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【1】 元王子の、

もともと、物心ついた頃には既に自分が鍵だという自覚はあった。

自身が「鍵」とか「開く者」とか、そういった敬称で呼ばれる人間に生まれたことを、誰に教えられるでもなく知っていたのだ。

もしかしたら、知らず知らずの内に耳にしていたのではないか。そう思ったこともあるけれど。

感覚的に、そうではないと分かっている。


そして、鍵には、対となる「扉」が存在するというのもまた、知っていた。

鍵と扉―――――二つで一つであり、片方が失われるともう片方も失われるというような真っ当とは言えない関係。つまり、運命共同体というやつであり、切っても切れぬ仲というやつでもある。


人は多分、わたしたちを選ばれし者と呼ぶのだろう。けれど、違う。

わたしたちはむしろ、選ばれなかったのだと言える。普通の人間として生涯を送る権利を、得られなかった。そういうことだ。


「愛するというのは、どういうことだと思う?」


母親であり、一国の王妃でもあるその人が何気なく問いかけてきたのはいつだったか。

王宮を囲むような広い庭の一角で、彼女はわたしの小さな手を握っていた。

言葉に詰まったわたしはただ、母親の端正な顔を見上げる。

愛を理解するには幼すぎたこともあるし、なぜそんなことを問うのか分からなかったからだ。

戸惑うわたしの心情を正しく理解したのか、その人は優雅に微笑んでわたしの顔を覗き込む。逆光で影の落ちたその顔が、なんだかそら恐ろしい。


優しく、けれど厳しいわたしの母。

吐息と共に吐き出された言葉が今でもはっきりと、耳に残っている。


「愛するというのは、」



「―――――示すことよ」



*

*


わたしは、自分の国が好きだった。けれど、具体的にどこが好きなのかと問われると答えに窮する。

それは特筆して述べるような事象がないからなのか、あるいは、たくさんありすぎて言葉にするのが難しいからなのか。自分ではよく分からない。

ただ、それでも捻りだして答えるとすれば「生まれた国だから」ということなのかもしれない。


きっと、生まれた国だから、好きなのだろう。

白い建物ばかりが並ぶ息の詰まるような風景でも、それが故郷だと思えば愛しくなる。

生まれながらに魔力量の多い人間ばかりが生まれる、魔法使いの国。排他的であっても、身内にはとことん優しく、この国に生まれた人間なら誰にとっても住み心地は良かったはずだ。


しかし、だからと言って自分の国を大切に思っていたかというと、そう単純なことではない。私の故郷に対する感情はもっと複雑であり、もっと難解なものだった。

わたしはずっと、そういった言葉にはし難い感情を抱えて生きてきたのである。

王族として生まれ、王位継承権第一位の王子として育てられ、何不自由なく生きてきたというのに。

そういう環境を与えてくれた国民の心に沿うことはできなかった。


なぜなら、気づいていたからだ。


他の人間からすればきっと、喉から手が出るほど欲しくてたまらない高貴な地位も、血統も、わたしにとっては厄介なものでしかなかったということに。

民衆からどれ程尊ばれようと、崇拝にも似た感情で敬われようとも、わたしにとって「王子」という役目は、それほど素晴らしいものではなかった。

だから、だ。だからわたしは、自分の国を大切にすることができなかったに違いない。愛しながら、憎んでいたということだろう。

それはさながら、自身が両親に抱いていた感情のようだった。生まれた国を思い出すとき、郷愁と共に少なからず両親への苦い想いが蘇るのはそのせいだ。


わたしの父は、歴代の国王がそうであったように、賢王と呼ばれるにふさわしい人であり、知性も教養も兼ね備えた人であった。

そして母は、愛情深く、慈悲深く、まさしく聖母という言葉をそのまま体現したような人だった。

普通なら、そんな両親を、愛さないはずがない。

そうだ。

愛さなければ、ならないだろう。そうでなければ、おかしい。


彼らが、息子であるわたしよりも国を大事にする人間だったとしても、だ。

わたしはそのことを、受け入れなければならなかった。


『寂しそうですね、坊ちゃん』


幼い頃。両親とは、何日も顔を合わせないことがよくあった。それならせめて、週に一度だけでも一緒に朝食を取りましょうと言ってくれた母。多忙であるにも関わらず、その気遣いが嬉しくて迷うことなく頷いたのを覚えている。

けれども結局、その約束が果たされたことはなかった。約束はいともあっさりと反故されて。母からは大した言い訳すらなかった。ただ、侍従から、お忙しいようですと聞かされただけだ。

そのときの、冷えたスープの味を思い出す。舌に残る優しい味は、それでもやはり、いつもと変わらず美味しかった。王宮専属の料理人が心血を注いで、丁寧に作った食事であるから当然だ。

