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扉の、

可愛い可愛い私の弟。けれど、弟が私のことを姉として認識していたかどうかは分からない。

彼にとってはやはり、私はただの扉だったのかもしれないから。


「―――――どうして君は、あの子を抱きしめてあげないんだ?」


家族で公園に出かけたのに、特別な理由はなかった。ただ単に、弟がそれを望んだからだ。

まだ幼い彼は、家族で一緒に過ごす時間がひどく好きだった。私にはよく分からない感覚ではあったけれど、幼児というのは大抵がそうなのだと言う。

我が家からは馬車に乗って、たった数分で辿り着くその公園は、丹念に手入れされた花壇がいくつも並んでいる。色とりどりの花が競うように咲き誇る姿が壮観だ。


この風景を、美しいと思う。


「……だって、貴方……。私にとってあの子は、扉なのだもの……」


潜めた声が、なぜかはっきり聞こえた。

敷物を敷いて寛ぐ両親の近くで花を摘んでいた私と弟。しばらくの間、花を摘むのに夢中になっていたけれど、ふと見れば、弟は右手に花を握ったまま、地面に座り込んでいる。何をしているのかと思えば、蟻の群れを観察しているようだった。


つまるところ、両親の話しを聞いていたのは私だけらしい。


「扉だから何だって言うんだ」という、僅かに怒気を含んだ父の声が響く。

弟に聞こえやしなかったと確認するが、相変わらず、地面に視線を送ったままだ。


私はといえば、ただひたすらに野花を集めている振りをした。彼らの会話を聞いていると、悟られては駄目なのだとよく理解していたからだ。

履きならしたブーツのつま先が土を踏んで音をたてる。それすら、騒音に聞こえるほど緊張していた。


「そうね。貴方にとっては、だから何だというくらいの問題でしょう。だけど、私には大問題なの。だって貴方、想像できる? 生まれたばかりのあの子を腕に抱いた私の気持ちが。愛する我が子だと思っていたのに、手の平から伝わるのは赤ん坊の優しい温もりではなく、ただの重みだった。……そう。ただ、重いと感じただけだったのよ」


「まるで、赤ん坊の形をした土嚢を抱いているようだった」


母の声は、震えていた気がする。でも、気のせいだったかもしれない。

父は、ひゅっと息を呑んで「何を、馬鹿な……」と言った。その後、何が続くのか、私は固唾を呑んで待っていた。きっと何か、私にとっては良いことを言ってくれるだろうと期待したのだ。


そんなことを言うものじゃない。とか。

そんなのは君の気のせいだ。とか。


あるいは、母のことを叱ってくれるかもしれないと思った。母親だというのに、何てことを言うのかと。

だけど、父はその後、沈黙しただけだった。代わりに、母の言葉が続いて、私はあえなくそれを聞くことになる。


「あの子が可愛いのは分かるのよ。見ていれば分かる。曲線を描く額やまろい頬、小さな唇。ふくふくとした手とか、私を見つめる眼差しとか……、可愛いの。ものすごく可愛いのよ。だって、私が産んだのだもの。

