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【4】 彼女の、

どのくらい叫び続けたのか、また、どのくらいその場所に居続けたのか、私には分からない。

数時間だったのか、数日だったのか。

喉が潰れて、声すら出なくなって、どれだけ呼び続けても返事がないと思い知らされてからやっと、私は暗闇を抜け出す為の行動を起こした。


前も後ろも、右も左も分からない状況でただひたすらに歩き続ける。

何時間歩き続けたのか、もしくは何日歩いていたのか、ともかく途方もない時間、歩き続けたはずだ。

息が切れても、足がうまく動かなくなっても、私はただひたすら前に進んだ。

そうしている内にやっと、自分が明るい場所に立っていることに気づく。


いや。もしかしたら、いつの間にかそこに居た。というのが正しい表現かもしれない。徐々に明るくなっていったのではなく、数歩先に光が差し込み、照らし出された感覚だ。

だから、背後には先ほどまで放り込まれていた洞穴のような場所が迫っていて、振り返れば、当然のように闇があると思っていたのだが。


実際は、振り返ってもただ道があるだけで。私がついさっきまで居たはずの闇は、どこにもなかった。

私はただ、長い長い一本道の途中に佇んでいたのだった。


真上で強い光を放つ太陽に目を細めながら、改めて周囲を観察すれば、どこか郊外の田舎道といった風情で、特にこれといった特徴はない。

細い道の両脇には田畑が広がり、地面はしっかりと舗装されているわけではなく、獣道と呼べるほどに荒れているわけでもなかった。曲がりくねっているわけでも、直線なわけでもない道だ。


この道も、玉座の後ろにあった穴から続く魔法の一部なのかもしれない。

そんなことを考えながら、再び、歩き始める。理由は分からなかったけれど、そうしなければならないような気がした。


己の生まれ育った国が、一夜にして灰となったことを知ったのは、その道行きである。

大道芸人のように派手な扮装をした男が、いかにも楽しげに号外を配っていたのだ。紙ふぶきのように撒き散らされる紙を拾い上げ、そこで絶対不可侵とまでいわれた魔法王国が滅んだのを知らされた。

紙面には、王国の国王夫妻とその令息が捕われ、尋問を受けているということまで書いてあった。

また、国民のほとんどが戦火に巻かれて息絶えたということも。

小さな国であったから、逃げ場などなかったのだろう。凄惨な現場に、記者も言葉を失ったと締めくくられていた。


母の叫び声と、父の顔。私を見つめる弟の視線を思い出す。


あれほどに残酷で残虐であり、凄惨よりももっと凄惨な出来事だったというのに、文字にしてしまえば、こんなものかと、私はただ愕然とした。

淡々と、ただ事実だけが書き出された記事は、どこか冷淡で。絶命した人々の苦しみや、哀しみまでは伝わってこない。読み手が想像するだけだ。


ああ、世界のどこかで国が一つ、滅んだと。


「……あら、あらあらあら、」


霞んだ視界の先に、女性物の靴が映り込む。そのときになってやっと、自分が道端に倒れこんでいることに気付いた。いつからそうしているのか、どうしてそうなったのかは思い出せない。

投げ出された己の指先が天を向いている。感覚がないわけではないのに、指一本動かせなかった。


「こんなところでどうしたのかしら……、ねえっあなたっ、ここに女の子が倒れているわ!」


中年とおぼしき女性は、それなりに身分のある貴婦人のようである。けれど、その高い身分をひけらかしているわけではない。いかにも高級そうな生地のドレスを纏っているというのに、嫌味がない。

たっぷりとしたドレープが揺れるスカートは、裕福な証。その裾が汚れている。

なぜなら、彼女は、私のために膝をついたからだ。


「おやおや、どうしたものかね。とりあえず、お医者様に見せよう」


そう言って、身動き一つできない私を抱え上げたのは、女性のご主人らしき男性だった。


「……これは、軽すぎる。食事もさせないと」「いえ、駄目よ。いきなり食事させたりしたら胃が驚いてしまうわ。お医者様の指示に従いましょう。……かわいそうに」「一体、どこから来たんだろうね?」「ここらへんの子ではないでしょう。お洋服もこんなに汚れて……」


薄れていく意識の中で聞こえる夫婦の会話は、ただ優しさに溢れていて。からからに干からびた心に落ちてくる雨粒のようだった。ぽつり、ぽつりと落ちてくる水滴は、乾いた土の表面を削りながら、奥底に染み込んでいく。