母がいてもいなくても、何も変わらない。

だから、わたしにとっては、大した問題ではないし、悲しいことでもない。


『そんな寂しそうな顔しているから、侍従が心配そうにしていますよ』


食事の後、本でも読もうかと書庫へ向かっていると、廊下で出くわした男に話しかけられた。

見知った顔に特に警戒することもなく、別に寂しくなどない、と首を振れば、


『別におかしいことじゃないですけどね。親に会えなくて寂しいというのは』と、苦笑した。

その表情の意味が分からず、首を傾いだまま次の言葉を待っていれば『けれど、国王夫妻は、国のために存在しているのであって、貴方のためのものではありませんからね。残念ながら』と続ける。


父の幼馴染であり側近でもあるその人は、唐突にわたしを抱き上げ、あやすように体を揺すった。思わず、その厚みのある肩にしがみつけば『坊ちゃんもまだまだですね』と、まるで小馬鹿にするように笑う。でも、どこか哀れみを帯びた色が混じっていた。

心を見透かされているような一連の行動に、いやいやと身じろぐわたしを一層強く支えたその男は。


『強くならなきゃいけませんよ。親の庇護など必要ないと思えるほどに。貴方はいつか、王となるのですから。それに貴方は……』


鍵なんですからね。と、秘め事を口にするかのようにそっと囁いた。小さな声だったというのに、はっきりと聞き取れたのは、誰に言われるまでもなく自分自身が一番よく理解していたからだ。

わたしは鍵であり、開く人である。つまり、普通の人間とは違うのだと。

いつか重大な決断を下すかもしれない立ち位置にある。ゆえに、精神的に自立していなければならず。

例え、両親であろうと甘えてはならない。


『幸運なのか、不運なのか。鍵はいつも王家に生まれる』


彼は、わたしが「開く者」であるということを知る数少ない人間の内の一人だった。

『貴方も大変ですね』と快活に笑った男の声は耳障りが良く、今でも優しい余韻を残している。


―――――そんな面倒みのいい明朗な男であったが。彼は、国が滅んだときに、姿を消した。

けれど、見捨てられたのだとは思っていない。そもそもあの人は、父に忠誠を誓っていたのであって、国を護ろうとしていたわけではない。我が国が敗北を期し、父が戦勝国に頭を垂れたそのときに、父を見限っただけのことである。

現実に、そういう人間は他にもたくさんいた。

要するに、失望したのだ。神と同等に崇めていた国王が、敵国に、あっさりと膝を折ったのだから。

そもそもが勝ち目のない戦であったから、仕方ないことではある。被害を最小限に食い止めようとしたからこその行いであるが、民からすれば、最後まで抵抗してほしかったというのが本音だろう。

実際、早々に負けを認めたにも関わらず、交渉の余地もなく我が国は滅んだ。


父は確かに賢王であったけれど、それはあくまでも、帝国に侵攻を許すまでの話だ。

それ以降はもしかしたら愚王であったかもしれない。いや、既に国王ですらなかったのか。

ともかく父は最終的に、執政者として民を護ることではなく、ただの一人の人間として「娘」を護ることを選んだのだ。


血の繋がりもなく、ましてや人間ですらない存在を生かすことにしたのはもはや、罪である。

扉と呼ばれる兵器が、この世界に残ることを望んだ。

そしてそれは、わたし自身も同様で。

国や民衆を護ることよりも、あの幼い少女が、この先に生きる未来を渇望した。


あの子が王宮に引き取られた日から積み重ねてきた時間が。一緒に過ごした日々が。わたしの心に楔を打った。慣れていた一人きりの食事が、彼女の存在によって変わっていく。

スープが冷めてしまうまで待たなくても、あの子は当然のようにわたしの横にいた。視線を向ければ小さく笑うその姿が、この目に焼き付いている。

『美味しい』と、わたしだけに向けられた言葉。わたしだけに注がれる視線。他には何もいらないと思った。


知ってしまった。その、温もり。


わたくしたちは本当に、愚かだわ」


敵国に攻め入られ、崩壊しつつあった王城の中、母が笑う。

扉を逃がした後のことである。ふと見やれば、父もどこか満足気な顔をしていた。


「父上、母上。申し訳ありません。わたしが、選ばなかったばかりに……」


わたしがそう口にするなり、どん、と地鳴りのような音が響いて足の裏に振動が伝わる。大地が呻いているような気がした。この国はいよいよ終わるのだ。

遠くから響くのは間違いなく民衆の声であり、助けを求める悲鳴だった。我が国の兵士団は既に壊滅状態だと聞いている。だからもはや、助けようにも助けることはできない。

絶命と共に民衆が吐き出す呪いの言葉が聞こえてくるようだ。絶対に許さないと敵兵の足に縋り付くその姿が見える。

知らず内に、指が震えていた。

もしもこの瞬間、扉を発動させていたなら、救える命もあるのだろう。

民も、扉が現れるのを今か今かと待ち望んでいる。皆知っているのだ。姿形こそ分からずとも、この国には扉という最終兵器があるのだと。


それでも、わたしは扉を使わない。


「良いのです。貴方が『使わない』と決めたのなら、他の誰にもその意思を覆すことなどできないのだから」


母はいまだ微笑んだまま、わたしの頬をゆるく撫でる。あまりにも優しい仕草に耳鳴りがした。この期に及んでも、冷静すぎるほどに冷静なその姿は彼女が王妃であることを証明しているようなのに。

