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【2】 彼女の、

一度、どこかの天幕の中で覚醒したけれど、再び眠りに落ちて。

しっかりと意識を取り戻したのは王宮に運ばれた後だった。

そのときになってようやく、戦場で意識を失う寸前に見た人間が、自分の味方だったことを知る。

どうやら、その人物が助けてくれたようだ。


「貴女には、魔術がかけられていたようです」

「……魔術?」


天蓋つきのベッドに寝かされていることに気付いて、一瞬たじろぐ。

体を起こすのが辛くて視線を巡らせるが、淡い色の小さな花が散りばめられた壁紙一つとっても拘りが感じられる。天井には荘厳さすら感じる宗教画が描かれており、一体何事かと息を呑むほどだ。

そんな煌びやかな室内で、王宮付きの医師は言った。


「戦場で、かけられたのでしょう」


彼は、ひどく難しい顔をしている。

つまり、私は誰かによって眠らされていたということだ。


「それはどういう類の……?」


問えば、年老いたその人はゆっくりと首を振った。


「それがよく分からないのです……。ただ、眠るだけの……そういう魔術だったようで……一体、何が目的なのか……」と実に歯切れの悪い物言いをする。


「皇子殿下と同じようなものですか?」

「……ええ、恐らくは。しかし……、上級の魔術である為、実際にはどのような魔術だったのか、解析するのも難しいかと……」


そして、医師はこう続けた。

ただ眠らせるだけの魔術に、なぜ、高度な技術が必要なのか。それには理由があると。

眠らせるだけというのはつまり、「必ず」目覚めさせなければならないということと同義だ。うっかり失敗すれば、何年間も、あるいは永遠に眠り続けることになる。

だからこそ、簡単には扱えない魔術であり、上級以上の魔術師しか扱えない。


「それならば、術をかけた人間はある程度、特定できるのでは? 上級以上の魔術師は多くないでしょう」

「そうです。もちろんそうなのですが……、」


医師は、首が取れるかも思うほどに頭を振った。まるで、私の言葉を否定しているような仕草だが、そうではなく、ただ懊悩しているだけだというのが分かる。

はっきりと訊ねることは控えたが、要するに、上級の魔術を扱える人間には容易に手出しできないということなのだろう。彼らのほとんどが国の要職に就いており、有力者によって守られているからだ。

「怪しい」という理由だけでは、取り調べることすら難しい。

たとえ、被害者が第三皇子殿下だったとしても同じだ。

むしろ、皇子という立場だからこそ、動けないということも考えられる。


だから、私にできることは何もないし、この医師だって同じだ。


「……ところで、殿下のご様子はいかがですか」


重い空気を払うために話しを振れば、医師は先ほどよりも更に苦い顔をする。


「魔術も解けて、今は精力的に公務をこなしておられます」


その言葉と共に吐き出された小さな吐息。他にも何か言いたいことがあるのだろうと踏んだ。相槌を打つこともせず、次の言葉を待っていれば、

「どうか、殿下のお力になってくださいますようにお願い申し上げます」と、予想もしていなかったことを言われる。

そして、医師は、そのまま分厚い絨毯の上に両膝をついた。流れるような動作で頭を下げるその姿に、思わず、逃げを打つ。

染み一つない掛け布が、さらりと音をたてた。


「国民は、王室の安泰と安寧を……祈っております……。その為にも貴女様のお力が、必要なのです」


一体、何を言われているのかすぐには理解できない。

返事をすることも忘れて、ただ何度か瞬きを繰り返していると。

医師は、深く息を吐き出した。返事がなかったことにことに落胆したのかもしれない。広すぎる室内が沈黙に支配される。

けれど、ここで肯いてしまうのは、あまりに早計な気がした。


殿下の助けになるのであれば、当然、いくらでもこの身を捧げられる。

それなのに、老医師に色よい返事ができないのは、ただの兵士でしかない私を「貴女様」と呼んだからだ。まるで敬っているかのように。

単純に、何かがおかしいと感じる。


そのことに、どうしようもなく嫌な予感がした。


私が眠っている間に結ばれた休戦協定。そして、第一皇子殿下、第二皇子殿下の戦死、王族による不正の露呈。様々な要因が重なり、戦場で死することを良しとされていた第三皇子殿下の王位継承権が繰り上がった。