―――――でも、」


「あの子をこの腕に抱いたとき、私は思った。硬いって。冷たくて、ただ重くて、硬い。その感触に戸惑ったわ。……我が子を抱いているとは、到底、思えなかった」


そのとき、いつの間にか近くにきていた弟が私の腕を掴んだ。握っていた野花が、指から零れ落ちる。

弟は気にした様子もなく、今度は私の手を握った。突然のことに戸惑っていると、つたない声で「ねえさま」と言う。

なぁに、と問えば、また「ねえさま」と繰り返した。

私を見上げる顔は、どこか戸惑いのようなものが滲んでいて。彼が両親の会話を理解しているとは思えなかったけれど、何か察するものがあったのかもしれない。

それを、よく覚えている。


私はそのとき、まだ五つで。弟は三つになったばかりだったと思う。


「貴方には分からないでしょう? 我が子を抱きしめても、愛してやれない母親の気持ちが」


哀しみに震えた声を聞いていたくなくて耳を塞ぎたかった。けれど、弟が私の手を握っていたから。

振り払うことなどできなかった。


「愛したくても愛せない母親の気持ちが、分かる……?」


強い風が吹いて、私の、ドレスの裾が踊るように翻った。

衣料品を扱うお店で、母が、生地から選んでくれたのだ。最近の流行は淡い色なのだと、何枚もの生地を私の体に当てて『貴女には、優しい水色が似合うわ』と言った。


けれど、扉を扉としていか認識できない母が、本音ではどう思っていたか分からない。

もしかしたら、人でもないのにドレスなんて着せてどうするのだろう? と、首をひねっていたかもしれない。どんな色を選んだって同じだと。


どうせ「扉」なのだからと。


*


歴史書を紐解くに、扉が人として生まれたのは、どうやら私が初めてのようだった。

扉というのはすなわち、あだ名に近い。通称である。

「開く者」は、必ず人間であるが、扉はそうではない。

かつては、犬だったこともあるし、花だったこともある。ぬいぐるみや、文字通り木製の扉だったことも。

私の前に存在した扉は「花瓶」だったと聞いている。そう、花を生けるための陶器、入れ物だ。

それを持っていたのは、我が君の二代前の国王陛下だった。


その方は、いつも華やかな花瓶を傍に置き、それはそれは大事にしていたと聞く。それこそ、朝起きてから、夜眠りに就くまで。

片時も離さなかったと。

常軌を逸した行いである。しかし、そんな国王を周囲の人間は、ただ受け入れた。

なぜなら、陛下が「開く者」だったからである。

開く者が「これは扉だ」と言えば、それは扉なのだ。たとえ、花瓶でも。


扉を正しく、兵器だと認識できるのは「開く者」だけだ。だから誰も、反論することができない。


けれど、私だけはそうではなかった。私が人として生まれたからなのか、あるいは、ことわりというものが歪んでしまったからなのか。

開く者でもないのに、私をこの世に産み落とした母には、分かったようなのだ。私が、扉だということが。

それこそ、生まれたばかりの私を目に留めた途端に、それは扉だと叫びだしたと聞いている。


母の目に映る私は、どんな姿をしていたのだろうか。


「……愛してる」


真夜中、私と弟が一緒に眠るベッドまで音もなくやって来た母が、ぽつんと呟いた。

肩が小さく震えたけれど、気付かれただろうか。

握っていた弟の手を握りつぶさないように神経を研ぎ澄ませる。


「愛しているわ」


母は、機械的に同じ言葉を繰り返した。二回も聞けば分かる。情熱的な単語だというのに、そこには何の感情も乗っていない。


「愛してる。愛してる。貴女を、愛してる。愛してる―――――、扉、でも、」


微かに震えた声が、暗闇に消える。衣擦れの音がして、母が部屋を去ったことを知った。

強く強く瞼を閉じていた私は、目頭が熱くあることをどうしても抑えきれず、唇を噛み締める。

真横で眠っている弟は規則正しい呼吸を繰り返しており、いまだ夢の中だ。

どんな夢を見ているんだろう、なんて、どうでもいいことを考える。そうしなければ、泣いてしまうと思ったから。


耳の奥で繰り返される、母の言葉。


練習しているのだと、分かった。

母は、娘への愛情を言葉をするのにも、練習しなければならなかったのだ。本当は、愛していないから。



―――――そうして。

結局、私は、八つのときに生家を出ることになってしまった。

扉はやはり、開く者の傍に置くのがいいだろうという王宮の判断によるものだった。……そう、聞いている。


元々、私と王子殿下は婚約していたので、どうせならそのまま嫁ぐのがよろしかろうと、婚姻の契約まで交わした。年齢が幼すぎるので、あくまでも、書面上での夫婦ではあったけれど。

そもそも私と王子殿下は、幼い頃より何度も交流を重ねてきたので、違和感のようなものはなかった。


殿下と初めて顔を合わせたのは、私が生まれたばかりのときだ。

つまり、私が本当に扉かどうか正確な判断を下す為に、引き合わされたに過ぎない。

当時、私の存在は両親と産婆しか知らないことだったけれど、このまま隠しておくわけにはいかないと、父が王宮へ知らせたのだ。その際、王宮側では緘口令が敷かれ、極少数の人間の耳にしか入らなかったようだが、だからと言って、すぐに信じてもらえたわけではない。

