#5 「慈善活動って素晴らしいと思いません?」
アルベルティーナは桜子の真剣な様子を確認すると、学校の先生にように語り出した。
「聖石の話をするには先ず『聖戦』の話をしなきゃね」
「『聖戦』? さっき、アンネちゃんが言ってた魔族と戦ったって話?」
アルベルティーナは頷くと、過去に起きた『聖戦』という戦争の話を始めった。
千と数百年年前に起きた人族と魔族の戦争。それを『聖戦』と呼んだ。
その昔、人族と魔族との間に争いが起きた。魔族というのは角の生えた化け物で『魔法』という不思議な力を使った。それは、水を作り出したり、炎を操ったり、大地を削るなど人知を超えた力だった。人族は魔族の圧倒的な力の前に劣勢に立たされた。
人族は戦力や人口を著しく減らし、一つの島に追い込まれた。このまま滅びるのかと思われたその時、奇跡が起きた。創造神『セレンファリシア』の降臨である。セレンファリシアは人族に『聖石』という不思議な石を与えた。その石を使う事で人族は魔族と同じ力を使う事ができるようになった。
そして、そこから人族の反撃が始まった。次々に魔族を打ち破り大地を取り戻していった。しかし、再び人族は劣勢に立たされた。『魔王』と呼ばれる者の登場によって。
魔王は『グラナティス』と名乗り次々と人族を蹂躙していった。魔王一人によって戦況は全てひっくり返された。そんな中、立ち上がったのが初代の聖王であった。聖王はセレンファリシアの助力を得て、妹と協力し魔王を打ち倒したのだった。
そして、聖戦は終結し、その年を神聖歴元年とした。その後、聖王はヴァースラントをその統治下に置いた。
「──っていうのが、この世界の成り立ち」
アルベルティーナの話を大人しく聞いていた桜子は、幾つかの質問を投げかけた。
「その、セレン何とかっていう神様が聖石を作ってばら撒いたんだ」
「『セレンファリシア様』。ちゃんと覚えなさい。この世界じゃ人族に英知をお与えなった神として尊敬と崇拝を集めてるんだから」
「それで、聖石は魔法が使えるようになる石って認識で大丈夫なの?」
「そう思って良いわ。ただ、魔族が使っていたモノを『魔法』。人族が聖石の力で使うのを『魔術』って呼んでる。それと、聖石自体はただの宝石で、単体では何の力も発揮しないの。その指輪や腕輪の部分、『コネクター』っていうんだけど、それに取り付け人を介すことで様々な力を使えるようになるの」
桜子は今自分が身につけている指輪とブレスレットを関心深げに見詰めた。
「じゃあ、例えばこの指輪型のコネクターに別の聖石を付け替えたら、私も炎を出したりとか魔術が使えるようになるの?」
「一応はね。でも、『翻訳の聖石』を外すくらいなら別のコネクターを用意した方が良いでしょうけど。後、その『逆行の聖石』みたいに特殊な聖石は一体型のコネクターを使用しているから取り外しはできないわ。それと、今は聖石が色んな所で使われてて、『イシヒス』っていう動力制御装置に内蔵する事で人を介さずに使用することもできるの。例えば今この部屋を照らしている光とか、蛇口から出る水もそう。」
「色んな所で使われてるって事は、聖石って沢山あるってこと? 貴重な物だと思ってた」
「希少な物もあれば、過多的に存在する物もある。希少な物程使える人も限られてくるけど」
「なるほどねぇ……」
色々と思おう所はあるだろうが、桜子は話を理解しようと努力していた。
その姿勢に多少感心したのかアルベルティーナは「他に質問は?」と桜子に投げかけた。
「『公王』って何なの? 聖王様が一番偉いっていうのはアンネリーゼさんの話で何となく分かるんだけど」
「この世界には四つの大陸があってそれぞれに公国が存在するの」
アルベルティーナはそう言うと、壁に掛かっている煌びやかなタペストリーに目をやった。
それには世界地図が織り込まれていた。真ん中に大きな島があり、その島を囲むように東西南北それぞれに大陸があった。
「真ん中に島があるでしょ? それがさっき聖戦の話で言った人族が追い込まれた島。そこに王都があって、聖王陛下がいらっしゃるの。聖戦の終結後に初代の聖王陛下は世界を統治するために、それぞれの大陸に親族を派遣された」
「それが、初代の公王ってこと?」
「そう。それぞれが公国としての基盤を作り上げたの。そして、四つの公国には四人の公王殿下が存在し、それぞれの大陸を治めている。」
「そう言えばアンネリーゼさん、ここは西の大陸って言ってたけど。一番大きいこの大陸?」
桜子はひときは大きな大陸を指差した。
アルベルティーナは頷く。
「グラマトン公国。四つの公国の内で最大の都市数と人口を誇る。聖石工学ではザーストバル公国に劣るけど、その他の産業、工業では四公国中で一番なのよ」
