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側近の、

「……よぉ、死に損ない」


ふ、と瞼に影が差して、うとうととまどろんでいた意識が上昇する。

目を開ければ、そこに懐かしい顔があった。


「何だ、親父か」


掠れることもなくしっかりと発声できて驚いたのは自分自身だ。そんな俺を見て、男はにやりと嗤った。

そんな憎たらしい顔ですら、今は懐かしく思えるのだから不思議なものである。もう、いい加減見飽きたと思っていたのに。唇の横に走った刀傷が、痛々しく見えるのも何だか、変だ。


「まだ生きてたか」


仁王立ちで俺を見下ろしている男は、がらがらな声にほんの少しだけ喜色を滲ませた。寝転んだまま、じっとその顔を見上げていれば親父は、ひょいと片方の眉を上げる。

そして、「死にそうな面してどうした」と、冗談とも本気とも取れない微妙な発言をして、そのまま俺の横に座り込んだ。

戦場だというのに鎧も纏っておらず、けれどいかにも動きやすそうな格好をしているのは、戦いよりも身を潜めることに重きを置いているからである。


「馬鹿な親父だな。俺は今、死にそうなんだよ」

至極、真面目に言ったつもりなのに、男はくくっと喉の奥を鳴らして笑う。

「何が楽しい」と問えば、面白いだろう。お前が死ぬなんて、と続けた。


「何度、殺そうとしても絶対に死なないガキだったよ。お前は」と、また笑う姿に違和感しかない。

こんなに笑う男だっただろうか。俺の「親」は。


「……血だらけだな。もうあまり時間はないだろう」


ふい、と顔を背けて、一つだけ息をついたその人。夜空を仰ぐ横顔に既視感があった。

今よりもずっとずっと遠い昔。まだ幼かった頃、いつもこんな風にこの男の顔を見上げていたのだ。

常に、顔色を伺っていた気がする。

捨てられないように。殺されないように。


ざざざっと、周辺に生えている草花の間を柔らかな風が通り過ぎていく。

すぐ近くで大規模な魔術が発動したのが分かる。この戦争も、もうそろそろ終わりかもしれない。そんな予感がして、ほっと肩の力が抜けた。

上空を舞う金色の粉は、魔術の残骸だろう。元帥クラスの戦闘魔術師が来ているのだ。


「ところで息子よ。さっきの三文芝居はどうだろう」

「……は?」


ちらりとこちらを見た親父の目が鈍く光る。どうやら面白がっているようだ。

相変わらず変な男だと鼻を鳴らして、その肩の向こう側に広がる夜空に目を移す。いつもと変わらないのに、とんでもなく美しい。

こんなときになって、瞬く星の煌きや、白く沈むように輝く月に憧憬のようなものを抱くなど、愚かとしか言いようがない。


「殿下のことが好きだと―――――? あれじゃまるで告白じゃないか」


肩を揺らして腹の底から笑いがこみ上げている様子の男に首を傾げる。「まるで」とはどういうことだ。


「お前が、皇子殿下に恋? はははっ、」


とうとう声を上げて笑い出した男に、声を抑えるように言えば「敵なんてもう来ねぇよ」と小さく舌打ちした。それが、決してイラついての仕草ではないことを知っている。ただの癖だ。

そうだと分かるまで、この男が舌打ちする度にびくりと肩を竦ませていた。

彼を怒らせたらもう、後がない。

捨てられれば、自分は終わりだと思っていたから。


「親父を笑わせるために、一世一代の告白をしたわけじゃないけど」


あからさまに呆れを滲ませた声音で言えば、


「……お前は本当に素直じゃないな」と、心底気の毒そうに首を振る。

「どこが素直じゃないって? 俺は、いつだってあんたの言う通りにやってきただろ」

返事をしながら、酷い眩暈に襲われて両目を閉じた。

唇が冷たくなっていくのが分かる。指先は震えるし、先ほど親父が口にしたようにあまり時間がないと感じる。それでも、数分前にはとうに尽きていたはずの命だ。案外、もっている。


