てる。歪んだ景色の中、懸命に目を凝らせば、叫ぶように詠唱する母の姿が見えた。

彼女もきっと魔力を封じられているはずだ。それなのに、魔法を使っている。すなわち、魔力の代替に何か別の力を使っているということだ。

―――――考えられるのは、生命力だ。


「母上、」発動している魔法に呑み込まれるように、わたしの声はかき消された。


己の国が制圧されるのを、あれほど冷静に見守っていた王妃は。

子供のようにくしゃりと顔を歪めて泣いていた。それが、最後だった。














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