温かいようなのに、心がすり減っていくみたいだ。

彼らの優しさに救われているようだと感じるのに、どうしようもなく、悲しくて仕方なかった。


「もう大丈夫よ。貴女を傷つけるものは何もないから―――――」


まるで聖母の声でも聞いているような心地で完全に意識を失い、そうして、私は彼らに拾われることになったのである。


いかにも品の良い彼らが、予想通り貴族だと知ったのはこの数日後で、一緒に暮らさないかと提案されたのは、更にその後だ。

その間、行き倒れる前の記憶が何もないという私の、あまりにも怪しすぎる発言を追及することもなく、もっと言えば、はっきりとしない素性に疑いを抱くこともなく、ひたすらに慈しんでくれた。

心身共に疲弊していた私が安定するまで、待ってくれていたらしい。


「私たちは、ずっとずっと昔に子供を亡くしたの。それからずっと二人で生きてきたんだけど……。これもきっと神様のお導きに違いないわ。……私たちの子供になってくれる?」


一緒に暮らすようになって数か月。

それでも何となく、居心地が悪くなりそろそろ出て行こうかと考えていたところでその人は言った。それも、どこか遠慮がちに。

居候している身だというにも関わらず、あくまでも、選択する権利は私にあるという。

すぐには返事などできなかったけれど、やはり彼らは急かすことなく、根気強く待ってくれた。


私が、選ぶのを。


家族でもないのに、献身的に看病してくれたご婦人の優しさや、そんなご婦人を支える旦那様に惹かれるものがあったのは嘘ではない。

大きな屋敷なのに、使用人は数えるほどしかおらず、いつも静寂に包まれていた。それでも、どこか温かくて。

私が失ったものは、全て、そこにあった。


結局、そこで数年を過ごし、彼らと家族のように暮らした。

有難うという言葉だけでは到底足りないほどの恩を感じている。だからこそ、依存してしまっては駄目だと思った。そもそも彼らには、跡取りとなるはずの人が居て、現在は離れて暮らしているそうだが、その人が夫妻の領地を継ぐことは何年も前から決まっていたらしい。

だとすれば、私がそのまま居座り続ければ、火種を生む。


だから、一刻も早く自立する必要があった。

けれど、先立つものを持ち合わせているわけではない。独り立ちするにも当面の資金は不可欠である。

そういったことを考えたとき、ふと、戦闘魔術師という職業が頭に浮かんだ。

一応、軍属であるのに、経歴や素性、年齢を問われない仕事。実力さえあれば、どこまでも登っていける。……むしろ、私には戦闘魔術師になるより他に選べる職種がなかった。


そうと決まれば話は早い。早速、戦闘魔術師になるための訓練学校へ行くための願書を入手した。

そのあとは特に、特筆して語るべきこともなく。恐ろしいほど順調に、事は進んだ。


そして、ほどなく、訓練学校に入所する日が訪れた。

戦闘魔術師になると相談することさえしなかったご婦人には、どうして行ってしまうのかと泣かれた。

一方、私が何をしようとしているのかずっと前から察していただろうご主人は、何かに耐えるかのような険しい顔をして、ただ、私の頭を撫でた。


『いつも、ここで待っているから』と。


彼らが、どれほど私のことを大切に思ってくれているかは、それだけで理解できた。私の意志を尊重してくれたのだ。


そんな二人を振り切って、訓練兵の宿舎へ入った。



*

*


「私が、今の両親に引き取られてから、たった一度だけ……貴方は姿を現しましたね。我が君」

「……ああ、そんなこともあったね」


故郷が滅んで、数年が過ぎた頃。ある日突然、その人は現れた。

正確には、私の住む屋敷の前に、倒れていたのだけれど。

彼を発見した侍従によれば、かつて栄華を誇っていた王国の王子は、浮浪者も驚くほどの酷い姿で転がっていたらしい。


義理の両親は、当然ながら怪しんで屋敷の中に迎えるのを渋った。私という人間を拾っておきながら不思議なことだと思うが、我が君のことはすぐに信用できなかったようだ。

それでも結局、怪我人を放置することができない性分の彼らは、医師を手配し、身元の分からない青年を手当てした。


「両親は、貴方のことを今でも心配していますよ。あのときの彼は、元気でいるだろうかと」


そう告げると、我が君はくすりと笑い「あの人達らしいね」と、囁く。吐息の交じる、優しい声音だ。

―――――私たちはあのとき、互いに知らぬふりをして、赤の他人を装った。

同じ屋敷で生活を共にしているのだから、何度も顔を合わせる機会はあったけれど、私たちはあえて、必要以上の言葉を交わさなかったのである。


そもそも、私たちの関係は、王国が滅んだ今、誰にも知られてはならなかった。ましてや、帝国に連行され、尋問の末に死んだとされていた王子殿下が実は、生き延びているということは。