「そうだな。お前はいつだって俺の言う通りにやってきたな。今回のことだってそうだ」


「しかしなぁ……。お前はいつか、俺を裏切るもんだって思ってたよ」


急に低くなった声に、彼が真剣な顔をしているだろうことが分かる。

でも、もう瞼を開くことはできなかった。それほどに、弱りきっていた。呼吸をすることさえ、負担に感じる。


「お前が訓練学校に入って、前よりも一層、皇子殿下と親しくなって。予想外にも友人を作ったとき、俺は危機感を覚えた。人生で初めて感じるものだったかもしれないな。危険な仕事をいくつもこなしてきたにも関わらず、それ以上に、危険な状況だと感じた。お前が俺を裏切ったなら、―――――俺に勝ち目はない。そう分かっていたからだ」


普段は、こんなに喋る男ではない。寡黙で、必要なことすら説明しない人間だ。仕事柄、余計なことを言ってしまわないように気をつけているのかもしれないと思ったこともあるが、ただ単に、この男が口下手なだけだ。


「何で俺が親父を裏切るんだ……? 一体、何がどうなってそういう考えに行き着くのか不思議で仕方ない」


はっと乾いた笑みが漏れる。


「だってそういうものだろう。子供はいつか、親を裏切る。良くも悪くも、な」

「裏切らねぇよ。……だって俺たちは結局、」


そこまで言って、続くはずだった言葉が。突然、出なくなった。

代わりに、


「そうだな。本当の親子じゃないしな」と、男が告げた。

自分でもそう言うつもりだったのに、なぜか心臓を殴られたような衝撃を受ける。

今はっきりと、悲しいと、感じた。


「……そんな顔するなんて、思わなかったよ」


男が、少しだけ声を潜める。語尾に吐息が交じったせいで、どこか弱々しく感じた。

そんな声を聞きたくなくて、口を開けば、意識もせずに次々と言葉が溢れてくる。

本当は多分、ずっと前から言いたかった。


「俺は、あんたの息子でありたかった。本当の子供じゃないからこそ、あんたの息子だっていうことをいつも意識してきた」

「……」

「親子っていうのは、切っても切れない縁で結ばれてるんだろ? だから、裏切るはずがない。裏切れるはずが、ない」

「……」


実の親は、言うなれば「人でなし」の部類に入る人達で。生まれて間もない俺を、道端に置き去りにした。

籠に入れられることもなく、薄い布一枚に包まれただけ。

野犬に襲われても文句は言えないような場所だった。

そんな俺を初めに拾ったのは、やはりまっとうとは呼べない奴らだ。

しかし、拾った赤ん坊を売ることもせずに己が手で育てたくらいだから、ほんの僅かにでも良心とか慈愛とかいうものがあったのかもしれない。

当然、ある程度育った頃には見返りを求められたけれど。


育ててやった恩を金で返せと言われて、物心ついた頃には、盗みで金銭を得ていた。


人殺し以外なら何でもやって。気付けば、洗うことができないほどに両手が真っ黒に染まっていた。

そんな俺だったから、行きつく先は結局「地獄」なんだろうと考えていた。死んだ後の話しじゃない。

この世にだって、地獄くらいはある。


「……お前がそう思うんだったら、俺だってそうだったかもしれないな」


親父がぽつりと言う。俺だって、お前の親だという意識があったのだと。

笑えたのは、何でだろう。嬉しいというよりは、驚きの方が大きいのに。


「あんたに、そういう普通の感覚があったとは知らなかったよ……」


だんだんと、舌が上手く動かなくなってくる。眠くて、眠くて仕方なかった。

まだ寝るなよ、と親父が、普段よりも強い口調で言ってくる。そんな何気ないことさえ、可笑しかった。

