#19 「嫌ッ! やめて! これ以上私の鼻の貞操を犯さないで!」
桜子たち三人は二時間程歩き、ガルキオ商会が所有する鉱山採掘現場にたどり着いた。
近隣にある鉱山夫の宿舎の様子を覗き見たが、中には誰も居なかった。数日間無人だったのか、食べた後の食器や洗濯物がそのままだったりと不審な点がちらほらとあった。
その宿舎で三人は鉱山の地図を見つけた。どうやら坑道は新坑道と旧坑道の二つがあるらしい。旧坑道は既に閉山しており採掘は行われていない。現在は新坑道の方で採掘が行われている事が分かった。
宿舎を後にした三人はそのまま奥へと進み坑道の入り口を発見した。
そこはどうやら旧坑道のようで、採石の際にでた不要な土砂が山のようにして置かれていた。使われていないトロッコや採掘道具が吹きさらしで置かれており、その腐食具合から閉鎖されて長い年月が経っていることが分かる。
「静かすぎるな」
「こっちの坑道ってもう使われてないんですよね。それが普通じゃないんですか?」
「採掘が行われている新坑道もそう遠くはありません。なのにこの静けさ。更に宿舎の異様さも含め不気味ですわね」
「それに見てみろ」
アンネリーゼは地面を指さした。
「靴跡がいっぱい。誰かが出入りしてるって事ですか?」
「それも頻繁にな。ここで当たりのようだな」
桜子たちが坑道に入ろうとしたその時、後ろから近づいて来る馬車の音に気付き三人は慌てて身を隠した。馬車は坑道の入り口付近に止まる。
土砂山の陰に身を隠した桜子たちはそーっとその様子を覗き見た。馬車からは数人のならず者のような風体の男たちと、身なりだけは良いキザったらしい男が下りて来た。
その男を見たヨハンナはヒソヒソ声で言った。
『あれは……ガルキオ商会の会長ですね。商会について調べていた時、写真を見ましたので間違いありません』
馬車の荷台から引っ張られるように下ろされる少女の姿を見て、桜子は驚きで声を上げそうになる。
『リコちゃん! 何で!』
『総督府へ向かう途中で捕まったとも考えられますが……』
リコを連れたならず者たちは坑道へと入って行った。
「どうしましょう。リコちゃん、捕まっちゃってましたけど」
「どうもこうも、助けるしかなかろう」
「じゃあ、早く助けましょう。二人とも強いから直ぐに済みますよね?」
「外壁の外では聖石をあまり使いたくはありません。モンスターが集まって来ますから。坑道の内部にモンスターが居るのなら尚更です」
「私は気にしてはいないが? モンスターなど取るに足らん」
「アンネリーゼ様のお力は充分存じておりますが、桜子のくしゃみ一つでそのお力も無力化されてしまう事をお忘れですか? 私の戦闘スタイルは対モンスター向きではありません。お二人を守りながら戦うには少々難があります」
アンネリーゼは、そう言われればそうである、といった表情で納得するが、ため息混じりに桜子を睨んだ。アンネリーゼのその態度が気に食わない桜子も負けじと睨み返す。
「ですので、我々の推論通りであるのなら証拠を掴み教会騎士団に告発しましょう。証拠さえあれば教会騎士団が徹底的に調べるでしょうから」
「じゃあ、リコちゃんはどうするんですか?」
「坑道内の調査をしながら可能であれば助けましょう。我々の目的はあくまでモンスターの増加原因の調査と解決ですから」
「それって、助けるのが難しそうなら見捨てるって事ですか?」
「その通りです。私にはアンネリーゼ様をお守りする義務があります。リコが此処に連れて来られた理由は分かりませんが、目的をおざなりにして危険を冒す必要などありません」
淡々と答えるヨハンナに桜子は酷い反感を持った。しかし、それを口に出そうとしたが飲み込んだ。アンネリーゼとヨハンナがいなければ自分にはどうする事もできないのは分かっていた。自分が勝手な行動をすれば結局二人に迷惑がかかる事も理解していたからだ。