この戦争が、良くも悪くも我が国に変革をもたらしたようだ。

その渦中に、放り込まれる。もっとも、望んでいない形で。


「私にできることなどありません」


そう口にした途端、頭の中に『お前は、殿下を守りぬけると誓えるか』と言った側近の言葉が甦る。

ぎゅうっと、心臓を誰かに鷲掴みされているようだった。

けれど、あのときとは状況が違う。何もかもが変わってしまった。


「私には、殿下の為にできることが、ありません」


もう一度、平静を装って、同じ言葉を繰り返す。私の言葉に力などないと分かっていても、意志を示すことは重要だと感じた。


「……そうですか。それは、残念です」


ややあって静かに告げた医師は立ち上がり、私の被っている掛け布に触れた。ぽんぽんと、布の上から膝あたりを撫でられる。優しい仕草は、母親が子供を寝かしつける為の動作に似ていた。


まるで、励まされているようで。

その深い皺の刻まれた顔を見上げれば、私の心情を理解しているのか医師はただ微笑みを浮かべただけだった。王宮付きの医師である以上、言えないことも多いのだろう。私には知りえない情報も、既に得ている可能性が高い。


だからこそ、拭い去ることのできない不安が残る。


「疲れさせてしまったようですな。しばらくはこのまま王宮でお休みください。殿下もいずれ、顔を出すでしょう」


つまり、ここから出るなと、そういうことだ。

「はい」とは声には出さず、肯くに留まった私のことを医師がどう見たのか分からない。が、少しだけ困ったような顔をした後「お大事になさって下さい」と噛んで含めるように告げた。