仕事仲間が、この人のことを何て言っているのか知っている。

ただ一言、冷酷と。あるいは残虐だと。でも、どんなに言葉を尽くしても表現しきれない人格だとも聞いたことがある。

端的に言えば、化け物だ。

そんな男が生業にしているのは諜報活動である。


第一皇子殿下の懐刀。それが男の二つ名だ。

姿は見えずとも、いざというときにはその力を惜しみなく発揮し、影から第一皇子を援護する。もちろん、この男の顔を知っているのはごく限られた人間だけだ。

知っているのは同業者の中でも数えられるくらいだろう。

主である第一皇子殿下ですら、数回しか顔を合わせたことがないという。


だから、不思議だった。


「わざわざ姿を見せたのは、息子にねぎらいの言葉でもかけてやるつもりだからなのか?」


冗談のつもりで言ったのに、返事はない。ただ、耳を澄ませばやっと聴こえるほどの小さな息が聴こえただけだ。疲労感が滲んでいる。


両瞼をこじ開ければ、霞んだ視界に、こちらを見下ろす男の影が映った。


―――――いつか見た光景の再現みたいだ。ふと、そう思った。


事もあろうに、王室の間諜をしていたこの男から財布を盗もうとした昔を思い出す。

いとも簡単に捕らえられて。

その後に待っていたのは死でも拷問でもなく、この男の息子になるということだった。


『そして、第三皇子殿下の良き友人となるように』


実に厳しい顔つきのままそう告げた男は、俺に、王室への忠誠を誓わせたのだ。

我が国の王室は、第一皇子、第二皇子、第三皇子の継承権争いで揺れており、使い勝手のいい手駒が必要なのだと加えて。


『第一皇子のために、第二皇子、第三皇子の動向を監視する役が必要だ。けれど、目立つことをするのは望ましくない。』


第三皇子の友人として王室に入り込み、第二皇子、第三皇子の動向を探れと命じられた。

そうして、第一皇子殿下の口ききで高位貴族の養子となった俺は、数ヵ月後には、第三皇子殿下と対面を果たしたのだった。


気付けば、逃げ出せなくなっていたわけだが、そのことに不安や不満を感じたことはない。


事あるごとに、『お前は便宜上、お貴族様の令息ということになっているが、あくまでも俺の息子だ。それを忘れるなよ』と繰り返す親父の存在があったからだ。


家族が欲しかった。

たとえ、偽りでも。


「それで、皇子殿下はご無事か?」


これが最期の質問だ。たったそれだけを口にするのにも息が切れた。


「第一皇子殿下は亡くなられた……対外的には、そうなっている。―――――あの方はもう、国外におられるよ。そして、第二皇子殿下は戦死された。ご無事なのは第三皇子殿下だけだ」


そうか、と肯いたつもりだったけれど、上手くはいかなかった。

唇の端から息が漏れて、吸い込めなくなる。それなのに、苦しくもなく。


ああ、死ぬのだ。と、感じた。


最期にもう一度、父親の顔を見たいと思ったが、何も見えない。瞼は開いているはずなのに、変だ。変わりに、真っ暗だった視界に白い光が差し込んでくる。

まるで、朝日のようだった。

もしかして終わるのではなく、始まるのかもしれない。そんな予感と共に、体がふ、と上昇するような感覚がして―――――、




「おい、なぁ。俺はなぁ、家族がほしかったわけじゃないんだよ。ただ、誰かと共に生きる人生も悪くないかもしれないと思った。お前を引き取った理由はそれだけだ。結局、一緒に暮らせたのはたった半年だったがなぁ。思ってた通り、あまり悪くはなかったよ。……俺はお前に、うるさいことを言ってばかりで。うんざりしただろう? なぁ、聞いてるか?」