私の両親が嘘を言っている可能性もある。

何せ、扉が人の形をしているなど、今までになかったことだ。

ゆえに、私と「開く者」たる王子殿下を会わせることになったらしい。


かの方になら分かるし、かの方以外には分からないことだった。


王子殿下の年齢は当時、まだ五つ。それほど幼かったわけであるが、彼は、赤ん坊の私を見て、すぐに「扉」だと理解したようだ。


その後、私は、何度も王宮へ足を運んだ。赤ん坊のときは父と一緒に、言葉が話せるようになってからは一人で。

その度、王子殿下と言葉を交わし、親睦を深めていった。

もしかしたら、実の両親よりも王子殿下と話した回数の方が多かったかもしれない。

私たちは、それほどに、互いを知る必要があったのだ。


使う者と、使われる者。

いつか来るかもしれない日に備えて、躊躇わないよう、後悔しないよう、考え抜く時間が必要だった。


私が扉であることこそ、限られた人間しか知らなかったけれど、王子殿下の婚約者であることはそれとなく周知されていた。頻繁に、王宮へ出入りすることができたのもその為だ。

だからこそ、王宮の重鎮や、国王陛下夫妻も私にとてもよくして下さった。

もしかしたら、生家にいるときよりもずっと、穏やかな時間が過ごせていたかもしれない。


何より、王子殿下は開く者であり、鍵だ。傍にいれば、気分が良くなる。

これぞ、扉と鍵なのだということを実感せざるを得なかった。

王宮に住まいを移してからは、その関係性が、いっそう強固なものになったような気がする。


それまで欠けていたものが、一気に埋まったような気がした。


「人を愛するというのは、どういうことだと思う?」


あるとき、我が君に訊かれた。王宮に入って、四年。私は十三になっていた。

分かりません。と答えた私に、殿下は言った。少しは考えてよ。と。今すぐに答えは出さなくていい。分かったときに教えてくれる? と。

だから私はこう返した。

「我が君は知っているのですか?」と。


彼は、小さく笑った。けれど、返事はなかった。

その矢先だ。

我が国が攻め入られたのは。


あの侵略戦争で、我が国が一夜にして崩壊してしまったのは一重に、驕っていたからだと思う。

自分たちの力を過信していたのだ。そして、外界との接触を絶っていたがゆえに、私たちはあまりに世界を知らな過ぎた。その無知さが、敗北を招いたのだと言える。


ほとんどの人間が魔法使いとしての素養を持つというのに。魔力を上手く扱えなかった。

そして、敵国である帝国の人間は、魔力の扱いに長けていたのである。

時間のかかる大魔法を一つ発動させるよりも、短時間で中級程度の魔法を連発させる。帝国はそういうやり方で、我が国を蹂躙していった。抵抗しようにも、我が国の人員には限りがあった。元々、少数の人間しか住んでいない閉ざされた国である。