アルベルティーナは大層誇らしげに言った。
「うぁ……、私、そんなとこの一番偉い人と取っ組み合いしたのかぁ……」
「貴女、祭儀の間で何やったのよ……」
桜子はアンネの方に視線を向けた。アンネは二人の話の途中で眠くなったようで、そのまま横になり眠ってしまっていた。桜子は微かに寝息をたてるアンネの髪を優しく撫でると至福の笑みを浮かべた。
「ハァ~、天使の寝顔ってこういうのを言うんだろうなぁ~。未だにこの天使が、あの傲岸不遜で暴力的で実年齢より老けて見える、アンネリーゼさんだって信じらんないもん」
「本人ここに居るのにそこまで言う?」
「幼女形態の時の記憶は大人形態に引き継がれないみたいだから、大丈夫」
桜子とアルベルティーナが話していると、再びドアをノックする音が聞こえた。その音に反応して二人は会話を止めドアの方に注目した。
入って来たのはアンネの母テレージアだった。
「テレージア様。どうしてここに?」
アルベルティーナは驚いていた。
「桜子に話がありましたので。――あら、アンネリーゼ。部屋に居ないと思ったら、ここに居たのですね」
テレージアはそう言うと、ベッドで眠るアンネの傍らに座った。そして、眠っているアンネの髪をかきあげると、その顔を優しく見詰めた。
昼間出会った時と同じように表情は一切変わらなかったが、桜子はその仕草や雰囲気に慈愛のようなものを感じ取った。
(こうして見ると、本当に絵になる親子ですこと)
桜子がその様子に見惚れていると、テレージアは誰ともなしに話し出した。
「子供の頃のアンネリーゼは少し泣き虫だけど、優しく素直な子でした。この姿のアンネリーゼを見ていると当時を思い出します」
「あんなアンネリーゼさんでも、昔は可愛かったんですね」
「貴女、アンネリーゼ様にどんだけ遺恨抱えてるのよ」
失礼なことを臆面もなく言う桜子にアルベルティーナは呆れた。
「優しく強い公王として育ってくれると思っていましたが、どうしてこうも暴力的に育ってしまったのか。少しばかり厳しく育てたとは思いますが……」
テレージアは真に思い当たる節が無いのか、ため息を漏らしながら言った。
原因が目の前に居る事は分かり切っていたが、桜子達は口に出すのを憚り、苦笑いを浮かべた。
「さて、桜子。これから先は貴女の話をしましょう」
テレージアの言葉に桜子は思わず身構えた。
「貴女はこれからどうしたいですか?」
「え、いや……あの~、質問がアバウト過ぎてどう答えたら良いか……」
「私は貴女の行動や生き方について何かを強制するつもりはありません。この世界でどう生きるのかは貴女が決める事です」
桜子はしばらく考えた。
「私はこの世界のことを何も知りません。だから、どう生きたいのかなんて決められない。だから私はこの世界のことを沢山知って、それからどう生きたいのか決めたいと思います。だから、あの……厚かましいかもしれないですけど、それまで住む場所や働ける場所、勉強できる場所を援助してもらえれば助かります」
そう言うと桜子はテレージアに深々と頭を下げた。
テレージアにとって桜子のその言動は驚きだった。桜子のことを後先考えず感情で動く愚者だと思っていた。自身の問いかけに対して、これ程早く答えを出すとも思ってもいなかった。見ず知らずの世界に突然飛ばされ絶望することもなく、泣くこともなく、前向きに進もうとする桜子の姿勢をテレージアは好意的に受け止めた。
「こちらとしても、愚娘の招いた事でもあります。できる範囲で援助はしましょう」
「それと、もう一つあるんですが……」
「遠慮することはありません。言いなさい」
「もし、私の仕事が決まって経済的な見通しがついたら――」
桜子は息を溜め、再度テレージアに頭を下げた。
「小さい方の娘さんを私にください! お義母さん!」
テレージアの中で何かが急激に冷めていった。
「それでは、貴女には『グロービス』という都市に行ってもらいましょう」
「あ、あれ? 返事は?」
「よかったら、ピンヒールを履いて来ましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
冷え切ったテレージアの態度に桜子は萎縮してしまった。
「『グロービス』と言えば、七日後にアンネリーゼ様が視察を予定されてる都市ですよね?」
アルベルティーナが首を傾げながら尋ねた。
「ええ、そこにアンネリーゼと共に行ってもらいたいのです」
「アンネリーゼさんと? 何でまた?」
「貴女はアンネリーゼの傍に置いておく方が良い。何せ貴女の生理現象一つで、アンネリーゼの進退が決定すると言っても過言ではないのですから」
「ま、まあ……大事な話の時にアンネリーゼさんが幼女になる可能性もありますからね」
