#16 (一応、ネコ殿下に設定とかあったんだ……)
翌日、桜子とアンネリーゼ、ヨハンナの三人は街の繁華街を闊歩していた。
行違う通行人にアンネリーゼ正体はバレてはいない。しかし、すれ違う度にどよめきが起きる。
「流石だな、ヨハンナ。バレる様子が毛ほどもない」
「左様でございますね。私のとっておきを出した甲斐がありました」
自信満々で会話をする二人の後ろには、表情を引きつらせながら歩く桜子がいた。
(バレてはいない……バレてはいないけど……)
アンネリーゼはフルフェイスの被り物をしていた。猫の被り物だ。桜子は被り物すること自体は反対ではなかった。しかし、その猫の顔が不気味だった。リアルすぎると言うべきだろうか。猫の愛らしさなど欠片もない。只々不気味なマスクだった。無論被り物は頭だけで、その下にはドレスを着たアンネリーゼの豊満なメリハリのある体がくっついている。それが輪をかけて不気味さを助長していた。その姿を見た子供たちが泣いている。
桜子はその周り様子に、どうにかしなければと思い立ちアンネリーゼに声を掛ける。
「あの~、アンネリーゼさん。バレないとは言っても、大手を振って歩くのは止めた方が良くないですか?」
「それもそうだな。裏道を歩くとするか」
「左様でございますね、ネコ殿下」
(ネコ殿下!?)
三人が裏道へ向かおうとしたその時、目の前を少女が駆け抜けていく。
桜子にはその顔に見覚えがあった。昨日立ち寄ったレストランのウェイトレス、リコだった。彼女は脇目も振らずに逃げていた。彼女の後方には厳つい男二人が彼女を追いかけていた。
「あの子、昨日の――確か、リコちゃんでしたよね?」
「ええ。追いかけてるのはガルキオ商会のならず者でしょうか。また商会方々と揉めたのでしょうか?」
「お前たちの知り合いか。だったら助けるついでに、ガルキオ商会の連中から情報を引き出すのもやぶさかではあるまい」
三人は走り去ったリコの後を追った。
リコは入り組んだ裏路地を直感を頼りに駆けていたが、行き止まりに突き当たってしまった。
その場所は隣接する建物の壁で囲われた仄暗い空き地だった。もとより人通りなど無かったので助けを乞うべき人はいない。この空き地に繋がる道は自分の入って来た大人二人がすれ違える程の幅しかない細い道のみだった。
リコは空き地の中央付近で振り返えった。そこにはニタニタと笑いながら近づいて来る男二人が居た。
リコはじりじりと後退りしながら言った。
「何で私を捕まえようとするの!」
「知らねぇよ。俺らはお前を連れて来いって言われただけだ」
ガタイのいい男はそう言うとリコの腕を強引に掴む。
リコは、「キャッ」と声を上げ暴れるが、その男の異常な力に為す術がなかった。
その時、男たちの背後からこの状況に似合わない穏やか声がした。
「ナンパにしては少しばかり強引すぎはしませんか?」
男たちが振り返ると、そこにはにこやかに笑うヨハンナが立っていた。
「ヨハンナさん!」
リコは驚きで目を丸くしたが、ひょろ長い男は鬱陶しそうな顔で言った。
「お姉さんさぁ、痛い目に会いたくないならどっか行きなよ?」
リコの腕を掴んでいるガタイのいい男が威嚇のために壁を殴りつけた。ドンという腹に響く音と共に壁に小さなクレーターができていた。リコは思わず身を竦めた。
男の身に付けている腕輪の聖石が水面に反射する光にように揺らめいている。
男が身に付けているそれは強化の聖石であり、素の状態の数倍の筋力を行使できるものであった。
「聖石使いなのですね。しかし、ハンター、傭兵両ギルドのライセンスはお持ちでない様子。どうやって聖石とコネクターを手に入れたのでしょう? 教会騎士団に通報致しましょうか?」
ヨハンナは相変わらず穏やかな口調で言った。
「それを聞いて俺らが見逃すと思ってんの?」
ひょろ長い男はイライラしながらヨハンナに詰め寄ろうとする。
「それではこちらは正当防衛を致します」
そう言ってヨハンナがニコリと笑った。