血に塗れて、草むらに寝転んだまま動かない年若い騎士は、少しだけこちらに顔を向けている。

その瞼は薄く開かれているが、双眸は暗く淀んでいた。


「そういや、俺の人生についてお前に語って聞かせたことはないな」

「……」

「そうか。聞きたいのか。だが、あまり話せるようなことはないぞ」

「……」

「俺と第一皇子殿下が出会ったのは……、」

「……」

「何? そんなところから話さなくてもいいって? せっかちなヤローだな。いいから聞けよ。時間ならあるんだから」


血の気を失い、白くなった額に触れる。指先に触れた皮膚は、まだ、柔らかい。

目を閉じれば、この青年がまだ幼かった頃の顔が思い出される。やせっぽちの小さな子供だった。

いかにも一人では生きていけなさそうな貧弱さなのに、その双眸だけは活力に満ちていた。何が何でも生き抜いてやるという強い意思が感じられたのだ。

だからだろう。一緒に暮らしてみてもいいと思ったのは。


生きる気力など、とっくの昔に失っていた自分には必要な存在だった。


「だがなぁ、俺は第一皇子殿下のものだからな……。お前だけを大事にするわけにはいかなかったんだよ。あ? そんなの分かってるって? ああ、そうだな。お前は昔から色んなことに聡かったもんな」


幼いと言えるほどにちっぽけな子供を闇の世界に引きずり込んだ。けれど、罪悪感よりも勝ったのは、自分が子供を持つとどうなるのかという好奇心だった。

親になるという、いわゆる「普通」というものを体感したとき、己がどう変わるのか知りたかった。


ひどく自分よがりな感情だ。


「皇子殿下はいつか、この国を出たいと願っていた。だが、それは許されない。あの方はいずれ王となられる方だ。そういう定めの下に生まれてきた。だからこそ、こうするしかなかった。運命から逃れるには、これほどのことを仕出かすしか、なかった」


たった一人の人間を逃す為に、戦争を起こした。それほどの混乱に乗ずれば、いくら皇子殿下であろうともどこかの国に逃がすことができるだろうと踏んだ。


「……でもなぁ、さっきも言ったが、俺はずっとひやひやしてたよ。お前が、訓練学校であの子と出会ってしまったから」


小柄な少女だったと記憶している。息子が通う訓練学校には、何度か様子を見に行ったことがあるからこそ知っていた。この戦争でも、その姿を見る機会は少なくなかった。


「そういや、お前たち。学校から抜け出して演劇なんか見に行ったことがあったなぁ」


「辻馬車に乗ってはしゃいで。まぁ、お前はあんまり顔に出ないから……誰も気付かなかったかもしれないが。……お前があんな顔するなら、一度くらい乗せてやればよかったよ。……あ? そんなのはいいって? はは、照れるなよ。誰にでも初めての経験ってのはあるんだから」


額に落ちた髪を払う。血に濡れているが、それが誰のものかは分からない。


「……お前は、本当に……感情を隠すのが上手いなぁ……」


そんな風に育てたのだから、当然だ。しかし、


「皇子殿下のことが好き? いくら何でもそれは見え透いた嘘だと思うぜ。意識があれば殿下だって鼻で笑っただろうに」

あのとき、かの方が眠っていたのは、良かったのか。悪かったのか。


「殿下を守るため、なんて常套句……、あの子は信じたみたいだが、俺は信じないよ」


なぁ、聞いてるか。問いかけたところで返事はない。

遠くで立て続けに、大魔法が展開され、皮膚が粟立つ。我が国が勝利を収めるにしろ、あるいは負けることがあったとしても、既に目的は達成されている。だからもう、俺には何の関係もないことだ。

後は、第一皇子殿下の後を追うだけである。


初めから、国に属していたわけではなく、一人の人間に仕えていただけだ。

家族は一人いたけれど、


「おい、息子よ。お前、死んだのか?」

「……」

「そうか」

「……」


「そうか、死んだのか」


それも今、失った。




「死んだのか、」







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