そう言った矢先、桜子は何かを思いついた。
「だったら、コレ外しちゃったら良くないですか? アル、言ってたよね。このタイプの聖石は人を介して使うって。だから外しちゃえばその効果も無くなるんじゃ――」
そう言って桜子は逆行の聖石の付いたブレスレットを外そうとするが外れない。外せる箇所を探すが見つからない。無理やり引き抜こうとするがビクともしない。
「ちょっと、なにこれ! 呪われてるんじゃないの!」
「どうやら、一度聖石が発動したら外れなくなるタイプのコネクターみたいね」
冷静に分析をするアルベルティーナを他所に桜子は必死で外そうとしていたが、途中で諦め意気消沈してしまった。
「これ、外す方法とかあるの?」
「どうだろう。それを作った人なら分かるかもしれないけど、そのコネクター自体相当古いものだから諦めた方がいいと思う」
「なんと非人道的なことか……。そんなものを私に無理やりつけるとは……」
ガックリと肩を落とす桜子だったが、ふと良からぬことが頭をよぎった。
(待てよ。よくよく考えてみると、私は世界中の女性を幼女にできる力を手に入れたと言っていいのではなかろうか。あの時、流れ星にお願いしたことが叶ったのだ。つまり、この力を使って世界を平和にしろ、という幼女神の啓示なのではなかろうか。いや、そうに違いない。ありがとうございます。我が神よ。その御許に召されるまで私は幼女を尊びましょう)
「――桜子」
妄想を拗らせていた桜子はテレージアの呼びかけに動転した。
もしかして心が読まれたのではと、恐々としながらテレージアの方を見た。
「その聖石の使用については貴女の倫理観に任せます」
そうテレージアに言われた桜子はその言葉の意図を考えようとしたが、テレージアは既に別の話を始めていた。
「話を戻しますが、桜子。『グロービス』に行ってもらえますか?」
「もちろん。こちらの生活にも触れることができて、勉強にもなると思いますし」
桜子は笑顔で承諾した。
「つまり、アンネリーゼさんに付いて行けばいいって事ですよね?」
「概ねその通りです。それでは明日、出発してもらいます」
「明日! そんなに遠い場所なんですか!? 視察は七日後だって言ってましたけど」
「いいえ。半日程で着きます」
「じゃあ、どうして?」
「事前に調べて欲しい事があります。詳しい事は、現地にいる『ヨハンナ』という者に聞いてください」
「アンネリーゼさんではなく、アンネちゃんを連れ回す事になりますけど……」
「子供の姿の方が好都合です。その状態なら外で動き回っても、誰も公王だとは気づかないでしょうから」
アンネリーゼに付いて行くだけの簡単なお仕事だと思っていた桜子は、テレージアの言葉に困惑した。
テレージアが何かを隠していることは明白だった。しかし、桜子は自分が尋ねても何も答えてはくれないだろうと分かっていた。
「何か面倒な事に巻き込もうとしてません?」
桜子はダメもとで探りの言葉を言ってみた。
「桜子。私は貴女にできる範囲で最大限の援助を行うつもりです。ですが、それに対し貴女は見返として何を提示してくれますか?」
「慈善活動って素晴らしいと思いません?」
桜子の言葉にテレージアは微笑んだ。
「私はモラリストではなくリアリストです。貴女には、自身に利用価値があることを示して欲しい。私がそれを感じられないようであれば、私は貴女を見放します」
桜子が初めて見たテレージアの笑顔。それは、とても美しくもあり、恐ろしくもあり、冷たいものだった。桜子は背筋が凍る思いをした。
(うわぁ……。絶対この人、人を貶める事を喜こんでやる人だ)
「アルベルティーナ。桜子たちの案内を務めなさい」
「かしこまりました」
テレージアの言葉に、アルベルティーナは深々とこうべを垂れた。
「ある程度の準備はこちらでやっておきます。気兼ねなく行って来てださい」
テレージアはそう言うと、ベッドで眠っていたアンネを抱きかかえる。そして、そのままアルベルティーナと共に部屋から出て行ってしまった。
広い部屋に一人になった桜子は大の字でベッドに倒れ込んだ。
「気兼ねなく行って来い、って言われてもねぇ……」
桜子は頭の中で色々と考えを巡らせていた。
この世界の治安はどうなのか。女性一人で歩いても大丈夫? 幼いアンネリーゼを連れ回しても大丈夫そうだから問題ないかも。など、自問自答を繰り返していた。
(まあ、考えても仕方ないか。この世界のこと何も知らないんだし。成るように成る。案ずるより産むが易しきよしって言うしね。今日はもう寝よう)
桜子は不毛な脳内議論を中断し、そのまま眠りにつくことにした。
(ていうか、何でアンネちゃん連れてっちゃうかなぁ……。一緒に寝たかったよぉ……)