けれど彼は、わざわざ危険を冒してまで私の前に姿を現した。

言葉で示すことなく、己が生きていることを証明してみせたのだ。


そして、再び姿を消した。私やご夫妻には何も言わず。


「ところで、先ほどの質問ですが。……扉と鍵は一心同体です。言葉通り、どちらかが失われれば、その片方も失われる……だから、私が貴方を殺すことはありません」


歴史書には、かつて、花瓶としてこの世に存在していた扉は、国王陛下が崩御されたそのときに、音もなく割れたと記されていた。落としてもヒビさえ入ることのなかった頑丈な花瓶は、主をなくした瞬間に、砕け散ったと。

運よく、国が危険にさらされるような事態に陥ることもなく、平和を謳歌することができたというのに、それでも最後は主である「鍵」と共に逝く扉。

もしも、花瓶が言葉を話せたなら、何と語っただろうか。


「そうだね。……君は、与えられた命を全うしなければならない。それが、君の責任だ」


扉であるにも関わらず、生かされた。それならば、生きなければ。


「……我が君もそうなのではありませんか? 貴方だって、命を与えられた……。そうではないのですか?」


私がそう言うと、その人は確かに何か答えようと口を開いたのだが、


「ああ、もう行かなければならないみたいだ」と、唐突に立ち上がって、扉へ向かった。

その背中を視線で追いながら、思わず「……どうして、」呟くと、彼はドアノブにかけていた指を元に戻す。

振り返ったその顔は少しだけ怪訝そうだ。不自然に途切れた私の言葉を待っているのが分かる。


「―――――どうして、私たちは一緒にいられないのでしょうか」


今更、だ。それでも問わずにいられなかった。

可能なら、全知全能であるはずの神に問いたかった。なぜ、私たちを引き離すのかと。

けれど、ここに神はいない。


すると、


「ねぇ、わたしの扉。君は今、何と名乗っているの?」


何の脈絡もない問いが返ってくる。あまりにも突然だったので、一瞬、何を言われているのか分からなかった。きっと、間抜けな顔をしていただろう私に、


「いや、いいよ。答えなくて。だって、知っているから」


「ね、―――――ビアンカ」


と言って、その方は優しく微笑する。

ひゅっと呑んだ呼吸音が、大きく響いた。悪事を暴かれた犯罪者のように、心臓が大きく音をたてる。

盗んだつもりではないその名前。

けれど、与えられたわけでもない。


「その名は、重いでしょう?」


元王子は、そっと目を伏せた。細められた眦が、私を責めているわけではないと語っている。


「申し訳ありません、我が君……」


確かに私には、扉という名前があった。けれどそれは、個人に与えられるものではなく、兵器としての通称でしかなかった。

だから、どうしても欲しかったのだ。あくまでも、人間として生きるための名が。


「……王妃様の名を、いただきました……」

「うん、そうだね」

「とても、重い……名です……」


普通の人間になら、当然、名前がある。

名前を与えられるということと、この世に誕生することは、ある意味同義だ。名前があるからこそ、一人の人間として存在し、大多数の人間と区別される。

でも、私にはそれがなかった。


身の程知らずにも、私を救ってくれた人の名を自分に与えて。

そうして、名を背負うことの重みを初めて、知った。生きていくというのは、これほどに、覚悟のいることなのかと。


「わたしは君に、何も与えられなかったね。名前すら、あげられなかった」


頭の中に、王妃様の言葉が蘇る。


『何の悔いもないように生きてきたけれど、一つだけ、遣り残したことがあるのなら……。貴女に、名前を付けられなかったことだわ』


図らずも、親子して同じことを口にする。


「これから先も、君に与えられるものは何もない。だけどわたしは、奪うよ。……ビアンカ……」


だから、さようなら。


ふっと、風が吹いた気がして反射的に目を閉じる。けれど、瞼を下した途端に首を傾げた。窓も開けていないのに、風が入ってくるなんてありえない。

はっと、慌てて目を開けば、そこには閉ざされた扉があるだけだった。


周囲を見回しても、誰もいない。それどころか、何の気配も感じられなかった。

現れたときと同じく、私の主は音もなく去っていったようだ。


代わりに、


コンコン、と軽いノックの音が響く。


「ビアンカ。準備はできた?」と、扉の向こうから柔らかな声で話しかけくるのは、私の夫となる人だ。「はい」と返事をしながら、恐らく第三皇子殿下と一緒にいるだろう侍従が扉を開けるのを待つ。

そして、見るからに重そうな扉がゆっくりと開かれて、その人と対峙した。


差し伸べられた手に、自分の手を重ねて。選び取った未来のことを、考える。













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