#18 アルベルティーナが行く その1
「クシュン……」
「どうしたの、アルちゃん。風邪?」
カテドラル内の彩乃の執務室で、聖石の帳簿と睨めっこしていたアルベルティーナは小さくくしゃみをした。
「どうせ、ヨハンナか桜子辺りが『見た目がチンチクリン』とか『もっと威厳があれば』とか話してるんでしょ」
体調を心配する彩乃に対し、アルベルティーナは皮肉っぽく言った。
「ところで、アルちゃん……。この状況、もし上の人に見つかったら私めちゃくちゃ怒られるんだけど。教会の情報を公国側に開示するときは、必要書類を用意してもらわないとダメなんだよ」
「それくらい知ってるわ。教会絡みの書類は作成にも承認にも時間がかかるでしょ。お互いに面倒な書類仕事が無くなってラッキーじゃない。柔軟にいきましょう、助祭様」
彩乃は「え~……」と言葉を漏らし落胆のため息を吐く。
「もし見つかったところで、ヨハンナの上司の主席秘書官が何とかしてくれるわ」
彩乃は、仕方がないと腹をくくりアルベルティーナのために黙々と資料を用意した。
暫くして、聖石の出荷履歴を見ていた彩乃は、一息つくようにため息を漏らす。
「帳簿を見る限り、怪しい組織は見当たらないね。どこも信用のあるところばかり」
「彩乃、ちょっとこれを見てくれる?」
彩乃はアルベルティーナが乗っかっている用紙に目をやる。
「騎士団駐屯施設への出荷履歴? 別におかしいところはないと思うけど……」
「教会が出荷している聖石に、純度ランクEの聖石が混じっているの。しかも結構な量が。おかしいと思わない?」
「普通は工場とかに出荷される純度ランクが最低の聖石だね。でも騎士団は聖石を使うし、騎士の養成学校でも使用するから別におかしいとは思わないけど」
「だったらランクC以上のはずよ。そこまで費用を削減しなきゃいけないほどグロービスの財政が切迫してるようには思えないし、そもそも出荷数が多すぎるわ」
彩乃はアルベルティーナの言葉に、う~ん、と唸りながら、自分の持っている用紙の束をペラペラと捲っていた。すると気になる一枚を見つけた。
「あ、その帳簿の開示依頼が来てたみたい。依頼主は総統府の会計監査の『ウィリアム』って人。受理はされてて、え~と、七日目に閲覧は済ませてるみたい」
アルベルティーナは考え込むような仕草をした。
「ねえ、彩乃。ここ一ヶ月の聖石の取引記録ってある?」
彩乃は頷くと、記録の数枚をテーブルに広げた。アルベルティーナは一枚一枚丁寧に目を通していく。
「何度か総督府が聖石を売りに出してるわね」
「だって、モンスター増加とその討伐で騎士団を動かしてるんだもん。モンスター討伐で得た聖石は総督府預かりになるから、その後教会に売るか、許可を得えて所有を希望するかしないと教会法に引っかかるでしょ。結構な量だから売ってしまった方が手続き的には楽だよね」
アルベルティーナは手を顎に置き思索をめぐらせた。
「たぶん、ガルキオ商家は鉱山でモンスターを飼育している」
アルベルティーナの突拍子もない言葉に彩乃は驚きで目を丸くした。
「突然何を言い出すの! そんな恐ろしいこと。そもそも、モンスターの飼育なんて可能なの?」
「聖石を持っていなければモンスターには襲われない。それは周知の事実。ある意味モンスターは無害なのよ。だから飼育すること事態は可能よ。ランクEの聖石を餌にしてモンスターの体内の聖石の純度を上げて殺す。そして、その聖石を教会に売れば大きな金になる。少ない投資で莫大な利益。モンスターを倒すのは手間だろうけどね」
「それって、セレンファリシア様に対する冒涜でしょ。私はこっちの世界に来て日が浅いけど、普通の人はそんなこと……」
「考えないでしょうね。ただ、二百年前に同じような事案はあるのよね。その時はハンターがやってたんだけど。ヨハンナがガルキオ商会の話をした時にそのことが思い浮かんだ。だけどガルキオ商会単体だとそんなことできないから、別の組織が絡んでいるだろうと思ったの。思い過ごしなら良かったのだけど、現に鼻が曲がりそうなほど臭いモノが出てきた」