そのまま部屋を出て行く医師を見送り、大きすぎるベッドの上で体を丸める。

どこも怪我をしていないとは言え、魔法によって無理やり身体能力を高めて、男性一人を背負い歩き続けたわけなので疲労感はあった。

眠ろうとしているわけでもないのに、瞼を下せば強い睡魔が襲う。


すとんと体がどこかへ落ちて行く感覚に身を任せると、脳裏に甦る側近の顔。

『殿下が、大切なんだ』という言葉が、耳の奥で繰り返される。苦しそうな声だった。

そういえば、側近はどうなったんだろうと今更ながらに、思う。

意識が回復したばかりだったと言え、自分のことばかりを考えてしまうのは非道なのだろうか。


それとも、それが当たり前のことなのだろうか。


私にはもう、何も分からなかった。


*

*


「―――――何があったのか、だいたい察しはついている」


深夜、公務を終えたらしい第三皇子殿下が私の元へ訪れた。部屋へ入ってくる気配もなかったのはさすがと言うべきか。訓練学校で学んだことが役に立っているらしい。


重たい瞼をこじ開けると、ベッド脇にひっそりと佇む殿下と目が合った。

さすがに不敬かと起き上がろうとすれば肩を押されて「そのままでいい」と首を振る。


「お前も、ご苦労だったな」

「……いえ、」


殿下ははっきりと告げなかったけれど、恐らく戦場での出来事を言っているのだろうと理解した。この状況での共通の話題など、それしかない。

けれど、その見覚えのある赤銅色の髪を眺めていると、訓練学校での日々が甦る。


そういえば、月に一回だけ与えられた休暇を利用して、流行りの演劇を見に行ったことがあった。

皇子殿下に誘われて、断ることができず、仕方なく同行したのだ。

その帰り道、辻馬車の中で、観劇したばかりの演目について語り合ったのを覚えている。

今思えば、皇子殿下と一緒だというのに辻馬車とは、考えなしにも程があるのだが。殿下も側近も、辻馬車というものには初めて乗るらしく、どこか楽しげだった。


主役を演じた女優の髪色が美しいと褒めそやした皇子殿下。そんな彼を、不審げに見やった側近。

そんな目をするなと殿下が笑って、その日、二人は珍しく軽口を叩き合っていた。

いつもは、魔術や戦術、あるいは戦闘の手法について議論を交わすばかりだったので、どこか不思議だったのを思い出す。


たった数ヶ月前のことである。それなのに、随分、昔のことのような気がした。


「おい、」


ぼんやりとしていた私に、殿下は、鋭さの増した目を向けてくる。これが王族だと言わんばかりだ。

その威圧的な態度に、ひっそりと首を傾げる。

気安いという理由で訓練兵から慕われていた少年の姿はもう、どこにもない。

呼びかけられたというのに返事もできず、その強すぎる眼差しを全身で受け止めた。


しばらくの間、室内を支配していたのは沈黙だ。己の呼吸音すら耳障りだった。


「あれは最期に何と言っていた?」


はっと、息を呑んだことに驚いたのは自分自身だったかもしれない。


「―――――さいご?」


思いも寄らぬほどに情けない声が漏れて。そんな自分の声に誘われるように、どこか心許なくなった。

わざわざ説明されるまでもなく「あれ」というのが、皇子殿下の側近を指しているのだと分かる。

側近がまるで、「物」であるかのように扱われていることに思うことがなくもないが、それはいい。彼らの関係に口を出すつもりはない。


気になるのは、「最期」という言葉だ。皇子の表情から分かる。

彼は明らかに「最後」ではなく「最期」と言った。


「……そうか、知らなかったのか」


私の表情を正しく読み取った皇子はそう呟くと、ベッドに腰掛けた。私に、背を向ける格好で。


「国に戻ったときはもう、生きてはいなかった」


単なる一介の兵士であれば、戦場に捨て置かれたであろう。それほど、大勢の人間が命を落とした。

あくまでも殿下の側近だったからこそ、遺体となっても国に戻されたのだ。


「……約束を、守ったのですね」

「約束?」


皇子が少しだけこちらに顔を向ける。でも、視線は逸らされたままで、目が合うことはない。


「必ず、私たちの後を追うと、そう約束したのです」


そう。彼は確かに、自身の言葉通り、私たちの元へ戻ってきた。

呼吸を止めて、肉体が活動を終えても、それでもきちんと約束を守ったのだ。


あのとき―――――、戦場で先に行けと言われたとき、本当の本当は、よく分かっていた。

彼があのとき、殿下への想いを口にしたのは、これが最期だという覚悟あってのことだろうと。

そうでなければ、わざわざあんなことを言ったりしない。


殿下のことが、好きだなどと。


宗教的な問題もあるし、我が国は同性に向ける恋愛感情について、公には否定的な立場である。

何より、想いを寄せる相手は王族であり、自分自身はその人の側近だ。

己の主にそんな感情を抱くことなどあってはならない。ましてや、他人に打ち明けるなんて。

有り得ないし、許されない。


それなのに、彼は本音を口にした。もう二度と、生きて会うことはないと知っていたから。


「―――――何か言い残したことはないのか」


一つか二つ呼吸を置いた後、殿下はそう訊いてきた。

瞼の裏に、私に「行け!!!!」と叫んだ彼の姿が甦る。生きて、皇子を守れと言った。

かつて、その人を守ることが生きがいだと語った彼が、私に、託したのだ。


「いいえ」


なるべくはっきりと、何の惑いもないかのように返事をした。

お腹のあたりが、ぎゅっと縮こまった気がする。嘘をつくとき、人はこんな風に動揺するのだと思った。

唯一の救いは、皇子がこちらに背中を向けていたことだ。

もしも、正面きって顔を合わせていれば、私はきっと全てを正直に打ち明けていたことだろう。


「本当か?」と問われて、「はい」と、ただ肯く。それ以上の補足は必要ないと踏んだ。

実際、殿下も念を押したかっただけで追及したかったわけではないようだった。


「そうか。何も言い残さなかったか」と独り言のように呟いた皇子殿下の肩が少しだけ下がる。

落ち込んだようにも見えるし、ほっとしたようにも見えた。その心情を図り得ることはできないけれど。


大きさの割りに心許なく見える背中を見つめていると、言うまでもなく、側近のことを惜しんでいるのが分かる。何か言わなければと思うのに、息苦しいほどに重い雰囲気に言葉が詰まった。