もしかしたら、最初から勝敗は決まっていたのかもしれない。


それゆえにこそ、出番だと思った。扉を使えば、形勢を逆転できる。

勝てなかったとしても、全滅は防げる。国としての形を保てなくても、人さえ生き残れば、再び国を起こすことも可能だろう。

だとすれば、私の役目はここで果たされ、人としての命を終えることになる。


そんなことを考えたとき。王宮内の安全なところに隠されていた私の頭に、ふと弟の顔が過ぎった。

私が殿下の下に嫁いでから四年間、顔を合わせていない弟。最後に顔を合わせたとき、弟は泣いていた。声も出さずに、じっと何かに耐えるかのように。

私が、家を出ると知って、けれど異議を唱えることなど許されないと分かっていたかのようだった。

幼いながらも、全て理解していた賢い弟だ。

あのとき、私との別れを惜しんでくれたのは弟だけだったように思う。


あの子の顔が見たい。

ただそれだけの気持ちで、王宮を抜け出した。

どうか無事でいてと、戦火の中、走って、走って、やっと生家に辿り着いたのを覚えている。

けれど、


「―――――役目を、果たしなさい!!!」


母に、頬を叩かれた。

どんなときも……、私のことを扉としてしか見れないと嘆いたときも、激高することなどなかった母が。

突然現われた娘に向かって、声を上げた。悲鳴に似た声は、いびつに折れ曲がって聞こえた。


長い間、手紙のやり取りさえしていなかった弟もそこにいて。父の背後で、ただ私たちを見ていた。

家族三人、逃げ出す準備をしていたのだろう。あたりには、投げ出されたトランクがあり、荷物が散乱していた。

弟にはもしかしたら、私の顔が分からないのかもしれない。

そのときになってやっと、私は冷静さを取り戻した。最後に会ったときよりも、随分大きくなっていた弟は明らかに動揺した様子の母に、優しく触れて「大丈夫だよ」と声をかける。


母に叩かれた衝撃で床に座り込んでいた私は、寄り添うようにして立つ両親と弟の姿に、己はとうの昔に家族を失くしていたのだと知った。


「……役目は、きちんと、果たします」


それでも、たったそれだけを答えるのに、手が震えてどうにもならなかった。

理由は、よく分からない。

あちこちで火の手が上がる街中を走り抜けてきたので、単純に、疲れていたのかもしれなかった。あるいは、助けてと悲鳴を上げる同胞の声を振り切って、ここまで来たからかもしれない。


息が上がって、喉がぜいぜいと音をたてる。

そういうところは、普通の人間と全く同じだ。


「もう、行きます。どうか、どうか……、生き延びて、」


心臓は、おかしいくらいにどくどくと脈打ち、全身が震えているというのに、それだけははっきりと告げることができた。


そして、床を叩きつけるように拳で体を支えて立ち上がり、生家を後にした。

背後から「ねえさま」と、弟の声が聞こえた気がしたけれど、振り返ることもなく。

なぜなら、引き止めてくれようとしたのだと、思っていたかったから。

私の妄想が生み出した幻聴だとは、知りたくなかった。


再び、王宮に戻るまでの間、人々が「扉はどこだ!」と叫ぶのを耳にした。

彼らは待っていたのだ。この国を護ると言われていた兵器が姿を現し、神のように奇跡を起こすのを。

実際、私もそうするつもりだった。


奇跡を、起こすつもりだったのだ。


「……逃げ出したかと、思った」


攻撃を受けたのか、半分ほどが崩壊していた王宮で、戻ってきた私を抱きとめた王子殿下が耳元で囁く。

口を開けば、弱音を吐いてしまうような気がして、唇を噛み締める。

「さあ、行くよ」と、私の手を引いて歩き出した殿下の背中に、とうとうそのときが来たのだと実感した。


―――――それなのに。


我が君は、私の手を離した。


「……どういうことです?」


連れて行かれた玉座の間で、疲れきった顔をした国王夫妻と対面する。他には、誰もいなかった。

静寂に満ちた広間には特別な魔法が施されているのか、外界からの音は一切入ってこない。

壇上の、玉座には誰も座っておらず、荘厳な椅子がいっそ不気味なほどだった。

その横に並び立つ、国王夫妻。

まず、声を掛けてきたのは王妃様だ。


「……本来ならば、必要のないものです。初めから、私たちには分不相応なものだったの」

「……王妃様?」


彼女は、ぐっと何か堪えるように下唇を噛み締めた後、階段を降りてきて私を抱きしめた。

突然のことに目を瞠れば、我が君が「母上、時間がありません」と声を掛ける。


一体、何が起こっているのか分からない。


これから、扉を使うのだろうか? これが、別れの挨拶? でも、何か、違う。


「これで滅びるというのなら、それも一つの運命なのだろう」


朗々とした国王様の声が響いて、私は王妃様に手を引かれた。そして、そのまま階段を上り、玉座を囲むように置かれていた天蓋の後ろまで連れて行かれる。


そこにあったのは、穴だった。ただの、穴だ。


「嫌な予感がしたの。貴女と初めて会ったとき。覚えていないわよね? だって、貴女はまだ小さな、小さな小さな赤ん坊だった……」


優しい声音に意識を奪われていると、背中を押された。

抵抗する術もなく、穴の中に、落とされる。あっと思ったときには、入口を塞がれていた。

そもそも、穴を塞ぐための扉などなかったはずなのに、何で入口を閉ざしたのか。

これも、魔法なのだろうか。


明かり一つない、真の暗闇であっけに取られていると、


「貴女の、その金色の目が私を見たの。じっと、見つめて、笑ったのよ。とても、可愛かった。あまりに可愛らしいものだから、私は、思ったわ。―――――いつか、来るべき日が来ても、扉なんて使えるはずがないと」