リコの腕を掴んでいたガタイのいい男はその様子を怪しく思う。そして、ふと自分の片腕が熱くなり感覚が鈍くなっていると感じた。リコを掴んでいた腕を見ると、その太い腕にはレイピアが深々と突き刺さっていた。それを認識した瞬間、男の体に激痛が走る。男がリコを掴んでいた手を離した次の瞬間、男は鉄の棒で顔面を殴られたような衝撃と共にもの凄い勢いで地面に打ち付けられていた。
男の腕に突き刺さったレイピアは銃弾のような速さと正確さでヨハンナが投擲したものだった。男が鉄の棒で殴られたと感じたモノは、一瞬で間合いを詰め男の顔面に回し蹴りを放ったヨハンナの華奢な脚だった。
桜子と猫の被り物をしたアンネリーゼは空き地に入る細い道からその様子を覗き見していた。
「ヨハンナさんってめちゃくちゃ強いんですね」
「聖石使いの戦闘は聖石の『純度』とその聖石を使いこなすための研鑽で決まる。純度でも研鑽でも劣る相手に負ける道理はない」
「『純度』って何ですか?」
「聖石がどれだけ澄んでいるかの指標だ。『純度』の高い聖石程強力な力を秘めているし、高値で取引される。また『純度ランク』というものが存在し、A~Eに分けられる。ランクE、Cの聖石はイシヒス(動力制御措置)に内蔵され、様々な機械の動力として使用される。それ以外は主に戦闘用だな」
「つまり、ヨハンナさんが強いのは純度の高い聖石を使ってるからって事ですか?」
「それだけではない。適性値が低ければその聖石の力は充分に引き出せないし、研鑽を詰まなければその力も持ち腐れだ。先程見ていただろ。あの男は『強化の聖石』を自身の肉体の強化にだけ使用していた。しかし、ヨハンナは自身と投擲したレイピアにも強化を施していた。それは適正と研鑽が有ればこそ成せる技だ」
「ヨハンナさんは二つの聖石を使ってるんですね」
「ストレージと強化の聖石を使用している。ストレージ自体が希少な聖石で使い手も稀だ。それを使いこなした上で強化の聖石すらも使いこなす。見事なものだよ、全く」
ひょろ長い男には自分の前からヨハンナが消えたように見えていた。そして、背後の音に釣られ振り返ると、相方が地面に倒れ気絶していた。その前にはヨハンナが悠々と立っている。
男は混乱しながらヨハンナから距離を取る。男の指にはめられた聖石が淡く光を放つ。
すると、彼の周りに風が集まりだす。その風はいつしか視認できるようになり、無数の輪を作り出すと荒い丸ノコの刃のような形を成す。
男が半狂乱気味に
「イケェええええ!」
と絶叫するとその無数の風の刃がヨハンナに襲いかかる。
ヨハンナの片手にはストレージの聖石から取り出したレイピアが握られていた。そして、その場から動くことなく剣を振る衝撃波で風の刃を相殺してしまった。
男はさらに狂乱し、再び風の刃を作り出そうと聖石をはめた手を掲げたが、その手の平にヨハンナの投げたレイピアが突き刺さる。
男は激痛でその場に跪き慌ててレイピアを抜き取るが、痛みのあまりその場で前のめりに蹲ってしまう。
ヨハンナはその這いつくばる男にスタスタと近づくと背中を踏みつけた。
そして、もう片方の無事だった手の甲にレイピアを突き立てた。
男は痛みと恐怖で悶え、呻き声を絞り出す。
「さて、取引をしましょう」
ヨハンナの声と表情は一貫して穏やかなままだった。
「私の質問に正直に答えて下さい。答えて下されば命は取りませんし、教会騎士団に引き渡すのも止めましょう。破格の条件だと思いますが?」
「言う! 何でも言う! だからその剣を抜いてくれ!」
「逃げられては面倒ですのでこのままお話しましょう」
ヨハンナはそう言うと突き刺しているレイピアをグイっと捻る。男は苦痛の声を絞り出した。
「先ず最初の質問です。彼女を追いかけまわす理由を教えてください」
「知らねぇ……、俺らは捕まえるように言われただけだ」
「貴方がたが持っている聖石とコネクターはどうやって手に入れたのですか?」
「……闇取り引きだよ。裏じゃ相当数出回てる」
「出所は?」
「……グロービス騎士団、という噂だ」
男の言葉にヨハンナは暫く考え込んだが、直ぐに次の質問を投げかけた。
「ガルキオ商会は鉱山で何をやっているのですか?」
「何を言ってんだ。そんなの採掘に決まってんだろ」
「しっかり考えて下さい。さもないと足の方にも穴が開きますよ~」