かの人は、王妃であることを放棄したのだ。

城下はきっと阿鼻叫喚の地獄と化しているだろう。なのに、どうしてこれほどに穏やかでいられるのか。

けれど、かくいうわたしも。

たった一人の少女を逃がすために、この国を見捨てた。

これまでのわたしは、常に公人であることを意識していたので、個人的な感情を優先したことはなかった。やがて国王となるべく育てられてきたのだから当然と言える。「わたし」が何をしたいのかではなく「王子」として何をするべきなのかが重要だったのだ。「自分のために」何かを選ぶことは許されなかった。


そんなわたしだからこそ。選ぶことを許された今、こんな愚かな選択をしてしまうのだろう。

さして迷うこともなく。


「そろそろ帝国軍がここに来る。その前に、お前に話しておかなければならないことがある」


微笑を消し去った父王が、疲れ切ったように玉座を見やった。

いつもなら、そこにあるだけで仰々しい雰囲気を醸し出す黄金の椅子も、今は少しくすんで見える。外から入り込んだ煤が、視界を曇らせているのだ。


「……父上、あまり時間がありません」


正直、今更何を話すことがあるのかと思った。別れの言葉でも口にするつもりなのかと眉根を寄せれば、父はそんなわたしを見やって、ふっと笑う。


「子供だと思っていたのに、すっかり大人だな……。しかし、だからこそお前は知っておかなければならないのだ。―――――扉に関する事実を」

「……扉に、関する……?」


ならば、これから父が打ち明ける真実とやらは他人事ではない。むしろ、自分にとっては何よりも重要なことだ。

無意識に息を呑んだわたしに気づいたのか、父王も呼吸を合わせるように、一つだけ息を呑む。


「あれは元々、私たちのものではなかったのだ」


一瞬、言葉の意味を理解し損ねた。茫然としたまま返事もできずにいるわたしに、父はそっと続ける。


「我々のずっと昔の王家が、元にあった場所から盗んだのだよ―――――」


「分不相応のものを得た。それが真実だ」


ふと、天井を仰いだ父が何を考えているのか読めない。まるで、神にでも許しを請うように腹の前で両手を組み、「だからお前の選択は正しい。今、ようやく私たちは罪を贖うことができるのだ」と静かに告げた。そして、一つ二つと間を置いて、再び、わたしの顔を見る。

力ない微笑があまりに頼りなく、けれど、どこか清々しさのようなものも感じさせた。

人生のすべてをかけて護ってきた「国」を失ってしまうというにも関わらず。愛してきただろう国民の多くを、犠牲にするというのに。

それでも父は、笑っている。


「帝国側は、それを知っていて我が国に攻め入ったのですか?」


問えば、今度は母が答える。「それは分からないわ」と。


「私たちの先祖が、扉をどこかから盗んだのは確かだけれど、元々どこにあったものなのかは分かっていないの」だから、返すこともできないのよ。と母は大きく息を吐いた。

恐らく、事実を語っているだろうになぜか違和感が伴うのは。

借りたものだから返さなければならないという道理は、対象が「物」の場合にこそ通じることだからだ。

普通、人間に対して「借りる、返す」などという表現は使わない。

兵器である扉に対してだからこそ、そんな言い方をするのだ


しかし、今代の扉は、何の因果か人間として生まれ落ちた。


「……何を考えているの? 私の王子」


どこかでまた一つ、大きな爆音が響いた。帝国は一体、どんな魔法を使っているのだろう。

この国から一歩も出ずに育ったわたしには、想像することもできない。


「それならなぜ、鍵は「ここ」に生まれるのですか? 扉が、盗まれたものであるなら」


なぜ、開く者は王族として生まれるのか。

まるで、扉と共にこの国を護ることが義務であるかのように。


「それは、」


今度こそはっきりと、すぐ近くで何かが破壊される音がした。ガラガラと壁が崩れ落ちていく。

耳を割くような衝撃音の中、母親であり王妃でもあるその人がゆっくりと唇を動かした。


「扉のあるところに、鍵が、生まれるからよ」


何気なく吐き出された言葉のようにも思えた。それなのに、心臓を鷲掴みされたような痛みが走る。

だってそれなら、こういう仮説が成り立つ。

わたしの元に扉が現れたのではなく、「扉のために」、わたしが生まれた。……そういうことになる。


「ああ、時間ね。もう行かなければ……」母が呟いたと同時に、魔法で封じていたはずの入り口が破壊され、大勢の兵士たちがなだれ込んできた。わたしたちは為す術もなく、隊列を組むようにじりじりとにじり寄る敵兵を眺めることしかできない。

本来なら、魔法でも使って抵抗すべきなのだろうけれど。

父にはもはや、戦う気さえないのだというのは既に気づいていた。だから、わたしもそれに倣い、ただ捕縛されるのを待つ。


―――――その後のことは、よく覚えていない。











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