「それって、つまり総督府が関わってるって事よね?」
「ええ、しかもグロービス総督府の上の連中、さらには騎士団の一部もね。たぶん、監査のウィリアムって人は帳簿の不審な点を見つけて、それを調べるために教会を訪ねた。おそらく横領と帳簿の改ざんを確証づけるために」
「つまり話を要約すると、先ず総督府の騎士団がランクEの聖石を仕入れ、それをガルキオ商会に横流しする。それを餌として商会が鉱山でモンスターを飼育する。ある程度の純度が確保できたら野に放逐する。そして騎士団がそれを狩り、手に入れた聖石を総督府が教会に売る。そういうこと?」
「ええ、付け加えるなら、その後、その公金でガルキオ商会の商品や土地を高値で買い、その利益を私的に分け合うといった流れでしょうね」
「だったら何とかしないと。聖石絡みなら教会騎士団も動けるし」
「無理ね、確固たる証拠が無いもの。推測だけで教会騎士団は動かないでしょ? 私は一旦総督府へ行く。その『ウィリアム』って人に会ってくる。もしかしたら総統府が関わっているという証拠を手に入れてるかもしれないから」
アルベルティーナはそう言うと執務室の窓辺に飛んで行く。
「だったら、私はこれ以上手伝えないな。ゴメンね」
「何言ってんの。今の状態だって彩乃は危ない橋を渡ってる状態なのよ。これ以上は迷惑かけられない。ありがとうね、彩乃。凄く助かった」
彩乃は申し訳なさそうな顔をしていたが、アルベルティーナの言葉を聞いて笑みを見せた。
「無茶しちゃダメよ」
「それはアンネリーゼ様に言った方が良いかな……」
そう言うと、アルベルティーナは彩乃の執務室を後にし、総督府へと向かった。
総督府へたどり着いたアルベルティーナは上空から辺りを見渡し、中に入れそうな場所を探した。
二階の窓が一つ開いている場所があった。そこから中を覗き込むと、その部屋は客間だった。置かれた豪勢なソファーには少女が一人ポツンと座っていた。それはヨハンナから総督府に行くように言われたリコだった。
アルベルティーナは辺りに誰もいないことを確認し部屋に侵入する。そして、リコに話しかけた。
「どうして貴女がここに居るの?」
リコは驚いてソファーから飛び上がった。
「びっくりしたぁ……。昨日、桜子と一緒にいた妖精さんか。私はガルキオ商会に追われてたんだけど、ネコ殿下一行に助けてもらって此処で保護してもらうようにって言われたの」
リコはそう言うとヨハンナに貰った名刺を見せた。そこにはヨハンナの直筆で総督府にて保護するようにと書かれてた。
(ヨハンナの筆跡で間違いない。でも、ネコ殿下って誰……)
「ヨハンナたちには会ったのね。それで、何で貴女はガルキオ商会に追われてるの?」
「ネコ殿下たちにも同じ質問されたけど、分からないの……」
「そう……。理由も知らず追いかけ回されるのは怖いでしょうね」
アルベルティーナは同情するように言ったが、リコはぎこちない笑顔で首を横に振り「大丈夫」と言った。その様子にアルベルティーナは次の言葉をためらったが、リコのためを思うと言うしかなかった
「いい、よく聞いて。総督府にもガルキオ商会に協力する奴がいるの。ここに居たら間違いなく奴らに引き渡される。だから早く逃げて」
「え!? 逃げろってどこに、どうやって!」
リコが慌てて立ち上がると、ドアをノックする音が聞こえた。
リコは咄嗟にアルベルティーナを鷲掴みにすると、上衣を捲りその中に彼女を隠した。
部屋に入って来たのは、身なりの良いが図々しそうな小太りの中年の男だった。
「総督閣下!?」
リコは大変驚いた様子だった。この都市で一番偉い人物が会いに来たのだ。当然だろう。
アルベルティーナはリコの上衣の胸元から顔を出し様子を覗った。
(またこいつか。相変わらずいかにも俗物って感じね)
「お前がウィリアムの娘か。まったく、親子揃って面倒ばかりかけおる。秘書官も色々嗅ぎ回ておるし、相談役の妖精も厄介だ。公王殿下の視察までもう時間が無いというのに」