ヨハンナは自身の前で跪く男の顔にレイピアの刃をちらつかせる。
「待ってくれ! 俺らもそれくらいしか知らないんだよ! 今の会長は秘密主義で下の連中には情報が何も降りて来ねぇんだ。最近ちょくちょく鉱山に行くようになった事くらいしか知らねぇ。あ、後は……、そ、そうだ。会長はここ数ヶ月、スゲェ羽振りがいいんだよ。何でも大口の取引相手がいて、そいつが言い値で商会の土地や商品を買ってくれるんだとか」
ヨハンナは男の言葉を関心深げに聞いている。
「その羽振りが良くなったのは、会長が鉱山に行くようになってからですか?」
「あ、ああ。だいたいそれくらいだ」
ヨハンナはその言葉を聞くと満足したのか、男の手の甲に突き刺していたレイピアを抜き取った。
「いい情報を頂けました。ご協力感謝致しますわ」
解放された男は相方のガタイのいい男を担ぐと、そそくさとその場から逃げて行った。
それと入れ違うように桜子とネコ殿下が空き地へと入って来た。
一連の様子――ヨハンナの戦う姿を見ていた桜子は、思わずヨハンナに駆け寄り声を掛けた。
「ヨハンナさん。超ぉ~~~、ドン引きだったんですけど……」
ヨハンナは首を傾げた。
「別段、特別な事をやったつもりはありませんが?」
「血生臭すぎますよ……拷問とか拷問とか拷問とか……」
「あの手の方々はなかなか言葉では理解して頂けません。恋愛と同じで積極的なアタックが必要な時もあるんです」
「恋愛と拷問を同列で語れるヨハンナさんのメンタルはスゴイと思います……」
「お褒め頂き光栄ですわ」
ヨハンナはニコリと笑顔を見せた。
桜子は未だに腰を抜かしているリコに駆け寄り「大丈夫?」と言い、手を差し出した。
リコは頷きその手を握ると、少しだけ体重を桜子に預けながらゆっくりと立ち上がった。
「桜子……だったけ? ありがとう。ヨハンナさんも助けてくれて――!?」
リコの視線は桜子とヨハンナの後ろに居たネコ殿下に向けられていた。
ネコ殿下の顔の不気味さに顔がこわばるリコを見て、仕方がない、と言わんばかりにヨハンナは説明を始めた。
「こちらにおわすはネコマトン王国の第一皇女であらせられるネコ殿下にございます。お忍びで各都市をご旅行なされている最中、貴女が暴漢に襲われるのを拝見され心を痛められました。そこで、その従者であるこのヨハンナが助けに入った所存です」
(一応、ネコ殿下に設定とかあったんだ……)
「あ、ありがとうございます、ネコ殿下。お会いできて光栄です」
リコは助けてもらった手前、失礼なことは言えないと思い妥当な言葉を見繕った。
「創造神セレンファリシア様の御意向だ。感謝したまえ。」
(偉そうだなネコ殿下……。あ、中の人は偉いのか)
そんな風に桜子は心の中でツッコミを入れると、リコにかねてよりの質問をぶつけた。
「リコちゃんは何で追われてたの?」
「わかんない……。日頃からガルキオ商会に反発してるからだって思ってたけど、聖石使いに襲われるって事は違うのかな……。お父さんがいなくなった事に何か関係が……」
「リコちゃんのお父さんって何やってる人なの? ガルキオ商会と何か関係が?」
「総督府で働いてる。五日前から行方不明なの。商会との関係は分からない。日頃からガルキオ商会に反感は持ってたけど……」
「狙われる理由をここで話していても答えは出そうにないな。一刻も早く鉱山に向かうべきだが、このままこの娘を放置するわけにもいかんな……」
ネコ殿下の言葉にヨハンナはすぐさま反応し、自分の名刺を取り出すと短く何かを書き込んだ。
「これを総督府の者に見せて下さい。そうすれば保護してくれます。事が済むまでそこで身を隠してください」
リコは受け取った名刺に目をやる。
「公王府秘書官!? ヨハンナって凄い人だったんですね……」
「いえいえ、そんな。この歳で公王府秘書官に成れる人物などそうそういませんが、大したことではありません。リコ、一人で総督府まで行けますか?」
リコは「大丈夫です」と快活な声で言うと、そのまま走り去って行った。
「リコちゃんが狙われた理由って何でしょうか?」
「今はそれを論じても仕方あるまい。予定通り鉱山へ向かうぞ」