それは、この国を統治する人間として、受け取ってはならない予感だったと王妃様は言う。


「待って、待ってください……! 王妃様! ここを、ここを開けてください! 扉を!」


暗闇の中に響く優しい声。そう。王妃様の声はどこまでも優しかった。

まさしく今、国土が戦火に焼き尽くされようとしているというのに。


「待って、待ってください! 王妃様!!」


穴に落とされたときは、確かに入り口があったはずなのに、手を伸ばしてみてもそこには何もない。

扉を叩こうとして掲げられた両手は宙を切って、障害物のない空間を彷徨う。

扉も、壁もなく、あるのは地面だけ。

そして、指先を舐める、冷たい空気があるだけだった。


やはり、何らかの魔法が発動している。


「……一緒に暮らせば、きっと情が湧いてしまう。分かっていたのに、止められなかった。

だって、貴女と私の息子は、扉と鍵。自然と、引き寄せられてしまうものなのよ」

「王妃、さま」

「毎日、毎日、貴女を顔を見ていて思った。私たちにはきっと、扉を使えないだろうって」


きっと、王族の役目は果たせないだろうと分かっていたのだと、そのとき始めて、王妃様の声が震えた。

すると、王妃様の言葉を引き継ぐように、国王陛下が、


「こんな罪、きっと許されるはずがない」


相変わらず朗々とした声で告げる。まるで、宣託のようだった。


「だが、私たちはお前を、死なせたくない。無残に、終わらせたくはない」


娘よ。と、言った。

娘、と。


「国王様! 王妃様!! ……殿下! 我が君! 止めてください! 陛下と王妃様を止めて!!」


縋るものもない空間で、私はただ、胸元を握り締めた。苦しかった。どうしようもなく。

瞬きする度、甦る戦火に怯える人々の顔、顔、顔。耳を塞いだところで変わらず響いてくる、助けを求める叫び声。彼らを、見捨てるというのか。そんなことはできない。


救えるのは、私しか―――――、扉しかないのに。


私はただ只管、国王夫妻や王子殿下を呼んだ。それしか、できることがなかったからだ。

叫んで、叫んで、やがて声が枯れ始めた頃、待ち望んでいた声が響く。我が君の、青年と呼ぶには幼く、少年というにはあまりに大人びた声が。


「……ごめんね、わたしの、扉……」


お前を生かしてしまう罪を、神は、お許しくださるだろうか。


それは、ほとんど独り言に近かった。つまり、彼は私を使わないということだ。

この状況において、私が生き残るというのは、そういうことなのである。


「……殿下、殿下、我が君……、私の、鍵……」


震えた指先が地面を食む。

しんと静まり返った空間に、ぽつんと落ちてきた声が、心を抉る。

王妃様の、最後の、言葉だった。


「―――――何の悔いもないように生きてきたけれど、一つだけ、遣り残したことがあるのなら……、」



「貴女に、名前を付けられなかったことだわ」



私は、何の返事もできず、ただ、悲鳴を上げた。

苦しみが喉を塞ぐ。心臓がけたたましく音をたてて、警告してくる。もう、無理だと。

これ以上の哀しみには、耐えられないと。


実の母親ですら、私のことを愛せないと嘆いたのに。実の父親ですら、私の目を見ることを恐れたというのに。血すら繋がっていない人達が、私を救おうとする。


扉という、人でないものを。


「王妃、さま、国王さ、ま……、殿下、扉を、開けてください……、扉を、開いて」


そして、国を救って。貴方たちには、そうする義務がある。

私は、そんな貴方たちのために、生まれた。



それなのに。










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