桜子が感情を押し殺し黙っていると
「それは違うな、ヨハンナ。リコは助ける。それが絶対条件だ」
そうアンネリーゼは言った。
「しかし、アンネリーゼ様……」
「ヨハンナ、お前を否定するつもりはない。それがお前の仕事だからな。だが、自国の国民一人救えぬ者を王と呼べるか? それに、自分の命は自身で守る義務がある。仮に私が死んだのなら私はそこまでの人物だったということだ。母上もそう納得するはずだ。仕事を増やして悪いが、これは命令だ」
アンネリーゼの言葉を静聴していたヨハンナは、かしこまった様子で深々と頭を下げた。
「ご命令とあれば従うしかありません」
そう言ったヨハンナの顔はどこか満足そうな笑みを見せていた。
二人の会話を聞いていた桜子は内心アンネリーゼに感嘆していた。
そして、それと共に嬉しさがこみ上げていた。
「アンネリーゼさん、その……ありがとうございます」
「何がだ?」
「リコちゃんを見捨てないでくれて」
「私の意思だ。お前に礼を言われる筋合いもない。さあ、先を急ぐぞ」
アンネリーゼは素っ気なくそう答えると坑道の入り口の方へ歩き出した。その後ろ姿はどこか神々しくも感じられた。その高潔な後ろ姿に桜子とヨハンナは見惚れていた。
二人はアンネリーゼの背中を誇らしげに見つめた。
クシュン!
「あ……」
桜子は思わず声を漏らした。微細な粉塵が鼻に入ったのか桜子はくしゃみをしてしまった。
視線の先に居た凛々しい後ろ姿のアンネリーゼは、身長に比べて長すぎるスカートの裾を踏み前のめりに転ぶ愛らしい幼女の姿に変わっていた。
ヨハンナの作り笑顔と無言の圧力が桜子を襲う。
「いや、あの……ヨハンナさん。言いたいことは分かりますよ。だけど、出ちゃうものはしょうがないじゃないですか」
「少々お待ちください。ポケットにティッシュがあったと思うので、コヨリを作ります」
「嫌ッ! やめて! これ以上私の鼻の貞操を犯さないで!」
桜子の鼻を手で押さえ本気で嫌がる様子に、ヨハンナは呆れるようにして言った。
「まあ、ここで時間を浪費しても仕方ありません。先に進みましょう。リコを助けるのなら時間は切迫していると考えるべきでしょうから」
坑道の入り口付近では幼女形態のアンネリーゼが、どうして自分がここに居るのか分からずキョトンとしていた。
ヨハンナは戦闘になった時の事を考え、桜子とアンネリーゼを外で待たせるべきかと考えた。しかし、桜子が聖石を持っているため、モンスターに襲われる危険性がある事に気が付き、共に行動した方が良いという考えに至った。
ヨハンナが幼女形態になったアンネリーゼにストレージの聖石から取り出した新しい服を着せ、三人は坑道へと入って行った。
点在するランプが頼りなく足元を照らしている。
「アンネちゃん、暗い所は大丈夫? 恐かったら私の胸に飛び込んで来ていいんだよ」
「ぜんぜん平気だよ」
「いやいや、遠慮しなくていいんだよ」
「んん、だいじょうぶ」
「いやいやいやいやいや、もっと素直になって――」
「では、桜子は先頭を歩いてください。弾除けに丁度いいので」
「またまた~、そんな笑顔で冗談を」
「ん?」
「あ……、本気なんですね……」
桜子は肩を落としため息を吐くが、何かを決心したように顔を上げた。
「分かりました。やりますよ! 女、桜子。それくらいやらせていただきます。でも、弾除けには絶対なりませんけどね」
そう言って桜子は先頭を歩き出した。
「でも、明りが心もとないですよ。明りを灯すアイテムとか無いんですか?」
「その手の聖石なら沢山ありますが、ここでは聖石を使うのは控えたいのです」