リコは煩わしそうに語る総督の言葉の意味が理解できず呆然としていた。
「一緒に来い」
リコは総督の言葉に従うしかなかった。総督に連れられ建物の外へ出ると、そこには一台の車が用意されていた。そこに乗り込むよう促されリコは車へと乗り込んだ。
座席には騎士総長が既に乗っており、車は程なくして出発した。
「あ、あの……今からどこに行くんですか?」
リコはおどおどしながら尋ねたが、騎士総長から返事は返ってこなかった。
(確か、コイツはグロービス騎士団の騎士総長。リコをガルキオ商会に引き渡すつもりか。総督が怪しいと思ってたけどやっぱりコイツもグルか)
リコは車の窓にうなだれるようにして寄りかかり、騎士団長に背を向ける。そして、アルベルティーナに小声で話しかけた。
『これってヤバイ状態だよね……』
『かなりね……。私は会計監査のウィリアムって人に会いたかったんだけど』
『それ私のお父さん。今、行方不明なんだ』
『お父さんはいなくなる前に何か言ってた?』
『うんん、なにも』
(たぶん、この子の父親は聖石の横領の証拠を手に入れたんだ。だから、総督府の上の連中はガルキオ商会に殺させた。いや、殺されたと考えるのは早計か)
『お父さんね、いつも忙しそうにしててあまり話せなかったの。お母さんが早くに死んじゃって、私のために頑張ってるの知ってたから何も言えなかった。でもね、私がカフスボタンをプレゼントした時、凄く喜んでた……。お父さん、死んじゃったのかな……』
リコは今にも泣き出しそうな顔をしている。
『その可能性もあるわね』
『…………』
『私は慰めの言葉なんて言わないわよ。可能性があるならその可能性の分だけ覚悟しておくべきだと私は思ってるから』
アルベルティーナは表情一つ変えずそう言った。そして言葉を続けた。
『ガルキオ商会がアナタを殺さずに捕まえようとする理由。それは人質にするため。不正の証拠を手に入れたアナタの父親に口を割らせるため。その証拠を消し去りたいから商会は躍起になってアナタを捕まえようとしている、とも考えられる』
『それって……』
『アナタの父親が生きている可能性もある。全ての可能性を受け入れる覚悟あるなら、自分の信じたい可能性を信じなさい』
リコは小さく頷くと出てくる涙を堪え、アルベルティーナに笑顔を見せた。
しばらくして車は止まった。リコが車から降りると、そこには外と都市を隔てる外壁がそびえ立っていた。近くには馬車が停留してあり、奥には外とを繋ぐ門がある。
ガルキオ商会の私有地であるためか人の往来は無いに等しかった。
車から降りた先には、帽子をかぶったいかにもマフィア然としたキザったらしいスーツ姿の男が数人のならず者を引き連れ立っていた。
「あの人はガルキオ商会の会長……」
リコはそう呟く。胸元からアルベルティーナがひょっこりと顔を出す。
騎士総長はガルキオ商会の会長の所に歩み寄ると、その部下から大きめのトランクケースを受け取った。中身を確認するためにその場で開けるとそこには紙幣がギッシリと詰め込まれていた。
(騎士総長もガルキオ商会と繋がってたか。民衆の人気稼ぎのために利用しているみたいね。そして、今は総督府側の分け前を受け取りに来てる。そのついでにこの子を連れて来たって事なんでしょうけど……)
「ねぇ……、妖精さんどうしようか」
リコは怯えた様子でアルベルティーナに尋ねた。
「こっちが聞きたいわよ。私は頭脳派だから危険を冒すことはやりたくないのに……。そもそも貴女が私を掴まなければ、私はその場に隠れてやり過ごせたはずなのよ」
「反射的にやっちゃったんだもん。しょうがないじゃん。それに、これもセレンファリシア様の御意向だよ。ネコ殿下だってそう言うよ」
「だから、ネコ殿下って誰よ。なんでそんな偉そうなの」
アルベルティーナは気持ちを落ち着けるために深く深呼吸をした。
「たぶんここはガルキオ商会の私有地。逃げても逃げきれない。今は流れに身を任せましょう」
ガルキオ商会の会長が部下にリコを馬車の荷台に乗せるよう指示を出した。