すると殿下は、掠れた声で「奴はもう、故郷へ帰ったんだ」と言う。

そうですか、と肯きながら、側近にも故郷などあったのかなどと、場違いなことを考えた。

殿下以外には関心すら持たない彼にも、ここではないどこかで過ごす日常があったのだ。そして、私たちではない他の誰かと繋がりを持っていた。


ごく普通のことであるはずなのに、そんなことがあるのだろうかと疑ってしまう自分に嗤う。


側近がここに居れば、「俺にだって親や兄弟がいる」と眉を寄せて苦笑するはずだ。


私と違って、良い家でさぞや立派な両親に育てられただろう彼。殿下の側近となるくらいだから当然だ。

変わり果てた姿となって故郷へ戻った息子を、ご両親は、どのような気持ちで迎え入れたのか。

遺体がそのまま運ばれたとは考えにくいので、きっと、骨だけが戻ったに違いない。

小さな箱に納められた息子に、それでも、何か言葉をかけたのだろうか。

もしかしたら、物言わぬ四角い箱を抱きしめて、声を上げて泣いたかもしれない。いや、きっとそうだ。


そして。

誇りに思ったはずだ。息子は立派に、務めを果たしたと。


「お前も……、いつか奴の故郷にいって、墓に、花でも手向けてやってくれ」


皇子はそう言って立ち上がる。ぎしりと軋んだベッドに、また少し体格がよくなったかもしれないと、どうでもいいことを考えた。


「私はいつ、ここから出られますか?」


今にも部屋を出ようとしている皇子に問えば、振り向いた彼はふっと息を落として笑う。

自嘲的で、どこか嫌な感じのする歪んだ笑みだった。


「それは僕に聞かれても分からないよ」

「……」

「お前は知っているか分からないけれど、この部屋は、代々皇太子妃に与えられるものだ」


あまりにも衝撃的な言葉を、半ば投げやりに言い放つ。


「ご愁傷様、とでも言いたいところだけど、……僕たちはもはや一蓮托生だ。自由にはなれない」


ひどい言い草に、指先が冷えていく。

ああ、もう私たちだけではどうにもならない問題になってしまったのだ。何てことだろう。


「でも、お前は英雄だから、望めば何でも手に入る。何せ、皇子殿下を背に担いで、国へ戻ったんだから。……まぁ、担いだのは天幕までだし、国へは普通に馬車を使ったが」


先ほどまでの仄暗い表情を消し去り、くくっと喉を鳴らした殿下は「本当に、助かったよ」と言った。

そして、あろうことか、深く頭を下げて「ありがとう」と続ける。

本来なら、王族が、平民に頭を下げるなんて天と地がひっくり返っても有り得ない。前代未聞である。

思わぬ事態に言葉を失っていると、顔を上げた殿下はまた一つ笑みを落として、部屋を出て行った。


扉が閉まる間際に見たその背中は、とても、重そうだった。


だから、これでいいのだろう。


側近の秘める想いなど絶対に、知られてはならない。これ以上、皇子殿下の背に重しを載せるわけにはいかないからだ。

私は、永遠に口を噤もう。


側近は、命を賭して皇子殿下を守った。それだけが事実として認知されれば、あとはどうでもいい。

尊ばれるべきなのは、真意ではなく、行いなのだ。

つまり、重要なのは、側近が何を考えていたのかではなく、彼が何をしたのかということ。


でも。


「君は、いいな」


本来なら打ち明けることなどなかっただろう重大な秘密を、死の間際とはいえ、私に漏らした。

さぞ、背中が軽くなったことだろう。


「……私は、胸が、苦しいよ」


ほろりと、目尻から何かが零れ落ちる。だけど、知らないふりをして、瞼を下した。










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