「まあ、それはさっきの話から分かりますけど……」
「そこで私にいい考えがあります。こんな事もあろうかと仕立てておいた、とっておきのアイテムがあるのです」
ヨハンナが満を持して取り出したアイテムは猫マスクの被り物だった。
リアルを追及したネコ殿下とは違い、キャラクター的にデフォルメされた猫マスクだった。しかし、その顔は憎たらしい顔をしている。人を小馬鹿にしたようなその表情は、見た者を必ず苛立たせる巧みな造形だった。
「ネコ殿下にバリエーションあったんですね……」
「このマスクをアンネリーゼ様にかぶせます」
そう言ってヨハンナはアンネに猫マスクをかぶせた。
「そして、このマスクを叩くと目が光ります」
ヨハンナはマスクをかぶったアンネの頭をポコンと叩いた。すると猫マスクの目が光り、車のヘッドライトのように暗い道を照らした。
「職人驚異のメカニズムで、聖石を使わずになんやかんやでライトを作ることに成功したのです」
「いや、これ普通にマスクに仕込まずに懐中電灯的なもの作った方がいいでしょ」
「フッ……、これだから素人は」
「え、私がバカにされるんですか」
「後、もう一度叩くと明りは消えます」
ヨハンナはそう言うって猫マスクの頭をもう一度ポコンと叩いた。頭を叩かれたアンネは怒った様子でヨハンナの方を向いた。
「もう! 頭たたかないでよ!」
ヨハンナはその言動に笑顔を見せると、もう一度無言で猫マスクの後頭部を叩いた。
「もう! ヨハンナきらい! これ、もう外す!」
アンネは猫マスクを外そうとするが外れない。
「アンネリーゼ様。そのマスクは一度つけると二度と外れない仕様になっております。ですので、アンネリーゼ様は一生そのままですよ」
その言葉を聞いたアンネはガタガタと震えだした。マスクをかぶっているため中の表情は見えないが、恐怖でパニックになっているのが分かる。
「さ、サクラコぉ~……」
アンネは今にも泣き出しそうな声で桜子の足にしがみ付いた。
「ちょっと、ヨハンナさん! アンネちゃんを虐めないでください!」
「何をおっしゃいますか。虐めるなんてそのような無礼なことはいたしません。私はアンネリーゼ様とスキンシップを行っていただけです」
ヨハンナはいつも通りの作り笑顔でそう答えると猫マスクをもう一度叩いた。アンネは怒り、ヨハンナの脚を小さな手でポカポカと叩きだした。
ヨハンナはそんなアンネの手を握るとその場に跪いた。
「私たちには今、アンネリーゼ――いえ、ネコリーゼ様のお力が必要なのです。この暗闇を進むには私共はあまりにも無力。ネコリーゼ様の御威光(猫の目から出る光)で道なき道を照らし、私共をどうかお導きください」
(ネコリーゼって……)
急に真面目トーンで喋るヨハンナにアンネは少しだけ呆気に取られるが
「わかった。アンネ、がんばるから」
そう答えると、猫マスクを自分で叩きライトをつけると勇ましく歩き出した。
その様子をヨハンナは微笑ましく見ている。
(この人絶対『ちょれ~www』とか思ってるな……)
「ヨハンナさん、アンネちゃんの純粋さに付け込まないでくださいよ……。アンネちゃんがかぶるくらいなら私が猫マスクかぶりますよ」
「まあ、なんと素晴らしい自己犠牲の精神。しかし、アンネリーゼ様の頭の高さが丁度いいので、そのままつけていてもらいましょう」
「ヨハンナさん、アンネリーゼさんに対する忠誠心薄いですよね」
「まあ! 酷いことをおっしゃいますね。とんだ誤解をされているご様子。私は幼女形態の記憶が大人形態に引き継がれないのでアンネリーゼ様に日頃の――ゲフン、ゲフン……」
ヨハンナはわざとらしく咳払いをし、「さあ、先を急ぎましょう」と笑顔で言うとそのまま歩き出した。
(ヨハンナさん、色々と貯め込んでそうだなぁ……)




